新年明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

重ねて今年が皆さまにとってとても幸せな一年になるよう、お祈りいたします。

今年初めての物語を投稿します。

これは今から100年、いや200年以上も前の話です。

風吉は破れ雨戸の穴から差し込む朝の光に目を覚ましました。そしてそのままじーっと動かず布団の上で天井を見つめていました。

そこへ「コケコッコー」と言う朝一番の鶏の声、風吉はガバッと上半身を起こし2,3度強いまばたきをしました。今日が計画を実行する大事な日だと言う事を思い出したのです。そうです、今日は元旦、見合いの日なのです。

起きて隣の部屋へ行くと、父と母はすでに囲炉裏のそばに座っていました。「おお、風吉起きたか、火もあったけーぞ、はよ座れ」と父が言い「餅も焼けとる」と母がこんがりと焼けた餅に醤油を垂らし風吉の前に差し出しました。

それから三人は頭を下げて新年の挨拶をしました。

すると間髪を入れず「なあ風吉、町に見合いに行くのはやめた方がええ、町のおなごがお前のような田舎もんを相手にする訳がない。あそこらの人は化粧をしてええ着物を着て、お侍さんの婿を探しとる。汚い百姓と夫婦になんぞならん」母親が最後の念押しとばかりに言い放ちました。

すると風吉は「この村のおなごは大根や玉ねぎのようなおなごばかりで、おまけに馬鹿ばかり。あんなものと世帯を持とうとは思わん」断固として言いました。母親がぴしゃりと風吉の頬を叩きました。

すると父親がまあまあとばかりに「だが庄屋さんの口利きを無下にする訳にもいかん。行くだけ行って見ろ」そう言います。庄屋の口利きとは庄屋の知人である隣の国の呉服屋の旦那の事で、その旦那がそこで働く下働きの女中を紹介してくれると言う話なのです。

その旦那さんがわざわざ元旦に来るよう指定したのは、田舎もんの風吉に町の正月の様子等を見せたいと言う気持ちからで、それに元旦は店が休みでもありました。

「ほら、今日のため草鞋を編んでおいたぞ。裸足で長旅はきついからな」父親が尻の後ろに隠していた編んだばかりの草鞋をさっと風吉に渡しました。

風吉はとても真面目な百姓で人徳にも恵まれ、庄屋の信頼を一身に受けていました。だが村の若者の中にはそれに異論を唱える者もいました。「なんだあいつは庄屋の機嫌ばかり取って。ホントはすげー臆病もんの癖に」一人がそう言うと別の者が「そうだそうだ、村のおなごは嫌だ?フン!そんなこたー自分の面を見てから言え」

だがこう言う意見は庄屋の耳には届きません。届けばその言った本人が痛い目を見ます。

父の編んだ草鞋を履き庄屋の紹介状と地図を懐に入れ、風吉は町にむかって歩き出しました。初めての長旅でサッパリ要領が分らず、庄屋が書いてくれた地図だけがたよりです。だが風光明媚な景色に元気づけられ、どんどん歩いて行きます。

とても広い海だか川だか解らない所を通り過ぎ、田んぼを過ぎ林を抜けると上り坂になった坂道に出ました。道にはグニャグニャと幾重にも絡みあった木の根が、道の真ん中を陣取っていてまるで灰色の蛇の集団を見るようです。草鞋で歩くのはとても危険です。

そこを何とか制覇し坂の頂上に着くと、軒先に紺に白地で『茶屋』と書いた小さなのぼりが見えます。風吉は大きな安堵のため息をつき、すぐさま倒れるように縁台に座りました。実は新しい草鞋の紐でかかとに幾つもの豆が出来、それが今度はつぶれ、気の遠くなるような痛みをともなっていました。普段は裸足で過ごす風吉なのです。

中から出て来た女将さんがすぐに事情を察し、小さな桶に水を入れタオルを湿らせ風吉のかかとに優しく当てました。それは天にも昇る程の気持よさでした。風吉は思わず「ああー」と悦びの声を上げました。それに女将さんはとても綺麗な人でした。

「そこのお若い人、初めての旅のようだが、どこまで行くんですかい」隣の縁台に座っていた品の良いじいさんが声を掛けました。「隣の肥後の国です」「そうか、それなら明日の昼頃にはつきますよ」その隣に妻らしきやはり品の良いばあさんが居て頷いています。

お茶🍵と団子🍡の代金を置き風吉が立ち去ろうとすると、中から女将さんが出て来て「旅のお方、そんな足では歩けますまい、今夜はここにお泊まりなさい。この辺りにはやまんばが夜更けに現れ、人を食うそうでございますよ」するとばあさんが「その話は私も聞きました」と言い、「怖い怖い」と首をすくめました。

やまんばとは、普段は奇麗な顔して上品にふるまうが、とつじょ妖怪に変身し人を食う化け物の事です。

女将の美貌と優しさに、そして足の痛さにほだされ風吉はすぐに草鞋を脱ぎ、女将の言う通りにしました。そしてそのまま明け方までぐっすりと寝ました。

さて、まだ外が薄暗い明け方に風吉がふと目を覚ますと、シャッシャッシャッと妙な音が隣の部屋から聞こえます。襖を少し開け覗くと、そこには白い着物を着て白髪頭を振り乱した気色の悪い老婆が、出刃包丁を研いでいます。風吉に気づくと女は立ち上がり襖をがらりと開け包丁を振りかざし、「ぎゃおーぎゃおー」と恐ろしいうなり声をあげました。

女の顔はもの凄い形相で、血塗られたような大きな口は耳まで裂け、耳は狐の耳のように頭の両脇にぴんと生え、これぞ噂に聞くやまんばだと風吉は慌てふためき、そのまま町に向かう下り坂を一目散に走り出しました。そして何とかやまんばからうまく逃げ切る事が出来ました。

寿命が3年はちじまったようで、恐ろしくてもう嫁などどうでも良いと思いましたが、折角ここまで来たのだからせめて一度は会いたいものだと、理性だけは失いませんでした。

庄屋に言われた通り目的の宿場町につくと、目当ての呉服屋が見えました。玄関の両脇に竹、松、南天をあしらった門松が立ててある、立派な町屋です。道の向こうで奇麗な晴れ着を着た女の子が二人、羽根つきをしています。女の子が動くたびに髪に挿したかんざしがキラキラ光ります。

田舎者の風吉には何もかもめずらしくすべてに見とれていると、心得顏の丁稚が出て来て「風吉さんですね、旦那様がお待ちでござりまする」と言う。ピカピカに磨かれた廊下を通り客間に案内されました。

床の間には大きな三方の上に二段重ねの鏡餅と羊歯、それにだいだいが飾られ、庭には鯉が泳ぐ大きな池、軽やかな音を立てる鹿威し、洒落た植え込みにひっそりと立つ石灯籠、風吉はすべてに目を奪われました。何もかも夢を見ているようでした。

初めて見る商家の旦那様は、恰幅の良い優しい感じの男でした。「庄屋さんからお前の事は聞いた。とても働き者で親孝行だそうな」と言うとぽんぽんと手を叩き、「お千代を呼べ」と出て来た番頭に言いました。

