世の中の何が

世の中の何が苦手と言って、あの遊園地の乗り物ほど苦手なものはない。苦手と言うより恐怖である。特筆すべきはあのジェットコースター、立ち乗り、足宙ぶらりん、木製コースターとか種類も色々あるらしいが、あんなものに乗って恐怖と恍惚で絶叫する人の気が知れない。ゆえにこれを絶叫マシーンと言うらしいが、私にしてみれば絶命マシーンである。事実、死人もあちこちに出ている。日本では高齢者の心臓麻痺、脳梗塞の事故死が多いようだ。不思議なのはなぜ同行者が止めないかと言う事。超高速落下、宙返り、あんなものに年寄りが乗れば、事故が起きて当然。興奮したいと言うなら、お化け屋敷にでも入れて置けば良いではないか。これは老人の『正月餅のどつまり事故死』と同じく、日本が一考すべき問題である。アメリカでは腹の太った男性が、ベルトがしめれなかったとそのまま乗り、遠心力で振り落とされる映像を見た。彼はそのとき空中で何を考えたか。乗らなきゃ良かった?減量しとけば良かった?いずれにしても、スタッフはベルトの厳重点検を怠るべきではない。脂肪が重りになる事などまずない。

Superman Escape in Movie World Gold Coast Queensland Australia

アメリカに来てすぐの頃、知人とその子供たちと遊園地に行った。ところ変われば品変わるで、アメリカの遊園地は人の姿もアトラクションもゆったりとクールに見えた。子供たちに誘われニヤニヤしながらバイキングに乗る事にした。極彩色の海賊船のような物が、振り子のように左右に揺れるあれである。船首に上半身の海賊の人形。これが大間違いだった。乗ると地上で見るよりはるかに高く感じる。恐怖でただ眼前から目を動かせずにいると、両脇の船の支柱が見えず、ただ乗船者と青空、白雲しか見えない。みんなして大空に振り上げられたような、不安と恐怖にかられ途中からずっと目を閉じていた。降りた時には過度の船酔いで吐き気がし、しばらく歩行困難に陥った。

観覧車はいつも憧れだった。若い頃、ジェームス ディーンの『エデンの東』を見た。彼と彼の兄の恋人が観覧車に乗る。それが途中で止まる。二人はもともと魅かれ合っていて、空中で二人きりになると抱きしめキスをしたくなる。それを思い止まるジェームスの演技が天下一品だった。若者の純粋さ、未熟さの感性が自然で、出来れば隣の女をはねのけ彼のそばに座って慰めたいと、感涙をしぼったものだ。だがその時彼はもう交通事故で亡くなっていた。自分の恋する人がすでにこの世にいない、絶望的な悲壮感におそわれた。

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映画の話ではなかった。子供が小さい頃、親子三人で移動式遊園地に行った。三人で綿菓子など食べながら人込みを歩いていると、垂直に立っている巨大な牛車の車輪のようなものが見えた。その車輪に五人の人間が大の字で、両手足首と腰をベルトで縛られはりつけになっている。車輪がゆっくり動き出す。速度を増す、さらに増す。するとその中の若い女性が、次第に脱力して行き、胸がはだけ首はうなだれ手足はぶらりと垂れ下がり、回転する車輪の上で失神してしまった。するとそばに立っていた係員が、黒い操作器に手をのばしたので、ああ良かった機械を止めてくれるのかと安心してると、なんと彼は速度を速めたのである。これは嘘でも何でもない。事実である。なんとなくやさぐれた彼の薄ら笑いを今でも覚えている。どさくさにまぎれ何食わぬ顔で、人を傷つける者がいる。それも私が遊園地を好きになれない、もう一つの理由である。

An older couple at the wine festival or carnival surrounded by a crowd of people. Bad-Duerkheim, Germany - September 16 2017.

砂漠の中の一本道

砂漠の中の一本道を長時間ドライブしている。道の両脇にだだっ広い砂地がえんえんと続き、カラカラに乾いた丸い植物が所在無げに散らばっている。「ねえ、私たちが今日あなたの妹さんに会いに行くこと、あなたのお父様はご存じなの」助手席のゆりがゲリーに聞いた。「もちろん、これは彼のアイデアなんだから」ハンドルを握ったままゲリーが答えた。一か月後に結婚を控えたフィアンセの彼に、腹違いの妹を紹介したいと言われたのは、一週間前だ。ロスに住む彼らはすでに互いの両親を引き合わせ、東京から来たユリの両親は、海沿いのアパートに住む彼らの暮らしを羨ましがった。バルコニーのハンモックに揺られ海景色を見る、真っ赤なサンセットを見ながらワインを飲む、そんな暮らしをだ。だが夢見心地の生活は時に人から、真実を見る目を奪う。

White car on highway in desert

昨夜アリゾナに住むゲリーの両親の家に一泊して、今ニューメキシコのアルバカーキに近い、つまり彼の妹の住む場所に向かっている。出発して五時間が経っていた。「ねえ、その町の名前、なんと言うの?」「もう何度も言ったよ。君は物覚えが悪いね!」ゲリーが声を荒げた。窓外の空に目をやると、薄黒いマッシュルームを集めたような積乱雲が、低く垂れこめていた。陰鬱な景色だ。

