緩やかな坂をのぼって行く

緩やかな坂をのぼって行くとそこにルミが立っていた。とても無防備にだが寂しさと哀しみに包まれて。

スクールバスの停留所であるそこは、木柵に囲まれた人家の裏庭で、柵からはびっしりと白い花をつけたジャズミンの植え込みが見える。

スクールバスから降りたばかりなのだから、他の子供たちとふざけていても良い筈なのに、そんなシーンは一度も見た事はない。ルミはいつも孤独な女の子。プレスクールに通い始めて半年になる。

五日前の出来事がまたよみがえる。けたたましい金属音にあわててキッチンに行くと、排水口に両足を入れられ鈍く旋回している裸のバービードールがいた。そばにいたルミの仕業に違いない。彼女は無表情に私を見た。

ディスポーザーに自分の手を入れてONにし、血だらけの自分の手を見ると言う恐怖を何度か夢想した。「夢想するだけならいいのですが、本当にやってしまうとなるとこれは問題です」週一で通う精神科のお医者様はそう言う。それはそうかも知れない。

境界線パーソナリティ障害と判断された私の精神障害は、時に自己破壊的な衝動的行動を伴うものだとお医者は言う。「これは遺伝的なもので近親者に受け継がれることがあります。お嬢さんが嗜虐性のある行動をすると言うなら少し心配ですね」

この日系のお医者様はかなり流暢な日本語を話される。だが完ぺきではないので、時々無駄な時間を費やす事になる。英語での会話が苦手な私が主治医のお医者様に「日本語の出来る先生を」とお願いしたので、もとはと言えば私のせいなのだが。

私だけの問題ならまだしもルミまでも似たような症状を見せるので、心配になって精神科医のお医者に通うようになった。だが会話は堂々巡りで何の進歩もないように思える。プレスクールの先生は、ルミが他の子の手首を噛むので困ると言われた。彼女は自分を痛めるのでは他者を痛めるのが好きなのだ。

「それはね、愛情の上げすぎなんですよ。甘やかしはいけません。なんでも自分の好きにしたいと思いますからね」私はルミを甘やかしすぎたのだろうか。

ふと窓の外を見ると崖の上を歩く歩行者の足が見える。白いスニーカー、だが履き古した汚れた靴でゆっくりと歩いている。崖の上の歩道から見るこの診療所は、古い木造の建物だ。同じ建物に歯科医、泌尿器科医などが軒をつらねている。だが患者の姿はあまり見かけない。

「精神病と一口に言っても色々な症状があり治療法も違う。だが根本的には患者が自意識過剰なんです。自分が見捨てられたり忘れられたりする事に異常に敏感なんです。つまり孤独が恐い。だから自分を傷つけたり自殺の真似をしたりして人の気を引くんです。その気持ちの強弱によって、本当にケガしたり死んでしまったりする」

「先生、ちょっと!」と私は軽く手を上げる。私は孤独など何ともない。むしろその中に身をゆだねている時、軽い安堵さえ覚える。その事を言うと彼がニヤリとした。「だから言ったでしょ。もとはと言えばすべては情緒不安定から来ているんです。精神疾患は何らかの情緒不安定、これのみです」

ネットを見ると、幼い頃母親に愛されなかったりするとそれがストレスになり、後に情緒不安定と言う後遺症を引き起こすと書いてあった。

私は母から十分な愛を貰えなかったか?と自問すると、思い当たる節はある。だが彼女は私に冷淡な態度を示しても、後日その埋め合わせをするような事が必ずあった。少女の頃言う事を聞かない私を、彼女はいきなり縁側から庭に突き落とした。雨さえ降っている午後に。

だが三日後、「一緒に入浴しよう」と私を誘った。めったにない事なので不思議に思っていると、湯船の中で私の鎖骨を指でなぞりほっとしたように言った。「良かった、骨は折れてなかったね」とほほ笑んだ。その私の左の鎖骨は、一年ほど前に野イチゴを取ろうと登った崖から落ちて折った骨だった。

何件もの整骨院に行き、やっともとに戻った骨だった。その骨が庭に突き落とした際、また折れはしなかったかと母は心配したのである。あの時の骨をなぞった母の指の感触、その温かさは今も思い出す事が出来る。それから私は、母は私を本当は愛してくれているのだと思うようになった。

ルミが私と似たような嗜虐的行為をするのは甘やかしのせいだと先生はおっしゃる、

「ではルミの他者を虐める行為をやめさせるには、どうしたらいいんでしょうか?」「それはLOVEです」勝ち誇ったように彼は言った。「単なる甘やかしではなく真実の愛、真摯な愛です」

先生の英語のLOVEの発音は完ぺきだった。だが私にすれば、日本語の【愛】と英語の【LOVE】ではどこか微妙にニュアンスが違う。例えばテニスの軟式テニスと硬式テニスの違い、個人的にはそう思っている。軟式テニスは日本人向けに考案された日本発祥のテニスだ。だから日本語の愛を思わせる。

LOVEより愛と言う言葉が私は好きだ。ではその違いを解明せよと言われると困るのだが。愛はLOVEよりも儀式めいて厳格、LOVEはそれこそアメリカ人同士のラブストーリーのように、自由で華やか、そんな気がする。

「ハロー」夫が突然帰って来た。いつものように飄々として薄笑いを浮かべ。彼がどこに住んでいるのか何をしているのか、私は知らない。白人と日本人の混血である彼はとてもミステリアスだ。愛人もいるようだが深くは問いたださない。

だが生活費と養育費だけは必ず渡してくれる。時々は私を抱いてもくれる。

「ルミと君が僕の生きがいだ」時々彼はそう言う。「生きがい?何のための生きがいか?」そう聞きたいが私は黙っている。何もかもあからさまになると、この砂上の楼閣とも言うべき私たちの幸せが、一瞬にして壊れるような気がして私はこわい。

車中に閉じ込められたレイナ

車中に閉じ込められレイナは、今まで味わった事のない怖さ、不気味さを感じていた。ガソリンが切れたと言いタカシが、徒歩でガスを買いに行ったのだ。車から絶対出るな、窓も3センチ以上はあけるなときつく言い残したまま。

砂漠の一本道でガソリンが切れる、何かの天罰とさえ思えるこの仕打ちにレイナはすっかり弱気になり、遠くの山並みをぼんやり見ていた。そう言えばアリゾナの砂漠の山中には半獣人間のような醜悪な生物がいて、街から来た旅行者を襲撃すると言う映画もあった。そんな人が山から下りてきたらどうしょうとレイナは気が気ではない。

学生の頃グランドキャニオンを見た恋人のタカシはその荘厳さに胸打たれ、将来の嫁には結婚指輪をここでやると心に決めたそうで、そのために恋人のレイナをわざわざアリゾナくんだりまで連れて来た。

二日ほどラスベガスで過ごし念願だった旧国道のルート66をレンタカーで走った。キングマン、セドナとレトロなアメリカ町の雰囲気は気に入ったが、どう言う訳かやけに人の数が少ない。

観光客の少なさはともかく町全体がひっそり感として活気がない。まさかいつまでもコロナじゃないだろとタカシは解せなかった。動画作りに躍起になってるレイナは、何度もタカシに車を止めさせ自撮りに夢中だ。やがて「道に迷ったみたいだ」タカシがぽつりと言った。

砂漠の一本道で道に迷うとはどういう事か?一本道で迷う?広大な砂漠には車を運転する人間を小馬鹿にして翻弄する精霊がいるそうで、その罠にかかったのかも知れない。

しかたなく30分ほどひたすら車で飛ばしていると、妙に緩やかなカーブが現れた。そこを左折すると右手に見えたのがたった一張りのインディアンテントだった。あのティピーと言われる伝統的なネイティブアメリカンのテント。