「お千代はもうここに5年も奉公している。10才の時に来たからもう15になるな。家が百姓でいまだに田舎が恋しいと言っている。これも親思いの働き者でお前とは似合いだろう」そこにお千代が小花模様の薄青の小袖を着てまず旦那さんにお辞儀をし、風吉にも頭を下げました。

「おらあ17だ、年頃はちょうどいいな」風吉は頭を下げながらそんな事を思いました。お千代は色の白い非常に美しい女で、風吉は一目で好きになりました。

見合いは見事に成功し、そんなこんなで無事祝言を上げた二人は、風吉の両親と一緒に今までの掘立小屋に住む事になりました。お千代は商家の旦那が言ったようにとても出来た女で、働き者で風吉の両親の面倒も良く見ます。

だが彼はどうもしっくりいきません。あまりに話がうますぎる。

「これは狐が仕掛けた妖術ではなかろうか。このお千代も実はやまんばで、ある日突然豹変して俺を煮て焼いて食うかもしれん」夜更けにふと目を覚ました風吉は、隣に寝ているお千代の顔を見てそんな事を思わないでもありません。

最近私の周りでとても悲しい出来事が起こった

最近私の周りでとても悲しい出来事が起こった。隣人の猫がコヨーテに襲われ殺されたのだ。と言っても飼い主に飼育放棄された猫で、その雌猫は母猫、兄猫との3匹で仲良く、コンドの中庭を走り回ったりじゃれ合ったり、あくびをしたり昼寝をしたりしていた。

コンドの中庭と言うのは、私のポーチから見える大きな円形の芝生の事だが、このコミュニティ敷地内にはこんな中庭が他に幾つもある。それらの中庭を取り囲むようにして、2階建てのビルが立ち並ぶ。つまり同じ様式の庭とビルが幾つも集まって、一つの大きなコンド コミュニティが形成されている。全体的にはかなりの数の世帯が集まっている。

でも飼育放棄された猫達は他の中庭には行かない。自分たちのテリトリーだけで遊びまくっていた。飼育放棄と言っても飼い主は「面倒は見ないよ、だけど帰って来たければいつでもおいで」と言う完全なるほったらかしなので、猫達もよけいに自由を感じていたのだろう。

ここのエリアの住人たちは心優しい人たちが多く、そんな猫達に餌を上げたり寝場所を提供したりして、すっかり甘やかしてしまった。私もその中の一人。中にはこの3匹の猫達全員を動物病院に連れて行き、避妊、去勢手術を済ませた気前のいい女性もいる。そのため彼らは猫特有の敏捷性、刺激に応じ素早く行動する能力を錆びつかせてしまったのかも知れない。

ぼんやりしていたハナがコヨーテに食べられちゃった。

コヨーテはイヌ科の動物で、見た目は犬よりも荒々しく粗野な風貌をしている。毛並みも粗い。このコヨーテが近頃、ロスアンゼルス近郊をうろつき、人間のゴミをあさる、庭の果実を盗み食いするなどの悪さをしていると言う。市内の建物と建物の間の空間はとても広く、そこに草藪や生垣が形成され、それがまたコヨーテ達の恰好の隠れ家になってると言う。

彼等は子ウサギ、りす、ネズミなどの小動物を捕まえ食し、なんと今は大の猫好きになってしまったと言う。もちろん食料として。野良猫はもちろん最近はペットの猫が頻繁に襲われると言う。

そしてとうとう彼らは我が庭にもやって来た。中庭で人生、いや猫性をエンジョイしていた。誰がつけたのか、母猫の名前は『ルナ』子猫のオスは『リーリー』メスは『ハナ』亡くなったのはこの『ハナ』である。ハナは花とも書き、これはflowerと言う意味だ。

『ルナ』は背中が黒く腹が白いいわゆるハチワレ猫で『リーリー』は母親とそっくりの外見をしていて、『ハナ』は白と黒の模様が入り混じった、その名の通り体中に花びらを散らしたような模様が可愛かった。

『リーリー』は同じエリアの住民にアダプトされたが、夜、寝に帰るだけで昼間はルナ、ハナと行動を共にしていた。ルナはとても出来た母猫で、優しく厳しく子猫たちをしつけていた。ハナやリーリーが餌を前にして我先にとガッツクと、彼らの頭の上に右手をかざし注意していた。

私は母猫のルナとは長い付き合いでもう5年になる。赤ちゃん猫の時にもらわれてきたルナは、すぐさま外を一人で歩き回っていた。私はおやつを上げたり中庭の芝生の上で猫じゃらしで遊んであげたりしたが、遊び方の分からないルナは玩具には飛びつかずに、口にくわえて持ち去ったりしていた。その頃私のペットのララもまだ一歳だった。

そのルナの子供がコヨーテに食い殺されたとなると、私も黙ってはいられない。

コヨーテは一夫一妻型で子育ては両親で行うが年上の子が手伝う事もある。春に生まれた子は3、4か月になれば両親と行動を共にし、秋には一人で狩りをするようになる。生息域が人間と接する地域では、民家の庭に侵入し家畜やペット、人を襲う事もある。(Wikipedia)

最近小学校の低学年の女の子が突然現れたコヨーテに、お尻を噛まれると言う事件が起きた。たまたま父親がそばにいたので大事には至らなかった。このニュースの映像がテレビで流れ、子供を持つ親たちはヒヤリとしたに違いない。

コヨーテの一夫一妻型で子育ては両親で行うと言う生き方は、猫より賢明ではある。だいたい野生の肉食動物は、そうやって狩りを覚えいずれは一人で生きて行かなければならない。猫達も親に見放されたら孤独に生きるのだが、猫は拾われペットになったりシェルターに引き取られたり、道行く人たちが面倒を見る事もある。その分、コヨーテより恵まれている、と私は思う。

ルナは娘が殺された後しばらくは、顔を上げるのもつらいほど打ちひしがれ、地べたに腹ばいになり身動きもしなかった。短絡的で感情に溺れやすい私は、ルナをアダプトしようかとも思ったがそれは出来ない相談である。私のペットのララはルナを目の敵にしていて、ルナが部屋に入って来ると神経をピリピリさせ、攻撃的にシャーと威嚇する。

それにルナは完全なる自由型外猫で、一日中家に閉じ込めておくことなどまず出来ない。

それでもルナは頻繁に私のポーチにやって来て、リビングに続くガラス戸の前に正座をし「少し休ませてくれないかしら?」とじっと私を見つめる。中に入れてやると彼女は私のベッドに直行し、ベッドの上に丸くなりしばしの間惰眠をむさぼる。それが終わると静かに帰って行く。ララもその間は何も言わないし何もしない。

ルナは殺されたハナをとても可愛がっていた。ハナも一度アダプトされたが、すぐにルナの元に戻って来た。それだけに可愛さが増したのだろう。ルナもハナも自由でいる事が好きだった。

聞く所によるとこの敷地内だけですでに4匹の猫、一匹の子犬が襲われたそうだ。

コヨーテよ、こんな所で狩りなどするな。狩りがしたいならアフリカへ行きなさい。

私は当時、メリーランド州の郊外の姉の家に、2週間の約束で滞在していた。姉は日々のうっぷんを晴らすため、話し相手と言うか愚痴の聞き手と言うか、そんな相手がほしいのだった。良い家族に恵まれ幸せなのにそれでも愚痴を言いたがる人だった。

