その梅の木は砂の上に立っていた。とても古い砂で、やはり古いセメントの枠で正方形に囲まれていた。古い砂では栄養も取れないのだろう、梅の木はすっかり痩せ枯れなぜ自力で倒れないのか不思議な程だった。何十年も枯れたままそこに立っていた。
その細い幹の上部にやはり細い枝が左手に伸びていた。まるで悪質の持病を持つ老人の腕のように、ひょろりと宙に浮いていた。黒い木肌に意味もなく曲がりくねった筋があり、それが人間の皺のようだった。
だがある年の正月に、その左手に伸びた枝の中ほどに、人間の手に例えるなら肘の内側に当たる部分に、白い梅の花が咲いたのだ。枯れ木と言うよりすでに死んだ木の枝に、しっとりとした白い花が咲いた。私は驚いた。それはまるで生きたまま墓場に埋められた死人の、魂の叫びのようにも見えた。
私はその頃高校2年生で黒い詰襟の制服で学校に通っていた。可もなく不可もないありきたりの生徒で、自分でもあくびが出る程つまらない、と言うか退屈な生徒だった。
だがそんな私でも学校に行くのは楽しかった。同じクラスに好きな女生徒がいたからだ。
もちろん彼女はそんな私の思いなど知る由もない。その頃、理科の実験は化学室でやる事になっていたので、生徒はその時間だけ全員教室から移動しなければならない。その授業が私の正念場であった。
大きな四角いテーブルに座る時、席は自由に選べて部屋の中の移動もわりに自由だったので、私はいつでも彼女のそばに行く事が出来た。そうしたいと思うならばである。だがそんな勇気は私にはなかった。
ある時ぼやぼやして席を決めかねていたらやっと見つかった席が、なんと彼女のテーブル、しかも彼女のすぐ前の席だった。私はドギマギしながらそこに座りあらぬ方向を見て彼女から始終目をそらした。彼女の名はルリ子と言った。
この頃からなぜか私は、実験室ではではルリ子と同じテーブルに座る事が多くなった。私は彼女がわざとそうしていると言う妄想にかられた。
天にも昇る気持ちだった。ときどきちらりと目が合い、彼女のかすかな微笑みを見る事も出来た。無味乾燥な私の暮らしにやっと春が来たと思った。言わせて貰うならこの時期が、私の庭の古い梅の木に花が咲いた時と同じ時期だった。
だが彼女には思いを寄せる男子性徒が他にいて、二人は相思相愛だと言う皆の評判だった。この男子生徒はその頃としては粋な風貌をしていて頭脳明晰でもあった。裕福な家庭の次男だった。
もちろんその頃の田舎町の慣習として、いくら相思相愛でも人前でいちゃいちゃする事はしないので、彼らはただ二人して寡黙の愛を育てていたのだ。そう思うと心がざわついた。
『若きウエルテルの悩み』と言う本を読んだのはこの頃だった。とても古いドイツの作家ゲーテの作品で、若い地方官だったウエルテルが舞踏会で知り合ったロッテと言う女性に恋をするが、彼女にはアルベルトと言う婚約者がいる。そのウエルテルの恋の苦悩を描いた小説だ。
ウエルテルと私の精神的な境遇が酷似していたのでこの本に魅かれた私は、暇さえあれば貪るように読んでいた。だがストーリーの進み具合がとても緩慢でページを飛ばし飛ばしで読んだ。高校二年で胸中に悶々とした恋を隠していた私は、本の話ののろさに苛立ちある日突然その本を投げ出してしまった。
実験室で目を奪われるような事が起きた。ある日過酸化水素をカタラーゼに注ぎそのプロセスを見ると言う実験をした時、ルリ子がフラスコに入れたカタラーゼに過酸化水素を多く注ぎ過ぎた。ためにフラスコから白い泡がもくもくとあふれ出て、グラスの縁からこぼれ始めた。
彼女はとっさに泡があふれるフラスコを教師の目の前に差し出し「先生、たすけて!」と言い放った。この大胆な言葉とコケティッシュなその時の彼女の所作が相まって、鮮烈な印象を教室内の生徒皆に与えた事は間違いない。教師に甘えたようなこの仕草に皆は驚いた。
何度も言うようだが古い昔の日本の田舎の話である。そんなあざといやり方は通常生徒はしない。私はルリ子と寡黙の恋をしているあの男子生徒にさっと目を走らせた。彼はかすかな微笑を見せ「しかたないやつだな」と言うようにルリ子を見ていた。それは他の男に目を移す恋人を、鷹揚にしかし自信ありげに見つめるそのやり方だった。
この時私はルリ子の手をつかみ床に引き倒したい衝動にかられた。両手が宙に浮き、彼女が持ったフラスコを破壊したい思いだった。だがそれも夢想のうちに終わった。
高校三年になった時、父が家の改築を試みた。なので家の周りにあった老木、枯れ木もすべて伐採した。むろん私が気にかけていた梅の木もである。
私はとうとうルリ子に手紙を出した。私は何かを勘違いし増長していたのかも知れない。自分でも恥ずかしくなる程情熱を込めた手紙だった。あまり返事は期待していなかったが、程なくして薄い封筒が届いた。
中にはたった一枚の便箋、開いて見ると『私にあまりつきまとわないで下さい』とある。これは適切な言い方である。彼女ほど傲慢で気位の高い女が、私のように委縮したもやしのような男を相手にする訳がない。彼女が傲慢な女であることは薄々気づいていた。離れた場所では視線を合わせるのに、至近距離では絶対私をみないのである。
私は今ホスピスの白い病室に横たわっている。80近い長い人生の末に、肝臓癌の末期症状で体もやせ細り死を待つだけの状況である。ベッドに横たわったまま私は、やせ衰えた右手の腕を、宙に浮かせてみる。だがそこにはもう、昔の庭のあの梅の木のようにふくよかな奇跡の花を咲かせる余裕はない。
ルリ子への片思いが終わった時、途中で投げ出したウエルテルの悩みをまた読み始めた。自分の恋が終焉した事である意味心のもやもやが消え、晴れ晴れとした気持ちで彼の立場なり境遇を理解したいと思ったのだ。
『若きウエルテルの悩み』では恋の破局の末、ウエルテルはピストル自殺をする。だがそんな事が馬鹿馬鹿しいと思える年まで私は生きながらえた。大昔の西洋の女流社会の恋物語に、一時的にせようつつを抜かし自分の恋と比べたあの頃。純粋とそれを呼べるだろうか。
ウエルテルの自殺も私の思い過ごしもすべては若気の至りだ。私を馬鹿にしたルリ子の手紙を私はすぐさま破り捨てた。考えればすべての男子生徒の憧れであったルリ子が、影の薄い見た目に貧弱な容姿の私の手紙に心を動かす訳がない。ウエルテルに負けず劣らず私も、自意識過剰で自惚れの強い男だった。