今年の干支はイノシシ

新年あけましておめでとうございます。

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今年の干支はイノシシだそうだ。だがめでたいイノシシではなく、蛇について書こうと思う。蛇年(巳年)は6年後にやって来る。この蛇もなかなかの縁起物で、蛇の抜け殻を財布にいれたり、蛇柄の財布を持っているとお金がたまる、と言うジンクスさえある。また蛇は神の使いとも言われる。

だが蛇を嫌う人は多い。なぜ蛇は嫌われるのか。アダムとイブと蛇の話が聖書の中にある。木の上を這いずり回る大蛇が、無垢なアダムとイブに悪知恵をつける。狡猾な蛇にそそのかされたアダムとイブが、禁断の果実であるりんごを食べ、神によって楽園を追放されるあのくだり。この日から蛇は、人類に毛嫌いされる運命を背負う事になったのだ。

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それから何かの本で読んだのだが、人間がまだ猿人類の頃、樹上生活をしていく上での天敵が蛇だったそうだ。だからその恐怖が遺伝子レベルとして刻み込まれ、人は蛇と聞いただけでいまだに嫌悪するのだと言う。蛇に巻きつかれ、絞め殺され、丸のみにされた古代の同志を思うと、心穏やかではない。

テキサス州の民家で火事が発生し消防隊が踏み込んでみると、煙に巻かれた100匹以上のヘビやトカゲが床を這いまわり、消防夫はそれを素手で救出したそうである。両腕に大きな蛇を巻き付けた消防夫の写真があったが、消防夫の方も大変だなと気の毒に思った。家主は助かり、だがなぜそれほど多くのヘビを飼っていたかと言う質問には、多くを語らないと言う。そこがこの事件の主要ポイントだと、私は思うのに。

ある日本の男性ユーチュウバーが、蛇を食べて見たと言う動画を出した。しかも死んだ蛇を。彼はまず蛇の頭をちょん切り上部を口にくわえ、両手で皮を下に向けはぎ取ろうと頑張るがうまくいかず、途中からまな板の上でやっていた。それを輪切りにして火であぶり醤油をつけ、うまいと食べている。会社員としての人間関係がすっかり嫌になり、安い土地を田舎に買い、手造りの粗末な小屋を建て、井戸水や薪で食事を作るそうだ。蛇を食べたのは好きな漫画の主人公の真似をしたかったと言っていた。視聴者へのサービスだろう。

蛇は本当においしいのだろうか?十年ほど前に、ある高齢の女性が「私の父が昔、蛇飯を食べたと言っていたわ。おいしかったんだって」と言った。「どうやって作るの?」私が聞いた。まず米と水を鍋にいれ煮立ったところで、絡み合った10匹ほどの蛇を投げ入れふたを被せる。

ふたには丸い小さな穴がいくつも開いているので、熱くて苦しくなった蛇がそこから頭をだす、その頭を引き抜くと身だけが鍋に残り、それを炊けたご飯と一緒にしゃもじで混ぜる。と言うような事を、面白そうに話した。彼女の父親はおいしかったと言ったそうだ。

この話とそっくり同じことを、あの有名な『夏目漱石』の『吾輩は猫である』と言う小説の中に書いてある。ただの彼のうまい作り話だと思っていたが、こんな事が昔、実際にあったのだ。あるいはこの小説をよんだ件の女性の父親が、自分でもこっそり作って見たのかも知れない。大昔には一般人の間で、野生の蛇を料理して食卓にのせる習慣もあったそうだが、それもすっかりすたれてしまった。

PATTAYA, THAILAND -26,06,2017 : "Show of snakes" performer play with cobra during a show in a zoo on 26,06, 2017 in Pattaya, Thailand.

吐き気がするほどヘビ嫌いの私が、なぜこれほど蛇についてあれこれ書くかと言うと、怖いもの見たさと言うのもあるが、ある種の相殺効果のようなものもねらっているのである。

親愛なる夏子へ

親愛なる夏子へ

その後いかがお過ごしですか?日本に滞在中は色々お世話になりました。十年ぶりに帰った私の生家が、いまもなお、昔と同じ家の息吹を放っている事に驚きました。人の住まない無人の家は、またたく間に荒廃すると言われますが、父と母も亡くなり住む人のいないあの家が、今もなお変わらぬ懐かしさで私を迎えてくれたのです。これもすべて従妹であるあなたのおかげだと、深く感謝しています。

たとえ従妹とは言え、車で一時間以上もかかる場所から月に二回出向き、大きな田舎造りの家の窓を開け放し、風通しを良くし、庭の草木の手入れまでして下さるあなたに、とても感謝しています。

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実は、今度の帰郷には私なりのある計画があったのです。あなたも知っていますね、家の二階にあった父の大きな書棚。その引き出しにアルバムに収まり切らない無数の写真が、ばらばらになって入っていました。

それらの写真を取り出し空気をあて、悲喜こもごもの思い出とともに葬られた写真達に、精気を与えたいと思ったのです。中には家族の誰にも見られず即、引き出しの闇に消された写真もあった筈です。その無念の思いを晴らしてやるなどと、ドラマチックな事を考えたのは、たぶん私の年のせいでしょう。

そして偶然みつけたのですが、それらの写真の中に、なんと死んだ兄の作文が入っていました。それは死ぬ約一年前の小学四年の時のもので、私はその時小学二年でした。半世紀近く引き出しにしまわれた原稿用紙一枚のそれは、セピア色に変色し折った部分に穴があき、今にも引きちぎれそうでした。なぜそんな所に古い兄の作文があるのか、たぶん、兄の死を誰よりも嘆き悲しんだ母が、捨てきれずに入れたのでしょう。それを読む事は彼の知られざる秘密を読む事のようで、私の手は震えました。