高速の出口をそれてさらに30分も行くと、小さな牧場の白い柵の中で、馬の手綱を引いた少女が見えた。ゲリーの16才の妹サリーだ。その馬はゲリーの父親が買ってくれた物だが、家が貧乏なために手放なさなければならない。その事を彼女はとてもすまなく思っていると、ゲリーに聞かされていた。「君の馬だから君の好きなように」と父親は言ったそうだ。そばかすだらけのやせぎすな少女は、ゆりにそっけなかった。ゆりも無表情でいたからお互いさまだ。サリーがパートで働くレストランで夕食を3人でと約束して、彼らは別れた。車の中からゆりが振り向くと、白い柵の周りを馬の背中にのったサリーが駈足で走るのが見えた。

メキシカンレストランでの夕食はまったりとはしなかった。ユリは、メキシコ料理が好きではない。それにどう見ても高級レストランとは言い難い。テーブルがべたついている。ゲリーは好物の、焼いた牛肉をはさんだブリートに舌鼓をうっていた。ゆりは次第に不機嫌になって来た。それを察したのかサリーがつと立ち上がり「ついてきて、あなたに見せたいものがある」とゆりに微笑んだ。行くとそこは厨房だった。メキシコ人の太った女料理人が胸当てのついた白いエプロンをつけ、魔法使いが媚薬づくりに使うような黒い大きなかめの中を、トングでかき回していた。なみなみと煮立つ油の中に、生の白いトルティーヤをいれると、数秒で膨らみ黄金色に揚がる。そのあがったトルティーヤをトングで取り出すのだ。「こんなものを見るのは、あなたにはめずらしいと思って」サリーは言ったがユリは不機嫌だった。厨房の古い油のにおいが鼻についていた。

ホテルに着くとゲリーはシャワーをあび、早々とベッドに入った。長い運転で疲れているのか。久々に会う妹に優しい素振りも見せない彼だった。ゆりはベッドに入ったがまんじりともせず、昼間見た、人の姿があまり見えない殺伐としたこの町の風景を思い浮かべていた。薄汚い古着屋や土産物屋がわけもなく、じゃり道のわきに並ぶおかしな町だ。隣のベッドにいるゲリーの背中に向かって、彼女はついに言った。「サリーはほんとにあなたの妹なの?」暗い部屋の中で毛布の下の彼は、身動きもしなかった。

翌朝、予定を一日繰り上げロスに帰る事をゲリーがサリーに電話をすると、彼女は今夜あなたたちに結婚の贈り物がある、どうかそれまで待ってくれ、7時にピックアップするからと懇願した。二人はしかたなくホテルでぶらぶらした。ひどくホームシックにかかったようなゲリーを横目で見て、ゆりは苦笑した。

Night Aerial Glendale and Downtown Los Angeles

山頂から見るアルバカーキの夜景は実に素晴らしかった。光る海に無限の宝石をちりばめたような、あたたかく荘厳な景色だ。「これをあなたたちに見せたかった」と、崖のふちに立ってサリーは嬉しそうだった。だが二人は、寒風吹きすさぶその場所をすぐさま立ち去りたかった。山の麓からここまで長い運転をしたサリーの車には、窓がなかった。壊れた窓を修理するお金がないのだ。そこから吹き込む身を切るような寒さが、二人をイラつかせていた。夜景を一べつするやいなや、「帰ろう!」とゲリーが車に走った。

ロスに戻ったゲリーは、それこそ水を得た魚のように海に飛び込み、サーフィンを楽しんでいる。彼がいるその海をバルコニーからゆりは見ている。二人はサリーがとても素晴らしいプレゼントをくれた事に、気づいているのだろうか。レストランの厨房、山頂からの街の夜景、それらを見せる事が、金のないサリーが一生懸命考えた、彼女にとっては最良のプレゼントだったのだ。その事に気づく時こそまさに二人が、人生のそして結婚の素晴らしさに気づく時である。

WELIGAMA, SRI LANKA - JANUARY 09 2017: Unidentified man surfing

 

男に指定された

男に指定された場所はホテルの屋上だった。そんな場所に行くのは初めてだった。車のナビゲーションに頼りきりの運転だったので、すっかりそれに翻弄されからかわれ、着いた時には軽い疲労を感じた。エレベーターで屋上まで行きバーの入口に立った。彼女がそこで見たものは、砂漠のオアシスを連想させる情景、はかない蜃気楼のような非現実的な光景だった。国籍不明の若い男女がグラス片手に、ゆらゆらと揺れて夢のような微笑を浮かべている。彼女は一瞬、引き返したい気になった。

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「入口のそばの観葉植物のそばに立っていてくれ」と男に言われているからそうする。こんな所で、出会い系アプリで知り合った男と落ち合うと言うその事実が、のぞみを少し落ち着かなくさせている。彼女はすでに35を過ぎていた。少しばかりの教養と美貌が奇妙なプライドを作り上げ、それが彼女を今日まで引きずって来た。だが結婚への願望は日増しにつのる。だから、ネットで知っただけのどこの馬の骨とも分からない男と会う気になったのも、その男の肩書の良さと見かけの良さに魅かれたからだった。彼は黒人と白人の混血だと言う事だ。写真では素晴らしく美しい男だった。