道路わきすれすれの所にそれはあり、円錐型のテントのてっぺんからは煙さえ上がっている。少し開いた天幕のすき間からチョロチョロと燃える囲炉裏の炎が見える。

「タカシ!車止めて!」レイナが叫んだ。「これはスゴイ!こんな所で本物のインディアンが見れるなんて。動画撮らなきゃ、絶対登録者数が伸びるわよ」レイナは興奮していた。

登録者数が3万人で止まっているレイナの動画はそこでストップ、もう一年も鳴かず飛ばず3万人を越えない。それをどうにかしようとアリゾナ旅行に来た彼女でもあった。思わず手にしたスマホを握りしめた。

「こんなの商売に決まっているよ。そのうち手製の羽の帽子や首飾りを買ってくれと言われるのが落ちだよ」タカシが苦い顔をした。レイナが「ううん、さっきテントの外にいた男の人見た。フリンジの付いた皮ジャケットを着た。あれはまぎれもない本物の昔気質のインディアンよ。物を売りたいなら私達を見てどうしてテントの中に隠れるのよ」

二人が口喧嘩をしていると、少しだけ開いていた天幕がばさりと降ろされ、まるで口封じしたかのようにテントそのものが静寂感に包まれた。テントから上がっていた煙も消えた。

レイナはテントの中に入り彼らにインタビューしたいと思ったが、こめかみに青筋立てたタカシを見てあきらめた。

静かになったレイナにタカシが言った。「君は動画づくりに命かけすぎなんだよ。登録者を増やそうとして高層ビルに登ったり崖に這ったり、過激な事して命落とした奴いっぱいいるだろ。そんな風になったらどうするんだ」

レイナが口答えをしないのでタカシは調子に乗った。「はっきり言うけど、事に当たり一番大事なのは、心、ハート、心臓、心の臓だヨ」心の臓と聞きレイナがぷっと吹き出した。「じゃ、十年やってもまだ芽が出ない、あなたの役者としてのモットーも心の臓なのね」

タカシが声を荒げた。「君は動画の編集が下手糞なんだ。登録者数が多いユーチューバーはみんな編集が秀逸なんだ。そこを勉強しなきゃダメだな」「な、なにを根拠にそんな事を⁉たまに来る仕事は端役ばっかり、そんなあなたももっと勉強しなきゃダメよ!」「じゃそんな俺と結婚したがってる君は、一体何なんだ!!!」

その時だった。今までブツクサ言ってたエンジンが完全に止まったのは。ガソリン切れだ。窓外を見るといかにも殺風景な砂漠風景がえんえんと広がり、あたりにはびこった背低いサボテンの黄色い花がやけに鮮やかだ。「仕方ない、ガス買いに行ってくるよ」「歩いて?」レイナが聞くと「他に方法あるかい」

あれからもう二時間以上も経っているのに彼はまだ戻ってこない。携帯で電話しても無音だ。電池が切れてるのだ。だからWIFIレンタルしようって言ったのに。今さら後の祭りだがレイナは悔しがった。

考えれば彼が必ず戻って来ると言う保証はどこにもない。一人になるとタカシが恋しくてたまらなくなったレイナは、何もかも自分のせいだと気落ちした。「口喧嘩なんかしなきゃ良かった。帰って来たら謝って思い切り抱きしめよう」レイナは本気でそう思い助手席の窓に頭を持たせた。もともと素直な娘なのだ。

窓をコンコン叩く音がしてレイナが目を開けるとタカシだった。「どうしたの?ずいぶん遅かったじゃない!」嬉しさのあまり彼女の声が上ずった。タカシは黙って運転席に乗りキーホールにささったままのカギを回した。無言のまま前方を向きわきめも振らず運転する。

やがて目的地のマザーポイントが見えて来た。タカシが学生の頃来て感動した場所だ。ここで彼は結婚指輪を渡すつもりだ。二人は峡谷を背景に岸壁の近くまで来て記念写真を撮ろうと撮影者を探した。すると黒い鉄柵に寄りかかっているカウボーイハットの男が目に入った。さっき見たインディアンだった。

レイナが彼のそばに行こうとするとコンコンという音がまた聞こえた。見ると車の窓から本物のタカシが笑顔で覗いている。「早くドアを開けてくれよ」と言うタカシにレイナは愛しさに涙を流しドアを開けた。すべてはうたたね中の夢だったのだ。

「ごめんごめん、行きも帰りもヒッチハイクやったんだけど、帰りの人が東京からの旅行者で意気投合して、バーで一杯やったんだ、ごめん」何度も謝るタカシを「砂漠に私を残したまま一杯やるなんて」とレイナは責めはしない。

彼を強く抱きしめ「またインディアンとの自撮りを邪魔された」と彼の腕の中でクスリと笑った。

雪を食べるおばあさん

前書き

新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

私が幼い頃毎年正月になると、母は私を連れて実家に新年のあいさつに行きました。そこにはやはり他の親戚の母親たちと子供たちが来ていて、わいわいがやがや、ごちそうを食べたりゲームをしたり賑やかな時を過ごしました。なぜ父親がいないかと言うと、それは母親たちの里帰りの意味もあったからです。その頃日本の田舎では、すでに嫁いだ女たちが泊りがけで実家に行くと言うのはとても贅沢な事で、年に一回くらいしか出来ませんでした。その母の実家の近くに雪を食べるおばあさんがいました。そのおばあさんの話を微かな記億と創作を交えて書いて見ましたので、今回はそれを投稿します。

            雪を食べるおばあさん

雪を食べるおばあさんの話をしましょうか。

ずっとずっと昔、雪を食べるおばあさんがいました。おばあさんは日本のある小さな町に一人で住んでいました。名前はカトリーヌ。おばあさんは若い頃フランスから来たのですが日本語をいつまでも覚えられず、町の大人たちとは誰とも話をしませんでした。

だから彼女の友達は小さな子供達だけです。町のはずれにとても古い神社があり、入り口の両側には、立派な狛犬像が向かい合って飾られ、訪れる人に優しさと勇気を与えていました。

神社の境内を囲むようにして周りには、背高い杉の木がたくさん植わっていました。それが表通りの光をさえぎり境内の中は、いつも青い薄もやがかかっているようでした。

子供たちにはそれが妖精の棲むまぼろしの空間に見え、あのハリーポッターの魔法の杖で一瞬に世界に現れた場所のように魅惑的なのでした。

子供達はそこでかくれんぼをします。境内のまわりの杉の木の後ろに隠れ「もういいかい」「まあだだよ」と掛け声をかけ合い遊ぶのです。でもあまり長く杉の木の後ろに隠れていると、神社の神様に連れて行かれると子供達は信じていたので、遊びは長くは続きません。

それから子供たちはおばあさんの家に遊びに行きます。おばあさんは神社のすぐ近くに住んでいました。古い小さな家の玄関はいつも閉まっていたので、子供たちは裏庭の縁側から会いに行きます。

子供達はいつも5.6人いたのですが、中でもカナ、スズ、の二人は大の仲良しでした。カナはとてもはきはきして頭の良い子、皆のリーダー的存在、スズは正月になると遠くから来るカナの従妹です。

おばあさんはいつも縁側の座布団の上に正座をして子供たちを待っていました。暖房のない部屋なのでおばあさんは、古い服を何枚も何枚も重ね着していました。笑顔を見せようとするのですが、旦那様が亡くなってからは笑う事を忘れあまりうまくいきません。

子供達は道ばたに咲いていた野菊やレンゲの花を摘み「ばあちゃん、ほらプレゼント!」と差し出すのです。中には使い古しの人形を上げる子もいました。おばあさんは「アリガト」カタコトの日本語でお礼を言いました。

その頃は正月になると、必ず雪が降りました。おばあさんの裏庭にもたくさん雪が積もっています。その時だけは荒れ果てたおばあさん庭が、綺麗に雪化粧をするのです。カナが「ばあちゃん、雪たべるね?」と聞くと「タベル」とおばあさんは言います。カナは手慣れた風におばあさんの薄暗い台所に行き、赤いお椀を持ってきます。