「ぼくは、大きくなったらお船の船長さんになりたいです」まず一行目にそう書いてありました。「そして外国の大きな海に行って、いろいろ見たいです。そして買い物をして、外国の町も歩きたいです」などと書かれ、何か胸がつまるような文字の羅列でした。白血病で寝たり起きたりの自宅療養を半年もして、ついには夏の夕暮れ、空中に舞い上がるような、突然の発作を起こし死んでしまった兄。

その兄にとても我がままで意地悪だった私は、わざと兄の嫌がる事ばかりしていました。それをいちいち母に言いつける兄がまた憎らしく、ふらふらと家の中を歩く兄の足を後ろから蹴ったりしました。兄はよろよろと倒れ泣きました。お医者から食事制限を言い渡され、骸骨のようにやせ細り、ほとんど死を待つばかりの兄。栄養を取らなければいけない一番大事な時に、「あれは食うな、これは食うな」と言う藪医者に死ぬまで診てもらったのは、彼が父の友人だったからです。そういう時代でした。

Japanese brother and sister on a hike (7 years old boy and 2 years old girl)

兄のセピア色の作文を私はアメリカに持ち帰りました。少女が紙細工をするように、それをハサミで細かく細かく切り、兄が行きたかった太平洋の海にばらまこうと思ったのです。まるで遺灰のように。ある種の人々がするこの、ロマンチックな埋葬の仕方を兄は喜んでくれるでしょうか。

真っ青な空と真っ青な海、潮風が心地よい、その日は素晴らしい海びよりでした。一艘のクルーザを貸し切り海に乗り出しました。船のキャプテンにはあらかじめ事情を話していたので、彼は私の望み通りの場所で船をとめてくれました。ゆらりゆらりと波に漂う船の上で、あらかじめ小さな袋に入れた兄の遺灰、いや作文を手のひらに取り、船の手すりから海にばらまきました。待ち構えていたかのように無数の小さな紙の破片が、潮風に吹かれ舞い上がりそして舞い散りました。

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ふと空をあおぐと、一羽のかもめがゆっくりと飛翔しています。引き出しの中で物悲しく眠っていた兄の魂が、いま自由になって空を飛んでいるのだと思いました。その時でした、『恋はみずいろ』と言うあのポールモーリアの美しい旋律が、どこからともなく流れて来たのは。いえ妄想ではなく、私にははっきりと聞こえたのです。海をモチーフにしたあの美しい恋のメロディ。恋する事も知らずに死んだ兄を慰めるような、海からのそれは素晴らしい贈り物でした。

こんな私をあなたは、センチメンタル過ぎると笑うでしょう。でも今私は、私の中の一つの時代が終わったような気がしています。そしてこれからまた、新しい時代に向けて強く生きて行かなければなりません。またお会いする日を楽しみにしています。さようなら

ぶどう棚の下

ぶどう棚の下で飲んだワイン、食べたピザ、パスタ、イカ、タコ、アンチョビ料理、その余韻がまだ体中に残っている。イタリアの農家の庭先にある、年季の入った木製のピクニックテーブルそんな風情のテーブルで、イタリア人旅行者グループとの偶然の相席パーティ、イタリア人男性の素晴らしいテノールも聴けた。まるでイタリアに行ったよう。サンタバーバラ、ワイナリーへの半日ドライブ旅行はまずは上々だった。そんな異空間からの帰り道、運転していたベンが「しまった!」と声を上げた。

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「どうしたの?」と妻のエリカ。「EXITを間違えた」と彼が眉をしかめた。

Los Angeles exit sign on 101 freeway southbound

「Uターンすればいいじゃない」とエリカ。ところがUターンすべき次の出口を間違えたり迷ったりしているうちに、やがて車は未舗装の田舎道に入って行く。道の右脇はトウモロコシ畑、左には野菜畑が広がり、家屋の少ないど田舎だった。黄昏に近い時刻、エリカは心細くなって来た。

しばらく行くと、前方に背の高い痩せた女の姿が見え、幼い男の子を連れている。「ヒッチハイクだな、人助けでもするか」とベンがつぶやき車を止めた。女はあまり嬉しい顔もせず車に乗り込み「親戚の家に遊びに来て散歩の途中で道に迷った」と後部座席で言った。エリカが振り向くと、男の子が上目づかいに彼女を見た。どこか怯えたような表情でにこりともしない。

「あたし、宇宙人を見た事があるの」突然、女が言った。「どこで?」思わずベンが聞き返す。「オレゴンの私の家の近くで。大きな杉の木の幹のそばで焚火してた」「話したの?」「ううん、だって言葉がわからないもの」「どんな顔してた?」これはエリカ。「目が大きくて頭も大きい。身長がとても低い。みんな首に緑色のペンダントを下げてた」エリカがベンをちらりと見た。

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「それでどうしたの?」とベン。「みんなで焚火のまわりで踊ってた。わいわい騒いで。木の幹には向こうへ抜けられる大きな穴が開いていて、そこにも一人宇宙人が座っていた」「君も踊ったの?」それには答えず女は「ああ、ここでいいわ」と言った。

親戚の家に着いた。女は「ありがとう」も言わず家の方に歩き出した。道から入って右手に、古めかしい田舎家があり、ポーチにはスイング式の長椅子がある。庭の隅に大きな花畑。カンナやひまわり、グラジオラス、のびすぎた背高い枯れた花ばかりが、折り重なるようにして立っている。その周りに張り巡らされた背高い金網。花の手入れがなってないと、エリカは悪意を持った。

