家に帰ってリビングをのぞく

家に帰ってリビングをのぞくと、祖父(母の父)と従弟(母の弟の子)が私を見た。従弟のケンタはまだ9才だ。でも2才は若く見える。東京から遊びに来てちょうど一週間になる。二人とも英語が話せず日本語カタコトの私とはあまり接点はない。話しかけようとすると逃げてしまう。

そんな彼らが今日はなぜか私をじっと見つめる。二人して人差し指で二階をゆびさし見つめる。人差し指で二階をつんつんして見つめる。「どうしたの?」と聞くがもちろん返事はない.

Japanese boy doing handheld fireworks (second grade at elementary school)

二階に上がり自室のドアを開けると、ベッドの上にブルースがあお向けに寝ている。頭の下に両手を組んで。「あんた、ここで何してるの!」私は怒鳴った。彼は上体を起こしニヤリと笑った。

先生にエイミーの様子を見て来いって言われたんだよ」「うそばっかり、病気で早退した私の後をなんで先生がつけさせるのよ!」「病気で早退?」ブルースがまたニヤリと笑った。この男はにやりとしか笑わないサイコパスのストーカーだ。

選択科目の外国語Spanishが嫌で仮病で早退したのに、帰ったら変態人間のブルースが待っていた。祖父と従弟を煙に巻いてドカドカ二階に上がったのだ。ハイスクールギャングの彼に見込まれた私は、蛇とねずみの関係。ギャングはギャングでも心理的に絞め殺してしまう陰気な奴。

ブルースはサイコパスとしての特徴を豊富に兼ね備えている。まず平気で嘘をつく、自己中心的、優しさの欠如、自分の非を認めない、口達者、始末に負えないナルシスト、などなど。彼も日本人と白人の混血、それを理由に私をストーカーしている。

一週間前、教室の窓から生徒たちが身を乗り出し大騒ぎをしていたので見ると、あいつがショーツ一枚でグラウンドを走りまくっていた。背中に星条旗をひるがえし下手糞な字で胸に書きなぐったI LOVE AMYの赤文字が、発狂するかと思うほど恥ずかしかった。私の名前はAMYだから。

US Flag WWI-WWII (48 stars)

後で文句を言うと「バカだなーあれはAMY CRAGGの事だよ」「AMY CRAGG?」「ほら、マラソン走者の、オリンピックに何回も出た。東京で金メダルを取れるように気合を入れたんだ」それから私を蔑むように見て「君は実に自意識過剰だね。前から思っていたけど」またもやニヤリと笑った。

私は父はフランス系のアメリカ人、母は日本人の交配で産まれた。でも混血で良かったと思う事は一度もない。折れ耳で人気のスコティッシュフォールドは、その折れ耳が可愛いと品種改良で何度も交配を続けさせられ、軟骨異常のリスクを抱え産まれて来る。私は身体的なリスクはないが、胸の中にいつもチクチクとうずく寂しさのようなものがある。白人でもない日本人でもないよりどころのない寂しさ、それが私をイライラさせる。

ブルースはあいつの事だから自分を、超高級の、いや超超超高級のハイブリッドなペット犬ぐらいには思っているに違いない。女にもてるからいい気になって学校ではいつもはしゃいでいる。「あんたすごいもてるじゃないの、私なんかつけまわさなくったって間に合ってるんじゃないの」ある日そう言った事があった。

するとあいつは糞真面目な顔で「僕は君の日本的な静けさが好きなんだ、うるさい子は嫌だよ。それに体のサイズもちょうど良い」と抜かした。この頃は平気で私の家にやって来て、私の部屋には入れないから、ただあたりをうろうろしている。

東京から来た祖父と従弟はまだ滞在している。二人とも母とだけ喋って父は黙殺されている。いったい何が面白くて滞在を延ばすのかと思うが、帰らないからしょうがない。両親はしばらくあちこち連れて行ってたが、喜怒哀楽を絶対表現しない二人にあきれ果て、この頃は単なる空気の存在としてしか見ない。

そんな彼らがあした日本に帰ると言う日が来た。裏庭でバーベキューをしていたら、裏木戸を開けブルースがやって来た。「ヘーイ」」と気安げに片手をあげニコニコしている。すると驚いた事にケンタが「ヘーイ」と片手を上げた。「ブルースはケンタのお気に入りだから招待したのよ」と母が言う。

Selection of meat on a portable barbecue

二人とも日本アニメのドラゴンボールZの大ファンで意気投合したそうだ。スペアリブで口をべとべとさせ楽しそうに話してる。ブルースが日本語を話せるなんて知らなかった。

彼らが帰って一週間ほどしてケンタからThank Youカードが届いた。アメリカで一番楽しかった事はブルースと知り合えた事とある。あの無口で人見知りなケンタにそこまで言わせるなんて。そんな特技がブルースにあったなんて知らなかった。

