全盛期をとっくに過ぎた家具屋 全盛期をとっくに過ぎた家具屋、家電製品店等が並ぶ薄汚い軒先を通り抜け、ふっと小道にそれると右手に、白地に赤で“札幌ラーメン”と書かれた縦2メートル長のぼり旗がひるがえっていた。こんな大きな旗、しかもラーメン屋の旗は近頃あまり見かけない。日本の田舎の国道ぞいにたまにあるくらいだ。 それがこんなアメリカの郊外の路地裏にあるなんて。だが店そのものはだいぶ老朽化し、正面玄関の格子戸、瓦葺きに似せた屋根もやたら古臭い。ルミは奇妙な郷愁にかられ中に入った。すると店内は、歴代のラーメン臭がしみ込んだ軽いこげ茶色で、『汚いラーメン屋はうまいラーメンを食わせる』と言うあの金言を彷彿とさせた。 入り口から見て右手の窓際の席、その最後席に座ると「いらしゃいませ」中年の固太りの女性が、少し訛りのある日本語で汚いメニュー本をポンとテーブルに置いた。 しばらく窓外に目をやっていると「何する?」とすぐに奥から先ほどの女性が出て来た。「長崎ちゃんぽん」と言うと「ラーメンよりちゃんぽん好きか?」と思わぬ事を聞き返す。ルナにすれば「ラーメン屋なのになぜちゃんぽんあるか?」と聞きたいところだ。 メニューを見ずに料理の名が言えたのは実は右側の壁の上に、短冊形のお品書きが大量にぺたぺたと貼ってあるからだ。その中で「長崎ちゃんぽん」は、ひと際大きな赤い短冊に白文字で書かれしかも「店長おすすめ」と但し書きがしてある。これはまずもって食しなければと頼んだ。 出て来たちゃんぽんは期待どおりの物だった。いつか長崎の人気店で食べたあの忘れがたき一品に勝るとも劣らない。薄いタンメン風のスープに程よく茹でた麺が広がり、その上に豚肉、小エビ、キャベツ、もやし、かまぼこ、きぬさや、きくらげなどの具材がこんもりと盛られ、そのてっぺんにとどめのうずらのゆで卵。食感もかなり良く、残ったスープを持ち帰りたいと思った程だった。 それからルミはその店に行くのが一つの心の糧となり足しげく通った。常に同じ席に陣取り窓外を眺める。少し離れた斜め前に、壁から屋根に赤いブーゲンビリアがはびこるイタリヤ料理店がある事も、その屋根に時々黒猫が惰眠をむさぼる事も今では熟知した。食べる料理はいつも長崎ちゃんぽん。 だがいつ行っても客はルミ一人だ。壁の短冊形のお品書きにはそれこそあとは野となれ山となれ風の膨大な数の献立が、出番はいつかと待っている。フカヒレスープ、北京ダックちまきももちろんある。はて?具材はどこで調達するかと首をかしげる程のレアなメニューもある。ある日の事、ルミは非常に下品で愛想のないこの店の女性と話したくなった。 「私以外のお客さんはあまり来ないんですか?」この単刀直入の問いがいたく女性を傷つけた。だが乗りかけた船だ「もう少しお客に愛想良くしたら客足も増えるはずですよ」と店を助けるつもりで言った。実はいつかちらりと見た気弱げな店主に、ルミは深い同情を寄せていた。 この下品な女が店主の女房で、小心の彼は尻に敷かれ粗い気質の女房に文句の一つも言えないのだろう。客に対する礼節の助言を聞かない女は、その無作法で来る客来る客追っ払っているのだと想像していた。意見をして女をじっと凝視していると、彼女はムッとして奥へ引っ込んだ。 所在無げに窓外に目を向け、イタリア料理店の屋根に寝そべる黒猫をルミはぼんやり見ていた。赤いブーゲンビリアが午後の日にひときわ輝き、昼寝をやめて猫もどこかへ消えた。 待てど暮らせど「ちゃんぽん」が来ない。頼んでからもう三十分は経っている。ようやく来たちゃんぽんは生気と精彩に欠けスープの生ぬるさは腹立たしい程だった。ルミは半分以上残し、すぐに会計を頼み20ドル札をテーブルに置いた。女が無表情でその札にバサリと4本指をのせ奪い去って行く。 やがて2ドルが同じ個所にばさりと置かれた。「あのーおつりが足りないのですが」ちゃんぽんは8ドルだからおつりは12ドルのはずだ。「あっそう。じゃレジのお金、調べてみるね」女は心得顔でレジスターに直行し、売上金の入った引き出しをルミの前のテーブルに置き、伝票を見ながら金を勘定しはじめた。 勘定を終えた彼女はきっぱりと「まちがいないよ」と言い引き出しをまたもとに戻した。そして表ドアの前に腕組みして外の景色など眺め始めた。レジの金と伝票の金額がぴったり合うので間違いないと言うのだ。納得のいく話ではないが金銭的な言い争いは見苦しい。気も萎えたルミはそのまま店を出た。次第に店への足も遠のいた。 だが金がかたきの世の中、たとえ10ドルでも恨みは残る。忘れようと思ってもつい足がその方角に向かう。「札幌ラーメン」ののぼり旗の前にいつか来ていた。 格子戸が開いてる。中に入ると椅子もテーブルも引き払いがらんとして、あの店主がランニングシャツにジーンズと言う格好で若いメキシコ人と床掃除をしていた。ルミを覚えていたらしく「いらっしゃいませ」と丁寧に言った。黙っていると「実は他の物件が見つかりましてね、引っ越すんですよ」「奥様は?今日は見えないんですね」 「奥様?ああ、あれは僕の奥さんの妹です、北海道に帰りました。妻が大腸ガンで入院してるので手伝いに来てたんです。ほんとに良くやってくれました」ルミが帰ろうとすると店主が引き止めた。「今ね、お客さんたちの名前と住所のリストを作っているんです。新開店したら初日に無料サービスをしようと思いましてね」出されたノートブックには2百人以上の客のリストがあった。 店を出たルミはもう一度「札幌ラーメン」ののぼり旗を見上げた。人は見かけによらない、よけいなお世話はやめよと言う事か。 招待状は来なかった。