その夜はとても涼しかったが、月が異様に明るい晩だった。私の寝室の厚く重いカーテンを通しても光の強い粒子は入りこみ、私は寝付かれずにいた。季節は秋、月が美しいのは当たり前だが。

なんども寝返りを打った後、私はとうとう薄いローブを着てポーチに出た。ポーチにはブランコのように揺れるベンチがあり、それはバランスの取りにくい私の苦手な椅子だったが、こわごわとだが隙をねらってパッと座った。

ベンチに座り煌々と月に照らされるあたりの景色を見ていると、前の道路と庭を隔てたジャズミンの低い垣根が見えた。垣根には星の形をした白い花がびっしりと咲き、それが月の具合で金色に見えた。

その垣根のそばをスーッと通り過ぎるような人影が見え、だが通り過ぎはせずその人は立ち止まり、こちらにふっと視線を向けた。それはまるで舞台の上手から現れた、悲劇のヒロインと言う感じで私は目を奪われた。

彼女は私に向って真っすぐに歩いて来て「こんばんわ」と言った。私も「こんばんわ」と代えし、それだけで私達は心通わせ打ち解けた。少なくとも私はそう思った。白い肩の開いたサンドレスが良く似合う人だった。

次の朝「彼女には近づかない方が良いわよ」姉がそう言った。「どうして?」「あの人頭がおかしいのよ」「どういう事?」私は聞いた。「自分のご主人を盗まれたってみんなに言いふらしているの」「そんな風にはぜんぜん見えなかったけど」「だから怖いのよ、ある時突然豹変するから」だが姉はそれ以上は何も言わなかった。

それからもその女性とは時々道ですれ違ったり、姉の車で行くマーケットなどで見かける事があった。彼女はその度にとても優しい笑みを見せ、ある時私をランチに誘った。少しも押しつけがましくなく、あなたがそうしたいならと両手を広げて誘うような感じで、私はつい「YES」と答えてしまった。

姉に話すと、「イエスと答えたなら行くしかないじゃない。今さらどうしたら良いなんて聞かないでよ」姉はあっけなく了解し、しかたのない顔をしただけだった。

指定されたカフェに指定された時間に行くと、彼女はすでに来ていて私に手を上げた。「あなたが来るかどうか心配だったのよ」開口一番彼女はそう言った。「どうして?」「私について変な噂が出まわっているから」彼女の正直な話し方に、それなら話は早いと私も正直に聞いた。

「ご主人を盗まれたと言う話?」と聞くと「そう、でもそれは本当なのよ。だから今は母の家に身を寄せてるの。主人の愛人が私の家を出るまで待っているのよ」彼女は淡々とそこまで話すと深いため息をついた。

この店は焼いたばかりの自家製のパンやクッキーも売る店で、店のお客以外に買い物をするお客も多い。おいしそうなクロワッサン、バゲットなどがガラスケースのなかに並び、配管むき出しの天井が斬新だった。どうみても気が触れた人が来るような店ではない。「ここのフォカッチャは最高よ」彼女は言った。

「あなたは妄想病と言うのを聞いた事がある?」グロリアが聞いた。それが以前聞いた彼女の名前だった。私は首を横に振った。「それは簡単な事よ、つまりいつも誰かが自分の噂をしたり、悪口を言ってると思い込む事なの。」 

「つまりあなたがその病気にかかっていると言う事?」こくりと彼女はうなずいた。「どうしてそんな病気になったかと言うと、それには理由があるの」彼女はストローをくわえレモネードを少し飲み込むと私をじっと見た。

「私が12才の時、同じ年の従妹のバースディパーティに招待されたの。彼女の家には広い芝生の庭があり、そこで飲み物やクッキーが出され、ゲームをしたりしたわ」彼女はその時の様子を思い出すような感じで、ふっと窓の外を見た。黄色いイチョウの葉がヒラヒラ舞っていた。

「バースデイガールだった彼女はとても可愛かった。花模様のフレアドレスに黒いレースのチョーカーを着けていた。真ん中に真珠の玉がついていて彼女によく似あっていたわ。でも彼女は首が苦しいと言って途中でそれをはずし、庭の大きな寄せ植えの鉢の中に隠したのよ。そしてさばさばとまたゲームの輪に戻った」

「私はそのチョーカーがどうしても欲しくなり、帰り際に鉢の中に手を伸ばして持ち帰ったの。でもそれを母に見つけられ私は大目玉を喰らったわ」彼女は悲し気に目を伏せた。それから母親はグロリアの右手を握って、手の甲をポンポンと強くたたいた。でも彼女が口答えをしたり生意気な態度を見せたりすると、激しく頬を手のひらでぴしゃりと叩くのだった。

「私はそれまで人に頬をぶたれたりした事は一度もなかったから、それはもうびっくりしてふさぎ込んでしまったの。でも厳しい態度をくずさず母は私を時々遠くからじっと見ていた」グロリアは言った。

「私はいつも母から監視されてるような気になり、もう絶対盗みなどしないと思った。でもどういう訳が周りの人が自分の噂をしてるようで、とても恐かった。つまり妄想病ね」

しばらくすると自分の持ち物が次々に無くなる事件が起き、一時は母の仕業ではないかと思った程だったと言う。でもそれは無くなるのではなく、すべては自分の思い過ごしだった事が後で分かったとグロリアは言った。

従妹は同じ学校で別のクラスにいたが、チョーカーを盗んだのは私だと知っているのに、彼女は誰にも言わなかった。従妹の優しさにとても感謝したとグロリアは言った。私は何と受け答えして良いのか分からず、ほとんど聞き手に回った。

「母にぶたれた時は悲しかったけど、それは母の優しさだったと後で気づいたの。物を盗むと言う事がその後絶対に出来なくなったのは、ぶたれた母の手の痛みを覚えていたからだったの」気づいた時にはかれこれ一時間以上も時を過ごし、「退屈だったでしょう、話を聞いてくれてありがとう」カフェを去り際に彼女は美しい微笑を見せた。

それから一週間程して、私はグロリアの突然の訪問を受けた。ご主人が迎えに来たそうだ。「主人が『僕が間違っていた、許してくれ』と言うのよ、彼女は淡々と話した。「私はそんな事は最初から分かっていたわ。だからその時を待っていただけ」彼女は言った。

去り際にドアのそばで「どうしてカフェで私に色々話してくれたの」と聞いた。グロリアは「あなたがとても話の分かる人に見えたからよ」と私を優しく抱きしめた。

脱サラと言う言葉

脱サラと言う言葉が日本で使われ始めたのは、1970年代後半頃だったと思う。『脱サラで屋台のラーメン屋になる、焼き鳥屋の店主になる』などの見出しが週刊誌の表紙を飾った。

その頃はまだ東京に住んでいたので、ある夕暮れ、ふらりと代々木公園の近くに行くと、夜桜の下に屋台のラーメン屋さんがぽつんと立っていた。どこか恥じらいが見えるような初老の男性で、ラーメン屋のおやじにはとても見えない。部下に慕われる大会社の上司と言う感じだった。「ああ、これは新米脱サラの人だな」とすぐに一人合点した。

だが二、三か月してまた行くと彼はいなかった。挫折したのか、場所替えしたのか分からない。とても感じの良い人だったので、何とか成功してほしいなと思ったのを覚えている。