サイコパスは案外この私かも知れない。

人気のないうら寂しい場所

人気のない裏寂しい場所を歩いていると、白い暖簾の下がった料理店が見えた。長方形に切った大きな布を三枚、細い竹に通して左からア ゲ ハと墨と筆で書いてある。かすれたような洒落た書き方で、わび、さびを感じる。アゲハとは蝶の名前である。優雅な姿形をしてはいるが、どこか不吉な感じがする蝶だ。

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入るとすぐ小さな円卓が二つあり、その先にL字型になったカウンター、中に女将(たぶん)がいる。客は一人もいない。女将は後向きに立っていたがこちらを振り向き「いらっしゃいませ」と言った。「こちらへどうぞ」と自分の前のカウンターを指し示す。

私はあっと声を上げた。女性には目、鼻、口がない。『のっぺらぼう』である。そんな妖怪がいる事は知っていたが実際に見るのは初めてだ。ついでに言うと、私は妖怪は決して嫌いじゃない。思わぬ時に出て来て人を驚かす茶目っ気があり、愛嬌もある。幽霊よりも数段かわいげがある。

女将のすぐ前のカウンターに座りなべ焼きうどんを注文した。今日のおすすめメニューとあったので。ビールを頼み一口飲み気を落ち着かせると、絶妙のタイミングで「こう見えても私には、五か国の血が流れているんです」と彼女が言った。「日本、アメリカ、コリア、ブルガリア、あっそれからフランス」話す時だけは口が出て来て動く。赤い口紅をつけた唇が何かの花びらに似て可愛い。

「この辺はちょっと寂れた場所ですね。どうです、もうかりますか?」相手の出方が分かったので人心地のついた私は、少し強気に出てみた。彼女は小皿に入れたおつまみの枝豆を私の前に差し出し、じっと私を見た。いや見たと思う。目がないのだからどこを見ているのかわからない。

「店は繁盛していますよ。ここには色んな国のお客が来るんです」枝豆を一つつまみじっと見てると「大丈夫、毒はついていません」腹を見透かされたようで私は黙り込んだ。

mug of beer

「こう見えても私の頭の上には百万本以上の触角が突き出ているんです、目には見えないでしょうが。その触覚から色んなセンサーをキャッチし、その人の人柄、過去、人間関係、何でも分かる、それをもとに話をして行くんです。だからみんな喜んで戻ってこないお客はいない。それどころか友達を連れて来る」鍋焼きうどんに入れるシイタケを刻みながらそう言った。口調がどこか男っぽい。

その時、左斜め後ろの暗い場所から、十歳くらいの女の子が出て来て「ただいま」と言った。「お客様にご挨拶は?」と母親に言われ私に向かって「こんにちは」とお辞儀をした。この子ものっぺらぼうだ。それでも生き生きと口だけは動く。目の前の母親を見ると、うつむいた額の両脇にほつれ髪が垂れている。それが子供引き連れ苦節十年と言う、彼女の歴史を物語っているようだった。

鍋焼きうどんはその鉄鍋の大きさに驚いたが、すこぶる美味しかった。その味と面白いモノを見せてもらったと言う趣旨で、法外なチップを置いて来た。のっぺらぼうにもチップのありがたみは分かるらしく、とても喜んでいた。この店は家庭料理専門のおふくろの味が売りの店だ。

慣れとは恐ろしいものでそれからは行けば楽しく、のめり込んでしまった。のっぺらぼうが今では愛おしくさえ見える。女将の言う通り彼女は人の心をつかむ術を知っていた。今どきの高飛車な女とは違い控えめで奥ゆかしく、だが突っ込み所が鋭く聡明である。だがいつ行っても客は私一人だった。商売を続けられるのが謎だ。

「実は、僕はロスアンゼルスで不動産屋をやっているんですがね、日本人向けのね、今サンタモニカに格安の居ぬき物件があるんですよ」ある日とうとう言ってしまった。身元を明かして彼女の力になろうと思ったのだ。女将は不審そうに私を見た。この頃では彼女の表情が読み取れるようになった。

「もとは寿司屋だったんですが、店主が急に日本に帰る事になったんですよ。内装リフォームしてから三年と経ってない。厨房設備や空調設備も申し分ない、什器等も真新しく、ここより数倍賑やかな所です」「私にはそんなお金はありません」

アジの開きを私の目の前に置き女将がそう言う。「いや、そんなものはどうにでもなります。先方も急いでますんでね。なんなら資金の調達は僕がやってもいい」すると女将は非常に不機嫌な態度に出た。荒々しく流しの中の食器を洗い始めた。彼女が気を悪くしたと思い、私はそうそうに店を出た。次第に足も遠のいた。

それから数ヶ月するとサンタモニカに『アゲハ』と言う日本料理店がオープンし、とても流行っていると言う噂が流れた。そこの女将が絶世の美女だと言う尾ひれをつけて。

だが、その店に行くのはちょっと踏ん切りがつかない。女将が絶世の美女にしろのっぺらぼうにしろ、私のロマンが無視された現実を見るのは、やはりつらく悲しい。

Broken heart inside head

幕が開く

幕が開くと薄暗い舞台の中央左寄りに、ハンモックが見える。ハンモックはゆらりと揺れ、そこだけ光があてられている。次の瞬間いっきに舞台が明るくなり、洒落ただが荒れた人家の裏庭が現れる。

Audience in theathre waiting for drama play to start.