女が戻って来た。「留守で誰もいない」と言う。もう一軒従妹の家が近くにあるから、そこへ連れて行ってくれと言う。「ダメ」と言う目くばせを強く、エリカがベンに送った。ベンはそれを無視した。20分も行くと前面に川のある、集合住宅があった。そこに従妹が住んでいると言う。幅の広い川だが水量は極端に少ない、大小の小石がめだつ。所々に巨岩が転がっている。川の向こうは白樺林だった。西部と言うより東部によくある風景だ。

入口で女と子供を降ろすと、「さあ行きましょ!」とエリカがヒステリックに言った。動作ののろい女にイラついていたのだ。「もう少し様子を見よう」と、ベン。「冗談じゃないわ!もう十分よ。おつむの弱いあんな女ほっときましょ」「気づいた?彼女妊娠してるよ」「えっ、うそっ!」「もう四ヶ月は行ってるな」とベン。「おつむの弱い子供連れの妊娠女をほっとく訳には行かないよ」だが女はなかなか戻ってこない。ベンはアパートの前まで様子を見に行った。すると女と子供は川の上の岩石に乗って遊んでいた。

車はサンジェゴフリーウエイを走っている。ロスのダウンタウンに近い場所で、道路の両脇に無数の灌木が生えた、あのお馴染みの高い崖が見えた。ここまでくれば自宅までもうすぐ。黙りこくっていたエリカが言った。「宇宙人を見たにはまいったわね」「でもあれは信ぴょう性があるな」とベン。「まさか、あんな頭の弱い女の言う事を信じるの」「そこだよ、頭の弱い女がなぜあれほど事細かに、見てもいない宇宙人を描写できるかと言う、、、」

「案外彼女も宇宙人だったりして」エリカが冗談めかすと「ありえるな、宇宙人には色々種類があって、なかには人間そっくりの宇宙人が地球のあちこちに侵入してると言うからね」と無表情にベンが言った。「宇宙人が人間とセックスして、子供が出来た訳ね」エリカが皮肉る。「うん」ベンがうなずいた。その横顔は得体の知れない新興宗教に毒された、新信者のようだった。

エリカは窓外に目をやった。さんざめくダウンタウンの街明かりが見えた。地球の、人類の街明かりだった。彼女はワイナリーの庭から見た、太陽にきらめく広大なぶどう畑を思い出した。人間の人間の知恵による、整然とした豊かな恵みの畑。今ではとても懐かしく思える。明日からまたいつもの日常生活に戻る事を、彼女は熱望しそれを信じた。

Downtown Cityscape Los Angeles at sunset

ピヨピヨピヨ

ピヨピヨピヨと音がして飼い猫のララが、私の前を素通りした。居間のソファに座った私が「ララ!」と呼び止めると、ボトリと口にくわえていたものを床に落とし、こちらを振り向いた。落とした物はスズメ。スズメはふらふらとキッチンへ歩き始め、それをララが猛然と追いかける。だがスズメも強気で、あちこち必死で逃げ回る。ララがそれを追う。すずめが逃げる。ララが追う。スズメをさっと私が取り上げた。

約一年ほど前、ララがスズメを捕まえて来た時、小鳥はまだララの口でばたばたと羽を動かしていた。それは実に痛ましい姿で、私はスズメを奪い取り逃がしてやった。その後で、「すずめは友達だから仲良くするように」と、言い聞かせた。その言葉を理解したのかどうか、その後、鳥を捕まえてくる事はなかった。そして一年後の今、またこの始末である。

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実はそれから三十分ほど前、ある出来事があった。バスルームにいた私をつけて来たララが(彼女はどこへ行くにもつけてくる)洗面台の上でじっと私を見つめていた。バスルームで見つめられるのは、落ち着かないものだ。私はたまたまそこにあったライターをつけ、彼女の顔面にかざした。気をそらすために。薄暗い部屋で赤い小さな炎がめらめらと揺れるのをじっと見て、ララは大きく目を見開いた。その十分後だった。鳥をくわえて来たのは。

Sparrow Bird Sitting on Old Stick. Frozen Sparrow Bird Winter Po

猫は火を見ると狩猟本能を、あるいは闘争心を掻き立てられるのか?これをネットで調べて見た。他の動物は火をこわがるが、猫は平気であるとまず書いてある。だが読み進めて行くと、火をこわがる動物はあまりいない。しかも人間が山中でたき火をしていると、自分も暖を取るために寄って来る動物さえいると言う。今では野生動物も人間を見慣れてきて、ひと昔ほど怖がりもしないのだろう。火を見れば暖かさを感じ、そのまわりにいる人間も暖かく優しく見えるのかも知れない。

ところでララの狩猟本能、それを無理やりへし折ろうとしている私は、自然界の摂理に手向かっている訳だ。弱肉強食それが摂理。アフリカの草原ではもっとおぞましい事が行われている。自分は人間と言う同志が殺した鶏、牛、豚の肉を平気で食し、猫が小鳥を捕まえるのはだめだと言う。なんと身勝手で残酷な言い草か。しかも飼い猫の狩猟は、飼い主への贈り物企画だと言うのに。

だがなんとかして今のうちに止めなければ、そのうちネズミやモグラ、ヘビを捕まえて来ないとも限らない。そして最後は、巨大猫に変身して私に襲い掛かって来る。まさか、、、。

結局こんども私は、ララの手からすずめを奪い取り、逃がしてやった。だがララは怒りもせず、何事もなかったように毛づくろいなどしている。その時の彼女の心境が知りたい

black and white kitten sitting in a clay plate and looking at a

海沿いに家

海沿いに家を買った、遊びに来て、とナナからハガキが来た。樹里は首をかしげた。最後に会ったのは一年前の結婚式だ。以来、何の音さたもなかった。「海沿いの家!いいじゃないか!行こう、気晴らしになるよ。ブラッドに会うのも久しぶりだ」夫のトムが意味ありげなウインクをした。「でも、どう言うつもりかしら、それほど親しい訳でもないのに」「心配するな、彼らは悪い人間じゃない。ちょっと変わってるだけだ」樹里の肩にトムが手を置いた。