そして最近は、田舎暮らしと言うスローガンで同じような事が取り立たされている。『嫌な上司にタンカを切って、始めるクールな田舎暮らし』『畑を耕し鶏を飼い、これがほんとの自給自足』など、サラリーマンをやめ自由な田舎暮らしをと推奨するものだ。

それ程前の事ではないが、東京のサラリーマンをやめ家族6人で田舎暮らしを始めたと言うドキュメンタリーが、テレビで放送された事がある。“会社をやめ田舎暮らし”と言う言葉はまだ新鮮だったので、その実録はとても興味深かった。

両親と子供が4人、わいわいがやがや食卓を囲む風景が映し出され、所せましと置かれた惣菜の‘皿や小鉢を丹念にカメラは写し出し「どれも庭の畑で採れたものなんですね?」とマイクを持ったアナウンサーが聞く。コンピューター関係の仕事をしていたと言う父親が「そうですよ、子供たちが喜んで畑仕事を手伝ってくれますんでね」と破顔一笑。

次にカメラは畑では人参や大根を引き抜き、網戸を張った小屋では鶏の卵をつかみ取る子供達の笑顔や姿を映し出し、手押し車で野菜を運ぶ父親、庭の飲料水用の井戸を改良した水道で、野菜を洗う母親の姿がそれに続く。古民家を格安で買い取ったと言うので、あちこちに襖や障子が見られしかもそれが破れている。

だが父親は「田舎暮らしを始めた事、後悔はしていません。これからですよ、暮らしが面白くなるのは」と豪語した。子供たちに「田舎の暮らしはどう?」とアナウンサーがマイクを向けると、彼らは「サイコー!サイコー!」とサムアップする。

実は私は高校卒業までは半農の家に育った。大きな田舎家の前と後ろには広い野菜畑があり、そこではいつも母がしゃがみ込み野菜を育てていた。畑のまわりにはショウガ、ミョウガ、ふきの大きな葉がゆさゆさと揺れ、柿や梅、栗の木もあった。桃の木、ナツメの木山椒の木。今思えば田舎暮らし満載の植物園でもあった。

もちろん、食事の材料も畑の野菜を使う。夏の朝、裏の畑で摘んだばかりのエンドウを、白いご飯の上に散らした母の豆ご飯は最高においしかった。朝起きて茶の間から裏の畑に立っている母を見つけると、「あっ、今朝は豆ごはんだ!」と嬉しくなったのを覚えている。

私も真似して同じように作って見るが、なぜかスーパーのエンドウ豆は同じ味がしない。

小さな発泡スチールの容器に数枚入った『大葉』は、今アメリカのスーパーでは高値で売られているが、あの頃の田舎の庭の隅にはわんさか生えていた。私達は『青じそ』と呼んでいた。だが料理に使うと言う考えはなかった。一緒に生えていた赤いしその葉は、祖母が梅干しを漬けるのに使っていた。

あの青じそを千切りにして冷やしそうめんのつけ汁に入れたら、さぞかし美味しかったろうと今は思う。だがすべては後の祭りである。

田舎暮らしを実際にやっている時は、有難味など一切湧かない。ましてや田舎暮らしを尊重する気などさらさらない。それが若いと言う事なのだろう。

話は変わるが最近では田舎暮らしを動画にして自由に表示する、若いユーチュウバー達をネットで見かける。島の古民家を安く買い取り、近くの海で魚釣り、広い庭の隅を耕し野菜作り、山ではキノコ採り、素朴な農家の青年と言う感じの若い人が、堅実な田舎暮らしを披露する。

それとは反対に東京育ちのイケメン風の若者が田舎の空き家を買い、職歴なし、ニート出身と言う触れ込みで出す動画。とても速いテンポで場面が変化し、近隣の住民との談笑を軽く見せ、筋トレ、ハーブ栽培で都会感を出す。田舎町の郵便局、役場、記念碑などの間を、自転車で小粋に走り回り探索する。

若い視聴者に人気が出そうだ。これも新世代バージョンの自由な田舎暮らしなのだろう。

秋が来た

秋が来た。

少年は湖の岸辺をつまらなそうに歩いていた。細い竹の棒を手にして。ときどき波が引いた後の砂に残った小さな貝殻を、棒でつつきながら。12才になったばかりのこの少年の後からは、二人の女がついて来る。

一人は少年の母でもう一人はその妹だった。妹が言った。「でもあの人はいい人よね」次に母。「そう、いい人はいい人よ。でもその人の良さにけじめがつけられないのよ、だから腹が立つ」聞こえてくる会話を少年は、ときどき耳をなでる湖の波の音のように聞き流していた。

「お兄ちゃん!」その時、4才ぐらいの女の子が彼のそばに来た。軽くジャンプするような感じで彼の手を握った。明るいブラウンの巻き毛がとても可愛い女の子だ。母の妹の子、つまり少年の従妹にあたる。この従妹を彼はとても可愛がっていた。

家に着くと父親のカズキは、二階のデッキチェアでいつものように外を眺めていた。家は雑木林のそばで落葉樹が鮮やかに色づき、木々の間から湖が見える。デッキから手を伸ばせば届くほど木の枝は伸びていた。5年前に買ったこの蓼科の茶褐色のログハウスを彼はとても気に入り、それは家の右手に流れるさわやかなせせらぎのせいでもあった。

それ以前はイギリス人の家族が住んでいたが、彼らが自国へ帰ったのでカズキが買い取った。だから今でも家々のあちこちには、ヨーロッパ人の生活意識がかすかな残り香のように漂っている。

義妹が「今夜は山菜の天ぷらにしましょうか、裏山でアケビが沢山なってるから今から取って来るわ」と言うと外に飛び出した。「アケビを天ぷらにできるのか?」何事も口をはさみたがるカズキがそう言うと「おいしいわよ、バナナの天ぷらみたいで。あまり熟れすぎないうちに揚げた方が煮崩れせずにおいしいのよ」妻はそう言うとじっと横目で夫を見た。

作家と言う仕事をする彼は、最近『我が家の暮らし』と言う随筆をある週刊誌に掲載し、そのエッセーがとても好評だった。我が家の暮らし、つまり自分の私生活をネタにして身銭を稼いでいる訳である。

そんなものがなぜ読まれるかと言うと、それは彼が真実を書いているからである。彼と彼の妻、その妹が昔、三角関係にあったと言う事実を読者が知っているからである。だがそんな事も今は昔、三人は一緒に力を合わせ堅実に暮らしていると、そんな事を奢らず隠さず作家は恬淡と書く。

裏山で取って来たアケビやあした葉の天ぷらを作る妻と義妹が立てるキッチンからの音を、落ち着かない顔で聞いていたカズキは立ち上がり、デッキの手すりに身を乗り出た。真っ赤に色づいたハナミズキの葉を一枚もぎりエマに渡した。妹の子供エマはそれを受け取りニコッと笑った。エマと息子のアキラは後ろのテーブルで塗り絵に専念していた。アキラはこの愛くるしい従妹に少年じみた慕情を抱いていた。

カズキはエマも彼の息子のアキラも同じように可愛がっているつもりだが、妻はそうは思わない。妻はエマを夫の子供だと信じて疑わない所があり、ともすると「エマをえこひいきするな」とあからさまに怒る。 