おばあさんの台所には何も食べ物らしきものがありません。赤いお椀が二個あるだけです。カナはそれが不思議でした。

ずっとずっと昔、パリで画学生だった日本人の男の人と大恋愛をしたカトリーヌは、彼と結婚して日本に来ました。旦那様はずいぶん前に亡くなり、パリに頼る人もいない彼女は死ぬまで日本に住む事に決めたのです。

カナがお椀に盛った雪をおばあさんに差し出すと、彼女は小さなスプーンで雪を何度も何度も口に運びます。そしてぺろりと平らげてしまいます。「もう一杯食べる?」カナが聞くと「タベル」とうなずきます。

「もう一杯」「もう一杯」カナがとうとう4杯目の雪を上げようとした時、スズがいいました。「そんなに上げたら、ばあちゃん雪人間になっちゃうよ、やめた方がいいよ」するとカナは「ばあちゃん、雪もっと食べるよね?」と聞きます。

「タベル」おばあさんは言います。実はおばあさんは「食べない」と言うと、子供達が帰ってしまうと思い恐かったのです。

おばあさんの部屋の中は、ただ薄暗く家具らしきものは何もありません。ただ壁にかかった磔のキリストの像だけが、たった一つの部屋の飾りでした。

「あれはなあに?」像を指さしてスズが一度カナに聞いた事があります。「あれはばあちゃんのだんなさんよ、もうずっと前に亡くなったの」カナが得意そうに言いました。「ばあちゃんが私にそう言ったもん」

この頃から子供たちはおばあさんの体が細くなり、髪や肌が雪のように白くなっていくのに気づいていました。おばあさんは白く長くなった髪を二つに分け、顔の両脇で三つ編みにしていました。スズが「ばあちゃんは雪食べすぎて白雪姫になっちゃったね」と言うとカナは意味が分からずポカンとしていました。

ある年の正月、その年はいつもより多く雪が降りました。子供達の数もずいぶん減って、おばあさんの家に行ったのはカナとスズだけでした。縁側に正座したおばあさんにカナがいつものように聞きます。「雪食べるね」おばあさんはもちろんうなずきます。

カナは赤いお椀に雪を盛り、ふと思いつきで縁側の近くにあった南天の実を飾りました。赤いお椀の白い雪に挿した赤い南天、それは夢のように奇麗でした。まるで美しい着物を着た女の子の髪にさしたかんざしのように。

おばあさんが震える手で赤い南天の実を触りました。おばあさんの目から涙がこぼれ、お椀の中の雪にぽとりぽとりと落ちました。二人の女の子はお椀の中に落ちたおばあさんの涙を、じっと見ていました。涙が出るような懐かしい南天の思い出が彼女にはあったのでしょうか。子供達にはわかりません。

数日たって、二人がまたおばあさんの裏庭に行くと、縁側のすぐ近くの南天の木のそばに、彼女は倒れ冷たくなっていました。手のひらを開いた右手は南天の木の根元にありました。手をのばして南天の実を取ろうとしたのでしょう。縁側のふちに少しだけ雪を盛った赤いお椀がありました。おばあさんはお椀の雪に南天の実を飾ろうとしたのです。

深い深い霧の中を歩いていた

深い深い霧の中を歩いていた、たった一人で。心細く寒く、何となく世紀末の断崖絶壁の淵を歩いている、そんな心もとなさがあった。

だがここは自分でも歩き慣れた有名な観光名所だ。海の近くのボードウォークで、普段なら世界中からの観光客で賑わっている。だが今日は無人だ。どうしたのだろう?これもコロナのパンディミックのせいなのか?あるいは濃霧のせいか。

すると向こうから女が一人歩いて来るのが見えた。痩せた小柄なアジア人だ。私に向って歩いて来て「あのーこの辺にホテルありますか?道に迷ったんです」と言う。ここは海沿いの風光明媚な場所、ホテルなら幾らでもある。

「ええ、沢山ありますよ、ほら、あそこに」と私は振り向き指さした。だがホテルのネオンサインは消えている。『VACANCY』『NO VACANCY』どちらのサインもない。他のホテルも。すべてのサインが消えている。女性は片手を振って「だいじょうぶ、自分で捜します」と笑顔で言った。少しして今の女性が自分にそっくりだった事に気づいた。

振り向き彼女の後姿を見ながら、そう言えば彼女は日本語を話していたなと気づいた。

しばらくすると今度はグレーヘアーの背の低い男性が歩いて来た。今度は白人のようだ。またもや私に近づき「この辺に土産物屋はありませんか?」と聞く。土産物屋ならここは世界の観光客が集まる場所、趣向を凝らした店が幾つもある。なぜ私に聞くのだろう?

だがいつもなら道の左側に立ち並ぶレストラン、ブティック、ジュエリーストアなどが軒並み『CLOSE』のサインを出している。「クリスマスにデンマークに帰るんですが、家族にプレゼントを買いたいんです」とそのデンマーク人らしき小柄な男性は言った。

その時道の右側に羅列していた、幾つものテントに飾られたイルミネーションのすべてが同時に点灯された。暗い濃霧の中でそれは目を奪う鮮やかさだった。その時それらのテントは、ホームレスの人が住むテントだと分かった。だが中に人の気配はしない。

テントに近づき耳をすませ中のようすをうかがったが、無音の音、宇宙音の様なものが聞こえるだけだ。

ただいつもはテントのまわりにある雑多なホームレスの持ち物がきれいに取り払われ、テントの埃も掃除されたのか清潔になり、その上に飾られたクリスマスライトが点滅しているだけだ。

ホームレスの人たちはどこへ行ったのだろう?

さ迷う旅行者を誰もヘルプ出来ない事にがっかりして力なく歩き続けた。すると今度は上半身裸でショートパンツ姿の男性が走って来た。全身ずぶぬれである。走りながら通り過ぎようとする彼を呼び止めた。

「何事ですか、そんな恰好で?」その聞き方は無作法だったらしく、彼はむっとして答えた。「今ね、人助けをして来たんだ。海で溺れかけた友人を助けたんだ。彼はホームレスで2年以来の僕の友達」流暢な英語でそう答えた。

「その溺れた人はどこにいるんですか?」と聞くと、「ドクターヘリで病院に担ぎ込まれた、大丈夫命に別状はないそうだから」と言うとニコッと笑って走り去って行った。私はもう一度、黄やブルー赤の電飾がまたたくホームレスのテントに目を向けた。

ボードウオークの真ん中に立ってあたりを見回した。邪魔な人物像だけを削除した動画のように、とても不自然で虚無的な場所がそこにあった。いつもはいるストリートパフォーマーの、身長が二メートル以上の足長おじさんやターバンを巻いた名物スケートおじさんの姿が見えない。

彼らも削除されたのかな?だが霧の濃さは次第に薄くなっているのが分かる。

シャンシャンと言う橇の音が聞こえた。見るとトナカイのそりに乗ったサンタクロースがこちらに向かってやって来る。プレゼントを後ろ座席に山積みにして。どうせ何かのイベントだろう、あるいはモールの子供達との撮影に疲れたサンタに違いないと私は彼に向って「メリークリスマス!」大声を上げ投げキッスを送った。

彼もニコニコと笑顔を見せ手を振り何かを私に投げて寄こした。両手でキャッチして見ると、小さなサンドイッチバッグに入ったキャンディだった。

振り向くと橇の後ろに「ノースポールのサンタクロースの家の郵便番号は99705,お便り待ってるよ」大きなサインが見えた。もうすぐクリスマスだ。何となく楽しくなった。

死ぬ前にあなたに会って渡したい物があります

「死ぬ前にあなたに会って渡したい物があります、いえ、渡さなければならない物があります」そんな恐ろしい手紙を貰ったのはつい一週間前の事だ。なぜ恐ろしいか?それは手紙の差出人はすでに亡くなっていると私は思っていたからである。