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ずいぶん前の事だが、フリーウエイで故障した彼らの車の修理を、トムが手伝った。結婚式の招待状が来たのは、その一年後だった。そしてそのまた一年後の、海辺の家への招待。樹里は納得が行かない。「大丈夫だよ、何か魂胆があってもこっちが行かなければ、彼らには何も出来ない訳だから」トムの言葉に樹里は黙った。

サンジェゴから3時間も車で行くと、目的地に着いた。海に面した広い道路のわきに、ライフガードステーションに似た小さな家が建っていた。それが彼らの新しい家。早めに着いたので、二人は海岸まで下りて見る。海岸は砂利におおわれ、裸足では歩けない。魚眼レンズで見たように、なんとなく海の両端がつりあがって見えるのは、暑さのせいかも知れないとトムは思った。耐えがたい暑さだった。

「これは海じゃない、湖だ。ごらん、水平線に密林のようなものが見える。あれは島ではなく、対岸の景色だ」トムが指さした。ハガキを見た時に、そんな事はすでに分っていた事だった。ただそれを海だと言ったナナとブラッドの真意が解らない。密林を背景にウインドサーフィンをしている男性が、一人いた。岸辺には誰もいない。黒い小さな丸太のようなものが、あちこちにある。椅子のつもりだろうか。

Silhouette of a man walking on a pier at the lake

満面の笑みでナナとブラッドは二人を歓迎した。家の中は狭く非常に暑い。天井扇風機が回っているが、取り付けが悪いのか音がうるさい。ナナはずっしりと太り常に笑みを浮かべている。ブラッドは、車の故障でトムにヘルプして貰った事を話題にし、またもや礼を言った。「君たちのように素晴らしい人と知り合えて嬉しい」とも言った。大量のマカロニチーズと野菜サラダの夕食を前にして、だが四人の会話ははずまない。来るべきではなかったと樹里は思った。「明日は島までボートで繰り出そう」寝室へ向かう樹里とトムの背中に、ブラッドが声をかけた。

翌朝、異変が起きた。トムが高熱を出したのだ。彼らが寝たデンは夜は極寒の寒さで、トムは一晩中、ソファベッドの上でガタガタ震えていた。暖房の装置はない。真昼の酷暑と夜の激寒にトムは翻弄された。島へはとても行けないと樹里が言うと、ブラッドは肩をすくめ、ナナは場違いな微笑を浮かべていた。意味不明な微笑は、時に人をいらつかせ不安にさせる。同じ微笑を以前どこかで見たと樹里は思った。それはナナの母親の笑みだと樹里はやがて気づく。

ナナの結婚式は医師であると言う、フィラデルフィア郊外の父親の家で行われた。トムと樹里はその時もバカンス気分で出かけた。どことなく昔のプランテーションハウスを連想させる、白亜の邸宅である。だが門はなく無趣味な空地のような所に建っている。邸とはだいぶ離れた場所の、とても野趣的な庭でパーティが催され、百人以上の招待客が飲み食いをしていた。ボーカルなしの4人編成バンドが、ひっきりなしに演奏している。庭に植わった数本の西洋柳の老木が、それにあわせるかのように枝を揺らしていた。

母親は日系3世の女性だった。非常に無口でぼってりとした体、招待客をぼんやりと見ていた。摩訶不思議な微笑を浮かべて。樹里は彼女と話したが、意思の疎通は出来なかった。白亜の邸宅はやはり医師だった祖父から、母親が譲り受けたものと言う。婿養子だと言うやはり日系の父親が、何かと母親の世話を焼いていた。

やがてそんな事にも飽きた樹里とトムは庭を歩き始め、トムの出来心で邸宅の中に入って見る事にした。玄関の扉を開けると、円形のホールの天井の豪華なシャンデリアが目に入った。家具がないのが不思議に思えたが、やがて二人は唖然とした。家中に空の段ボール箱が散乱している。寝室には床にマットレスが無造作に置かれ、ここにも段ボール箱が幅を利かせている。ごみ屋敷ではない。段ボール箱邸である。恐ろしく生活感のない不気味な家だった。

トムの熱が引いた翌日、二人は帰途につくことにした。町中を運転しながら「この湖の町は」と、トムが言った。「リゾート地として売り出したが、それが不発に終わった町だな」廃屋となった貸しボート屋が、彼の視線の先にあった。空き家の家が多く、窓に板が打ち付けてある。一時期は賑わったであろう、ホテルやレストランの色あせた看板。民家のポーチでは揺り椅子に座り、年寄りがじっとこちらを見ている。勤めていた製薬会社を首になり、ここに移転したと言うブラッドの言葉をトムは樹里に話した。彼女はナナの微笑を思い出しぞっとした。

View of the deserted sandy beach and the city at sunset

ベニスビーチ

ベニスビーチ、私はこのしれっとした背徳感あふれる街が好きだ。金持ちが影をひそめ、ホームレスが幅をきかす、この愉快な街が好きだ。街全体が何となく、原色の絵具で描かれた油絵のように感じるのは、街のあちこちにある壁画のせいかも知れない。娘が住んでいるのでときどき出かける。

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ある夜の事だった。ディナーをすませイタリア料理店から二人で出てくると、「そのドギーバックと僕のラッキーコーターを交換しませんか」と言う声が聞こえ、見るとバーバリー風のコートを着た洒落た紳士が立っていた。「バーバリーコートの紳士が、ドギーバッグがほしい?」と不審な気がして良く見ると、ホームレスの男性だった。見ればコートもだいぶくたびれている。