だれかに呼ばれたような気がして振り向く。ネットの男が立っていた。近くのテーブルに誘うと、のぞみの前に座りまっすぐに彼女を見て「会えて嬉しい」と真面目くさった顔をした。写真で見るよりはるかに陰影のある顔立ちで、物腰に品の良さと洒脱さがあった。混血と言うのはその絶妙な血の配合で、時にめったにないミステリアスな美を作り出す。男にはその神秘的な美をうやむやにしないだけの、十分な知性があるようだった。「のぞみと言う名には、何か意味があるのか」と彼が聞いた。「たぶん希望と言うような意味だと思う」と彼女ははにかんだ。はにかむ?この男は三十女をはにかませるだけの、尊大な魅力があるのだ。「日本人の名にはそれぞれ意味があるから、とても素晴らしいと思う」と彼は言った。のぞみはこんな話より、早く本題に入りたいと思っている。ビューティサロンのオーナーだと言う事だが、その美容院はどこにあるのか、従業員は何人?月の収益は?彼女はじっと彼を見つめた。すると彼が「何か飲む?」と聞いた。のぞみは酒は好きではない。だがここでお水をと言うのも芸がないと思い、「白ワインを少し」と言った。「種類は?」と聞かれ「なんでもいい」と言ってしまい死ぬほど後悔した。これが、男なら誰でもいいに聞こえはしまいかと思ったのだ。彼は少し離れた所にあるバーカウンターまで行くと、そこに寄りかかるようにして酒を注文し、のぞみを振り向き微笑した。バックライト付きの棚のカラフルな酒の瓶が美しかった。

Various alcohol bottles in bar

男は戻って来ると「少し歩こうか」と言い、見晴らしの良い場所を一発できめ、落下防止の手すりに両前腕をかけた。透明なガラスで出来た手すりの真下に、豆粒のような人間が歩いている。のぞみは自分が高所恐怖症である事を思い出した。ビールで口を湿らせ「君の小間物屋と言うのはどの辺にあるのかな」眼下に広がる街並みを見て彼が聞いた。のぞみは職業欄に、日本風の小間物屋のオーナーだと書いていた。だが男の問いに答えるには彼女は酔いすぎていた。たった一杯のワインで?いやそれは酒の酔いではなく、実生活とはまったく違う異空間に初対面の男といる、その息苦しさのようなものだった。屋上に吹き続ける風の強さと、完璧なまでの男の魅力にがんじがらめになっていたのだ。そのときふと斜め右前方に人の視線を感じた。みると一人の男がグラス片手にじっとこちらを見ている。それは今自分のそばに立っている男とそっくりの男だった。「一卵性双生児?」そんな言葉が頭をよぎる。誰かに試されているのかと、彼女は恐ろしく懐疑的になり吐きそうになった。「ごめんなさい、気分が悪いので、、、」それだけ言うと急ぎ足で立ち去った。男は訳の分からない顔で両手を広げ肩をすくめていた。

これがのぞみの初めてのオンラインデイトの顛末である。だが双子の男などそこにはいなかった。すべては取り乱してしまった彼女の妄想である。だが彼は彼女に、もう一度連絡するつもりでいる。女遊びに飽き40を過ぎた男は、今度こそ将来の伴侶を見つけるつもりだ。信頼のできる自分のビジネスパートナーを。のぞみの秘めた優しさ、控えめな教養、飾らない美を彼はとても気に入っていた。

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木からもぎ取った

木からもぎ取ったばかりのレモンは、マーケットで買うレモンの十倍もおいしいとどこかで聞いた気がして、それが頭から離れない。木からぶら下がったレモンを、ひねるようにしてもぎとりかぶりつきたいと言う願望が、ここ数年渇望にまでなった。木からもぎ取ったばかりのレモンにかぶりつけば、芳醇なレモンのしぶきが顔じゅうに散らばり、ついでに目にも入ったりして、常とは違う強烈な刺激を受ける一瞬になる事は間違いないだろう。それに空中にぶら下がったレモンに触ると言う、その快感もまた捨てがたい。

ripe lemons on lemon tree

レモンと言うのは柑橘類の中でもダントツの酸っぱさを誇る果物で、これを丸かじりする人はあまりいないと思う。その誰もあまりやらない事をなぜ渇望するようになったかと言うと、ここ数年の私の環境の変化によるものだ。東海岸からカリフォルニアのこの街に引っ越してきて数年経つが、この街にはちょっと外へ出れば、どの民家の庭にもレモンツリーが植えられ、金色の実を鈴なりにつけ、太陽をさんさんと受けている。それに衝撃を受けた。ある家では一本と言わず、二本、三本のレモンツリーを所有し、道行く人にこれでもかと、これみよがしに見せびらかしている。あれを一つもぎとりたいと食指が動くのである。しかも民家の庭と歩道に段差はなく、静かに庭に歩み入りそっとレモンに手をさしのべれば、、、。いやいやそれはやってはならない事である。たとえレモンひとつでも、人の家の庭から何かを持ち去れば泥棒である。大昔の中国のことわざに「李下に冠を正さず」と言うのがある。「りかにかんむりをたださず」意味は「すももの木の下では曲がった冠を直してはならない。誰かが見れば、すももを盗んでいると思うかもしれない」つまり人に疑われるような事をしてはいけないと言う事である。顔の皮膚が異常にデリケートな私は、日差しをよけるために散歩には必ず、つばの広い麦わら帽子をかぶる。だからレモンツリーの下では決して帽子に触らない。たとえ帽子が風に吹き飛ばされそうになっても、直立不動でことわざの教えをまもる。と言うのは冗談。だがSNSのこの時代、誰がどこでシャッターチャンスを狙っているか分からない。気をつけるに越したことはない。家主の玄関をたたき、どうか一つと頼みこもうとも思うが、それもバカバカしくて。ならば地べたに落ちているレモンは?拾ってもいいの?地べただろうが空中だろうが、そんな事を考えるのはあほらしい。ただ折角のレモンを無駄にする家主がうらめしいだけだ。