彼女は私の実家宛に手紙を出し、それを母が現住所に郵送したのだった。

25年前、短大を卒業したM子と私は、東京のあるレストランでウエイトレスをする事にした。そこは大きな窓ガラスから賑やかな通りが一望できる有名なレストランで、芸能人が良く来ると言う噂の店。私達は冷やかしのような軽い気持ちで働き始めたのだった。

そこにバーテンダーとして働いていた俳優志望の大学生の男がいた。彼はある有名大学に在籍中の背の高いハンサムな男だった。

M子はすぐに彼を気に入りそわそわと落ち着かなく、かと言ってアプローチする訳でもなく、彼が作ったクリームソーダを客の前でこぼす等の失態を犯していた。好きと言えずに彼の前でお馬鹿をやっていた。

だが二人の距離は次第に近まり、M子が彼の胸をこぶしで打つようなまねをすると彼がその手をねじり上げる。するとM子は大げさに騒ぎ立てた。

それを見て私はイラつき、強引に彼を映画に誘ってみた。彼はすぐに承諾した。その事でM子は彼をあきらめた。

言い忘れたがM子と私は同じアパートの一室を借り費用を折半していた。愚鈍な表情と体つきでスター性の全くない男が、私の映画への誘いにすぐに乗って来た事で私は幻滅を感じた。役者になりたいならもっと他にやる事があるだろうが。同時に私は仕事をやめ、M子とも疎遠になった。

新幹線の『のぞみ』で東京から京都まで行き乗り換え、そこからJRで奈良まで行く事にした。M子の実家は奈良の田舎にあり、彼女は今そこで乳がんステージ4の状況で、あと三か月の命の消滅を待っていると言う。そう彼女の手紙に書いてあった。

M子には、すまない、申し訳ないと言う気持ちしかない。遊び半分で彼女の恋を邪魔し、一時的にせよ人生を迷わせた罪は重い。彼女は今も独身だと書いてあった。死にかけている私にもう何のチャンスもないと自嘲げに書いてあった。

レストランをやめてから十年以上もたった後に、私は大学の学生住所録の中から彼女の実家の住所を探し出し、長い手紙を書いた。「二人の共同生活が失敗に終わったのは怠け者の私のせいである。あなたの好きだった俳優志望の男にちょっかいを出したのは、自分の人生がつまらなかったからである。あなたが私より楽しい時間を持つ事はがまんできなかった」と正直にすべてを吐露した。だが彼女からの返事はなかった。

列車が京都の郊外に入った。窓から美しい紅葉が見える。そう言えばもうすぐ12月だ。京都の晩秋の紅葉は凄まじく美しい。紅葉に見とれていると、白と黒の縞の毛糸帽を被り橙色のジャケットを着た、どことなくあか抜けない女性が私のそばに来た。「ここ空いてます?」とすぐ前の席を指さす。

空いてはいるが指定席でない列車の中はガラガラで、何も私のすぐ前の席に座らなくてもと私は冷淡な顔をした。だが断る言い訳も見つからずあいまいにうなずいた。だがすぐに後悔した。彼女がバッグからピーナッツの袋を取り出しぽりぽりと嚙み始めたからである。

しかもピーナッツを食べやめると、東京駅で買ったと言う釜飯弁当を私の前に突き出し「食べませんか?」無表情に聞く。私は断った。私のバッグにはやはり東京駅で買った野菜サンドが入っているのだ。

すると彼女は釜飯の蓋を開けながら、「どこまで行くの?」と急にタメ口で聞いて来た。「奈良です」と言うと「あら私もよ」と彼女はぱっと笑顔になった。またもや私は返答した事に軽い後悔を感じた。

この女性のどことなく不遜で横柄な態度が気になり始めたからだ。すると彼女が軽い震え声を出し「ほんとは婚約者と行くはずだったの、だけど彼は来なかったのよ、釜飯二つ買ったのに」私は黙って彼女の顔をじっと見ていた。彼女はすすり泣き始めた。

便箋3枚もの長い手紙に返事のひとつもよこさないM子に私は腹を立て、M子はすでにこの世に存在していないと勝手な妄想を作り上げた。見栄っ張りで自尊心の高い私の心からの手紙を彼女は無視した。彼女の実家宛に送った手紙が彼女には届かなかったのだと言う可能性を私は無視した。その返事が長い年月の後に突然来るとは予想もせず。

「うちの両親も今度こそ私が結婚出来ると楽しみにしてたのに。私の田舎では女が40近くになっても独身でいると、白い目で見られるの」釜飯の中からタケノコの煮た物を咀嚼しながら彼女が文句を言った。私とあまり違わない年なのだとその時分かった。

釜飯のむせるような匂いがあたりに充満していた。彼女はかまわず「紅葉がとてもきれいね」窓外に目をやりそうつぶやいた。

私は今また新幹線『のぞみ』に乗っている。JRの奈良線で京都まで行き、そこで乗り換え東京に向かっているのだ。行きの汽車と同じ、だがまったく正反対の方向に向かっている。何となく人生を逆戻りしているような奇妙な感覚があった。

私の左手には銀色のブレスレットが握られている。M子が病床で私に手渡した物だ。あのレストランでバーテンダーをやっていた俳優志望の男が、「私に渡してくれ」と預けた物だと言う。25年前に。それは私があのレストランをやめてからすぐの事だった。

M子は見るも哀れな相貌に変わり果てていた。乳がんのステージ4と言うのはこんなにも哀しく人間の体を蝕むものか。私は驚き涙を流した。「手紙もあったけど、失くしてしまったの。ごめんなさい」彼女は弱弱しく謝った。「そんな事何でもないわ、ブレスレットだけでも十分よ」

ブランケットから出した骨と皮だけの彼女の手を私は力強く握りしめた。涙がとめどもなく私の目からあふれた。

車内販売のワゴンが回って来た。作り立ての釜飯がいくつもワゴンの上部に乗っていた。行きの汽車で私のすぐ前に座った女性を思い出し「電話番号でも聞いておけば良かった」と軽く後悔した。会って話でもすれば、彼女の哀しみを少しはやわらげる事が出来たかも知れない。

人が住む家、そのリビングの床

人が住む家、そのリビングの床には大きな穴が開いていると言う。それは大きな大人の男がすっぽり入れるほどの大きさだが、この穴は普段は誰にも見えない。

だが家族の誰かが悪事を働く、例えば浮気、過度の怠慢、盗み、ドラッグなどをやると、穴がぽっかりと姿を見せ悪事を働いた張本人がそこにどすんと落ちるのだそうだ。落ちて見るとそこはだだっ広いだけの暗く淋しい悲しい場所。憩いを取るような文化的なものは何もなく、ただがらんどうの無趣味な部屋。

落ちた本人は怖くなりこんな所には一日でもいられないと泣き叫び、頭上の居間にいる家族に助けを求める。だが彼らは知らんぷりをしている。穴の淵まで近寄り「大丈夫か?ケガはないか?」などとそんな事は一言も口にしない。第一穴のそばまで来てくれもしない。

何事も無かったかのようにテレビを見たりスナックを食べたり談笑したり、以前と同じ暮らしをしている。これはとてもつらい事だ。穴に落ちた者は自分が完全にのけ者にされ見放された事に、つまり環境が様変わりした事に居ても立ってもいられなくなる。

この穴を『家族の穴』と言う。穴はどの家にも必ず一つはある。

でもここで「水や食料、あるいはトイレやシャワーはどうするんだろう?」と言う問題が起こるが、その事は後で書き足したいと思う。

話は変わるが、100年以上も前の日本には『座敷牢』と言うものがあったそうだ。これは家族に乱暴する重症の知的障がい者や、近隣の家に放火するなどの手に負えない放蕩息子がいると、座敷牢つまり家の中に牢屋を造りそこに閉じ込めたそうだ。