「O K」と娘はいい、バッグを差し出し25セント玉を受け取った。二人は笑みさえ浮かべ、それぞれの持ち物を交換した。淡々としたこの物々交換を見て、大げさに言えば、これが『ベニス気質』とでも言うものかと感じ入った。私なら「いえ、お金はいりませんからどうぞお持ち帰り下さい」と袋を彼に押し付けるだろう。そんな事はしないのが娘である。すべてはフェアにやる。バッグの中には私の食べ残しの、香草入りスパゲッティが入っていた。後で、「あのスパゲッティは明日食べるつもりだった」と心にもない事を言ったが、娘は歯牙にもかけなかった。

今年はドジャーズがWSに進出すると言うので地元は盛り上がり、スポーツバーで中継を見る事にした。まだプレイオフの時期で、対戦相手はアトランタのブレーブスだった。店内はかなり混雑し、適度な騒音につつまれている。バーカウンターの上に、46V型のテレビが横並びにずらりと並び、野球とフットボールの試合を交互に流している。私たちはそこから少し後ろの横長の細いテーブルに並んで座った。なんとなく小学生が黒板を眺める感じである。なぜかジョッキ入りのビールが次々に運ばれて来るので、いい気になって飲んでいたら目はしょぼしょぼ、体はルンルンになって来た。

そこで娘が八回の裏で「なぜカーショーはまだバッターボックスにいるのか?」と聞いたのHappy friends drinking beer and cheering together in a barで、「彼は今日は調子がいいので9回まで完投するのだ」知ったかぶりして答えた。すると彼女は右隣に入る友達に同じ質問をし、また私に向き直り「カーショーは9回で投げたりしないんだって」と、二人のコメンテーターの間でいい気になるアナウンサーのような顔をした。その通りだった。あるいはあれは七回裏だったのかもしれない。

だいぶプライドが傷ついたので画面から目を離し、先ほどから斜め左前のバーカウンターで、ゆらゆら揺れている黒い小山を見る事にした。つまり小山のように太った女性をだ。肌の黒さとドレスの黒さ、細い無数の三つ編みにした髪の黒さが、一つの黒い小山に見えたのだ。興味あるものを見つけるとついガン見するのが私の悪い癖で、その時も彼女をじっと見つめていた。すると彼女が時々私に流し目を送り「何を見てるの、そこのあなた、うっふん」と言った感じでにやっと笑う。ビールの力もありこちらも、意味不明の微笑を返したりしているうちに、二人の間にある種の暗黙の親愛関係のようなものが生まれた。

と、思ったのだが、つまらなくなったのか彼女は急に、隣の男性にちょっかいを出し始めた。連れがいたのだ。男性は格子縞のジャッケットにパナマハットをかぶり、テレビに見入っていた。すると椅子の下の彼の足を、小山の女性が蹴るのである。ぶらんぶらんと調子をつけて、彼の足をリズムをつけて蹴る。だが男性は見向きもしない。やがて女性はたちあがり、その重い体をときどき壁に預けたりしてトイレに向かった。帰って来た時には真っ赤なリップスティックをつけていた。それが彼女のダークスキンにとても似合う。

やがて試合が終わり彼らは帰り支度をはじめた。あっとそのとき驚いた。カウンターから降りた男性は女性に負けず劣らずの巨漢で、しかも男性ではなく女性だった。ボーイフレンドではなくガールフレンドだったのだ。二人は腕を組み外へ出て行った。

こんな事に驚く私は、まだまだベニス住人にはなれないのだろうな。

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夜更けに銃声の音

夜更けに銃声の音を聞いた。ああ、また人が一人死んだのだと思った。ほとばしる胸の血しぶきを片手で押さえ、床に倒れ込む人の姿を想像した。するとあたかもそれが、自分自身であるかのような胸騒ぎをおぼえ、ベッドから起き上がろうとした。だが睡魔の妖精たちに体中を抑え込まれ、身動きが出来ない。そのままベッドの底へ底へと沈んで行った。

17302320 - gun with bullet holes and blood

どうにか妖精たちを手なずけ外へ出た。そこには煌々と月光に照らされた黒い石畳が、濡れたように前方に続いていた。どうやら狭い路地裏のようで、両脇にアーチ型の木の扉が、ある間隔を置いて並んでいる。それぞれの扉に、鉄製の黒い馬のひづめの形をしたドアノブがつけられ、レンガ塀にはベゴニアの鉢がいたる所に飾ってある。何か遠近法で描いた絵画のような道を、ひたすら前方へ進んだ。道の終わりはなく、世界の果てまで続くかと思われた。

Umbrella on dark street in an old Italian town in Tuscany, Italy. Raining.

やがていっきに視界が広がり、月に輝く茫々とした砂漠が見えた。月の砂漠、月の砂漠。私は言い知れぬ心細さと寂寥感で、心がなえた。すると至近距離にある黒い枯れ木のような木に気づいた。人間の毛細血管のように小枝を張り巡らせた、気味の悪い木だ。ふと見るとその木のそばに、男性がひとり腰を下ろしている。「銃声を聞きませんでしたか?」と私は聞いた。「いえ、何も」と彼が前をむいたまま言った。

二の句がつげず黙っていると「この頃は銃声の音など日常茶飯事ですよ。まるで花火のようにばんばんと上がります。自殺、他殺、何でもござれで、私の妻もピストルで殺されました。何ね、店のはした金を盗もうとしたチンピラ強盗に手向かったんです」私は息を呑んだ。「妻はふだんは賢夫人を気取っていましたがね、なかなかどうして性根はマフィアの情婦でした。だから、チンピラ強盗に手向かったりするんです」私はいつか映画で見た、とてもエロチックなマフィアの情婦を思い出した。「正直、死んでくれてほっとしてるんです」