だがあまり度が過ぎると彼は、義妹とエマを連れドライブに出かける、思い知らせるために。すると妻は泣きべそをかく。こんな事は日常茶飯事で反対の場合もある。カズキが妻とアキラをドライブに誘うのだ。だが義妹は黙っている。義妹は彼女の立場をわきまえている。

ある日カズキは、出版社の編集者からある話を持ち掛けられた。「先生、どうですかユーチューバをやりませんか?」カズキは即座に嫌な顔した。「嫌だよ、あんな者になるくらいなら、作家やめるよ」「いえいえ、この頃は高名な医者や弁護士がユーチューバになり、やたら稼いでいる輩がいますからね」

その事はカズキも知っていた。「そうすれば、週刊誌とユーチューブを読み比べる読者がいたりして、一石二鳥ですよ」編集者は意味ありげな笑みを作った。「バカな、そんなにうまく行くものか」カズキは一笑に付した。

彼は出来るだけ作家としての飄々とした姿勢を崩したくなかった。その超俗的な感じが女性ファンを魅了している事も熟知していた。「だが、もう少し金があればな」と考えない事もない。

三年前に義妹が虐待癖のある夫から乳飲み子のエマを抱え逃げて来た時、この家に住むように勧めたのはカズキよりも妻だった。妻は妹ととても仲良く、乳飲み子を抱え路頭に迷う妹をほおって置けなかった。

夕食後、妻は階下へ降りテレビを見ていた。このログハウスは二階にキッチン、居間があり階下が寝室である。カズキがデッキの椅子に座りいつものように外の景色を見ていると、妻の妹がそっと近寄りカズキの前に座った。そして話し始める。

「お兄さん、私いつまでもこんな風にお世話になっているのは心苦しいわ。エマもだんだん大きくなって行くし」カズキは黙っている。こんな話は何百回となくした。彼は面白そうな顔をして彼女の次の言葉を待っている。

すると彼女が「マスオがよりを戻そうと言っているの。彼とまたやり直そうかと思って」マスオとは虐待癖のある彼女の夫で、彼らはまだ離婚はしていない。カズキは少なからず胸がざわついたが、そ知らぬ振りをした。

カズキは週刊誌に掲載する随筆に、自分と暮らす二人の女達の心模様を面白おかしく(彼としては)書いているので、その材料になる女がこの家から居なくなるのは少し困る

面白可笑しくと言うのは、嘘を書くと言うのではなく一種のアイロニーである。その皮肉を彼は、一般人にも分かるように優しく書くので皆に喜ばれる。

そうこうするうちに虐待癖のある妹の夫マサキが時々立ち寄るようになった。人目にはならず者に見える彼が、神妙になりすまし、まとも人間の振りをして庭の落ち葉掃きを手伝ったりする。すると二人の女達は彼を夕食に誘う。誘わないまでも、優しい声で世間話を始める。

「まーちゃんは、この頃仕事はどうしてるの?まだ運送業をやってるの?」カズキの妻が聞く。30過ぎた男をまーちゃんと呼ぶ妻をカズキは気色悪く思っている。「あれはもうやめました。今は工場勤務ですよ」「何の工場?」「インスタント ラーメンの工場」と何食わぬ顔で言う。だがそれが弱者の卑屈な言い方なので女達は「悪い人ではないわ、可哀そうに育ち方が悪かったのね」と結論づけ同情する。

だがカズキだけは妻、その妹、妹の夫、三人三様の心模様が手に取るように解る、と思っている。妻は妹が居る今の暮らしなくなれば、夫が退屈になり不機嫌になると考え、妹が虐待夫とよりを戻してもどうせうまく行かない事、妹の夫がよりを戻したいその魂胆は、うまくすればこの家に転がり込み働かずに暮らして行けるかも知れないと企んでいる事、そんな事も分っている気がする。

カズキにはある思い付きがあった。「マサキがこの家に同居すれば俺のエッセーもますます面白くなるかもしれないな、だがユーチュバーデビューするとなると、あんまり純小説風に書いても視聴者受けしない、それこそ虚実を交え面白おかしく三文小説風に書かなければ、と身勝手な構想を立てていた。

そして晴れてユーチーブとなった。編集者の口添えで動画風に作成し近隣の自然描写をふんだんに取り入れ、あまり人物(つまり家族)を見せないようにして、下の部分にエッセーのテロップを入れた。プロの声優にそれを読ませた。だがコメント欄は酷評で荒れた。

何でもいいユーチューブになれば金が稼げると思っている、せっかく現代風純文学が楽しめると思ったのに、こんなやくざな男とは思わなかった、チャンネル登録者数がほしいだけ、と恐ろしい視聴者の応酬だった。カズキは生きる意欲さえ無くしかけている。

だがマサキも加わりその他の家族はとても賑やかに幸せに暮らしている。力仕事をすすんでやるマサキを二人の女は重宝している。

私には一卵性双生児の妹が日本にいる

私には一卵性双生児の妹が日本にいる。私達が生まれるとすぐに、母は出血多量で亡くなった。だから私達は父や祖父母に育てられた、しばらくは。今どき、産婦の出血多量も処置出来ないお医者には驚くが、それが私たちの運命のはじまりだったのだろう。

私達は9月に生まれたので私は‟奈津“、妹は‟亜希”と名付けられた。奈津は夏、亜紀は秋の意味があるのだろう。

母の家はリンゴの生産出荷を営み、まわりにはリンゴ園で働く家族がいつもいた。彼らは忙しい仕事の合間に、二人一緒に寝ている乳母車の上に顔を寄せ機嫌を取りに来た。「いないいないばあ」といって顔を隠した両手をぱっと広げて見せたり、もぎったリンゴの花を振ったりした。

私と妹はそんな時、キャッキャッと笑い手足をばたばたさせ興奮した。大人たちが働くリンゴ園のそばで、大きな青空や流れる白い雲を見ながらいつの間にか眠ったりした。もちろん赤ん坊の頃のそんな記憶が私にある筈もなく、これらは後から祖母に聞いた話である。

私達が3才になった時、アメリカに住んでいた母の姉が私を養女にする事に決めた。家族構成のリンゴ園だったので、母と言う働き手が無くなった事で父も祖父母も困り果てていた。リンゴ園の仕事と双子の赤ん坊を同時に育てると言う事は実に大変な事だったと、後で父が言った。

継母には(つまり今の私の母)子供が出来なかった。と言うのも継父が不妊症だったからだ。だが継母は自分の妹が双子を産み死んだ事で一人を養女にと考えたのだろう。一卵性双生児の私達はそうして離れ離れになった。あれからもう20年近くが経つ。

その妹が急にロスアンゼルスまでやって来ると言う。どうしても私に会いたい、話したい事があると言う。

空港の待合室で妹を待つ間、私は始終落ち着かなかった。20年の間、彼女に会ったのはたったの2回。二人が5才の時、それから高校一年の夏、それだけである。それでも電話ではよく話し、テキストでも話し写真を送り合ったりもする。だがそれもここ1年ほど妹からは音沙汰なしだった。