芝生を囲んだ白い小さな柵、中ぶりの白樺の木、そこに吊るされたハンモック、そんなものに観客はしばし目を奪われる。するとギーッと言う効果音。観客は舞台の上手を見る。裏木戸を開けて庭に入った若い女の姿が見える。友達のジンジャーだ。体にフィットした白いワンピースを着て、黒と赤で編んだ細いベルトを締めている。その美しい体の線に、観客が息を呑むのが分かる。

すると今度は下手のキッチンの裏戸が開き女が出て来た。奇麗に化粧した中年の女、美しいだがその美をなおざりに生きて来た、気だるい雰囲気がある。腰の周りがたっぷりとしている。

「よく来て下さったわね。あなたのお噂は主人から聞いてるわ。とても有望な新人だって」するとジンジャーが彼女に歩み寄り二人は舞台中央で抱き合う。そこでまた「ギーッ」と音がして男が入って来る。

男は驚きを隠しながら、「これはどういう趣向なんだ、僕の大事な女優がこんな所にいるなんて」両手を広げて場を取り持つ。すると妻は「疲れたでしょうからあなたは奥で休んで、あなたに用などないわ。さあ、あっちへ行って」と激しく右手を男の顔の前で振る。何も知らない女の前で夫をこきおろす。侮蔑、嘲弄する。男は悄然と家の中に入る。

ジンジャーは白人と日本人の混血で、そのミステリアスな美貌と奔放な性格で、舞台女優を目指している。だがそれは見ていてとても危なっかしい。

「今度ね、やっと主役をやる事になったのよ。必ず見に来てね」一週間前にジンジャーがチケットをくれた。古い映画館をリモデルした小劇場、そこで二週間の公演をやるそうだ。演出家のウエインは彼女の愛人である。それを知っている彼のワイフは、非常に陰湿で鬱々とした嫌がらせを彼にするそうだ。

だがそこは演出家、彼は妻の心理をもてあそび悦に入っている。妻と愛人のすさんだメンタルを題材に劇を一つ創り、大衆にさらしてしまう。

「この前、初めてウエインの家に行ったのよ。奥さんにランチに呼ばれて。そしたら彼が偶然帰って来たから、びっくりした」「彼あなたが来る事、知ってたの?」「ううん、奥さんが彼には内緒にしてって」

偶然帰って来る夫に妻が一泡ふかせるのだ。もちろん、彼は妻が自分とジンジャーの関係に気づいているとは、さらさら思っていない。それが冒頭の第一幕の演出となった。何も知らない愛人の前で夫を冒とくする。心折れた夫はしょんぼりと家に入る。演じたアクターの後姿が、とてもウエインに似ていた。

「彼ね、私と同棲しようって言うのよ。もう奥さんとは住めないって。彼女、彼の仕事に口出しをして仕事関係の交際にも難癖をつけ、それは嫉妬が激しんだって。フィッツゼラルドを悩ませたゼルダ見たいに」「でもゼルダは小説家としての才能もあったのよ」ジンジャーの言葉を私がさえぎる。彼女がゼルダを知っている事に驚いた。

フィッツゼラルドとゼルダは、1920年代に時代の寵児として富裕層に囲まれ、自由奔放な人生を送り、今も語り継がれる作家夫婦である。ウエイン夫婦と一緒にされたら、墓場の下で死んでも死にきれないだろう。

ウエインは初期の頃こそカリスマ性を示し人気があった。今では鳴かず飛ばず、自堕落なプロデュースでお茶を濁している。彼は女たらしだ。だがそこはそれ、女優であるジンジャーも不毛の愛を芸の肥やしにしているのだろう。そこまで頭が良ければの話だが。彼の劇を今でも見に来る女性ファンの多くは、そんな彼のドンファン的ムードに魅かれやって来る。

舞台はいよいよ4幕目。夫がドアを開け帰って来て寝室に入る。妻がしどけないランジェリー姿でベッドの上にあぐらかいている。その前に散らばるおびただしいネクタイ。嫉妬に狂った妻が、クローゼットの中の夫のネクタイをベッドにばらまき、それをハサミで切り刻むと言う惨憺たるシーン。