座敷牢は人目につかない所、例えば家の奥や天井裏、家の敷地内の物置小屋などに造られる。なぜなら家族に障がい者がいる事はとても恥ずべき事だとその頃は思われていたからだ。それも含めて医療機関も保険も機能していない大昔に、家族が障がい者を全面的に介護するのは普通の事だった。

しかもこの陰惨かつ悲惨な風習は、極貧の農家に多かった。農作業が出来ず家族を殴る蹴るしかできない大きな息子や夫を、高齢者の妻や母が取り押さえるのは並たいていの事ではなかっただろう。それで命をちぢめる介護者や破産する家もあった。

こんな座敷牢の環境はすこぶる劣悪で、常にハエ、蚊が飛び交い換気も悪く悪臭に満ちていた。糞尿の始末は牢の隅にバケツを置く、あるいは穴を掘りそこにさせていたと言う。食事も病状がひどくなるにつれ忘れられ、患者は次第に衰弱して行った。

もともと精神に異常をきたしている者が、暗く狭い部屋に閉じ込められ自由を奪われれば、それでなくても暴れたい彼らがさらに凶暴になるのは自然の理である。心身ともに疲労困憊してからの死は、どんなにか哀しく淋しいものだったろう。

もちろんこれは極貧の農家の話で、富裕層の家庭では立派な大きな座敷に、それなりに立派な木製の檻を造り食事、排便の世話などもちゃんとやり、たまには外に出し散歩などもさせたと言う。座敷牢の品格はその家庭の経済的な品格に比例する。

さてもう一度「穴」の話に戻る。

これは少女時代に家の本棚にあった古いフランスの童話本にあった話。ずいぶん前に読んだ本だからかなりうろ覚えだ。 

16世紀のなかごろ、フランスのボルドーのそのまた南西にある片田舎。アランと言う6才の少年がいて家族のみんなに可愛がられた。家族はアランの祖父母、父母、それからアランと7人の兄弟姉妹、合わせて11人の大家族である。

祖父がある日、家の裏庭にある古い柵に一本の葡萄の木を見つけ、なっている実を食べて見るととてもみずみずしく甘い。祖父はこれにヒントを得、かなりの広さの裏庭にブドウ栽培をする事を思いついた。

家族だけで栽培するブドウ園、アランは家族のみんなが忙しく働く畑で虫を捕まえたり、手伝いをする振りをして転んだりして皆を笑わせる。

そんなアランがどうしても手に入れたい物が一つあった。それは祖父の懐中時計である。時計の表に小さな歯車のような機械が見え、それが動くのを見るのがアランは大好きだった。彼はそれを自分の物にしたいと思いつめ、ある日とうとう祖父の机の上にあった時計を盗んでしまった。

もちろんは祖父は時計がなくなったと大騒ぎし家族の誰もが騒ぎ始めた。アランはパニックに陥りそれを庭の隅にある古井戸に捨てようと重いふたを開けた。だがあまりに重かったために弾みで自分も穴に落ちてしまった。だが穴はそれ程深くなく底もカラカラに乾きワラを敷いてあったので、アランは何とか大丈夫だった。彼は大声を出して助けを呼んだ。

驚いた家族は納屋に積んであった剪定ずみのブドウの細い蔓でなんとか長い縄をつくり、それを腰に巻き付け父親が井戸底に降りアランを助けたと言う話だったと思う。盗みはダメだよと幼少の子供に教える童話だった。

さて冒頭の『家族の穴』の話、穴に落ちたら食事、水、トイレ、シャワーはどうするかと言う話。私も考えたのですが良策が見つかりません。とにかくあれはひとつの寓話ですからなんとでも結論付けられます。そこは皆さまにお任せします、、、とうまく逃げ切られたところでさようなら。

若い頃には金運に恵まれ人間関係も充実

若い頃には金運にめぐまれ人間関係も充実し幸せに暮らした人が、年取ると共にすべての運に見放され、気づいた時はホームレス。そんな漫画のような人生を送る人が世の中にはたまにいる。いや、たまにどころかずいぶんとあるようだ。

そんなホームレスの人たちは自分の半ば終わった人生を、どんな思惑を抱えて過ごしているのだろう。終わってしまった華麗な時代にすがりつき懊悩する、あるいはすべてのしがらみから解き放たれ、さばさばしたリラックス感を味わう。人それぞれだろう。

粉骨砕身して一代で財を成した祖父に、アキラは懐かしいと言う感情は少しもない。不動産業だった祖父に、可愛がってもらった記憶は一切ないから。ただ仏頂面をして家族ともあまり話さず常に考え事をしていた祖父。

そんな彼は、売れない弁当を前にして不貞腐れている、屋台販売のおやじのようだとアキラはいつも思っていた。祖父は資産を増やす事にしか脳を使わない石頭男だった。

父もまたそんな祖父にうんざりしていたのだ。祖父が死ぬと資産を増やすどころかそれを切り売りして生活していた。アキラが「画家になりたい」と言うと「そうかそうか、それじゃ、日本で一番いい美術大学に行け、金は幾らかかってもいいぞ」

大学を卒業すると「そうかそうか、ゴッホが好きなんか、じゃゴッホが頑張ったフランスで勉強しろ、金は幾らでもやるぞ」またもや尻を叩いた。ゴッホがフランスで頑張ったと知る父は、ひそかに絵に関する情報も集めていたのだろう。フランスには7年もいた。

ホームレスになってあっと言う間に10年が経った。アキラは所々に灌木の生えた河川敷に青いテントを張った。ホームレスの集落ではない静かな場所。中を趣味よく飾り誰にも邪魔されず昔のパリでの暮らしに想いを馳せる。

暖房が利かない、エレベーターが動かない、トイレの水が止まらない、アパルトマンに住んでいた彼はその不便さに辟易したが、考えれば今の暮らしとあまり変わらない。何かが故障した時は、街角のカフェで人の行き来を眺めたり、エッフェル塔や凱旋門、ルーブル美術館のあたりを散策した。それは夢見るような楽しい時間だった。

そんな思い出に浸る時が、今となってはアキラの唯一の安らぎであり至福の時。彼は夢想家である。現実的に何が可能か重要かなどに重きを置かない、救いがたい夢想家である。夢想家ゆえに画家になり成功した夢を思い描き、その幸せに浸る。よって現実的に画家になる夢は次第に遠のいた。

春になると川の両脇に美しい桜が咲いた。一本ではない桜並木である。満開の時は素晴らしい景観になる。その頃アキラの小屋を一匹の白い猫が訪れるようになった。毛先の長いそれは奇麗な猫。すべての毛先がふわっふわと風にそよぎ、毛の先が時々金色に光る。首輪を着けているどこかの飼い猫だ。

猫の癖に犯しがたい気品がある。ハンバーグの切れ端などを投げてやるが口にしない。だが膝には乗り頬をすり寄せてくる。アキラは優しく頭をなでてやる。すると猫は愛しそうに彼を見上げるのだった。

ある日猫がやって来たすぐ後から、感じの良い老婦人が現れた。「今日はココの後をつけて来たんです。最近は私に黙って出かける事が多くて、とうとう彼女がお宅にお邪魔してる事を突き止めました」婦人は微笑した。アキラは猫の名前がココである事を終に知った。

女はアキラのテントの中を一べつして「素敵なお住まいですね」と言った。本気でそう思っている事が雰囲気で解る。それもその筈、テントの中は異国情緒あふれる小物で趣味良く飾られ、観葉植物の鉢も幾つかあり香まで炊かれている。

エッフェル塔のオブジェ、金色の丸い掛け時計、耐熱ガラスのティポット、もちろんゴッホの複製画、アキラがパリの蚤の市で見つけたものだ。捨てきれずに家を出る時に持って来た。夫人はそんな物を興味深く見ている。

父が心臓まひで突然亡くなった時、資産はほとんどなくすべては銀行からの借金の担保になっている事を知り、アキラは驚がくした。だがそれもありだなとすんなり受け止めた。むしろ自分の中でうごめく金食い虫を退治できるとさっぱりした。