ゲートから出て来た亜希を見て、私はあっと声をあげてしまった。妹はすっかり面変わりし痩せこけていた。私達は双子と言うより双子以上に似ていたのに。

ところが今見る妹は私とは似ても似つかない。何が彼女に起きたのだろう。

せわしなく私の前まで来た彼女は「ちょっとランチでも食べない?」と言った。私達は窯焼きで有名な空港内のピザ屋に入った。

「あのね飛行機の中で私そっくりの人を見たの」と言う。「その人は私の斜め前に座ってトイレから戻って来る時私をじっと見たのよ。奈津じゃないかと思った」と言う。私は「アハハ」と笑った。すると彼女はさらに糞真面目な顔で「今度が初めてじゃないのよ、自分に似た人を見るのは。ねえ、ドッペンゲルガーって知ってるよね」と言った。

「以前、亜紀がテキストしたよね。世の中には自分とそっくりの人間がいてその人を見ると自分が死んでしまう。でも私たちは双子だから似てるのが当たり前って」「そう、でも私はもうじき死ぬかも知れない」今度は笑う気になれなかった。

「私がリンゴを小売店に配達する仕事をしている事は知ってるよね」「ええ」「ある日馴染みのケーキ屋さんに配達に行ったら、店員さんが『この前亜希さんにそっくりの人が来ましたよ。でも全然別人だったから驚きました』と言うのよ。」彼女はピザの上のオリーブを指でもて遊びながら憂鬱げに言う。

「ドッペンゲルガーと言う現象をを馬鹿にする人もいるけど、これを経験した有名人が日本にも外国にも実際いるのよ」目の隅をピクピク痙攣させた。

私の継母はルーズな性格で、アメリカ人と結婚してアメリカに住んでいるのに、英語を習得しようと言う意欲が完全に欠落している。よって私とも三歳の頃から日本語でしか話さなかった。ために私は日本語の方が英語よりうまい。だから亜希とも難なく意思疎通が出来る。その事は母に感謝してるのだが。

帰宅すると父も母も彼女を見て驚いた。彼らにも亜希の写真は携帯で見せていたので、現在の彼女の姿に驚いたのだ。

数日後、私は父母に言った。「亜希は精神的にとても悩んでいるの。だからしばらく私がつきっきりでお世話をする」彼等はすぐに納得した。

「あなたはもう少し太る必要があるよ」私は亜希に宣言し近くのレストランに連れて行きケーキを食べ、ハンバーグやステーキを一緒に食べた。ビーチや有名な遊園地にも連れて行った。それが功を奏してか彼女はややふっくらして来て笑顔を見せるようになった。

ある夜ベッドルームで聞いた。私達は同じ部屋に寝起きしていた。「リンゴ園の方はどうなってるの?」「とても大変よ、年中やる事があるから。リンゴ園と言ってもただ生産して収穫するだけじゃないからね。摘花とか袋かけとか手作業が多すぎて。祖父母ももう年取って来たし」

亜希は真面目な性格でリンゴ園の手伝いも一生懸命やっている。私はローカルのコミュニティーカレッジを卒業したばかりでまだ仕事探し中だ。

「人は雇わないの?」「父がそれをしないの。他人は信用できないって。でも時々親戚の人が手伝ってくれる」「「あなたの悩みを家族に話したの?」と聞くと「まさか」彼女は薄ら笑った。

一週間の滞在を終えた亜希が日本に帰る前の晩、彼女は不思議な話をした。「この頃、おかしな夢をよく見るの。以前、ドッペンゲルガーに罹った日本の古い作家がいると言ったでしょ。その人自殺したんだけど」奈津は上目づかいに私を見た。「彼が横になっている死の床の枕元に私が座っているのよ」「それで?」私は思わず聞いた。

「それだけよ、彼の枕元に正座してじっと死に顔を見ているの」彼女はつまらなそうな顔でそう言った。

亜希が日本に帰ってから一週間程した夜、継父が部屋をノックして言った。「日本にしばらく行って来ないか。亜希の家族ともちゃんと話をしてね」あまり話さない継父だが、彼は私の思いを良く読み解く事が出来る。「母さんもそう望んでいる。飛行機の切符は僕が用意するよ」彼の優しさに感謝しながら私は彼をしっかりと抱きしめた。

「リンゴ園の仕事も手伝うんだよ」ドアの所で私を振り向き彼はいたずらっぽく笑った。

大きな川にかかった大きな木橋

大きな川にかかった大きな木橋を一人で歩いていると、やはり一人の男性が向こうから歩いて来た。すれ違う時強烈な郷愁を感じ思わず振り向いた。すると彼も私を振り向き、こちらに戻って来た。

私の前まで来ると「今夜この河原で花火大会があるんですよ。あなたも見に来ませんか」と言う。「何時ごろですか?」聞くと「8時です」と言う。さっき携帯で時間を調べた時、4時だったのを思い出し「いいえ、そんなには待てません」と言った。

彼はしばらく考えていたが、「実はあそこの川の向こうに旅館があるでしょう」と川の斜め左側を指さす。「僕はあの旅館の息子なんです。そこで高校の時の友達と今夜5時にすき焼きパーティーをやるんです。ちょうどいい、あなたも来ませんか」と言う。

見知らぬ男の強引さにうながされ、私はあいまいにうなずいてしまった。強引さにすぐ負けてしまう私の悪い癖だ。5時ならあと一時間どこかで暇をつぶせばいい、その時はそう思った。

河原をしばらくぶらぶらして、5時過ぎに男が指さした日本旅館に向った。女中さんに案内されキッチンのそばにある廊下を過ぎ離れに行くと、すでに賑やかな声がしていた。中に入ると橋の上であった男が立ちあがって来て「やあ、待ってましたよ。どうぞどうぞ座って下さい。僕は松島と言います」と言う。私は男の隣に座った。

見知らぬ人間ばかりだったが、すすめられるままにビールを飲みすき焼きを口にしていると、気分がホンワカと良くなって来た。すると隣の松島氏が「実はあなたは僕の高校の時の友達に良く似てるんですよ。みんなにその事を話したら彼らもそうだそうだと言いましてね」彼は上機嫌だった。

彼らは毎夏、花火がある日はこの旅館でパーティを開き、皆で広縁から花火を見るのが習慣だと言った。「ここから見る仕掛け花火は極上で、毎年期待を裏切らない」と彼が言った通り、久しぶりに見る仕掛け花火は懐かしくきらびやかだった。

花火とすき焼きを堪能しパーティもお開きになる頃、激しくなく女の子の泣き声が玄関先で聞こえ、松島氏がさっと立って見に行ったので私もついて行った。するとおまわりと一緒に4才ぐらいの女の子がしゃくりあげながら泣いていた。

「実は迷子なんですよ。どこから来たのかと聞くとこの旅館だと言うんです」おまわりがそう言うと女中さんがすぐに、「でも調べたらこんな子は泊まっていないんです」と言った。「今日は夏祭りで町は混雑してるから、親御さんを探すのは大変だ」松島氏はそう言うとまたパーティの席に戻って行った。

私は夏祭りで賑わう夜の町を一人歩きながら、先ほどの迷子の女の子が来ていた浴衣の模様を思い出していた。それは群青色の生地に赤や白の大きな朝顔の花が散らばっているもので、内心私は驚いていた。実はそれとそっくりの模様の浴衣を、幼い頃持っていたのである。