Bunch of fresh ripe lemons on a lemon tree branch

その昔日本では、レモンは庶民の高嶺の花だった。と言っても私が日本にいた頃の話だから、ずい分前の事だ。その頃レモンは、あまり店には売ってなくあってもひっそりと隅に置かれていた。値段も高かった。食材としてはあまり使われず、料理の飾りとして使われていた気がする。あるいはお菓子やケーキに。食卓にのぼるおかずには、代わりに酢を使っていたようだ。私の記憶もあいまいだから断言はできない。しかしレモンも今は、煮たり焼いたり蒸したり茹でたりつぶしたり、いいようにこき使われている。私の好きなレモンの使用法は、マルガリータを作る事、それも塩付きの。テキーラ、ホワイトキュラソー、レモンジュースを適当にまぜ、グラスのふちに塩をまぶし、きんきんに冷やして飲む。熱い午後はこれに限る。自家製だから何杯でも作れる。作りすぎてふらふらになった事も。

Margarita Cocktail. Frozen Drink

それはともかく、レモン丸かじりの渇望はいまだ冷めやらず、ある日いつものように帽子を被り散歩に出かけると、なんとある庭の前に木箱いっぱいに入れたレモンが置いてある。箱の前にFREEのサインがある。三本あったレモンの木一本を切り倒したらしく、庭の隅に精気をなくしたレモンツリーが死んだように地面に横たわっていた。木箱の中のレモンも心なしか精彩をかき、形もいびつで色も金色にはほど遠い。気持ちが一気に失せた。木に生っていたからこそ魅惑的だったのだ。手に届かない物だったからこそ魅了されたのだ。私はこの手で、自分の手でレモンをもぎ取りたかった。人の手に寄るものなら興味はない。

この街は常夏の楽園

この街は常夏の楽園だ。スペイン風の建物がメインストリートの両脇に立ち並び、街中に南国の花が咲き乱れている。銀行の白壁に真紅のブーゲンビリアが絡みつくと、ハイビスカス達は宝石屋の階段の両脇に、豪華な微笑を交わし合う。コンドの庭園に咲くネギ坊主の花に似たアバカンサスの群れは、行儀のよい小学生のように歌を歌っているから、道行く人は誰も立ち止まり聞き入る。ふと見上げると建物の屋根に突き出た無数のヤシの葉影は、まるで誇らしげな歩兵のように涼風に首を揺らめかせている。それには気づかいも見せず、天まで届くかと思わせる教会の尖塔を横切り、一匹の白いカモメが斜めに飛翔した。

Seagull flying against blue cloudy sky with brilliant sun

彼が舞下りた早朝のモールの駐車場には、ひきはらったばかりの野菜市場からこぼれた、パンくず、野菜くずが散らばる。それをついばむカモメの横に、黒いカラスがカアーと鳴き舞い降りた。それから二匹は十年来の友人のように、頭をくっつけ餌に集中する。

Crow pirched on a Bench

 黒い鉄のベンチに座り私は、市場で買ったばかりのオレンジをむき始める。香りのすばらしさに、家に帰るまで待てないのだ。市場の果物は農園から運ばれたものだが、この街の民家の庭にもオレンジやアボカドの木があり、どれも鈴なりの実をみのらせている。この街の土壌が、果物の生育にとても適しているのがそれで分かる。すると年取りすぎた少年と言った感じのAl君が、逆光を背に向こうから歩いてくる。私は彼にもオレンジをひとつ分けてあげる。もう四十才を過ぎたA君だがずいぶん若く見える。数年前に父親を亡くした彼は、今は母親と二人で住んでいる。住んでいる?どこに住んでいるのだろう。彼の母親は夫亡き後、どこか零落した貴婦人と言った感じでしばらく過ごしたが、今は通りの曲がり角に立つ。段ボールの破片にHomelessときれいに書いてそれを胸に持っている。人々は車の窓からお金を差し出す。A君はその仕事があまり好きではないので、すっと雲隠れをしてしまう。若い頃この街の海岸で毎日サーフィンに興じた彼は、とうとう就職をしそこない、いまだに無職。ある時、マリブーに住んでいた女優のGoldie Hawnが、「高校生の息子がサーフィンばかりして勉強しない」とこぼしていたが、A君の母親は彼のサーフィンをずいぶん大目にみていたのだろう。なにせ彼は、誰も知らない波乗りの穴場を知っていて、それを独り占めしていたのだから。でももう波乗りはあきらめた。新しいサーフボードさえ買えないのだから。

Street of Obidos

それにしてもこの街のホームレスの人たちは、汚れ毛布にくるまって路上に寝たり、空き缶を前にして座り込んだりはしない。彼らはこざっぱりとした服を着て、立っている、歩いている。木々の間を飛び交う鳥のさえずり、あたりに漂う花の香、楽園の魔法を無駄にはしない。時々大通りの分離帯に立ち、オフィスの休み時間に出て来たような若い女性がホームレスのサインを持っているが、あれは冗談にしか見えない。オレンジを食べ終わると私はまた、家の方へゆっくりと歩いて行く。すると至近距離にある低い山のてっぺんから、広げた扇状に新しい日差しが湧き出て、この街の空いっぱいに広がる。朝の涼しい風が人々の頬や髪をなでて行く私はそんな街に住んでいる。