祖父の遺産をなし崩しに使い果たそうとした父は、アキラ同様、祖父の仕事を軽蔑していたのかも知れない。

アキラの膝の上に丸くなっている猫を優しく見やりながら婦人が言う。「実は大変失礼とは思ったのですか、あなた様の身元を調べさせて頂いたんです。ココが頻繁にここに来たがるものですから。そしたら実は今のホテルをお世話し下さった方と、あなたのお父様が同一人物だと言う事が分かりました」

彼女は対岸を指さし「ほら、あの丘の上に白い建物が見えますでしょ。あれが私どものホテルなんです」そこに緑に囲まれた瀟洒な建物が見えた。

婦人は父に言った。「こんな史跡や温泉がない所でホテルが成功するものか」父が言った。「いや、こんな所が良いんです。春は桜、秋は紅葉、川では夏に花火もあります。これからはそんな自然な景色が一番です。みんな大げさな観光地域づくりにあきあきしていますからね」

父の強い勧めでとうとう買ってしまった。そして今では彼の言う通りになり、ホテルは繁盛している。

しかもこの物件は父の物ではなく彼の知り合いの不動産会社の物だったと言う。「何の見返りもない物件をただ私どもの事を考えご推薦下さったんです」婦人はしみじみと言った。

婦人が帰った後、アキラは茫然と宙を見ていた。ホテルに来て住まないかと言う彼女の言葉を、彼はどう受け止めてよいか分からない。何もしなくても良い、退屈だったら雑用は幾らでもあると彼女は言った。もし世話になるとしたら体だけは洗っとかないとな、彼は漠然と思った。

それから一週間後、近くの公園の公衆トイレで床に倒れて行き絶えているホームレスの男を、警備員が発見した。彼はその手に濡れたタオルを握りしめていたと言う。トイレの隅に薄汚れた白猫がいたが、近づくとさっと外に逃げたそうだ。

朝の香りにふと目覚める

朝の香りにふと目覚める。上半身を起こし窓の外を見る。するとそこには一面の麦畑が広がっていた。えんえんと続く黄金色の麦畑。そこに一本瘦せ枯れた柿の木が立っている。葉の落ちた黒い木に、真っ赤に熟した柿が6個ぶら下がり、木のてっぺんにカラスが一匹止まっている。

とても懐かしい風景だ。ずっと昔に見たような既視感のある景色。デジャヴだ。私はベッドを出て窓辺に寄った。

ドアをノックする音がして振り向くと、白髪を奇麗に結った老婦人が入って来た。「よく眠れましたか?」と聞く。私は初めて自分がゆうべ他人のベッドに寝た事を知った。彼女は言った。「あなたは昨夜、公園のブランコに一人で座っていたのよ。あそこは昔殺人事件があって、切り刻んだ死体を池のあちこちに捨てたと言うあぶない場所でね」

彼女は顔をしかめて「そんな場所にあなたを一人にしておくのは心配で。あなたはこの辺の人ではないと思ったので、主人と二人でうちへ連れて来たのよ」

私は礼を言い「それにしてもこの麦畑は壮大ですね、金色の穂先が垂れて見事な景色です」私は言った。「麦畑?」夫人は怪訝そうな顔をして、「そこは駐車場ですよ。最近できたばかりの」私はぼんやりと彼女の顔を見た。

ホテルに戻ると夫は思った通りの姿をして私を迎えた。ベッドに座って窓を向き、不機嫌な背中を見せている。そのままの姿勢で押し殺したような声を出した。

「君はどれだけ僕を心配させれば気がすむんだ。日本の秋が見たいと言うからアメリカからわざわざやって来たのに、君は一人であちこちうろついて。もう見ず知らずの他人から、『奥さんを預かっています』と言われるのは金輪際いやだ、それがどれ程屈辱的な事か君は分かっているのか!」

「だから私は記憶を取り戻そうと、、、」「記憶を取り戻そうと日本のあちこちをほっつきまわるのか⁉」「私の記憶喪失は、セラピーで受けた電気ショック療法が原因だと言うのは,あのお医者様の誤診で、息子を亡くしたトラウマで記憶を失くしたと私は思っているの」夫が激しく話を遮った。

「またそれだ‼トラウマを治すために日本で過ごせばそれが精神療法になり、記憶が戻るかも知れない、君はそう言う。だから僕は何度も日本に君を連れて来る。君が何度もせがむから‼」

だが君はここに来ればただ一人で外をほっつきまわるだけだ、それが治療になるのか」「でもとても心が安らぐの」何度も繰り返した不毛の会話がまた始まる。「ばかばかしい!」彼がプイと横を向く。

あの日激寒の早朝、夫は嫌がる息子をサーフィンのレッスンと称して海に投げ込んだ。サーフィンが7才の息子ダレルの人間形成に最適だと思い込んだ夫は、彼に執拗に練習を強要した。ダレルが嫌がっているにも関わらずにだ。

「無理に押し付けたらますます嫌いになるわよ、事故でも起きたらどうするの」「大丈夫、俺がそばにいるから」夫は聞く耳を持たなかった。だがダレルは嫌いになる必要などなかったのだ。

大波が押し寄せて震えるダレルが波に乗ろうとボードの上で身構えた時、彼はそのまま波にのまれてしまった。夫は彼を助けようとすぐさま自分のボードを投げ出し海に飛び込んだ。だが海中で彼を抱く事はできなかった。遺体を探すための救出は3日かかった。

それから数ヶ月して私は記憶をなくした。事故以前の事が何も思い出せない。いや、事故の数日前後の事はかろうじて覚えている。

ただ一つ覚えている強烈なシーンは大波にのまれる直前に、砂浜に座っていた私を直視したダレルの恐怖にゆがんだ顔だ。

彼は笑っているようにも見え私は手を振った。それが彼の顔を見た最後の最後の瞬間だった。その顔が頭から離れない。彼はすぐにやって来る死を感知して、私に助けを求めたのだろうか、あるいはさよならが言いたかったのか。

その事は夫にも話したのだが、彼はもはや聞こうともしない。

ある日夫が言った事がある。「記憶喪失の女を抱くと言うのは、実にやりきれないものだ。物の分からない幼い少女を愛しているような、不思議な気持ちになる。とても非現実的だ」

私は時々白人の筈である夫が、いつのまにか日本人にすり替わっていると思う事がある。ベッドの中に関しての事なら、彼と私は二人あお向けに並び、古い筏にはりつけられ海をさまよう漂流者のようだ。あるいは犯罪者。

家庭の中に一人記憶喪失者がいると、家族は茫漠とした暗い落とし穴の中で暮らす事になる。乾きながらもがきながら生きる事になる。2,3人のお医者に診てもらったが、ある医者は『あなたの記憶喪失は一生治らないかも知れない』と言った。私と夫はこの暗い穴の中から死ぬまで這い上がれないのか。

ある時パッとひらめく閃光のように断片的に記憶がよみがえる事がある。例えば幼い頃に見た田園風景だ。両親が離婚した後、母の姉夫婦に引き取られた私は、そこで多くの人の出入りや四季のひなびた田舎の風景を目にした。それらの思い出はまるでアルバムを開くように、鮮明によみがえる。

子供のいない伯母夫婦はとても私を可愛がってくれた。だから思い出も楽しく幸せなものばかりだ。だが今はこの思い出が私を苦しめる。私は死ぬまで過去と暮らして行かなければならない。

「少し外に出て見ようか?」何事もなかったように夫が、化粧台の前に座っていた私を振り向いた。ホテルの部屋から外を見ると、そこにはまぎれもない現実風景が広がっている。プールのざわめきも賑やかだ。フラッシュバックした現実に肩をたたかれ私は「そうね」と答える。

エレベーターに乗り地上に降りて行く。夫が私の背に手を添える。それからいつものように私の髪にそっとキスをする。プール脇の野外バーに座り私の好きなカクテルを注文する。私は目を閉じ、これから始まる死ぬ程退屈な現実に身を任せる。

