人が住む家、そのリビングの床には大きな穴が開いていると言う。それは大きな大人の男がすっぽり入れるほどの大きさだが、この穴は普段は誰にも見えない。
だが家族の誰かが悪事を働く、例えば浮気、過度の怠慢、盗み、ドラッグなどをやると、穴がぽっかりと姿を見せ悪事を働いた張本人がそこにどすんと落ちるのだそうだ。落ちて見るとそこはだだっ広いだけの暗く淋しい悲しい場所。憩いを取るような文化的なものは何もなく、ただがらんどうの無趣味な部屋。
落ちた本人は怖くなりこんな所には一日でもいられないと泣き叫び、頭上の居間にいる家族に助けを求める。だが彼らは知らんぷりをしている。穴の淵まで近寄り「大丈夫か?ケガはないか?」などとそんな事は一言も口にしない。第一穴のそばまで来てくれもしない。
何事も無かったかのようにテレビを見たりスナックを食べたり談笑したり、以前と同じ暮らしをしている。これはとてもつらい事だ。穴に落ちた者は自分が完全にのけ者にされ見放された事に、つまり環境が様変わりした事に居ても立ってもいられなくなる。
この穴を『家族の穴』と言う。穴はどの家にも必ず一つはある。
でもここで「水や食料、あるいはトイレやシャワーはどうするんだろう?」と言う問題が起こるが、その事は後で書き足したいと思う。
話は変わるが、100年以上も前の日本には『座敷牢』と言うものがあったそうだ。これは家族に乱暴する重症の知的障がい者や、近隣の家に放火するなどの手に負えない放蕩息子がいると、座敷牢つまり家の中に牢屋を造りそこに閉じ込めたそうだ。
座敷牢は人目につかない所、例えば家の奥や天井裏、家の敷地内の物置小屋などに造られる。なぜなら家族に障がい者がいる事はとても恥ずべき事だとその頃は思われていたからだ。それも含めて医療機関も保険も機能していない大昔に、家族が障がい者を全面的に介護するのは普通の事だった。
しかもこの陰惨かつ悲惨な風習は、極貧の農家に多かった。農作業が出来ず家族を殴る蹴るしかできない大きな息子や夫を、高齢者の妻や母が取り押さえるのは並たいていの事ではなかっただろう。それで命をちぢめる介護者や破産する家もあった。
こんな座敷牢の環境はすこぶる劣悪で、常にハエ、蚊が飛び交い換気も悪く悪臭に満ちていた。糞尿の始末は牢の隅にバケツを置く、あるいは穴を掘りそこにさせていたと言う。食事も病状がひどくなるにつれ忘れられ、患者は次第に衰弱して行った。
もともと精神に異常をきたしている者が、暗く狭い部屋に閉じ込められ自由を奪われれば、それでなくても暴れたい彼らがさらに凶暴になるのは自然の理である。心身ともに疲労困憊してからの死は、どんなにか哀しく淋しいものだったろう。
もちろんこれは極貧の農家の話で、富裕層の家庭では立派な大きな座敷に、それなりに立派な木製の檻を造り食事、排便の世話などもちゃんとやり、たまには外に出し散歩などもさせたと言う。座敷牢の品格はその家庭の経済的な品格に比例する。
さてもう一度「穴」の話に戻る。
これは少女時代に家の本棚にあった古いフランスの童話本にあった話。ずいぶん前に読んだ本だからかなりうろ覚えだ。
16世紀のなかごろ、フランスのボルドーのそのまた南西にある片田舎。アランと言う6才の少年がいて家族のみんなに可愛がられた。家族はアランの祖父母、父母、それからアランと7人の兄弟姉妹、合わせて11人の大家族である。
祖父がある日、家の裏庭にある古い柵に一本の葡萄の木を見つけ、なっている実を食べて見るととてもみずみずしく甘い。祖父はこれにヒントを得、かなりの広さの裏庭にブドウ栽培をする事を思いついた。
家族だけで栽培するブドウ園、アランは家族のみんなが忙しく働く畑で虫を捕まえたり、手伝いをする振りをして転んだりして皆を笑わせる。
そんなアランがどうしても手に入れたい物が一つあった。それは祖父の懐中時計である。時計の表に小さな歯車のような機械が見え、それが動くのを見るのがアランは大好きだった。彼はそれを自分の物にしたいと思いつめ、ある日とうとう祖父の机の上にあった時計を盗んでしまった。
もちろんは祖父は時計がなくなったと大騒ぎし家族の誰もが騒ぎ始めた。アランはパニックに陥りそれを庭の隅にある古井戸に捨てようと重いふたを開けた。だがあまりに重かったために弾みで自分も穴に落ちてしまった。だが穴はそれ程深くなく底もカラカラに乾きワラを敷いてあったので、アランは何とか大丈夫だった。彼は大声を出して助けを呼んだ。
驚いた家族は納屋に積んであった剪定ずみのブドウの細い蔓でなんとか長い縄をつくり、それを腰に巻き付け父親が井戸底に降りアランを助けたと言う話だったと思う。盗みはダメだよと幼少の子供に教える童話だった。
さて冒頭の『家族の穴』の話、穴に落ちたら食事、水、トイレ、シャワーはどうするかと言う話。私も考えたのですが良策が見つかりません。とにかくあれはひとつの寓話ですからなんとでも結論付けられます。そこは皆さまにお任せします、、、とうまく逃げ切られたところでさようなら。