 

不謹慎な事

不謹慎な事だが私は、双眼鏡で他人の家の窓を見るのが趣味だ。私のリビングの窓を開けると、まず川が見える。広くも深くもない川はとても澄んでいて、都会ではめずらしくきれいな川だ。ところどころの水面下で長い水藻が、まるで洒落たスカーフのようにゆらめき、そこにカモの親子がスイスイと泳いで来る。子ガモが少し遅れると親ガモが待っている。川端はかなり広く灌木や茂みの緑が色を添える。心癒される風景のその向こうに、白く輝くコンドミニアム、それが私の標的だ。五階建てのまだ新しい建物で横に長い。ベランダの白い柵がまぶしい。人の家の窓をのぞくと言う、法にも触れかねない行為をなぜするかと言えば、それがストレス解消のたったひとつの方法だからだ。

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 アメリカの高校で日本語の教師をすると言うのは、昔からの私の夢だった。父の仕事の関係で15才までアメリカで育った私は、それなりに勉強もし資格も取り夢を果たした。だが生徒たちのやる気のなさにこの頃は頭が痛い。最初の頃こそ日本から来た先生と面白がってくれたが、今は脱落する生徒がふえ、30人もいた生徒が半分以上減ってしまった。文法の話などすれば彼らは露骨にいやがる。ある時など授業の最中に生徒が、黒板にスラングだらけの文章を書きこれを日本語に訳してくれと言う。そこまでの英語力がない私が困ると彼らは喜ぶ。授業に魅力がないのは私の力量のなさだが、どうする事も出来ない。

 人の家の窓を覗くとき、ヒッチコックの『裏窓』のようにドラマチックな出来事が、それぞれの窓で起きているのかと言えば、それが起きているのである。ただ見えないだけである。誰もが窓やカーテンを閉めるから。双眼鏡のレンズはのぞき穴と同じである。のぞき穴の向こうには必ず卑猥なシーンが見えるようだ。映画『曳航』や『サイコ』、小説『地獄』でもそうだった。だが私が見たいものはそんなものではない。ベランダでは、人々が植木に水をやったりバーベキューをしたり、日光浴、隣人同士の壁越しの雑談などで、魅力的な動きを見せてくれる。私の双眼鏡は精巧なキャノンISで臨場感と遠近感に優れ、肉眼では見れない映画の一コマのような、ドラマチックなシーンを創るから。生徒から馬鹿にされた日などは、この曲折された卑猥なシーンを見て気晴らしをするのだ。

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 ある日教室に入ると、出席者の数がいつもより多く一瞬ぬか喜びした。だが次に黒板にはられた写真を見て、頭から冷水を浴びせられたようになった。それは窓辺に双眼鏡を持って立つ私の写真だった。不鮮明だが東洋人の私である事は一目瞭然。そばに「だいじょうぶ、誰にも言わないよ」とチョークで書かれハッピーマークが付けてある。頭に血がのぼり写真を引きはがすと、生徒たちは指笛を吹き手を叩いてよろこんだ。後で分かったことだが、それは私にスラングの質問をした男子生徒と同人物だった。他の生徒に聞くと、彼は川向こうのコンドに住んでいて、私の挙動をすべて観察していたのだ。

 その夜私は、いつもはグラス一杯の赤ワインをとうとう一本開けてしまった。だが酔えない。冴えた頭でいずれは校長に呼び出される日をぼんやりと想像した。その次に来る辞職、そして挫折。それからは窓を開けるのが怖く、二か月ほどは窓に触りもしなかった。そしてついに開けたその時、私は向かいのコンドの五階、右側の最後列のベランダから双眼鏡でこちらを見ている男を発見した。あの男子学生だ。それからは彼がベランダの椅子に座り込み、私が窓を開ければすぐに双眼鏡を向ける。私を監視するつもりである。ああ、これでは窓も開けられない。ベランダどころか、澄んだ川もカモ親子の散歩も、夜空の星空さえ見る事は出来ない。たった一つのストレス解消法を奪われた。一体私が何をしたと言うのか。真面目に仕事をしただけではないか。彼等はその真面目さが気に食わなかったのか。冗談を言ってダンスでも踊ってほしかったのか。私にそんな才覚はない。

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ポールは高い崖

ポールは高い崖の上から眼下に広がる海を見ていた。月の明るい晩で光に照らされた海面だけが、金色の砂をまぶしたようきらめき揺れている。

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彼はメラニーのTEXTを思い出し身震いした。「ロマンチックな月の夜ね、海岸まで降りて見ない?」「何が降りて見ないだ、あいつは僕の子供が出来たなんて昨日言った、僕たち子供が出来るような事してないよと言うと、『私はsexなんかしなくても触っただけで妊娠できるの、だってエイリアンだもん』と糞真面目に言う。『あなたの考えてる事なんかなんでも分かるんだから』と変な事も言った。それに父親の博士ときたらこの頃は、【猫の背中にネズミが乗った形の緑色の生物】を見つけたと毎日海にもぐりに行く。未確認生物だから捕獲して学界につき出せば、いちやく時の人になれるとでも思ってるのか。生物を撮った写真を見せてくれたが何も写ってはいない。アインシュタインを崇拝する彼は、アインを真似た白髪頭をふりみだし時々べろを出すから気持ち悪い。ああ早くここから逃げ出したい」とポールは頭をかきむしる。今はこんな所に自分を追いやった親を恨むばかりだ。「よし、逃げ出してやる、今夜決行だ」彼は声に出して言い、崖の上を館の方に急ぎ足で歩きだした。