朝の香りにふと目覚める。上半身を起こし窓の外を見る。するとそこには一面の麦畑が広がっていた。えんえんと続く黄金色の麦畑。そこに一本瘦せ枯れた柿の木が立っている。葉の落ちた黒い木に、真っ赤に熟した柿が6個ぶら下がり、木のてっぺんにカラスが一匹止まっている。

とても懐かしい風景だ。ずっと昔に見たような既視感のある景色。デジャヴだ。私はベッドを出て窓辺に寄った。

ドアをノックする音がして振り向くと、白髪を奇麗に結った老婦人が入って来た。「よく眠れましたか?」と聞く。私は初めて自分がゆうべ他人のベッドに寝た事を知った。彼女は言った。「あなたは昨夜、公園のブランコに一人で座っていたのよ。あそこは昔殺人事件があって、切り刻んだ死体を池のあちこちに捨てたと言うあぶない場所でね」

彼女は顔をしかめて「そんな場所にあなたを一人にしておくのは心配で。あなたはこの辺の人ではないと思ったので、主人と二人でうちへ連れて来たのよ」

私は礼を言い「それにしてもこの麦畑は壮大ですね、金色の穂先が垂れて見事な景色です」私は言った。「麦畑?」夫人は怪訝そうな顔をして、「そこは駐車場ですよ。最近できたばかりの」私はぼんやりと彼女の顔を見た。

ホテルに戻ると夫は思った通りの姿をして私を迎えた。ベッドに座って窓を向き、不機嫌な背中を見せている。そのままの姿勢で押し殺したような声を出した。

「君はどれだけ僕を心配させれば気がすむんだ。日本の秋が見たいと言うからアメリカからわざわざやって来たのに、君は一人であちこちうろついて。もう見ず知らずの他人から、『奥さんを預かっています』と言われるのは金輪際いやだ、それがどれ程屈辱的な事か君は分かっているのか!」

「だから私は記憶を取り戻そうと、、、」「記憶を取り戻そうと日本のあちこちをほっつきまわるのか⁉」「私の記憶喪失は、セラピーで受けた電気ショック療法が原因だと言うのは,あのお医者様の誤診で、息子を亡くしたトラウマで記憶を失くしたと私は思っているの」夫が激しく話を遮った。

「またそれだ‼トラウマを治すために日本で過ごせばそれが精神療法になり、記憶が戻るかも知れない、君はそう言う。だから僕は何度も日本に君を連れて来る。君が何度もせがむから‼」

だが君はここに来ればただ一人で外をほっつきまわるだけだ、それが治療になるのか」「でもとても心が安らぐの」何度も繰り返した不毛の会話がまた始まる。「ばかばかしい!」彼がプイと横を向く。

あの日激寒の早朝、夫は嫌がる息子をサーフィンのレッスンと称して海に投げ込んだ。サーフィンが7才の息子ダレルの人間形成に最適だと思い込んだ夫は、彼に執拗に練習を強要した。ダレルが嫌がっているにも関わらずにだ。

「無理に押し付けたらますます嫌いになるわよ、事故でも起きたらどうするの」「大丈夫、俺がそばにいるから」夫は聞く耳を持たなかった。だがダレルは嫌いになる必要などなかったのだ。

大波が押し寄せて震えるダレルが波に乗ろうとボードの上で身構えた時、彼はそのまま波にのまれてしまった。夫は彼を助けようとすぐさま自分のボードを投げ出し海に飛び込んだ。だが海中で彼を抱く事はできなかった。遺体を探すための救出は3日かかった。

それから数ヶ月して私は記憶をなくした。事故以前の事が何も思い出せない。いや、事故の数日前後の事はかろうじて覚えている。

ただ一つ覚えている強烈なシーンは大波にのまれる直前に、砂浜に座っていた私を直視したダレルの恐怖にゆがんだ顔だ。

彼は笑っているようにも見え私は手を振った。それが彼の顔を見た最後の最後の瞬間だった。その顔が頭から離れない。彼はすぐにやって来る死を感知して、私に助けを求めたのだろうか、あるいはさよならが言いたかったのか。

その事は夫にも話したのだが、彼はもはや聞こうともしない。

ある日夫が言った事がある。「記憶喪失の女を抱くと言うのは、実にやりきれないものだ。物の分からない幼い少女を愛しているような、不思議な気持ちになる。とても非現実的だ」

私は時々白人の筈である夫が、いつのまにか日本人にすり替わっていると思う事がある。ベッドの中に関しての事なら、彼と私は二人あお向けに並び、古い筏にはりつけられ海をさまよう漂流者のようだ。あるいは犯罪者。

家庭の中に一人記憶喪失者がいると、家族は茫漠とした暗い落とし穴の中で暮らす事になる。乾きながらもがきながら生きる事になる。2,3人のお医者に診てもらったが、ある医者は『あなたの記憶喪失は一生治らないかも知れない』と言った。私と夫はこの暗い穴の中から死ぬまで這い上がれないのか。

ある時パッとひらめく閃光のように断片的に記憶がよみがえる事がある。例えば幼い頃に見た田園風景だ。両親が離婚した後、母の姉夫婦に引き取られた私は、そこで多くの人の出入りや四季のひなびた田舎の風景を目にした。それらの思い出はまるでアルバムを開くように、鮮明によみがえる。

子供のいない伯母夫婦はとても私を可愛がってくれた。だから思い出も楽しく幸せなものばかりだ。だが今はこの思い出が私を苦しめる。私は死ぬまで過去と暮らして行かなければならない。

「少し外に出て見ようか?」何事もなかったように夫が、化粧台の前に座っていた私を振り向いた。ホテルの部屋から外を見ると、そこにはまぎれもない現実風景が広がっている。プールのざわめきも賑やかだ。フラッシュバックした現実に肩をたたかれ私は「そうね」と答える。

エレベーターに乗り地上に降りて行く。夫が私の背に手を添える。それからいつものように私の髪にそっとキスをする。プール脇の野外バーに座り私の好きなカクテルを注文する。私は目を閉じ、これから始まる死ぬ程退屈な現実に身を任せる。

15対2で我がドジャースが勝っている

15対2で我がドジャースが勝っているテレビの野球中継に、やや退屈し始めふとポーチの方に目を向けた。すると中庭の様子がいつもと違う。私が座っているリビングのソファのここからは、斜め向かいの建物の1階2階の右と左、あわせて4部屋が見える。

普段は鬱蒼とした庭木の枝葉に隠れて見えない隣人たちの窓が、今夜ははっきり見える。まるで邪魔な木枝をばっさり切り落としたかのように。いつもは閉まっている窓のブラインドを誰もが開け放しているのだ。それぞれの窓の洒落たランプの明かりが功を奏し、幻想的な画像を醸している。

建物の二階の左窓に、壁にかかった大きな油絵を見ている女性の立ち姿が見える。彼女は腰に手を当て仁王立ちになり、絵に見入っている。絵はレオナルドダヴィンチの『最後の晩餐』イエスの12使徒の顔がここからでもはっきり見える。

この女性は昼間でもこの絵を飽きずに眺める。酒乱の夫が交通事故死した後、精神錯乱状態で急遽クリスチャンに成り代わり、宗教画を部屋に飾った。いわゆる神にすがった。つまり夫を愛してはいたが、それを告白せずに先に死なれた悔恨の慟哭、いやもっと深い闇があるのかも知れない。

そのすぐ下のコンドには、20才年下の夫と暮らす高齢の女性が住んでいる。彼女はいま椅子に座った夫の頭を切っている、夫は嫌がっている。いや、切っているのではない、刈っているのだ。60才の愛妻が若い夫の髪を切る姿は微笑ましく優しい。

彼等はこの界隈で仲の良い夫婦と評判だ。だがこの若い夫には愛人がいる。しかも同じコミュニティの別棟のコンドに。妻はそれを承知でわざと笑顔で女性を家に招き入れると言う。どんな種類の道徳観念がこの老妻の頭には渦巻いているのか。ありきたりの嫉妬か。