彼はそう言うとふと、前方斜め前を指さして言った。「あなたにはあれが何に見えますか?」そこには大きな砂丘と小さな砂丘が、右と左に横並びにあった。「砂丘ですね」と私は言った。砂漠全体が隆起のないだだっ広い場所に、そこだけ突起が出ている。「いえ、あれは女体です。横向きに寝た女の裸体の後姿です。ふたつの砂丘の間がすとんと落ちている、あそこが腰のくびれです。女体の寝姿です」彼は事もなげに言った。

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私は次第につまらなくなり、もうホテルへ引き返そうと思った。ツーリストである私が、こんな所で暇をつぶしていては、明日の帰国の飛行機に遅れてしまう。別れの言葉を告げようと、彼の背中を見た。すると彼が「それより僕と一緒に、クリスマスツリーを見に行きませんか?」と言う。「いえ、ここからすぐです。ただ上を見ればいいだけの話です」と空を見た。見ると満天の星屑の中に、まばゆいばかりの金、銀、オレンジ、紫と、カラフルな星の飾りをつけたツリーが目を被った。天使が飾られるべきツリーのてっぺんに、ひときわ巨大な星が光を放っている。「実はあれは、天の川なんです。砂漠では天の川がクリスマスツリーになるんです」彼の声が次第に遠のいた。

やがて彼が私のそばを離れて行く。すっかりと離れた場所で私を振り向き、右手を上げた。さよならのつもりだろう。その時、三日月の形をした彼の白い顔がはっきりと見え、それが昼間みた画廊の主人である事に気がついた。私は急に疲労を感じ砂の上にあおむけに寝そべり、頭の後ろに手を組んだ。こんな事をしていると、そのうち頭にターバンを巻いた夜盗がラクダに乗ってやって来、私の脳天を湾刀でぶった切るかも知れない、いや運が良ければ、明日もまたふかふかの羽枕の上でめざめるだろうと、とても曖昧な気持ちで深い眠りに落ちて行った。

キッチンの裏戸

キッチンの裏戸を開け、シダや小草が生えた緩い崖を恐る恐る降りていく。地面が湿って滑りやすい。崖の下には小さな沼がある。表面にドロドロと黄緑色の藻がよどみ、何か獲物を待ち構えている感がある。加奈は崖の途中で立ち止まった。そこから沼全体が見える。年月を経たツタの木が岸辺を囲みあたりが薄暗い。今まで気にもかけなかったが、なんとおどろおどろした光景だろう。

Reflections on the dark water of small swamp in the forest.

加奈はふと数日前の、隣家の老婆の言葉を思い出した。「あんたの家は呪われてんのよ。昔、あの家の三才の男の子が沼におぼれて死んだの。だからあの家、安かったでしょう」家は事故物件だと言いたいのだろうが、不動産屋は何も言わなかった。「今でも時々その子が、ずぼっと沼から立ち上がるんだよ。いっぱい藻をかぶってね、水の底にいると息苦しくて、やってられないってね」老婆は、あの家を買った者は長くは住まない、死んだ子供の霊が生活の邪魔をするからと言った。「あんたの旦那さんが交通事故で死んだのも、祟りなのよ」わざわざ玄関のベルを鳴らしそう言った老婆とは、これまで話した事もなかった。

アメリカ東部の小さな町のこの家を買って一年、なぜ老婆は今頃になってそんな事を言うのだろう。「ママー、バスが来たから行くよ。ポールはまだ食べてるからね」崖の上から、バックパックを肩にかけた八才のモニカがそう言うと、スクールバスに向かって走って行った。加奈は一瞬パニックになり、つぎに朝食の途中だった事を思い出した。家に戻ると三才のポールが、顔中をミルクだらけにしてセリオを食べていた。二人とも混血でとても可愛い。

加奈の夫はフィリッピン系アメリカ人で、真面目実直を絵にかいたような男だった。そんな人間ほどある日突然あの世へ行くと、人から言われたりもした。あの日、二人のポリスが玄関先に立っていた。一人はアーノルド シュワルツェネッガーに似て、一人はダニー デビートにそっくりだった。「あなたの夫が交通事故で死にました」と背低い方がいい、のっぽの方が悲し気な顔をした。何か映画でも見ている気がして、加奈はくすっと笑った。「大きなトラクターと衝突し即死です」とのっぽが言った。その後二人は何か言っていたが、すでに頭が真っ白になった加奈は茫然としていた。

いつまでも頭を真っ白にしている訳にもいかず、モールでの週三日のギフトショップの仕事は、休まず出かけた。同じモールで彼女の夫も警備員をしていた。いつも一緒にランチを食べたフードコートで、今は一人で食べる。夫が好きだったフイリッピン風焼きそばを食べながら涙が出た。彼女は隣家の老婆の事を思った。今でも時々立ち止まって、意味ありげに加奈を見る。ボサボサの灰色の髪をポニーテールにして、色あせた花模様のワンピースで近所を徘徊する。気色の悪い老婆だった。

だが世の中、気色の悪い人ばかりではない。ある日の午後加奈が、家のそばの重いダムスターの蓋を開けようとした時、誰かがさっと持ち上げてくれた。近隣の男性だった。たたずまいの良い初老の男性で、ときどき訪ねて来る孫と家の前で遊んでいる。「How are you doing?」そう言われ加奈は「I am fine thank you」と明るく自動的に言った。何がfineなものか、夫を亡くした家は火の車である。