「女に会うたびに違うネクタイを締めたあなた、この一つ一つのネクタイに込められた想い出の女達を、切り殺してやるのよ」妻が危険をはらんだ陶酔の目でハサミを持ち、最初のネクタイを切り始める。夫があたふたとあわてる。そこで場内が真っ暗になった。まさかの停電だ。

やがて私の席の斜め前二列目あたりで、すすり泣きが聞こえた。停電で上演が不成功に終わった事を嘆いているのだろう。ウエインの女たちの一人だ、私の第六感が言わしめる。何かしらベッドの中のすすり泣きのようで、私はいたたまれず席を立ち外に出た。

外に出ると太陽がまぶしかった。駐車場の樹木の葉枝が美しかった。呪縛から解き放たれた囚われ人のように、私は両手を広げ新鮮な空気を胸いっぱいに吸った。

Public parking in the city of Split, Croatia.

舞台はさんざんな不評を買った。深層心理が見えて来ず、破綻した私生活を単につなぎあわせただけのパッチワークのような学生劇だと、ローカル誌がこき下ろした。

ジンジャーはこれからどうするのだろう。

ポテトチップスを買う

ポテトチップスを買う、そんな軽い気持ちで買った宝くじが当選していた。しかも1000万ドル。この現実にクリスは最近、不安、懐疑、ときめき、わくわくと言う落ち着かない日々を過ごしている。

ショッピングモールの化粧品コーナーで売り子をしているクリスは、ある日コンビニの入口の傍にある自販機に一ドル札を入れた。そして出て来た小さな用紙に、気まぐれな運命の女神が魔法の杖で細工をしたと言う訳だ。

Attractive woman on transit platform using a modern beverage vending machine.Her hand is placed on the dial pad and she is looking on the small display screen.

彼女はこのオレンジ色の当たりくじを、寝室の化粧台の引き出しの隅に入れた。折に触れ引き出しを開け指でなで、まるで未来の幸運をもたらす立派なヒナにふ化する金の卵を隠している、そんなときめきの時間を過ごしている。

この金で何が出来るかとクリスは夢想する。実は彼女には日ごろから小さな夢があった。

モールの近くに列車一車両をそのまま歩道に置き、前身はスパゲッティ屋だったと言う売り物件がある。レストランでなくても、花屋、ブティック、カフェ、それこそビューティコーナーと何でもオープン出来る。その店でオーナーとして立ち働く自分の姿をまぶしく想像する。車両の周りに花やドレスを飾り可愛い店を演出するのだと夢はふくらむ。だが巨額の富を手にし、もう働かなくても良いと言う現実にはまだ気づいてない。

シングルマザーである彼女にはシェリーと言う12才の娘がいる。素直に育ち聡明でもある。彼女に筋の通った贅沢をさせ大学にも行かせたい。その前に今のアパート住まいをやめ、立派な家を買い生活向上を図り、いまだにねちねちとすり寄り金の無心をする元夫と、完璧に断絶したい。刑務所の塀を造るような強固な気持ちで突き放すのだ。

まてよと彼女は首をかしげた。別にこの辺りに家を買わなくてもハワイやヨーロッパに住む事だって出来るんだ。海岸沿いの壮大なマンションに住み海を見ながらコーヒーを飲む、、、だがそうすればシェリーの学校は?彼女は友達との別離なんて望みはしないだろう。

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あれこれ考え頭痛がして来たのでこめかみを揉んでいると、苦手な客が化粧品ケースの前に立っていた。「この前のしわ取りのクリーム、ぜんぜん効かなかったわよ」とクリームの瓶をポンと置いた。この女性は化粧品を買っては必ず返品にやって来る。すでに半分以上減っている状態でだ。言い返したいがツイッターに人の悪口を書くのが趣味の女。たとえ理不尽な投稿でもネットは怖い。

そんな時彼女は、白い制服を脱ぎ捨て客の前から走りだしたくなる。一日中ハイヒールをはきこわばるような愛想笑いをして、愚にもつかない客の我がままを聞く、この仕事に彼女は大いなる拒絶反応を示すようになった。特に宝くじに当たってからは。

その夜、化粧台の引き出しから当りくじを取り出し指先で撫でていると「ママ、それなあに?」と背後からシェリーが聞いた。いつの間にか寝室に入って来ていた。「これはね」クリスは娘を見据えた。いずれ話さなければならない事なのだ。「宝くじの当たりくじよ。1000万ドル当たったのよ」

「ふーん」シェリーは驚きもせず「いつ現金に変えるの?」と聞く。「あっ!」とクリスは我に返った。すっかりそれは忘れていた。「明日調べてみるわ」とあわてて付け足す。「大丈夫だよ。一年くらいは待ってくれるみたいだから」「どうして知ってるの?」