水平線上の真ん中に金色に囲まれた赤い点 水平線上の真ん中に金色の輪に囲まれた赤い点のようなものが見え、それが形を大きくしながら上昇して行く。やがてその赤い点は色彩を変え淡くなり雲を染め、ついには空全体をコスモス色のピンクカラーにしてしまった。ライフガードステーションの階段に腰かけ、この美しい日の出の光景を見ていた。 人っ子一人いない明け方の砂浜、頭上を黒い一羽の大きな鳥が斜めに飛翔して行く。ふと海上に目を戻す。すると逆光を受け黒い人影が見える。影は私に向かって一直線に歩いて来る。わき目もふらず。 目の前で止まると彼が言った。「久しぶりだな」唇をわずかに曲げどこか冷笑的だ。「まあね」と、私も同じ顔つき。「一年ぶりにまたこの場所で会うとは思いもしなかった」「会いに来たのよ、わざわざ日本から」「まだ俺に未練があるのか」 「うぬぼれないでよ、それにしてもあなた、海から上がって来たのにぜんぜん濡れてないわね」「当たり前だ、俺は幽霊だもの」 ロスのビーチで結婚式を上げたいと言ったのは彼だった。酔狂な性格である事は知っていたから、観光がてらに行ってみるかと賛成した。旅費がかさむから参列者は両方の家族だけと言う事にして、それなりのワクワク感もあった。 ところが結果はさんざんだった。飛行機に乗るのが恐くなったと私の母は急にキャンセルし、天気晴朗なれども波高し、よって薄ら寒しで、薄いウエディングドレスで私はガタガタ震えていた。その上牧師は遅れて来る、風が吹き出し砂が舞飛ぶ、参列者のために並べた白い椅子の上にうっすらと積る。ブライダルコンシェルジュがやって来て「どうしましょう、このまま続けます?」と真顔で聞く。 「しかしあのコンシェルジュは全くの役立たずだったな。経験のない初心者で訳も分からず舞い上がってたよりにならない。だから俺はオンラインでの申し込みなんて嫌だって言ったんだ」いつの間にか私の隣に座った彼がはきだすように言う。 「あなたは何でも古風だから」「古風?そりゃまた古風な言い方だね」「そうやってまたあげ足を取る。馬鹿は死ななきゃ直らないじゃなくて、馬鹿は死んでも直らないだわね、あなたの場合は」 「もうやめよう口喧嘩は、俺は喧嘩するために空から舞い降りて来た訳じゃない」彼が両手で顔をなんどもさする。まだビーチには人影もない。だが太陽はかなり高くなり、水平線のずっと左寄りに林立する高層ビルのスカイラインがはっきりと見えて来た。「あなたはあの結婚式にすっかり嫌気がさし、先に日本に帰るって言いだした。家族全部でやる筈だった観光旅行を無視して」私の口調がなぜか優しさに変わる。 「俺は結婚式が凶と出た事で何もかも嫌になったんだ、家族にもな、早く帰って一人になりたかった」「でも飛行機事故であなたはあっけなく死んじゃった、飛行機は真っ逆さまに海に墜落して乗客、乗員全員死亡、しかも墜落の原因が機長の飲酒運転だって言うんだから、笑えない話よね」 彼の口から深いため息がもれた。無残な結婚式で一人早めの帰国、その飛行機で事故死、こんな陰謀に近い非現実な事で死んだ夫を思いやる気持ちは、彼が死んだその日から私の胸にくすぶっている。 「あなたがビーチで結婚式なんて馬鹿げた事言い出さなければ、今頃私達夫婦なのよね」「待てよ、それを言い出したのは君だぜ、俺はギリシャの孤島やフランスのチャペルで結婚式をあげるカップルの気が知れないと言った筈だ、すると君がロスのビーチならどう?と来た、俺はそれはいいかも知れないと言った。ロスには一度来たかったし」 「あなたは良く喋るようになったわね、生きてた頃は腹立たしいくらい無口で、何となく私のイメージ操作だけで会話をしたのに」「そうか、そうか、イメージ操作だったのか、俺は君がいつも会話の主導権を握るのが気にくわなかった」 「だったら言えば良かったじゃない、はっきりと!」「俺が何か言うと君は頭ごなしに黙らせた!」「もどかしいのよ、あなたの喋り方は!いっつも設計図とにらめっこばかりして」「俺はただ努力してただけだ、もっと稼ぎたかった」 二年も同棲しやっとたどり着けた結婚だった。建築家と言う彼の仕事と収入に目が眩んでいないとは、とても言えない。恐ろしく寡黙な彼との暮らしは、連れを探しながら砂漠を一人歩くようなもの。だがその侘しさを私は彼のキャリアとすりかえた。 結婚式の前の日にホテルのベッドに上向きになり天井を見たまま彼が「俺が死んだら火葬にして灰を太平洋にまいてくれよ」妙にシンとした声で言った。私は黙っていた。寝返りを打ち彼は「太平洋が気に入ったんだよ」と向こう向きに言いそのまま黙りこくった。 その背中は投げやりと冷酷、侮蔑、後悔、そのたもろもろの彼の心情を吐露していた。あの時もっと話せば良かった。今となっては後の祭りだけど。結婚式の前の日、私達は二人ビーチを下見に行った。その時彼は、私より太平洋に恋してしまったのだ。 波打ち際を歩く老いたカップルが見えた。しっかりと手をつないでいる。「そろそろ天国に帰るか」そう言うと彼が立ち上がり二本指をこめかみの横に斜めに立て、さよならのサインをした。「やっぱり天国なの?」「そうだよ、俺みたいな良い人間は天国へ行くんだよ」 「そうね、あなたは本当にいい人だったわね、もっと話会えば良かったわ」両目に涙がにじんだ。「話し合えば喧嘩ばかりしていたさ、これでいいんだよ、俺たちは」 歩き出した彼が振り向き言った。「言って置くけど俺が結婚式の次の日に日本に帰ったのは、観光旅行が嫌だった訳じゃない。太平洋と言う大自然の前でバカな人間の猿芝居を見せた俺たちが恥ずかしかったんだ」「海に対して?」「うん」今度こそ海に向かって歩いて行く、次第に小さくなるその後姿を見つめ、私はぼろぼろと涙を流した。