ヒッチコックの映画『裏窓』を彷彿とさせる、今夜のこの『夜窓』は、ある隣人の入れ知恵が加味しているので、下世話なゴシップ風に私を誘う。この隣人は動物の扱いに手慣れていて、ペットを飼う近隣の住人が小旅行に出かける時、必ずペットシッターを買って出る。

そんな彼は「僕はこのあたりのクローゼットやキッチンの中身には詳しいんだ。もちろん彼らの家庭の事情にも通じている」と豪語する。こんな事を言われると嫌な気にもなるが、なにせ私も人の子である。噂話には耳を傾ける。

私が見ている中庭のそれぞれの窓は、映画のように望遠鏡がなくても肉眼で見える。差し入れのロブスターがなくても、膝の上のポテトチップスが私を幸せにしている。私は少し大胆になった。

次に右側の下段に住む太った男性、年がら年中肉厚の黒いジャケットを着た、年齢不詳の禿げ頭の男性の部屋が見える。彼の素敵な貝殻模様のランプシェードがばたりと揺らいだ。飼い犬のアイスが、サイドテーブルに飛び乗ったのだ。

男性はよしよしと言う風に白いポメラニアンを膝の上に抱き寄せ、犬の頭に愛情深いキスをした。犬も男性の顔を見上げ二人は見つめ合う、

訪れる人もなくいつも黙って犬と暮らすこの男性の、人生の悲哀を垣間見た、などと大それた事を言うつもりはない。人は見かけに寄らないからだ。彼も野球中継を見ている。

ふと空に目をやると、今夜は満天の星で窓から見える切り取られた空に、ちりばめられた宝石のような無数の星が見える。昔、ある有名作家の古い本を読んでいたら「デイトの際に空を指さし、星座の名前などを教えお茶を濁す男は、絶対出世しない」と書いてあった。

その頃交際していた男性が、ある夜映画館から二人して出てくると、突然夜空を指さし「あれが水瓶座であれがてんびん座」などと言いだしたので、私は「チェッ!」と下唇を噛みうんざりしたのを覚えている。

とつぜん斜め上のポーチで人の争う声が聞こえた。ここからはそのコンドのポーチだけしか見えず、険悪なムードが見て取れる。男がポーチの塀に寄りかかりグラス片手に女の顔をじっと見ている。女は詰め寄り片手で男の胸を押し「私はもう若くはないのよ。私をどうするつもり?」押し殺した声で言う。

いや、待てよ、私の居間とポーチをさえぎるスライドドアは、とても頑丈で重厚なドアだ。押し殺した外の声が聞こえるはずはない。これは私の妄想だろう。

「私はもう若くはないのよ、私をどうするつもり?」なかなかドラマチックなセリフだ。こんなセリフを一度吐いて見たかったが、チャンスもなく年月を重ねた。今なら天に向かってはっきり言える。「私はもう若くはないのよ、私をどうするつもり?」

ふと目を凝らすとすぐ前の庭木の枝に二匹の黒い鳥、カラス?が並んで止まり、私のようにいっぱしに隣人の窓を見ている。黒い切り絵のように風流で絵になる姿、カラスよ、お前たちは仲間のいる森に帰らなくていいの?

テレビに目を戻すと我がドジャースは15対3でいぜん優勢、うまく行けば今年もワールドシリーズに勝ち進み優勝するかも知れない。いやそんなにうまくは行かないか?

なんだか体がぽかぽかして楽しく、脳細胞がお花畑のようになった。そばのワインボトルを見ると、中身が半分以上空になっている。テレビの横で正座している我が愛猫が、「早く寝ろ」と厳しい目をしてこちらを見ている。そろそろベッドの時間だ。

昔から駆けっこは大の苦手だった

昔から駆けっこは大の苦手だった。と言うよりも大嫌いだった。小学生の頃、10月になり体育祭が近づくと、「ああ、またかけっこでビリになりみんなに笑われる」と激しくうつ状態に入ったものだ。

体育祭では全生徒とその家族が、お祭り気分で生徒たちの一挙手一投足を観覧する。組体操、ダンス、綱引き、玉入れ競争、リレーなどなど、面白い競技が続く中、自分の知ってる生徒は?自分の子供は?子供の友達は?どこにいる?何してる?と探しながらお祭りを楽しむのである。

もちろん『駆けっこ』も競技の一つで50メートルを13秒で走る(歩いているのと同じ)私は、いつもビリである。それをみんなに見られる。

ビリと言っても他に連れがいる訳ではなく私一人のビリなのだ。他の人は、たとえビリから2番目の生徒さえ、私から10メートル先を走っている。私はたった一人で、全見物人の嘲笑をあびなければならない。ビリになっても笑顔で愛嬌を振りまく生徒もいるが、私はそんな奇特な性格ではなかった

駆けっこの時間になり私の番が来る。白線の敷かれたスタートラインに並びその線の前に両こぶしを置き「よーい!」と言う係りの先生の声でお尻を上げる。そしてドンと言うピストルの音で走り出す。

このお尻を上げて走り出すまでの数秒を何と長く感じた事か。それは孤独と絶望、寂寞、そして悲愴な感情に翻弄される魔の時間だった。吐き気さえ感じた。

ある年の体育祭の数日前に、校庭でぼんやり立っていた低学年の生徒が、飛んできたアシナガバチに顔を刺され、大泣きで医務室に保護されたと言う事件が2,3件あった。

さて体育祭でスタートラインに並びお尻を上げドンの音を待っている私は、「今こそ蜂様が来て顔を刺してくれないか、いや、刺されたと嘘をつこうか」と思い惑っていたら、吐いてしまった。

つまり走る競争でビリになると言う事は、激しく私の自尊心を傷つけるものだった。自尊心と言う言葉はあの頃まだ日常的な言葉ではなく、訳もわからず私はただもやもやとした恐怖心にかられた。

中学に進み早い時期に体操の時間に貧血を起こし倒れた。ここぞとばかりに私は「虚弱体質なので体育授業には参加出来ない」と教師に言った。すると「あっ、そう、いいよ」と彼は言い、それから体育の授業は免除された。医師の診断書も親の同意書もないのにである。昔の田舎の中学校は平和で素朴だった。だから体育祭の駆けっこも免除になった。

さて体育祭の当日、見物席で競技を眺めていると、一歳年上の男子生徒の4000メートル長距離走が始まった。これは校庭を10周しなければならない長期戦である。その中の先頭にいた男子がいきなり出だしから全速力で走り出した。残りの男子は長距離走の手法を極め、ゆっくりとした悠々走りで先頭の男子を歯牙にもかけない。

やがて校庭を一周すると、先頭の男子と背後の男子たちの間隔は次第に狭まって行った。先頭の男子は仲間の追いつきを恐れ、顔をゆがめ汗を流し後ろを振り向き振り向き走るようになった。まるでそれは、借金取りの集団に追いかけられ夜逃げする負債者のように、哀れで悲愴な様子だった。

そしてゴールテープが引かれる頃には、彼は完全にビリ走者になり疲れ果てよたよたと倒れるように歩いていた。私は人事とは思えなかった。しかも彼は次の年も同じ事をやらかした。

あの頃私は妙にませた意地悪な子だったので、これは彼の人生の縮図だと思った。後先も見ずプランもなくがむしゃらに生きると、早い時期に挫折が来ると言う人生の縮図。だが一概には言えない。亀のようにのろく走り人々に笑われた私は、人生に後れを取るどころか今は普通に幸せに暮らしている。

だが今思うと父兄や生徒たちが、あの男子生徒の無様な長距離走や私の亀走りをあざ笑っていたと思うのは、完全なる私の思い過ごしだったのかも知れない。あんがい皆はほほえましい、可愛いと思っていたのだと思いたい、今日この頃の私である。