娘がつまらなそうな顔で言う。「サリーのダッドがギャンブル狂いで、競馬、競輪、宝くじ何でもやるんだって」「、、、、、」「彼、your pickが好きで時々100ドルとかあてて来るのよ」「your pick?」「ほら、自分で番号を選ぶやつよ。あそこの両親、それでケンカばっかりしてるんだから」サリーは娘の親友だった。

一週間ほどして、シェリーが夕食の席でとても真面目な顔をした。テーブルの上には彼女が作ったホームメイドピザが並んでいる。「この前ネットで“宝くじ当選者の末路”と言うのがあったから、見てみたの」と言う。「人間急に大金を手にすると、ろくな事ないって書いてあったよ」「そう」と母親が娘を見る。

「第一、ダッドやグランマが黙ってないよ。親戚に金をたかられ嫌がらせをされる当選者がとても多いんだって」そういえば親戚には貧乏人がうじゃうじゃいると無言で母親は思った。あの人たちが黙っている訳がない。「強盗に入られ誘拐され数年後に白骨死体で発見される人もいるんだって」と言う。

「でもお金があればもっと豊かに暮らせるのよ」とクリス。「宝くじのお金なんてほしくないよ。たかが1000万ドルじゃないの。そんなのちょっと贅沢すればすぐになくなる。それにほんとに当たりくじなの?宝くじってそんな簡単に当たるもんじゃないよ。もう一度番号確かめた方がいいよ」と穿ったことを言う。

すっかり気が萎えたクリスは、もう引き出しの奥の金の卵をなでる気がしなくなった。それに当選番号でなかったらと言う恐怖の方がこの頃は強い。どうやら金の卵はふ化せずに、自然消滅してしまうようだ。

A black swinging wrecking ball breaks at collision with a giant intact golden egg.

サムのクリスマスツリー

サムのクリスマスツリーは埃だらけだ。どのオーナメントも指でなぞれば、その先が真っ黒になる。雪のつもりでツリーのあちこちに乗せた白い綿の破片も、今では鼠色に変色している。なぜか?

それは彼のツリーが居間の隅に飾られたその日から、実に3年以上が経つからだ。最後のクリスマスの次の日、妻が二人の子供を連れ家を出て3年、以来ツリーは片付けられる事なくそこにある。片付ければ二度と過去が、つまり彼らが戻ってこない気がして恐ろしい。

Christmas fir tree on elegant beige. EPS 10

3年前、12月26日、サムが私用から帰って来ると妻と子供達は車もろとも消えていた。晩になっても帰らず、三日たっても一週間たっても帰らない。色んな手法で死に物狂いで捜したが、今日までなんの手がかりもない。

「あなたは獲物を狙う事を忘れた大きな病気の熊みたいね。見てるとイライラしてくるわ」妻はよくそう言った。サムはそれを無表情で聞き流し、先祖から受け継いだ山林や他の私有地の管理に黙々とはげんだ。実はその実直さつまり愚直さが、妻をイラつかせているのだと言う事実には気づきもせず。

山中にある彼の家は雑木林に囲まれている。ぬかるみの多い未舗装の私道をしばらく行くと見えて来る。正面から見れば巨大な鷲が両翼を水平に広げたような、洒落た黒いスレート屋根。鷲の顔にあたる部分にレンガ造りの煙突があり、時おり暖炉の煙が立ち上っている。なだらかなスロープを描く広大な芝生の庭は美しく手入れされ、知らない人がみれば「きっと素敵な家族が住んでいるに違いない」と誤解しただろう。

だがそこには恐ろしく寡黙で無精無粋しかも巨漢の夫と、ストレスで痩せこけた狐のような顔の妻、そして普通の体系をしてはいるがひどく社交性に欠け、おどおどとした二人の子供が住んでいた。そんな家族が妻と子供の蒸発で終焉を迎えたのは、当然と言えば当然だが。

サムが妻に初めて会ったのは、山の麓のレストラン『DINER』だった。妻はそこでキャッシャーをしていた。サムはまだ若くスリムでハンサムと言ってもいい程、妻はキャレンと言う可愛い名前で客に人気があった。

Diner classic interior with counter
Diner classic interior with counter and chairs

「俺は口下手なんだ」初めてのデイトの日に、開口一番サムが言い放った。このキザなセリフにキャレンは一発でまいり、二か月後に二人は結婚していた。だがその言葉が、裏表のない実に100%の真実を表明していた事をキャレンが気づいた時、時すでに遅しだった。

口下手、つまり心の交流をかわす会話、振る舞いのやり方が分からず、退屈極まりない人間だとサムは言いたかったのだが、キャレンはそこまでは読み取れなかった。

芝刈り機で庭の芝を刈りながらサムはふと機械を止めた。バルコニーのそばの大きな円形型家庭用プールが目に入った。病葉、虫の死骸、苔、その他もろもろの微生物が凝り固まって水面をおおっている。掃除をしなければと思うが、子供たちが帰ってからと今日まで延ばし延ばしにしている。