今でも鮮明に覚えている 今でも鮮明に覚えているのは、あの湖の冴えたコバルトブルーと白いスワンの羽の色である。 高校二年の時私は毎週日曜日、郊外の家からバスに乗って30分ある都会の街まで出かけて行った。英会話教室に通うためである。混とんとした思春期の魂をかかえ孤独だった私は、その鬱屈した気分から逃れたいと思った。ネイティブアメリカ人の留学生が教師と人づてに聞き、何か未知の世界に乗り込むような気持ちだった。 道はばは広いがうら寂しい通りを抜けバスが大きく右に曲がると、一気に視界が変わり小さな湖とそれにかかる木橋が見えた。湖の前に古い家がありその横でバスが止まる。そこは私が通う教室の一駅前のバス停で、バスの窓から見ると家の前に細い道がずっと奥にある小さな木戸まで続いていた。 それは庭の一部らしく、道の前つまり湖の岸辺にそって羊歯や水仙などが植えられ、縁側の踏み石らしきもの、キラキラと反射する廊下のガラス戸などがかろうじて見えた。それ以上は何も見えない。家全体は竹林に囲まれているのだから。 湖にはいつも白いスワンが二匹、湖面をすべっていた。そんな風光明媚な家が私に、何かしらの関わりがあると分かったのはずっとあとのことだった。 私の英語教師はアトランタから来たアンと言う19歳の黒人の少女だった。彼女は華族の末裔だとか言う女性の古い家の二階を改造にした狭い部屋に間借りをしていた。同じ州から来たリンダと言う白人の少女が隣接の部屋にいた。彼等はカタコトの日本語を話した。 押し入れ付き畳敷きの狭い部屋、殺伐として家具らしきものは何もなく、アンは部屋の隅に古めかしい大きなつづらを置き服入れとして使っていた。 ある時アンがその中から気に入った服をくれると言う。色あせた花柄のブラウス、ジーンズのショートパンツなど。着て見ると二人とも「キレイキレイ!」と手を叩いて喜んだ。服はどれも着古した物だったが、最後に一番気に入った首の後ろでひもを結ぶ短いサンドレスを着ると、リンダが「オーキュート!」と言い私を抱きしめた。私たちはそのまま街のカフェにランチを食べに行った。 人の目を気にせず陽気に過ごす彼らの生活は、田舎者の私にはとても斬新で鮮烈で、泊まって行けと言われれば嬉しく、ジャパニーズベッドと彼らが豪語するせんべい布団にアンと寝る事もあった。 ある日の午後キッチンに行くと、大きな黒い薪ストーブのそばでこの家の女主人が本を読んでいた。この家には使い込んだ旧式な家具や食器が家中にあり、まるで戦後まもないような生活様式が幅をきかせていた。県立女子大の家政学部の准教授だと言う女主人は、物静かな女性でやはり華族の末裔らしく凛としたたたずまいだった。 「どう、英会話は上達していますか?」と本を膝の上に置いて穏やかに聞いた。「英会話は一緒に色んな事やりながら話すのが一番いいのよ」と言うアンの提言通り、机に座っての勉強を私達はしなかった。一緒に食事を作ったり街へ出かけたりと日常の行動の中で私は幾つかの英会話を覚えた、 そんな時間は楽しいのだが、それで英会話が上達したかと言うと疑問は残る。「アンのペースに巻き込まれないでね」私がキッチンを出る時彼女は、眼鏡をかけたまま上目づかいにそう言った。 そんな風変わりな経験をしながら、湖とその前の家をバスの中から見るのは、私のもう一つの楽しみだった。ある時、湖の前の細い道に白人の若い女性が立っていた。彼女はただ湖を見ながら長い灰色に近い金髪を片手でかきあげている。肩のあたりが大きく開いたローロングドレスに身を包み、そのふわりとした赤紫のドレスの色が、湖の濃いブルーに見事にマッチしていた。 私は思わずバスの座席から身を乗り出した。それからは常に進行方向に向かって右側の席に座る事にした。その女性を再び見るために。それから数回彼女を目にしたがバスから凝視する私に彼女が気づきこの小冒険は終わった。 以前から気になっていたのだが、母屋と並行して小さな離れがあった。アンに聞くと「あそこはダメよ、大事なお客様だけの場所。入ったらオバサマに叱られるわ」彼女の日本語もだいぶ上達していた。アンとの友達関係ももう一年近くになっていた。 茶室に似たその離れは母屋の台所から飛び石づたいに行けるようになって、私は途中まで行ってはいつも引き返した。離れ全体に何となく疎ましい雰囲気があったからだ。その日も引き返そうとしたその時、玄関の格子戸を開け中から女性が出て来た。彼女は両手に抱えていた植物の鉢を戸のそばに置くと、何となくこちらを見た。なんとそれはあの湖で見た女性だった。 やがて留学期間を終えたアン達はアメリカに帰る事になった。大学受験をまじかに控え私もまた、受験勉強に本腰を入れなければならない。アンは住所をくれ、名残惜しそうに私を抱きしめた。 半年程して、ローカル新聞の三面記事に載ったあの離れの写真を見た時は非常に驚いた。家主が逮捕された理由は、ある売春組織と組みし男女の営みのために個人の不動産を賃貸していたと言うものだった。情状酌量の余地があったのは組織そのものには関与せずと言う事だった。 私はアンに手紙を出した。事件の事には何も触れず季節の事とかまた会いたいと書き送った。だが返事はなかった。
アレンは不思議な指を持っていた アレンは不思議な指を持っていた。それは常に悩ましいうずきを持って彼を脅かし、あるいは翻弄した。その繊細な指の思いを、彼は黙殺することなくむしろ添って生きる事にした。 だがその繊細な指の思いとは、別に指の先から美しい花が咲き開くとか鳩が飛び出すとか言う類のものではなかった。 ときめくような顔をした観客の前でショーを見せ拍手喝さいをもらう手品師の父に、彼は少年の頃ある種の羨望と誇りを抱いていた。シルクハットに黒マントを着た父が、ショーの終わりに両手を高く上げお辞儀をする。その時の高揚した父の顔を見ると胸がどきどきした。 それも十代の中期にはいるとそれが蔑視や卑下に変わって行った。父の生きざまが馬鹿らしく、手品なんてトンマな奴のする事だと思うようになった。父が手品師だなんて人には言えない、、、彼はそう思った。 彼が幼い頃二人きりになると父は、観客の前でやるすべての手品の種明かしをして見せた。 「こんなものは練習すればバカでもできるようになる」と言った。「ただ手際よくやるだけだ。観客は馬鹿だから簡単にだませるんだよ」と薄笑いをした父のあざとい横顔を、彼は今でも忘れない。 ある夜の事、インディペンデンスの日だった、アレンがマンションのベランダから夜空の花火を見ていると、父が女を連れ帰って来た。ドアを開けるなり「ヘイ、見てみろ、ママを連れて来たよ」と抱き寄せていた女を彼の前に突き出した。アレンはまだ8才だった。 二人ともかなり酔っていた。女が左手をアレンの顔の前で広げ薬指にはめた指輪を見せた。高らかに声を出して笑った。アレンは女の顔をじっと見つめ、赤い口紅が口のまわりに広がっているのを見ていやな気持になった。 物心ついた頃から家の中に母親がいない事を不思議に思い父に尋ねると、「そのうち素敵なママを探してくるよ」と言い片目をつぶった。