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戻ると博士が出かける用意をしていた。「どこへ行くんですか」と聞くと「ピア」と言い捨て風のように走り去った。年寄りの癖にみょうにすばしいっこい。この近くに突端が台風の濁流で吹っ飛んだ古い木造のピアがあり、舳先がもぎれた幽霊船のように海に浮かんでいる、その手すりに縄をくくりつけ、それを伝い海に沈む潜水服の博士をポールは偶然見た。盗品を背負った泥棒に見え思わず失笑してしまった。今頃もぐりに行くなんて月夜の晩を昼間と間違えたのだろう。

その昔大学院の研究室にいた頃も、奇態なプロゼクトばかり立ち上げ皆から変人扱いされ、最後の【カツオノエボシの猛毒自然絶滅法並びに、家庭内でペット化し手のひらでダンスを踊らせるたったひとつの方法】を最後に、大学院を去った博士である。それからマッドサイエンティストに転落するのに、時間はかからなかった。ポールは薄汚いソファに座り膝にひじをつき顎に手をあてた。ふと埃と砂でざらついた床が見えた。壁はシミだらけでどの部屋も隙間風が吹きわたるあばら家だった。ただ馬鹿でかいだけのスパニッシュ風のこの館は、ずいぶん前に博士が市から安く買い取ったものだ。そこに研究室らしきものを作り一人で悦に入っている。海の見える崖っぷちに建ち見晴らしは良い、取柄はそれだけ。人里離れた寂しい場所で人の姿が、人間の生活が見えない。

さて逃げ出すのは簡単、博士はポールが逃げ出す事などなんとも思っていない。車がないから歩いて行く、海岸沿いに歩けばなんとかなるだろう。彼はキッチンで水を飲むと、裏口をあけパディオのそばの崖に立った。このあたりの崖はとても緩やかで、雑草こそはびこっているものの、歩きやすい石ころのない道が砂浜まで続いている。ポールが崖を降りだすと、登って来るメラニーの頭が見えた。馬鹿な奴だ、僕が会いに行くとでも思ったのか、ポールは舌打ちをし、あわててその先の数メートル離れた場所から、転がるように崖を降り始めた。

Abandoned Haunted House

砂浜に降りるとうっすらとぼやけた町明かりをたよりに歩き始めた。胸の中でふつふつと吹き出すものがある。「これでやっとあの両親からも逃げ出せる。二人とも心理学の教授なんかやってるくせに、息子の心理を全然理解しないバカ親。養子にしたのはいいが、僕にしてくれた事と言えば、キチガイじみた海外キャンプに頻繁に放り込む事だけ。アフリカのサファリ、チベットの僧院、カナダのロッククライミング。僕を強い男にするための荒療治のつもりだったろうが、かえって脆弱で臆病な男を作り上げた。そして高校卒業すると友人のあのキチガイ博士に、研究助手として預けとどめを刺した。もう何もかも嫌だ」でもとほくそ笑み「僕にはネットがある」とポケットのスマホを触った。キュートな彼の写真をSNSに流せば、可愛い女の子たちが助け舟を出してくれるだろう、今夜の宿だって、就職先だって、いや恋人だって。意気揚々と彼は歩き出す。

だが彼は遠くの町明かりがネットがはらむ、恐ろしい危険を知るにはあまりに世間知らずだった。月光に映し出されるポールの後姿を、メラニーが崖の上から俯瞰している。「バカなポール」彼女はつぶやいた。彼女が赤ん坊の時、段ボウルに入れられ道端に捨ててあったのを、博士が拾い育てた。彼女が母親の事を聞くと彼は言ったものだ「お前はエイリアンの贈り物だよ」と。

 

桜の木の下には

「桜の木の下には死体が埋まっている」と言うあの都市伝説を、信じている人が本当にいるのだろうか。もともとこれは約90年前に書かれた、梶井基次郎の「桜の樹の下には」と言う短編小説が元ネタだと、知ってる人は知ってるだろう。

小説の中では、桜の木の下には人間や動物の死体がうまり、その腐乱した死体に木の根が入り込み、中にある得体の知れない液体つまりは養分を吸いあげ、それが幹をつたい小枝をつたい、あのような美しい花を咲かせるのだと言っている。デカダンスで幻想的な小説。その桜の花の下で、私はいま数人の友人と花見をしている。春の暖かさに惑わされた沢山の花見客もあたりにいる。爛漫の桜を見上げビールを飲み、弁当を食べ、友と笑いながらなぜか不穏な空気に私の眉が曇る。

いつの間にかうたたねしてしまったのだろう。あまりの肌寒さに目が覚めた。ふっと上半身を起こしてみる。あたりはすっかり暗くなり誰もいない。あちこちに立ち並ぶ桜の木が風もないのにざわめいている。まるでブランケットのように、体の上に振り落ちた花びらをつかみ、頭上を見上げた。ライトアップされた夜桜と言うのは大勢で見る分には美しく魅惑的だが、一人で見るとその凄絶な美に恐怖が重なる。それぞれの樹に、それぞれの魂を持つ妖怪が潜んでいるような。