私は金魚すくいやヨーヨー釣りをチラチラ見ながら、焼き鳥や綿菓子のかすかな匂いをかぎながら、雑踏の町をしばらく歩いた。そして「そうだ、今夜はこの町に住む伯母を訪ねて行くのだった。叔母に夏祭りに誘われたのだから」とふと重要な事を思い出した。

その叔母とは幼い頃から私にとても良くしてくれた女性で、私が故郷を離れ実家に帰ると、必ず訪ねて来ていつもの笑顔で「元気そうだね」と親し気に話かけていた。だがその頃すでに華やかな大都会に馴染み始めていた私は、いつまでも古い思い出を引き連れ会いに来る叔母が、次第に疎ましくなって来た。

そんな私に彼女は淋しい笑みを漏らし、近くの山で山菜を採って帰ると言い早々に帰って行った。だがどんなに私が冷淡に振る舞っても、彼女は実家に帰った私には必ず会いに来た。そんな叔母である。

忘れかけていた叔母の家をやがて探し当てると、そこはスーパーマーケットになっていた。それは華やかだが毒々しい羽を広げた巨大なクジャクのように、不遜に私を見下ろしていた。昔このあたりに建て込んでいた木造の古い家屋は取り壊され、まばゆいばかりの夜の光に照らされた巨大なビルになっていた。

私は茫然としてしばらくビルを見上げていたが、どうにも腑に落ちない気持ちで歩きながら交番を探した。入り口に立っていたおまわりに叔母の住所を書いた紙きれを見せ聞いた。「この住所を探しているのですが、叔母の家なんです」と言った。

彼はにやりと笑い、「これはいつの住所ですか?あの辺りの家はもうないですよ。スーパーが建ちましたからね」と言う。「それはいつ頃の事ですか?」即座に聞いた。「もうかれこれ30年以上も前の話ですよ」

私は朝顔模様の浴衣を着た迷子の女の子のように、泣きじゃくりそうになりながら、ゆっくりと後ろを振り向きこのまぼろしの町をじっと見た。

皆さまおげんきですか?

皆さま お元気ですか?いつも私のブログを読んで下さり、ありがとうございます。

その事はいつも私の、日々の楽しみ、心の喜びになっております。ですがこのところ、新しいストリーの更新を怠っています。その事をまずお詫びいたします。

実は8月の下旬ごろシアトルに旅行に出かけたのですが                    旅行先のレストランで熱中症にかかり、倒れてしまいました。救急車のお世話になると言う騒ぎになりすっかり気落ちしてしまいました。

帰途についてからも倦怠感がひどく、いつまでも元の調子にもどれません。何かを考えようとしてもうまくまとまらず、頭がぼんやりしています。(いつもぼんやりしているのですが)

それでもうしばらくお休みさせてください。元気になり次第また更新します。旅行の様子はインスタグラムで紹介させて頂いております。

皆さまも炎天下では水分の補給を忘れず、熱中症にはくれぐれもお気を付けください。

HBOで不思議な映画を見た。

HBOで不思議な映画を見た。タイトルは『LAMB』LAMBとは子羊の事だ。

 アイスランドの人里離れた山間部に住む羊飼いの夫婦が、ある日羊の出産に立ち会う。分娩に手こずり妻は胎子を両手で引っ張り出しこの世に出すが、生まれた赤子は羊の頭を持ち人間の体をした半獣人だった。不吉なシーンで始まるこの映画は、極端にセリフの少ないシーンで想像力、妄想力を働かせ見る映画。

夫婦はたった一人の娘を失くしていた事もあり、このメスの子羊を『神からの授かりもの』と勝手に思い込み自分たちの子供として育て始める。死んだ娘の名前と同じアダと言う名を子羊につける。アダに人間用のセーターやズボンをはかせ、手をつなぎ草原を散歩する。

妻のマリアは花の髪飾りを作りアダの頭にのせキスをする。子羊もそれに答える。アダは言葉は話せないが、やがて「フン、フン」と両親の話に相づちを打つ事が出来るようにまでなる。次第に人間の子供に変貌して行く我が子を取り戻そうと、母羊は執拗に悲愴な鳴き声を上げ夫婦にまとわりつく。その煩わしさにマリアはとうとうライフルで母羊を撃ち殺してしまう。このあたりから不穏な空気が物語のあちこちに流れ始める。

羊から人間との合いの子が生まれた最初のシーンで、これはマリアの夫イングバルと母羊の混血だろうかと、ヤバイ妄想を持つ人がいると思う。私もそんな俗悪な考えがちらっと頭に浮かんだ。だがこれは単なる奇跡なのだよと、映画は静かに語り続ける。

それを立証するかのように、切り立った山肌、荒涼とした牧草原、隣人のいない世界が背景に映し出される。こんな場所だから奇跡が起きても不思議はないんだよとダメ押しをするのだ。

ところで、人間と他の動物との異種配合は可能なのだろうか。調べて見ると答えはNOである。では猿やチンパンジーは?不可能ではないかも知れないが、道義的、倫理的な観点からその実験を生物学者は深く追求しないのだそうだ。

当たり前の事だ。仮に万が一合いの子が生まれて来たとしても、人間あるいは猿、どちらの世界で生きさせるかと言う、神への冒涜に近いゆゆしい事態に陥る。

それはともかく映画の中の羊飼いの夫婦は、金銭問題にだらしない弟(イングバルの弟)が転がり込んで来て、三人でテレビを見たり昔のビデオを見たり、つかの間人間社会の楽しみに浸る。

子羊は何の事やら分らず一人仲間外れにされる。鏡を見て自分が両親や叔父と違う姿形をした異種の動物だと理解し始める。そんな羊を両親は無理にダンスに誘うが羊は無表情だ。

だが無表情な動物でも喜怒哀楽の感情はある。私達がペットとして飼う犬や猫、ペットとしての時間が長ければ長い程、飼い主との心の交流が深くなる。

そんなペットを、飽きたから捨てるなどとは絶対やってはいけない事である。

やがてイングバルの弟がマリアに言い寄ろうとすると彼女はそれを突き放す。すると弟は「アダの母親を君が銃で殺した事をアダは知っているのか」と脅す。するとマリアは「アダは神からのギフトだ。娘を失くした私達の新しい出発を促すための、神からのギフトだ」といいバス停まで車で送り彼を家から追放する。

実はこれ以前に非常に印象的なシーンがある。どこからともなく現れた頑健な曲がった羊角に筋肉隆々の肉体をもった半人半獣の男が、ライフルでイングバルを打ち殺しに来たのだ。その半人半獣はアダと同じ外見をしている。羊らしき顔をして人間の肉体をした裸の体には、うっすらと体毛が生えている。アダの父親なのか。彼はイングバルを殺すと、そばで泣くアダの手を取り黄昏の森の闇に消える。茫漠とした神羅万象の闇の中に消える。

この半人半獣は神話の中の牧羊神のようにも見える。牧羊神とは、山野や牧畜をつかさどる神だ。アダは普通の半獣人ではなかったのだ。神からの使いだった。

やがてイングバルの弟をバスに乗せ別れたマリアが帰宅すると、彼女は草原の上で血だらけになった夫を発見する。飼っていた牧羊犬も死んでいる。マリアは夫を胸にかき抱きとてつもなく取り乱す。そしてゆっくりと頭をめぐらしあたりの様子を窺う。ざわざわと草原の大地をそよがせながら、忍び寄るただならぬ空気。マリアは言葉を失う。