「一体ぜんたい、あいつらはどこにいるんだ!」芝刈り機のハンドルを両手でガタガタと揺すり、サムは頭を垂れた。慟哭のようなものがこみ上げてくる。運転の下手な妻の事だから、曲がりくねった山道を走りながら谷底にでも落ちたか、あるいは人さらい、神隠し、UFOにでもさらわれたか。

失踪してから金の引き出し、クレジットカード使用等が一度もないのが気になる。妻の両親もだいぶ前に亡くなり、経済的な支援を頼める人物など誰もいない。谷底でグシャグシャに崩れた妻と小さな子供達の死体を、サムは何度も想像し次第に憔悴して行った。

私有地の管理以外にサムの趣味と言えばカメラだった。カメラの収集だった。蚤の市やガラージセールに出かけ、掘り出し物と判断した物を持ち帰る。それをしばらく部屋の隅に置き、時がくれば自らのガラージセールを開く。美しい芝生の庭にガーデンパラソルを立て、テーブルの上に自画自賛のカメラを並べる。

だいたいに置いてガラージセールは盛況だった。中には広大なサムの庭と屋敷を見物がてらに来る者もいたが、サムが値切りに弱い事に起因していたと言う見方も出来る。だがその根底にサムの虚栄心が働いていた事を、キャレンは見抜いていた。

「カメラをタダ同然で売って皆にちやほやされるのが嬉しいんでしょ」失踪する前の夜、つまりクリスマスの夜、妻がまたいちゃもんをつけた。どす黒い上目づかいのその目は、侮蔑と嫌悪以外の何物も物語ってはいなかった。「そんな事はない」サムは弱弱しく言った。「自分だけ満足して、妻や子供が何を望んでいるか、ちっとも分かっちゃいないのね!」「じゃ言ってくれ、それが何だか」サムが静かに妻を見つめた。

家族が望むものは何でも与えたつもりだった。子供のために極上のツリーハウス、プールも取り付けた。望まれれば家族旅行にも連れて行った。だが彼等は、特に妻は満たされた顔をした事は一度もない。「何かほしいものがあるか?」聞くと仏頂面をしてそっぽをいた。そう言った漫然とした時の流れの中で家族は崩壊した。

だがサムはそろそろ問題解決に急がねばならない。谷底で妻と子供たちが死んでいるかも知れないのだ。

年に一度のクリスマスに、山の中からツリーにするモミの木を切って来る、あのささやかな楽しみを覚えているサムは、家族をこの上もなく愛していた。

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世の中には

世の中には水やりや日当たりなど考えなくても、自身のオーラで植物を育てる奇特な人がいる。そんな人を私は知っている。彼女は植物のための庭やポーチこそなかったが、リビングの大きな窓際の大きなテーブルに、さまざまな鉢植えを置き、その前で食事や化粧をしていた。名前を蘭子(らんこ)と言う。蘭の花のようにとても華やかな雰囲気があった。

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テーブルの上にはセントポーリア、シクラメン、ヒヤシンス等が所狭しと置かれ、多肉植物などは小さな花さえ付けている。ある日化粧をしていた彼女の口紅の色が、テーブルの上のアンスリュームの葉の真っ赤な色に酷似していたので、ドキリとした事を覚えている。

植物は話をしてやるとよく育つと皆が言うので「食事をしたり化粧をする時に、前にいる植物と話をするんですか?」と聞くと「まさか」と笑った。彼女のリビングには他にも壁際に、色んな観葉植物が置いてありどれも健康的だ。あるとき細長い葉に縞模様のあるドラセナの木が天井まで届き、「てっぺんがぐにゃりと曲がってたから、はさみでちょんぎってやったわよ」ともったいない事を言う。

ドラセナは幸福の木と言われるから、蘭子が幸福だから木が良く育つのか、木が幸福だから蘭子が幸せなのか?どちらのオーラが強いのか。ただ彼女は天真爛漫で何事にも楽観的。そのノンシャランな生き方が、植物をリラックスさせるのだろう。

リビングの中央に座った彼女がこちらを振り向くと、そのまま『植物の国の女王』のようだった。

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少女時代、私の小さな村ではどの家も大きな家で、そこに祖父母、父母、子供たち、三世代が住んでいた。そしてどの家にも素晴らしいお花畑があった。その家のおばあさんが丹精込め独自の花を育てるのだ。ある友達の家に行くと、明るい太陽の下でダリア、カンナ、グラジオラス,コスモス背高い花が縦横無尽に咲き誇り、その周りにもアザリア、アジサイなど、中ぶりの花株が負けじとばかり咲き誇っている。まさに花の乱舞だ。