だからアレンは「パパは本当にママを探して来たんだな」と思った。だが彼らは結婚などしなかった。最初からその気はなかったのだ。 長身で見栄えも良い父はいつもキラキラした富裕層の女達に囲まれ、彼がパチンと指を鳴らすと即座に、高価な装飾品や大金が彼に届けられた。彼は実際女にもてすぎてどんな女にもあきあきしていた。 父の生きる姿勢にすっかり懐疑的になった彼は、父の世界から完全に離脱した。小さなアパートを借り自炊をし真面目な暮らしに没頭しようとした。だが彼の脳裏に焼き付いた父の言葉、しぐさ、深いため息などが、ぬぐい切れない思い出の残滓のように彼を脅迫した。 父の深いため息?そう父は時々奇妙なため息を吐いた。何の意味もなく突然「ハーッ」と肩を落としうつむき息を吐いた。そばに誰がいてもお構いなしにこれ見よがしに。父のため息はアレンを不安にした。 彼が19歳の時、とてつもなく衝撃な出来事が起きた。街の広場で年に一度の夏祭りが催された時だった。屋台や乗り物が組み立てられ、人々が集まり広場が遊園地になった。お祭りはどんな人々の心をもウキウキさせる。 彼はローリポッツプを舐めながら人込みを歩いた。やがてすごい人だかりを見つけ立ち止まった。体中に極彩色の入れ墨をした男が、今しも口の中に鋭い刃先の剣を入れようと身構えている所だ。見物人はシンとして息を詰めている。 やがて男が剣を飲み込み始めた。筋肉隆々とした男がするすると剣を口の中に入れて行く。「あれだけは種明かしはできない。ただ何年も練習し、剣を恐れない強い精神を鍛え上げなければならない」父が珍しく真面目に話したマジックだ。 あたりに張り詰めた緊張と静寂がおとずれ、息苦しいぐらいだった。咳が出そうな口を彼はこぶしで押さえた。その時人込みをするりと抜け、一人の男がアレンの斜め右にひっそりと立った。長身のその男はすぐ前に立つ女の肩にかけたパースから、見事な指さばきで財布を抜き取ると、大胆にもアレンを振り向き野卑なウインクを送った。 アレンは男を好くタイプではなかったが、男に好かれるタイプだった。脆弱な彼の精神がその男の愛?あるいはゆすりをうやむやな気持ちのまま受け入れてしまった事は、彼の一生の不覚だったかもしれない。 スリの男と暮らし始めて二年、彼はこの頃よく肩を落として深いため息をつくようになった。父がもらしたため息とそっくりのあの不思議なため息を。 彼らは今日も人込みにまぎれて行く。観客のいない薄暗い空間で華麗なマジックを披露するために。アレンは近頃、ずいぶんと腕を上げた。
T V JAPANと言う私が見ている有料チャンネル TV JAPANと言う私が見ている有料チャンネルは、現在の日本のニュースやドラマ、バラエティ、サイエンス、医療など、すべて日本語で放送するチャンネルだ。アメリカに住むかなりの日本人が視聴しているそうである。 アメリカ国籍を取得して40年、ついに英語の読み書き、会話の三部門で会得習得の敗北宣言をした私は、ときどき喉の渇きを癒すようにこのチャンネルに回す。妙な後ろめたさを感じながら。 そこで見つけたのがBENTO EXPOと言う番組。その名の通り日本の🍱弁当に似たいろんな国の🍱ベントウが紹介される。サウジアラビア、ミャンマー、ウクライナ、アフリカ、イタリーなどなど。 日本のキャラ弁に似て、カラフルな具材で、動物、文字、植物を小さく作りあるいは型でくり抜き、ランチボックスに詰めてある。日本の弁当のアイデアが世界に普及しこれらが作られたどうかは知らないが、首をひねりたくなるほどレベルが高い。 日本とは慣習、風俗、伝統様式も違う人たちが、花型の卵焼き、キュウリの蛇腹切り、ハムのクルクル巻に没頭している姿は想像しにくいが、それでも小さなおにぎりに海苔で目鼻をつけたり、だし巻き卵にグリーンピースを入れたりしてある。 お国柄の料理を押し出したベントウでない事は確かで、どこかの国ではおいしいと言う蜘蛛のから揚げ、孵化直前のゆでたアヒルの卵、犬肉の照り焼き、ゴキブリのフライなどは、さすがにない。 それでも番組の評判はあまり良くないらしく、コメントには「うざい」「不快」「出演者の喋りがうるさい」「打ち切りはいつですか」などと辛らつなものがある。なぜか、なるほどとうなずきたくなる。私自身おもったのは、番組自体が作りものめいて見えるのである。 娘が小学生の時、ガールスカウトのフィールドトリップで、ボートに乗ってクジラを見に行く日と言うのがあった。何となく思い付きでベントウを作ってあげた。ウインナーソーセージのタコの煮つけ、厚焼き玉子、サーモンの塩焼き、ごはんにはエンドウ豆を散らした。 どういう訳かこれが非常に評判が良かったらしく、娘がとても喜んでいた。ガールスカウトのリーダーには、「これを沢山つくってビーチで売れば儲かるわよ」とまで言われ、いやな気持になった。仕出し屋じゃあるまいし、アメリカ人の多いビーチで弁当が売れる訳がない。 今でこそ🍱ベントウと言う言葉はなじみ深くなったようだが、これは20年以上も前の話である。 それから娘にせがまれ学校のランチ用に二、三回作ったが、その度に学校から帰っても嬉しそうな顔をしない。聞くと弁当箱のふたを開けると中身がぐちゃぐちゃになり、形がくずれたりご飯がおかずの煮汁で茶色になったりでとても見かけが悪かったと言う。だれも褒めてくれなかったのだろう。それからは頼まなくなった。 だが不思議なのは、クジラ見学で作った弁当は何の支障もなく、学校のランチはなぜ失敗だったのだろう。どちらもまったく同じやり方で同じ弁当箱を使った。それにどちらの時も、弁当箱を振り回し中身をごちゃまぜにする事などしなかった筈だ。これは謎だ。 そう言えば高校二年の新学期に友人たちと三人、山登りに行く事になった。山登りと言ってもいわゆるロッククライミングではなく、丘に近い山を徒歩で鼻歌交じりに歩いたのだが、この日母がベントウを作ってくれた。 やがて丘の頂上に着き、私達はランチを食べるために丸くなって座った。面倒くさがり屋の母の思いがけない行為に私も嬉しかったのだろう。食べる前に「さてさて母の心づくしの弁当を食べる事にしましょうか」と口上らしきものを述べ、二人の前でふたを開けた。中は上を下への大混雑、弁当の中身を袋にひっくり返し4,5回宙で振り回したような状態になっていた。 P.S 最近はベントウのビン詰があるらしく、透明なビンの中に食材を互い違いに詰めふたをする。これだと食べる前に両手でビンを前後左右に振り回し、ごちゃ混ぜにして食べれば、きっとうまかろうおいしかろう。便利な世の中になったものだ。