暗雲と立ち込める鼠色の雲、荒涼とした山野、無味乾燥な大草原、「いいか、これだけがお前たちの持ち物だ、馬鹿者どもが!!」神の戒めの怒鳴り声が聞こえるようだ。彼女は立ち上がり天をあおぎ泣きながら神に許しを請う。あるいは神に申し開きをする。

神や仏を馬鹿にすると必ず罰が当たる。それが真理だ。映画を観る側としてはそんな風に考えればいいのだろう。この映画をこう解釈し私はちょっと一息ついた。

7才の時から3年間

7才の時から3年間、毎月購読していた少女漫画雑誌があった。いつの時だったか「次号からソフトクリームや恐竜が本の中から飛び出してくるビックリページが始まります」と予告があり、可愛い少女が口を開け驚いている写真が添えてあった。無知、無学と言うのは時に人を幸せにする働きもあり、私は本物のアイスクリームが食べられるとワクワクしながら次号を待っていた。

だがそれは単なる折り込みで、ページを開けると織り畳まれていた紙のアイスクリームが、本の中央に立ち上がると言う仕掛けだった。落胆したのは言うまでもない。その時初めて世の中のカラクリと言うものを少し勉強した。

私のベッドルームにサイズ1号ほどの絵が掛かっている。フランスかどこかの裏通りのカフェを描いた油絵、その写真画である。樽テーブルが3台、大きな鉢植えの観葉植物が隅に数個置かれ人の姿はなく、そこに表通りからの明るい日差しが差し込んでいる。年がら年じゅう見ていたら、私はいつしかその店の客になっていた。

長い事テーブルで待っていたが誰も注文を取りに来ない。しびれを切らし右手にあったガラスの引き戸を開けると、マホガニーのカウンターがあり右端に客らしき男が一人座っていた。黒と白のストライプシャツにハンチングを被った、ぞっとするほどハンサムな男だった。「注文はここでするんですか?」と聞くと、男は「俺はたった今、人を殺して来たんだ。気やすく話かけるな」と凄みを利かせる。

恐れ入り私はフロントドアから外に出た。店の周りは小さな籐のテーブルと椅子で埋め尽くされ、客がひしめいている。いわゆるパリのテラス式カフェと言うものだろう。

小物屋、ブティック、銀行などが並んだ背後の街景色はセピア調の色合いで、1960年代の写真を見るようだ。しばらく歩くと無数のハトが地べたを歩いている大広場に出た。中央に馬に乗って雄姿ポーズを取った騎士の銅像があるが、どこもかしこも鳩の糞だらけ。見てはいけない物を見てしまった哀しみで目をそらすと、近くのベンチで少女たち3人がアイスクリームを食べている。

白い丸襟のついた黒いワンピース、皆とても可愛い。「あなたはだーれ?」と一人が聞く。「さあ、自分が誰なのか分からないの、それにとてもお腹が空いてお金もないし」正直に言うと彼らは顔を見合わせた。「私たちの寮に来ない?食べ物なら沢山あるわ」と一人が言う「それはいい考え!」もう一人が言った。

なんとなく修道女を思わせる少女たちは、ナーシングホームの看護師達だった。街並みを抜け30分ほど歩くと、広大なぶどう畑が見えて来た。その真ん中を突き抜けるモミの並木道を歩く間、少女たちはぺちゃくちゃと喋り続けた。一時間以上は歩いただろう。

ガラス窓に囲まれた広い食堂で、彼らは蒸した鶏のもも肉、インゲンのソテーを振る舞ってくれた。どれも薄味で好みではなかったが、バターつきのバゲットは美味だった。食堂の大きな窓ガラスから見る庭景色はすでに秋模様。すっかり紅葉したマロニエの葉がヒラヒラ舞い落ちている。

満たされないお腹を抱えながら、私はホームを後にした。車で広場まで送ると言われたが断わった。見知らぬフランスの片田舎を一人歩き回るのも悪くはない。短い間なら。

ベッドルームで写真画を凝視していた時、不安げな私の魂が絵の精霊に誘い込まれ、今は一人異国の町を歩いている。これも言わば世のカラクリだ。ノスタルジーあふれる絵で巧妙に私をだまし誘い込み、故郷に帰るすべも分らない天涯孤独の女にしてしまった。

大昔に『家なき子と言うフランスの本があった。犬や猿と暮らす旅芸人に売り飛ばされ彼らと放浪する少年レミ、レミの寄る辺ない寂しい魂は、私の心のすみにもある。私は中年の家なき子だ。

大きな川の岸沿いに土産物屋がずらりと並んでいる。絵画や古本、雑多な小物等を売っている。少しはずれた所に駄菓子屋があり、チョコやヌガーの量り売りがされ、レクレアやモンブランもある。すっかり空き腹になった私は,喉から手を出しモンブランをわしづかみにしそうになったが、思い止まった。

すると目の前にピンク色の紙幣を握った手がニュッと出て来た「お腹が空いているんだね、顔色で分るよ。可哀そうに疲れた顔して」通行人が金を恵んでくれた。

見るとさっきカフェであった、ストライプシャッにハンチングを被った男だった。この人殺しに再会し驚き慌てていると、「心配しなくていいよ、僕は人なんか殺してはいない。かけだしの役者でね、やっと貰った初めてのセリフが『俺はたった今人を殺して来た』と言うわけ。ばかばかしい話さ」そう言うと彼は飄々と去って行った。貰った紙幣でモンブランを買うと,すごいお釣りが来た。

露店の土産物屋を過ぎて少し行った所に、品の良い白髪の老人が地面に座り物乞いをしている。そばにグリーンのチョッキを着たトイプードルがいて、私を見てピョンピョンと飛び上がる。その度に耳も飛び跳ねとても可愛らしい。空き缶に金を入れると私にお手をした。感動しさらに投げ銭を追加した。

投げ銭と言うが、これは私がしがない駆け出しの俳優から恵んで貰った投げ銭でもある。老人が優しい笑みを浮かべた。

日が暮れかけ夕日が川を染め始めると、離れた場所の眼鏡橋が急に浮かび上がり、アーチ橋と川に映ったその部分が円形になり、それが真っ赤な夕日のように見えた。不思議な事もあるものだとじっと見ていたら、強烈な寂寥感に襲われ次に鬱鬱として体中から力が抜けていくようだった。

ふらふらと歩きたどり着いたベンチで横になっていると、誰かが毛布を掛けてくれた。とてもいい匂いのする毛布で薄目を開け見てみると先ほどの老人だった。彼は私の顔の横にモンブランを一つ置き、抱いたトイプードルの頭を撫でながら去って行った。

その晩はとても良く眠れ翌朝目覚めると、次第に思考がはっきりして来た。「私はもはやこの絵の世界から抜け出し、自分の寝室に戻らなければならない。そして私の私だけのベッドで心ゆくまで眠りたい」そうひたすら渇望した。

割りに軽い足取りであのテラス式のカフェまで歩いた。私はここで絵から掴み取られた魂を奪い取り、自分の胸に押し戻し自分のベッドルームに戻るのだ。その格別の方法は分からないがこれからじっくり考える。私はカウンター席に座りエスプレッソを頼んだ。