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一つの幹の中から幼女がピョンと飛び出した。金髪で青い瞳の絵に描いたように美しい子。その隣の幹からもう一人、さらにもう一人。彼らは笑いながら私めがけて走って来る。「mommy!mommy!」と叫びながら、私の肩や髪に抱きついてくる。「やめて!やめて!私はあなたのマミーじゃない!」私に青い目の子供はいない。首が苦しくなり肩がひりひりしてきて、手を振り放そうとした時、一人の幼女の顔が百歳の老婆に見え、そこで目がさめた。

Closeup portrait depressed old woman covering her face with hand

「夢だったのだ」と安堵していると、リビングの方で何かをひっかくような音がする。ローブをはおり行くと、愛猫がポーチの網戸に前足をかけ身をくねらせている。こんなにも背の高い猫だったのだと初めて気づき、中に入れずもがいている猫のためにガラス戸を開けた。こんな事は初めてだ。必ず猫が中に入ったのを確かめてから、ポーチのガラス戸を閉めるのが習慣なのだから。「ごめんね」と言うと、猫はさっと身をかわしポーチの塀の上に飛び乗り、恨みがましい目をした。手をのばすとこれみよがしに塀を飛び下り、中庭の向こうに走り去った。あわてた私は、ローブのまま走り出て後を追う。このコンドの敷地内は迷路のようになって、あちこちに外灯は点いているものの、花株や灌木や植え込みがそこら中にある。そんな所に隠れてもらってはお手上げだ。猫の名を呼び小一時間ほども探したが見つからず、ポーチのガラス戸を細目に開け猫の入り口を作り、ベッドに入った。

数分うとうととして、はっと目が覚めた。猫の事が気になって眠れない。間違って通りにでも出て、車にひかれでもしたらと寝返りを打つと、なんと猫が目の前で丸くなっている。私の頭の横で寝ている。びっくりもし感激もし私は起き上がり、強く猫を抱きしめた。一人で帰って来たのだと愛しく思った。猫を抱きポーチのドアを閉めるため、リビングに行った。だがドアは閉まっている。猫にドアの開閉など出来るはずもないと狐につままれたような、いや猫につままれたような気になりじっと見つめると、小馬鹿にしたような顔をされた。私はあきれはて、そう言えば猫も一種の妖怪だったと、大昔の化け猫映画を思い出した。62261790 - cherry blossom plants in budding stage with silhouette image.

そのドーナツ屋

そのドーナツ屋は人や車の少ない寂しい通りにポツンとあった。赤い屋根に白壁、その壁に森の風景がイラスト風に描いてある。花や鳥、バンビやリス、泉や木立よく見れば蛇さえいる。白雪姫の七人の小人の家を思わせ、小人達が力を合わせて作った家、そんな素朴さ無邪気さがあふれ、誰もがついはいって見たくなるだろう。だが中に入ると、白雪姫ではなく太ったメキシコ人の女主人が奥から出てきて、実に無愛想な顔で何しに来たと言う風に客をにらむ。店内も殺風景で、ドーナツを入れるガラスケース以外に飾りのようなものはない。やがて女主人は注文されたドーナツを、これまた実に面倒くさそうに袋にいれる。その商売っ気のなさが楽しく私はたまに立ち寄る。時々OPENのサインが出ているのにドアのカギが締まり、GO TO DRIVE THRUと手書きで書いた紙が窓に貼られ、建物の右手に行くように矢印がある。行ってみるとそこには、普通の窓を細目に開け手書きのメニューがスコッチテープで貼ってあり、PLEAZE HUNKと添え書き。たぶん中で昼寝でもしているのだろう。いつ行っても私以外に客はいなく、つぶれないのが不思議なくらいだ。ついでに言えばここのドーナツは甘すぎ大味で私好みではない。大きなクロワッサンのハムとチーズのサンドイッチだけはうまい。

ある日の午後、女主人に睨まれながらケースの中のドーナツを見ていると、大型トラックが店の前で急停車し、二人のメキシコ人の若い男女が降りてきて激しい口論をはじめた。やがて男が荷台にのぼり口汚くののしりながら、スーツケースやら椅子、ソファのようなものを地面に放り投げはじめた。女は泣きながら投げ出された家具にしがみつき、男を涙顔で非難する。スペイン語なので意味は解らない。要するに一緒に住んでる男女に別れ話が出て、男が女と女の家財道具を路上に放り出している訳だ。なかなか迫力のある痴話げんかではある。女主人はいつのまに奥へ行ってしまった。44985812 - open sign

それから数ヶ月たってドーナツ屋の前を通りかかると、店の前に人だかりがし行列が出来ている。不思議に思い中に入ると、女主人が上機嫌で客と応対している。私をみると「ハウアーユー」と声高らかに言ってくれた。何事これは?と言った顔をすると、壁に貼ってあったカレンダーの赤丸のついた、今日の日付を指さした。今日は日曜この日はいつも忙しいとでも言う意味なのか。見れば週末の日はどれも赤丸がついている。女主人が客の応対に追われている間、そばの小テーブルで妻より太った亭主らしき男が、ドーナツを食べながら伝票を整理している。そこへ出来上がったばかりのドーナツをシート板にのせて、ふてくされた若い女が奥の厨房から出て来た。それがこの前の痴話げんかの女である事に気づき驚いていると、女主人が「my daughter」と言いウインクした。その時、急停車する車の音が聞こえ、それを見た娘が目を輝かせ外に飛び出した。女主人は両手を広げ肩をすくめ、いつもの事よという風に私を見た。外に出ると娘は運転席の男と激しい抱擁とキスをしていた。この男がこの前の痴話げんかの相手である事は言うまでもない。少し離れた場所で二人の少年がキャッチボールをしている。娘の弟たちだ。