その寿司屋の店主は一風変わった男だった その寿司屋の店主は一風変わった男だった。と言うのも、その男には寿司屋の店主らしき風雅さが微塵もないのだ。寿司屋の店主の風雅さ?つまり客に対する上品な態度である。背低い痩せぎすな体が醸し出すしぐさや表情にときどき、どうしょうもない下品で野卑な品性が現れた。 例えばときどき路上で見かける猿回しの男、そうちょこまかと動く子ザルに奇妙な衣装を着せ、道行く人から投げ銭をもらう。そんな男を想像して貰えばいい。彼にとっての猿、もちろんそばにいる見習いシェフである。 それにしても猿回しの男はかならず、商売道具である子ザルにある種の愛情を持っている筈である。愛がなければ猿は芸など覚えない。だがこの寿司屋の店主は若い見習いに対して、一片の愛情もないと思えるほど、何かしらひねくれた昔気質の男だった。 寿司カウンターに居並ぶお客の前で、若いシェフがへまでもすれば「バカ野郎!」と大声で叱りつける。あっけに取られた日本語の分からないアメリカ人に、すかさず枝豆を一粒天井に投げ上げ、ふらふらと上半身を揺らし首尾よく口で受けとると言うショーを見せる。すると客が和む。つまり彼は『紅花』の鉄板シェフよろしく、カウンターでのパフォーマンスを試みる訳である。 「もう、日本に帰りたいよー」見習いシェフの健がうんざりした声を出した。だいたい寿司屋のおやじが従業員のチップを横取りするなんて、規則に反しているよ」健は東京の寿司養成所を卒業し、エージェントを通し半年前にこの寿司屋に来た。 「ほんとよね、奥さんも私のテーブルからチップをくすねるのよ、ちゃんとこの目で見たもん」ウエイトレスのルナも反撃する。奥さんとはウエイトレスとして週五日働く店主の女房である。ルナは白人の男性と二年前に結婚し、そろそろ仕事でもとこの店にやって来た。 たまたま休憩時間が一緒になった健とルナが、近くのマックで日ごろのうっ憤を晴らしているのである。「やってる事は法律違反だよ、ここはアメリカ、日本じゃない。チップは当然、客を接待した従業員が貰うもんなんだ。あーあエージェントの宣伝文句に乗せられたのが運のつき。何が『夢と希望を求めてアメリカの寿司屋で働き英語を学ぶ』だよ。健がイラつきながらハンバーガーにかぶりついた。 そんな陰口を知ってか知らずかその頃、ランチ時間が終わり人気のないレストランの内部をじっと見ていた店主が、背後の暖簾をさっと片手で払い厨房に入った。そこではメキシコ人が一人握り飯を食べていた。 この男こそ店主の秘蔵っ子、ミゲルである。寿司、刺身専門の店主が作らない丼物、天ぷら、麺類、突き出し等はこの人が作る。しかも仕事が早く味も良い。ただ黙々と自分の仕事をこなすこの男に店主は一目も二目も置いていた。 「おい、お前の家族は近頃どうだ?元気か?」と店主が聞く。「はい、いっぱい元気です」明るく笑った。日本語の問いに日本語で答えるミゲルに店主は、「チクショウ、俺のために日本語なんか勉強しやがって」と鼻の奥がつんとなった。中堅の日本人シェフが一人厨房の隅にいたが、店主はこの男とは普段口を聞かない。 健がとうとう店をやめる事になった。日本に帰ると言う。最後の給料を取りに来た彼が店主に言った。「あのー、これは僕の単なる意見だと思って下さい。最近、お客さんが減ってますよね。あのー、やっぱりアメリカ人の好きなアメリカ寿司を作らないからだと思うんです。ドラゴンロールだとか、レインボーロールだとか。あんな派手なものがあれば面白いし、、、」 「バカ野郎!」健の言葉が終わらないうちに店主が一喝した。「あんな寿司のバケモンのようなもん、作れるか。つべこべ言わずさっさと日本に帰れ!」こんな最後通告を受けやめた若いシェフは、枚挙にいとまがない。 従業員の居つかないこんな寿司屋が、曲がりなりにも今日までつぶれないのは、それはひとえに店主の寿司職人としての腕の確かさによるものだった。マグロ、ツナ、タイ、イクラ、古典的な握りずしに固執する彼は、何を握らせてもうまかった。たとえ肌色の違うアメリカ人でも、解る人には解るのである。 だがその店が廃業したと言う風の噂をルナが聞いたのは、彼女が店をやめて一年後の事だった。夫の仕事の関係で彼女は他県に引っ越していた。店をやめる時、チップの事で店主に文句を言うと彼は「そういう事はもっと早く言うもんだ」と苦笑いをした。 ある日の事、ルナは日ごろ行かない大手の食料品店に出かけ、デリカテッセンのコーナーに来た。ここのコールスローがおいしいと聞いたのだ。するとそのすぐ横に寿司コーナーもある。小さなショーケースにパックに詰まった握りずし、巻きずし、カラフルなアメリカ寿司が並んでいる。 赤いハッピにクルクルとねじった玉絞りの手ぬぐいを頭に巻いた、背低いやせぎすの男が、ケースの後で、後ろ向きに寿司を握っている。細い首筋の二本の筋肉に見覚えがあった。ルナが声をかけると「ハロー」と小さく言いこちらを振り向いた。 男はマスクをかけているがまぎれもないあの、ルナが働いた寿司屋の店主だった。何か話したい気もしたが、あまりにそ知らぬふりをする店主にその気も萎えた。 彼女はあわてて一番大きな箱をケースから取りレジに向かった。レジの女性がにこやかに笑いながら言った。「彼のお寿司はとても評判がいいのよ」