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すると男性が少し声を低めた。「ナタリーの言う事は気にしない方がいいよ」ナタリーとはあの老婆の事。「沼で死んだ男の子、彼女はあの家に越してくる者には、必ずその話をする。そうやって新しい隣人を怖がらせる。すべて作り話だ」と言い慎重にうなずいた。ではなぜ家は破格の安さなのかと聞いてみたい気もしたが、彼女はすっかり生活に疲れていた。「君の周りには優しい親切な隣人が、沢山いる事を忘れてはいけない」加奈はこの人格者らしき老人の言う言葉に、非常に癒された。地獄に仏とはこの事だろう。彼は加奈が住むコミュニティのチェアマンだった。「何か手伝う事があれば、いつでも相談に乗る」彼はそう言って微笑んだ。

「君の周りには優しい隣人が沢山いる」たとえ嘘でも、そんな言葉をかける人間はあまりいない。それが非常にタイミングを得て、心なごむ言葉だっただけに、加奈の胸を強く打った。日本にいる両親には反対された結婚で、もはや行き来はない。夫との家族とも、彼の死後は音沙汰もない。加奈は先の事を考えひたすら絶望していた。その時のチェアマンの言葉である。胸の底から力が湧くような気がした。夕食の時など子供を前にして、「よし、この国で子供たちと強く生きていこう」と思うのだった。チェアマンはあれから加奈を見ると、民に手を振るローマ法王のように、寛大で慈愛に満ちた笑みを返してくれる。そうなると不思議なもので、沼の景色も聖域に見えて来る。

それから数ヶ月して、両親から電話があり日本に帰って来ないかと言う。「あなたたちが帰ってくれば、今の家をリフォームして二所帯住宅にして、一緒に住めばいい」母親がはずんだ声を出した。またかと加奈は思った。独り立ちしようとすると、必ずじゃまする両親だった。日本に帰る話は、しばらく保留にしようと心に決めた。

20196963 - portrait of a senior asian couple

わたしは猫 なまえはララ

わたしは猫、なまえはララ、こんな書き出しで可愛い猫のお話を書きたいと思うが、後が続かない。いくら頭をひねっても次の言葉が浮かばない。そうだ夢を見ようと思った。私の夢はとても実用的で、例えばトイレットペーパーがないと思っていると、その晩さっそく買い物に行く夢を見る。起きた時に現物が枕元にあるわけではないが、それがほっこりとしたヒントにもなる。猫のお話をと念じればヒントが浮かぶかも。だが夢に出てこない。『求めよさらば与えられん』と言う風にはいかない。そしてあっと思い当たった。私は無理に猫語で書こうとしていたのだ。人間の言葉で書けば良いのだ。よし、やって見よう。ララと言うのは私の飼い猫の名である。

*ララ   わたしは猫、なまえはララ、私の大好きな事は、パティオのテーブルに座って裏庭を見る事。大きな木の枝や草むら、芝生があってそれが光にゆれている。ときどき小鳥や蝶々、小虫がさっと飛んで来るからどきどきする。ジャンプして捕まえたいけどがまんする。ママが悲しむからだ。ひらひら飛んでる蝶々を見てたらベスがやって来た。

Convenient condominiums in downtown Kenmore.

*ママのコメント   外が薄暗くなったある晩、ララがばたばたと外から帰ってきて、口にくわえたすずめを私の前に置いた。「猫が生き物を持ってくるのは、贈り物のつもりだからほめてやれ」とネットにあった事を思い出し、その場はありがとうと頭をなでた。ララは何度も頭を私に打ちつけ、初めてのママへのプレゼントに興奮していた。だが二度目に持って来た時、鳥はまだ生きていた。さすがに胸が痛み「小鳥さんはお友達だから仲良くしなきゃだめよ」と言い鳥を逃がした。ララは不思議そうな顔をしていたが、それから二度と贈り物はしなくなった。

*ララ   ベスはわたしのお友達、近所に住む緑色の目をした黒い猫、いつも怒ったような顔、でも怒ってはいない。わたしはずいぶん前にやったけど、彼女はさいきん避妊手術をしたばかり、時々痛くて「ニャーニャー」と泣く。テーブルを降りて一緒に散歩に出かける。いつものように裏庭の右手にある小道を抜けて、大きな木のそばに二匹で寝ころぶ。ここからは走っている車が沢山見える。それが好き。でも決して通りには出ない、恐いから。ベスがすっと立って歩きだした。「どこ行くの?」と聞いたが何も言わない。彼女は通りと庭の境のところにしばらく立っていた。すると車が一台止まって、人間がさっと彼女をつかみ連れ去った。びっくりして大急ぎで家にかえり、ママがいつも少しだけ開けて置いてくれるパティオのドアから入って、キッチンにいたママに知らせた。「ニャーニャーニャー、にゃーっ!」でもママは「なあに」と言って後は知らんぷり。いつもの事だ。しかたなく私はパティオのテーブルに座って、じっと庭を見ていた。

11784565 - two kittens going for a walk together in the garden

*ママのコメント   ベスは隣家の猫、彼女は良くララに会いにパティオにやって来る。ベスが失踪してから隣家の夫人は、キチガイのようになって、ベスの猫探しの写真を街中に貼った。ベスと遊んでる姿などあまり見なかったが、とても愛していたのだ。「ララはベスの居場所など知らないでしょうね?」ある日裏庭で水まきをしていると彼女がやって来た。「さあー聞いてみてもいいけど」私もすっかり困った顔をした。まるで人間の子供の話をしているみたいで、二人でちょっと苦笑した。

lost cat

*ララ   ベスがいなくなってとてもさびしい。一緒にグルーミングした事、鼻キスした事、恐い目で見つめてくれた事を思い出す。木登りがうまくて良く上から私を見下ろしていた。時々草の中から小さなカエルを見つけ、逃がしてやっていた。勇敢で優しかったベス。パティオのテーブルに座ってベスを思い出していた。アイタイナー。「にゃー」と声が聞こえた。ベスがひょっこり草むらから出て来た。「にゃにゃにゃ」と、私はびっくりして走って近寄った。「どうしたの?」「逃げて来た」「どうやって?」「人間はバカだから簡単よ、散歩にいこう」「うん」私はベスの後をついて行った。彼女は私のママが苦手だから、会いたくないのかも。