こういう風に、事実をありのままにだらだらと書いていくと、この店にある種の小劇場的スタイルがある事に気づかされる。ドーナツ屋の店は劇場で、オーナー一家はメインキャスト、大勢の客はエキストラ、さしずめ私はゲスト出演とでも言うところか。七人の小人が作った劇場、これからも目が離せない店ではある、特に週末は。

Sweet donuts at street food

 

めったに電話をしない

めったに電話をしないソフィアから会いたいと言って来た。孤独癖が強くしかも偏執的な彼女と、私は薄氷を踏むような交友関係を続けている。だが彼女の内にひめた強靭さ、繊細さにひかれ招かれれば出かけて行く。

View of seashore cliff in Ranchos Palos Verdes

ハウスキーパーにリビングのソファに通され、目の前の海をしばらく見ていた。断崖絶壁に建てられたこの横に長い平家はすべての部屋から海が眺望され、彼女はここでカーディーラーのご主人と二人暮らし。イギリスで女優だった彼女は、旅行で来ていたご主人と知り合い結婚した。どこからかふっとソフィアが現れた。いきなり「ビアンカを覚えてるでしょ」と言った。ビアンカは彼女の孫である。「あの子とうとう本物のドラキュラになっちゃった」と顔を曇らせた。ビアンカは生まれた時、すでに歯が生えしかも両方の犬歯が下唇に出ていた。ソフィアはそれをドラキュラのようだと眉をしかめたが、娘夫婦はこの娘をこよなく愛した。あれからもう四年経つ。ストイックな美意識の持ち主であるソフィアは、ビアンカの容貌を忌み嫌いいつも冷淡に接している。今回は欧州旅行に出かけた娘夫婦に子守りを頼まれたと言った。「ビアンカー!」彼女が大声で呼んだ。おどおどと奥から出て来た少女が上目づかいに私を見た。なるほど犬歯は前より目立つ。だが彼女の顔の変化に驚いた。少女時代のエリザベス テーラーを、少女の体に大人の美女の顔が乗っていると評した映画評論家がいたが、この子の場合がそれである。顔と体がアンバランスで、犬歯を除けばまさに美女顔。「おいで」と両手をだすと顔をゆがめて走り去った。祖母から嫌われている事が分っているのだ。

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やがて小学に入る頃に母親が歯科医に相談し両方の犬歯を抜き、将来的に歯の矯正をする事に決めた。ソフィアは私の携帯にその写真を送ってくれた。それは確かに可愛い少女の写真だったが、どこかぎこちなさがあった。祖母に嫌悪され身構えて来た、その哀しみの名残りのようなものかも知れない。だがビアンカは年を取るにつれさらにさらに美しくなって行った。エリザベス テーラーがそうであったように。だがソフィアはそれにはあまり興味がないようだった。

夫に先立たれた私は猫と暮らし、ただ意味もなくうろうろと日々を重ね、花や野菜を育てた。すっかりと連絡の途絶えたソフィアやビアンカに時々思いを馳せたが、憂慮はしなかった。最後に彼らに会ったのは、ビアンカの十四歳の誕生日パーティ。育ちの良さそうな五人の友達とプールではしゃぐビアンカの美しさは、ひときわ目立っていた。そんな彼らをソフィアは微笑しながら見ていた。それが彼女の優しさだと私は思った。

海に向かった壁面が全面ガラス張りのこの部屋にいると、海上に取り残されたような不安にかられる。邸の中で一番眺めのいい自室の寝椅子に、ソフィアは気だるく横になっている。しばらく会わないうちにすっかりとやせ細っていた。まるで目に見えないドラキュラにほんの少しずつ、血を吸われてでもいるかのように。「私なんかはもういつ死んでもいいのよ」彼女は自嘲げに言った。ビアンカはすでに大学生、イタリアに留学していた。「あの子はとても私に良くしてくれる。でもしっくりは行かないのよ。それが私のつぐないようのない、大きな罪よ」プールパーティでのソフィアの微笑を思い出したが、何も言わなかった。それから彼女はすっと手をのばし、傍の書き物机の引き出しから古い写真を取り出した。それを見て「あっ!」と私は声を上げた。幼女の頃の彼女の写真でビアンカに生き写しだった。「母は私を産むと私を抱いて、病院の窓から飛び下りようとしたらしいの、でもそれも出来なくて。教育のない古い田舎の人だったから、歯を抜く事なんて考えもしなかった、抜けば祟りがあると言って。私は十歳くらいまで犬歯をむきだしにして、それはみんなにいじめられた。大人には気味悪がられ、母は生涯私に冷たかった、私の乳歯が普通の永久歯に生え変わっても、その冷たさは変わらなかった。いつ私がドラキュラに豹変するかと怖かったのかもね」と薄く笑った。「私は母がくれなかった愛をビアンカにあげる事は出来なかったのよ、そうすればまがい物の愛のように思えて」彼女は遥かな水平線をじっと見つめた。その時目の前のガラス戸に、かもめが二匹ぶつかりけたたましく鳴いたが、彼女は顔色ひとつ変えなかった。私は数奇な運命を生きた彼女の、化粧っ気のない横顔をじっと見つめた。

Sexy blonde in transparent dress with golden rhinestones

それから一年後ソフィアは他界した。