私は今 私は今、自分の右手を右手で持ち、いや右手を右手で持ちと言うのはおかしい。右手が二本ある訳ではないから。つまり右手を窓の光にかざしている。眉間に皺をよせじっと目を凝らすと、そこに網羅する、骨、動脈、筋肉、靱帯などがかすかに透けて見えるようだ。 この手は幼い娘のお尻を躾と称して力任せに叩き、あるいは意味不明な事を言う今は亡き夫の顔を引っ掻き、悪さをする飼い猫の尻尾を引っ張ったりした罪深い手だ。 だが年月とともに私の周りから人がいなくなり、右手もすっかりおとなしくなった。猫さえ近頃は私と遊んでくれない。 喜怒哀楽を忘れた私の手はだが、日々の料理や掃除、洗濯に精を出す。昔から家事が好きだった私はやっと、心行くまで人の目を気にせず右手を彼女の趣味に任せる。 例えば料理、包丁を持ちニンジン、キャベツ、キュウリなどサクサクと切って行くときの爽快さは何物にも代えがたい。これから自分の血となり肉となる栄養物をこしらえるのだと、微かな興奮さえ身内に感じる。 と、馬鹿げた言いぐさはこのくらいにして、、、半世紀以上も前に見た『エデンの東』と言う映画の話をしたい。敬虔なキリスト教徒の父に母は死んだと聞かされていた主人公のキャルは、母への慕情が断ち切れず、ある日「母さんはどんな人だった?」と父に聞く。 すると彼は「母さんは美しい手をしていた」とだけ答えた。このセリフが今でも頭にこびりついて離れない。心にしみる優しい言葉だ。もちろんその時は日本語字幕で見たから、ほんとの英語のセリフは分からない。だがこの翻訳者のセンスがとても良いと思った。 その後キャルは、母が今では酒場の経営者として成功している事を突き止め、ある日突然酒場の二階の母のオフィスを訪ねる。ドアを開けると母が椅子に座って居眠りをしている。その膝に置かれた彼女の手をキャルはじっと見つめる。 この手のアップに私もまた見入った。だがそれは美しいと言う私の観念とは違い、何となく骨太の大きな手だった。指の関節も大きい。日本人の言う白魚のような指とはかけ離れていた。だがそれが女一人を実業家として成功させた強く美しい手なのだと後で思った。 ずいぶん昔、私が高校生の頃、夕食後の団欒の居間で母が自分の左手を私の前に広げ「お母さんの手は少しもきれいじゃないね」とぼやいた。野良仕事で太陽と土に揉まれたその手は、確かに武骨で美しくはなく疲れて見えた。 都会生活に憧れていた母は、父としばらく別の場所で暮らしていたが、諸事情で父の実家に戻り祖父の農業を手伝わされる事になった。それに抵抗することなく時に流されてしまった母は、生涯そのことを悔やみ愚痴をいっていた。 若い頃、母の姉の家で過ごした上海での暮らしも忘れられなかったらしく、自分はこんな田舎にいるような人間じゃないと、愚かな自負を死ぬまで捨てなかった。そんなプライドを満足させるために、家を出て自由に生きる勇気など少しもなかった癖に。そして渇望を渇望のままに亡くなった母。 だがあの時代の日本の田舎の農家の主婦が、家を出て一人都会生活を始めるなど、前代未聞、天変地異の出来事だったのだ。 そんな母の愚痴と生き方を嫌い、出来るだけ故郷から離れて暮らしたいと思うようになった。そしてとうとうアメリカまで来てしまった。今思えば常に放浪の魂が胸の奥に燻っていたような気もする。だが正直に言うと、ここまで来たのは自分の意志ではなくたぶんに成り行き任せだった。それでも今は幸せだ。今の静かな暮らしが好きだ。 「私の手はきれいじゃないね」と、めずらしく素直な心情を吐露した母が、いまは懐かしく思いだされる。「ううん、そんな事ないよ、とてもきれいだよ」と、言ってあげれなかった自分がとても悔やまれる。
ドラッグストアから出て来たノアは空を見上げた ドラッグストアから出て来たノアは空を見上げた。疫病が蔓延しているこの街の空は、どんより曇っている。買ったばかりの錠剤を右手で握りしめ彼は自嘲げに顔をゆがめた。 何の変哲もない風邪薬がコロナウイルスに効くと報道された途端、飛ぶように売れ始めた。どこの薬局の陳列棚からもあっという間に消えた。彼もそのにわかファディズムに便乗したと言う訳だ。 横断歩道を渡り歩道を歩き始めた彼は、ふと反対側の歩道を歩く若い女に気づいた。女は腰から下がフレアになっている時代遅れの黄色いミニワンピースを着ていた。そして揺れるように跳ねるように踊りながら移動する。その度にフレアがふわふわと揺れ、まるで大きな黄色い蝶が数匹、彼女の腰のまわりを飛び跳ねているように見える。彼は思わず見とれてしまった。 女の顔は良く見えない。歩道のわきのビルはどれも閉まっていて、黒いガラスで覆われた室内は真っ暗だ。そのガラスに映る自分の姿を時々チラ見しながら女は楽しそうだ。外出禁止令が出ているので街には人影もなく行きかう車の数も微々たるもの。まるで砂漠のような街を黄色い蝶は嬉し気に飛び回っている。 やがて彼女はKFCの店の前まで行くとクルリとUターンして歩道に戻り、すぐ隣の金網で囲った古いアボカド畑の中に飛び込んで行った。突如として消えた蝶の存在にノアはパチパチと数回まばたきをした。 アパートに帰ると部屋は異様な散りかりようで、おまけに汚いベッドの上にはひねりつぶした油絵の具や絵筆、パレット、溶き油のビンなどが散乱している。描きかけのカンバスを掛けたイーゼルがベッドのそばにある。油絵を描くのは彼の趣味だが、趣味の域を出れない自分の実力に彼はジレンマを感じている訳ではない。 週二日のピアノ出張レッスン、三日のガソリンスタンドのキャッシャー、掛け持ちのこの二つの仕事をコロナ騒ぎで解雇された彼は、大家に来月の部屋代が払えない事を昨日告げた。「ま、いいさ、三か月は待ってやる」大家はフンと鼻で笑った。夢想家で情緒不安定なノアの性格を知り抜いている彼は、いつまでたっても中途半端なこの若い甥に愛想をつかしていた。 さっき見た黄色いドレスの女を描こうと、新しい画布を掛けたイーゼルのそばにしばらく立っていたノアは、急に気分が悪くなった。得体の知れない悪寒に襲われ震えが来た。ソファに腰かけ両腕を胸の前で交差し暖を取るような恰好をしたがやがて、高熱に犯されている事に気づいた。買って来た錠剤を慌てて二粒ほど口に入れ、そのままソファに倒れ込み眠りに落ちた。 明け方、空がむらさき色に変わる頃ノアは目が覚めた。気分はすっかり良くなり嘘のように熱が下がっていた。