「ばあちゃんが死んだらあの花畑、私にくれるんだって」と友達は嬉しそうに話した。とても羨ましく思った。だがその友達はおばあさんが亡くなる前に、病死してしまった。

私の祖母も花畑を持ち、わりにこじんまりと背低い花を育てていた。細く切った竹を馬のひづめのように曲げ、それで畑の周りを囲んでいた。チューリップ、ホウセンカ、アネモネなど可愛く咲いていた。ホウセンカの花びらを軽くもんで、爪にのせセロテープで貼って寝ると、あくる朝爪がピンク色に染まっている。そんな事もあの頃の楽しい遊びだった。

花びらが常にプラスチックのようにカラカラに乾いて、根を引き上げても茎や葉は枯れるが、花は枯れないと言う不思議な花があった。菊の花に似ていて赤、黄、白、色んな種類の色がある。

「これは何という花?」祖母に聞くと「アメリカ花」と答えた。その名の通りにモダンで異国的な花で、アメリカから輸入したのかなと幼い頭で漠然と考えた。だがアメリカに40年近くも住み、西海岸、東海岸、アメリカ南部、北部と色々な州に行ったが、あれと同じ花を見た事は一度もない。アメリカ花を握って遠いアメリカに思いを馳せた少女の自分が、可哀そうな気もする。だが単にあれが祖母の思い付きの名だとするなら、彼女のセンスに脱帽するばかりだ。

遠い昔の田舎の花は、蘭子の花に負けず劣らず強い咲き方をしていた。それはあの時代の太陽の暖かさ、雨の優しさ、風の匂い等、植物に接する自然の恵みが大らかだったからかも知れない。人為的なものを加えない生のままの、今とは違う何かがあった、そんな気がする。

ある日夫と大喧嘩

ある日夫と大喧嘩をして「離婚する!」とわめき家を飛び出した。成り行きで飛行機に飛び乗り、アメリカの西海岸から東海岸まで飛んだ。そこに旧知の女性がいたからだ。名前をやす子と言う。事情を話すと面白そうな顔をして「好きなだけいていいわよ」と言った。彼女も離婚し一人暮らし、同じような境遇で女二人の面白おかしい楽しい暮らしが出来ると思ったのだが。

チョコレート色の彼女のコンドはさわやかな清流の川岸に建ち,向こう岸に行くには古い木橋を渡る。あまり人の通らない橋で、何か夢の中の橋のように現実感がない。橋を渡った所には、所々にしろつめ草が生えた芝生が広がっていた。細い白樺の木がまばらに生え、ときどき小さな花びらがひらひら吹きわたって来る。芝生は緩やかな上り坂になり、登り切った所に白い舗装路が左右に延びている。その道の向こうの雑木林には、ヨーロッパ風のカラフルな屋根を持つ人家が散在していた。

その川沿いの芝生に鹿の親子が散策にやって来ると、それは一枚の美しい水彩画のようだった。二階の私の部屋からは、そんな風光明媚なあたりの景色が一望に見渡せた。

roe deer on green grass lawn in summer

『眺めの良い部屋で暮らす、それは幸せと暮らす事だ』と言うあの誰かの名言を思い出した。

だが目前の美しい景色を無視し窓から身を乗り出し左側を見ると、そこに奇態なものが見えた。コンクリート製の巨大な楕円形の浅いボールの中に大小の突起がある、どこか古代遺跡の残骸のようなオブジェだ。それは古典的で静的な風景画の隅に、場違いなUFOを描いたようで全体の調子をぶち壊していた。

「あれはなーに?」やす子に聞いた。「スケートボードをするとこよ、知らないの?」とバカにしたような顔をした。「それは分かるけどなぜあんな所に?」「それはね」やす子が頭の悪い子供をさとすような顔をした。

この辺りには100世帯以上のコンドがある。昔はそこにコンドの住人のためのプールがあった。だがそのプールで小さな男の子がおぼれ死に、大金持ちのコンドの所有者はプールをあきらめ、町のすべての人のためにと代わりにスケートボードパークを造った。するとまたもや男の子が事故で死んだ。ヘルメットを被らない保護者なしの子供が、初心者のスケーターにボードの先で頭を蹴られたと言う。以来、使用禁止なのだそうだ。

その晩ベッドで本を読んでいると、何かしらザーザーと言う音がするので窓を開け見ると、ヘルメットを被らない男の子がパークで滑っている。月の明るい晩で月光に照らされた男の子は、大きな池で飛び跳ねる巨大な銀色の魚のように、飛び上がり飛び下がりしている。幽霊?まさか。

どうにもたまらなくなり二、三人の隣人に聞いてみるとプールで子供が死んだこともないし、第一プールなどありもしなかった。「じゃ、どうして誰もパークを利用しないのか?」と聞くと「あんな物、この町には十年早すぎたのよ」