*ママのコメント   ベスを連れ去った男性が彼女を戻しに来た。蒸発した自分の猫ととても似ていたそうだ。彼女は首輪をはめていなかったから心配していたが、幸運な猫は何をやっても幸運。ついでに言うと、ベスはララのいない所では私にとてもなついている。ヤキモチ焼きのララの事が良く分かっているのかも知れない。

これは約30年前

これは約30年前の話である。私はその頃高校生だった。結婚してアメリカにいた父の従妹の亜希さんが、私の田舎町、つまり彼女の実家に戻って来たのだ。離婚と言う事ではなく、ある精神病を治すためこちらで療養すると言うのだった。病名は躁うつ病だと彼女の父親が言った。あまり物を言わずふさぎ込むのだと言う。精神を病んだ彼女は、どこか朦朧としたはかない美しさがあった。日本で療養と言うのは彼女の希望だと言う。結婚して一度も里帰りしなかった彼女が、田舎に帰って来たのだ。

Japanese countryside village scenery in Fukuoka

彼女の父親には先見の明があったのだろう、いわゆる古民家にいち早く目をつけ、古い農家を買い取りリフォームし、人に貸したり売ったりしていた。その中の一軒を亜希さんに提供したのだ。アメリカから彼女を連れて来たご主人は、貸家としての代金を払わせてくれと言ったが父親は断った。用が済みアメリカに帰る日、名残惜しそうなご主人を、亜希さんは無表情で突き放した。たまたまその場にいた私は、彼の傷心の後姿を見る事になった。

なぜ私がこれほど彼女に固執するかと言うと、若い頃の父と彼女の写真を、古いアルバムの中に見つけたからである。その頃父はすでに定年まじかの地方公務員だったが、若い頃は美青年だったと祖母が言った。二人きりの写真が多く高校の制服を着て、美男美女が互いの愛をしんと受け止めているそんな表情をしている。「父もやるな」と言いたい所だが、彼は帰って来た亜希さんになかなか会おうとはしなかった。

二人は愛し合っていたのかと祖母に聞いた。「亜希ちゃんは本気だった。でも修二は違った。従妹同士だからね」と祖母は不思議な照れ笑いをした。修二と言う息子の名を奇麗に発音した祖母は、従兄に恋するなんて常軌を逸しているとでも言いたげだった。母との離婚の真の理由を聞きたかったがやめて置いた。

亜希さんを訪ねて私は、学校帰りに頻繁に立ち寄った。彼女も快く迎えてくれた。赤さび色の屋根を持つその古民家は南向きに建てられ、石垣の上の高台にあったから、表座敷の広縁からは、素晴らしい田園風景がのぞまれた。家のすぐ前には清流が流れ、裏山の竹林からは、さわさわと風に揺れる笹の音が聞こえる。亜希さんはこの家をとても気に入り、ペールピンクのシルクガウンを着て広縁の椅子から、いつも気だるげに景色を眺めていた。それは異国的で不思議な情景、だが時に見せる彼女の冷酷な表情がエキセントリックでもあった。

賑やかな雰囲気を彼女は望まなかっただろうが、家政婦が週に三回、彼女の父親が菜園を見にと、人の出入りは多かった。その事が功を奏したのか、彼女は次第に明るくなって行った。だが私は父の事などおくびにも出さなかった。言えばすぐに訪問を拒むだろう。彼女にはいつも一触即発の雰囲気があったから。「私はいつまでも英語が解らなくてね」とある日彼女が言った。私が黙っていると「でもその方がいいのかもね、よけいな事を知らずにすむから」と微笑した。

私は彼女ともっと話をしたかったが遠慮した。ただ一度、壺の事を聞いた事がある。表座敷の広縁の突き当りに大きなオーバル型の中国の壺が、黒い台座の上に置いてあった。茶褐色の上に不思議な鳥や花、空飛ぶ人などが流麗的に描かれ、とても高価な物のようだった。その事を聞くと「あれは主人がずっと前に買ってくれたものなの。中国の壺ではなく九谷焼よ。お気に入りだから我がままを言って、アメリカから持ってきたのよ」我がままと言う言葉に、ご主人への思いやりがあふれ、彼女はとても回復してきたように思われた。

33299510 - field after rain.

ある日父に頼んで、亜希さんを車で近くのマーケットに連れて行くことにした。父は渋ったが何となくいそいそもしていた。亜希さんが来てもう三か月が過ぎていた。車の中で父は、長い年月の埋め方がわからず、寡黙でときどき口をもぐもぐと動かしていた。亜希さんはずっと穏やかだった。私一人が座を取り持つために喋りまくり、後で後悔した。買い物を終え彼女の家の前で降ろした時、亜希さんはどこかよろよろと父に歩み寄り抱きしめた。彼はぶざまにも後ずさりをし卑屈な苦笑いでその場をごまかした。彼女は単にハグしたかったのだろうが、田舎者の父にはそれが判らず、私は気まずい思いをした。

その後数ヶ月して彼女はアメリカに帰って行った。迎えに来たご主人に何となく甘えていた。私は彼女が父を忘れられずに会いに来た等とは決して思わない。父と彼女にはとてつもない人生観、世界観の隔たりがあり、その隔たりを抹殺するため彼女は日本に来た。もう一度日本に来て、心にくすぶり続けた父への、そして田舎への郷愁を断ち切りたかったのだ。今ならそれが解る。

plane flying away in the sky