体を起こしソファに腰かけ両手で顔を数回さすった。見ると珍しくイーゼルに白い布がかかっている。はずすとそこには、灰色の空間に三匹の大きな黄色い蝶が乱舞する姿が描かれている。「誰が描いたのだろう?」ノアは不思議に思った。 次に女を見たのは数週間後、彼がマーケットから出て来た時だった。長い行列をやっと制覇しドアを出て来たところで、あの女が駐車場にいたのだ。ショッピングモールの駐車場だから、彼女はどこか他の店に行っての帰りだろう。黄色いドレスで黒いアウディの傍に立っていた彼女は、とてもあでやかに見えた。しばらくあたりを見回していたが、やがて走り去って行った。 その夜ノアをまた高熱が襲った。このところ微熱と高熱が交互に続き、その度に風邪薬を飲みなんとか危機を逃れて来た。この熱の正体がコロナウイルスではと言うかすかな疑惑もあったが、日常的に医者に行くと言う観念が欠落しているノアは、行くべき病院がどこにあるのかも分からない。 三匹の黄色い蝶を描いた侵入者が誰かと言うなら、それは夢遊病者的遊びに興じたノアの仕業に違いない。画そのもの見た時、彼には自分が描いたと言う一切の記憶はなかった。だが次第に思い出して来た。夜中に目覚め一心不乱に絵筆をとり、画布に浮かび上がる黄色い蝶に魂を込めて行く自分の姿を。その姿に青白い光を放ちながら、神の気概に優しく包まれている自分を。 ノアは微熱、高熱を繰り返し、その度に例のまやかし的な風邪薬を飲み当座をしのぎ、次第に衰弱して行った。立っているのもつらく、ソファで寝ころんだまま過ごすようになり、カーテンのすきまから漏れる太陽の光を、この頃は疎ましく感じるようになった。 だが衰弱しながらも彼は、誰かの優しい愛の手に抱かれているような気分になるのだった。それが母の手なのか、神の手、あるいはあるいは黄色いドレスの女の手なのか?熱が出ればまた薬を飲み、今では精神の媚薬のようになったこの薬の量が次第に増え、片手一杯の錠剤を飲み干す日常となった。そして眠りに落ちる。未完成の蝶の絵をとても気にしながら。 大家が合鍵で部屋を開けた時、ノアは上向きにソファに横たわり胸の上に両手を組んでいた。かすかに微笑んでいるように見え、それが彼の死に華を添えた。大家はイーゼルに掛かった布をはがし、そこに未使用の真っ白い画布を発見した。「かわいそうに、もう一枚描きたかったんだな」と彼はソファのノアをちらりと見てつぶやいた。
これはコロナウイルス パンデミック以前の話である。 これはコロナウイルス パンデミック以前の話である、 「ハニー、これな~に~?」女があまったるい声を出した。見ると、中が空洞の四角いコンクリート製の箱のような物が、地面に転がっている。転がっていると言う描写がぴたりと当てはまる、それは見捨てられた武骨な物体だった。箱の一面が縦長の古い鉄柵でおおわれ、その黒ずんだ赤さび色は、どろどろとした人間の古い血のようだ。 「これは200年前のアメリカの刑務所だよ、昔はこういうものが町のあちこちに転がっていたんだ」右手に絡めた女の腕を邪険に振りほどき男が言った。「刑務所?」「そうだよ、お前みたいな女を入れて置く汚い箱だよ」と言いかけた言葉を飲み込み、男はクルリとあたりを見回した。 寂れきった場末のうらぶれた公園と言った感じで、それでも無法地帯と言ういっぱしの雰囲気だけは漂っている。入口にあった[GHOST TOWN]と言うひなびた手書きの看板を見て、女が車を降りさっさと中へ入ったのだ。ユニバーサルスタジオを見ての帰りで、男はハイウエイの出口を間違え見知らぬ町に入り込み、そこで見つけたもう一つのアトラクションだった。 だがこれはもともとあった集落が廃墟化したものではなく、人の手に寄る幽霊村だ。それがもはや廃れ切り、料金所もなくそれらしきスタッフもいない。正真正銘、無人のゴーストタウンである。寂寥感がはんぱない。 「でもこれは人が入れるほどの大きさじゃないわ」女はまだコンクリートの箱にこだわり、両手を広げ箱の大きさを測る振りをした。なるほど箱は一辺が1メートルにも満たない。 「罪人は一度入れば座ったまま死ぬまで立てない。だから狭くてもいいんだ。しかも通りすがりの人間に唾を吐きかけられバナナの皮を投げつけられ糞尿をぶちまかれたりしながら生きて行かなきゃならなかった」男は女を侮蔑するように口から出まかせの言葉を投げつけた。 「あら、いやだ~」女が大げさな声を出し男を見上げた。その前歯の間にはさまった食物のカスを男は見逃さなかった。彼はさっさと背後のサルーンに向かって歩き出す。開拓時代の男たちが通った酒場だ。その隣に理髪店、雑貨や、銀行までが長い木製の庇の下に軒を並べている。いかにもそれらしい古色蒼然とした色と造りで、現実を逃避するには格好の場所だった、 半分外れかけてるスイングドアを押して中に入った。見上げると天井にびっしりと一ドル札が張り付いている。「わーすごいお金ー、あれ、何とか貰えないかしらね、旅行資金の足しになるわよね」キラキラと目を輝かせ本気の声で女が言ったので、男はもうこれまでとさじを投げた。 10日間の計画で来たアメリカでの新婚旅行で、いちいち露呈する女の下劣でがさつな行動に男はもうがまんがならなかった。まず一番我慢がならない事は、食い物を口に入れたまま喋る、レストランで大声で話す、出先の観光地で意味もなく奇声、悲鳴をあげる、土産と称して下らない安物を山ほど買う。旅の恥はかき捨てにもほどがあった。 1年もつきあったのにどうして見抜けなかったのだろう?猫をかぶっていたんだなと、もはやすっかり結婚する気のなくなった男は、これからどうやって離婚の話に持っていくかと思い悩み始めてもいる。明日は日本に帰る日である。 女はだが別の観点から男に業を煮やしていた。「何よ、アメリカに来る前にあれほど旅行雑誌を読み漁っていたのに、何にも分かっちゃいないじゃないの。ドライブ時に道はやたら間違えるしナビゲーションの使い方も知らない。物の順序や手続きの仕方が実にのろい。 ホテルのボーイやレストランのウエイターに、チップを払わないのにはびっくりしたわ、ドケチなんだ。ドアを開けたら私をさておきさっさと先に行く。21世紀のこの時代に、レディファーストも分かっちゃいない」 未来の夫は低能だと思い始めた女は、一時も早くこの能無しと手を切りたいと願い始めた。男に見せた蓮っ葉な行動言動はすべて演技だとまでは言わなくとも、嫌われても構わないと言う気持ちが強く働いたからだ。 ふと立ち寄ったこの奇妙なゴーストタウンを去る間際に、男と女は薄汚れたコンクリートの箱をもう一度一べつした。二人は箱に入ったそれぞれの哀れなパートナーを思い描き、ざまあみろと言った顔で車に乗った。相手に対するこんな邪険な考えも、ただ旅慣れないための疲労とストレスのせいだと彼らは気づきもしない。 さて二人は今、飛行機と言ういわば箱の中にいる。これから日本に帰るのだと何となく神妙になっている。もう互いにあら捜しはしない。傷つけ合う事もやめた。どうあがいても所詮は旅行者である。異郷の地で異邦人に囲まれその異邦人に成りすまそうとして彼らは失敗し、今はつき物が落ちたようにサッパリとした顔をしている。 飛行機が日本に近づくにつれ、時差が狭まるにつれ、なじみの世界に近くなるにつれ、彼らは幸せさえ感じ始めた。「母さんたち、空港に迎えに来てるかしらね」女が男を見て言った。「もちろんだよ」彼が座席の手すりに置いた女の手に自分の手を重ね、優しく微笑んだ。
スクールバスを降り玄関に向かって歩いている時 スクールバスを降り玄関に向かって歩いている時、コンクリートの上に蝶の死骸が落ちていた。いや死骸ではなく生きている。それも羽化してすぐのだ。羽が柔らかくその片方だけ弱弱しく動かしている。僕はそっと指でつまんで、そばにあったツツジの植え込みの上に置いた。 真っ赤な羽をして目のまわりが黒い変わった蝶で図鑑には載っていない。あんがい突然変異で産まれた蝶かも知れないと思った。いつか突然変異の猫を動画で見た時はびっくりした。でもこの蝶はとてもキレイだ。 次の朝、学校に行くとき植え込みを見ると、蝶は殆ど動かないがまだ生きていた。そのままスクールバスに乗ったが、学校にいる間蝶が死んでしまいはしないかと、気が気じゃなかった。 学校から帰って蝶がまだ生きているのを見た時、涙がでそうになった。僕が帰るのを待っていたんだと思った。 蝶の飼い方をネットで調べその通りにした。羽化器に入れて砂糖水を上げた。だが蝶はぜんぜん興味がないようだった。羽を指で握ってピンセットで口を水につけようとしたが、蝶はやめてくれと言う風に体を固くした。 この時僕は、ずい分小さい頃バアバが話してくれた話を思い出した。 東京に住んでいた僕は、夏になるといつも田舎のバアバの家に遊びに行った。ある夜、縁側のガラス戸に蛍が止まっていた。尻がもう光らずただじっとしているだけの蛍だ。僕はコードレスの小型掃除機を持ってきて蛍のそばにノズルを置いた。蛍は勢いよく吸い込まれていった。 するとバアバはとても悲しい顔をして、昔読んだ『蜘蛛の糸』と言う小説の話をしてくれた。それはこんな話だ。 『ある時お釈迦様(釈迦は仏陀の事だ)が極楽の蓮池のまわりを散歩している時、彼はふと蓮の葉の間から下界を見下ろした。するとそこには地獄の様子がはっきりと見えた。そこは恐ろしい血の池で、もがき苦しむ沢山の罪人たちが見えた。その中にカンダタがいて彼も血の池で苦し気に顔をゆがめて居る。彼は生きている間に放火、殺人などを犯した極悪人だ。だが釈迦はこの時、カンダタが生涯に一度だけ良い事をしたのを思い出した。それは林の中で道を這う一匹の蜘蛛を見た時、彼はさっそく踏みつぶそうとしたが、「いや、こんな虫にも命があるんだ」とクモを見逃してやった事だ』 バアバの話が上手だったので、僕は引き込まれてしまった。 『釈迦はカンダタを地獄から助けようと、そばにあったクモの糸を蓮の葉の間から下に垂らした。これを見た地獄のカンダタは、しめしめと糸を伝って極楽へ這い上がろうとした。すると他の罪人も彼の後からついて来た。これはやばいと彼は思い「おーい、やめろやめろ、これは俺の糸だー!俺一人のものだー!」と足蹴にして罪人たちを下に突き落とした。するとカンダタが握っていた糸が彼の手の少し上で、ぷつりと切れた』 こんな話をしてくれたバアバも、3年前父の仕事の関係で僕たちがアメリカに引っ越して来ると、病気で亡くなった。 僕はカンダタ程の罪人ではないけど蛍を殺した人間だ。蝶だけはどうにか助けようと思った。だが蝶は元気にはならない、時々観察すると砂糖水に足を突っ込みじっとしている。 学校のランチタイムで友人のハカセにこの事を話すと「一度その蝶を見てみたいな」と言った。ハカセは僕がつけたニックネームで、ほんとはベンジャミンと言う名だ。眼鏡をかけて博士のように賢そうな顔をしているからハカセ。実際頭がいい。 彼は僕が今のクラスに転校してからのたった一人の友人だ。アメリカの小学校を2年生の時から始めた僕は、3年間彼とずっと同じクラスだ。一度授業中にトイレに行きたいと手を上げたら「誰か一緒に行きたい生徒がいるか?」と先生に聞かれた。その時ベンの名前を言った。それからずっと友達だ。 蝶の事をハカセに話した次の日に、彼が僕の家に来た。蝶の入った羽化器を見せると、彼は砂糖水に指をつけ味を見て「あまり甘くないな」と言った、「どうしたら元気になるか?」と聞くと「わからない」と頭を振った。「獣医に見せる訳にもいかないしね」と優しく笑った。 その次の日に蝶は死んだ。その事をハカセに言うと「やっぱりな」とうなずいた。そして昔彼が、道に落ちていたスズメのヒナを拾った話をしてくれた。でもヒナは死んでしまった。「後で知ったんだけど鳥のヒナは拾っちゃいけないんだ。飛び方の練習をしてる間に地面に落ちて休んでいたり、落ちた場所で母鳥を待っていたりするんだから」と、頭を振った。 「結局、野生の生き物を助けると言うのは、哺乳類ならともかく昆虫や鳥のヒナはむずかしい」とハカセはとてもむずかしい顔をした。ほんとにそうだと僕も頭を振った。 僕はバアバに聞いたお釈迦様の話を彼にしようかと思ったがやめて置いた。僕の下手糞な英語で彼が話を誤解したりしたら困る。