Skateboarding park at the ocean shore

ではなぜやす子は嘘をついたのか。私の知ってるやす子はそんな女性ではなかった。土地の大地主と結婚し大きな屋敷に住み、絶える事のない訪問者に女神のような微笑を振りまいていた。気位こそ高かったが思いやり深い女性だった。彼女に最後に会ったのは二十年も前。その間、女神が嘘つきになるような何があったのか。

ある日ふいに事実を問いただして見た。すると彼女はあっさりと嘘を認めた。裁判官の前ですべてを白状する犯人のように、実に殊勝な顔をして私を見た。

「日本にいた頃の話だけど、私にはとても可愛がっていた甥がいたの。その子がある日マンションのベランダから落ちて死んでしまったのよ。私には子供がないから、実の子同然だったのに。今でもあの子を抱きしめた腕の感触がここに残っているの」と両手を胸の前で交差した。うっすらと涙さえ浮かべている。

これは信ぴょう性のない話ではない。やす子は今でも同じような年頃の子供を見ると、『死んでしまえ!』と胸の中で吐くそうである。過去のトラウマがそうさせるのだろう。

急に夫が恋しくなった。電話すると「すぐ帰って来い」と言う。渡りに舟とばかりそそくさ飛行機に飛び乗った。

やす子の甥の話を、あれも嘘だと言う事はたやすい。だがやす子はバカバカしい夫婦げんかの末の、身勝手な私の頼みを聞き半年も面倒見てくれた。誰にでも出来る事ではない。むしろ私の方がよこしまな理由で彼女を利用したと言える。

飛行機のシートにもたれ思った事は、『眺めの良い部屋に暮らす、それは幸せと暮らす事だ』、だがそのためには美しい心を持っていなければならないと言う事。

アンは小さい頃

「アンは小さい頃、お話を作るのがとても上手だったの」とポーラが言った。「ある時ね、幽霊屋敷のお話を書いて、こわいこわいってクローゼットで泣いていたわ、自分の作ったお話がそれ程こわいと言う訳ね」と言い、ラズベリーアイスティのグラスの中をストローでかき回した。クラッシュアイスのカシャカシャと言う音がした。

many red apples, fresh fruit background in market

「いつだったか、リンゴの話を作ったの」「リンゴの話?」「そう、お金も家もない貧乏な母と5才の娘が、ある時森の中を歩いていると、リンゴのつまった小さな家を見つけた。母親が『リンゴを全部食べて家の中を空っぽにすれば、ここに住めるわ』と言った。『うん』と娘もうなずき、二人で一生懸命リンゴを食べた。でも途中で疲れ、歯は折れる血は流れるで頭痛もして、とうとう二人は死んだと言う話」「その時アンは幾つだったの?」「7才よ」とうっすらと笑った。

私達は洒落たカフェテラスの窓際の高い椅子に座り、その大きな窓から通りの向こうの閉鎖された銀行が見えた。オレンジ色の屋根、白壁に絡みついた真紅のブーゲンビリア、二階にはバルコニー。こんな素敵な銀行がなぜ閉鎖されたのだろう。見上げると真っ青な空に白い雲。とても平和な午後のお茶の時間だ。

「アンは一度モデルだったわね」と私がワイングラスを口につける。ポーラがふっと顔を上げ私を見た。ポーラは白い牝牛のようだ。牧場の白い柵のそばで草を食み、ふっと顔を上げた牝牛のようだ。よく言えば大らか、悪く言えば愚鈍。

モデルになる前アンはバーテンダーだった。その時の話をポーラは良くする。ハワイアンドレスを着て赤いハイビスカスを髪にかざりカウンターの中にいると、目の前の男性が「なぜ君は赤い花で彼女は紫なのか」と聞き、もう一人のバーテンダーを指さした。「赤は男を刺激する色で紫は女を刺激する色なの」とアンが答えた。

「じゃ彼女はレズビアン?」と男が聞いた。「今夜試して見れば」と言うアンのアイデアで、その晩三人はホテルにしけ込んだ。そしてアンがモデルの仕事をもらったと言う訳だ。だがその仕事も三流芸能誌の隅にのる怪しげな広告で、アンは次第にアンらしくなくなって行った。

いつだったかポーラの家を訪問し車で送ってくれる彼女が、途中でアンと彼女のボーイフレンドをピックアップした。げっそりと痩せ目のくぼんだアンは、麻薬中毒患者特有のうつろな声で意味のない事を男に言い、ついには崩れるように彼の膝で眠ってしまった。二人のアパートまで来ると、ポーラが煙草一カートンをアンに押し付けた。母の心づくしのギフトと言う訳である。麻薬中毒患者に煙草のギフト、それをなんとも思わないポーラ。

真面目そうに見えたボーイフレンドも、実はなけなしのアンに金にたかるジゴロだった。その男が最後通告をしてイタリアに帰ると、アンはどういう訳か彼を追いかけて行った。それを止めもしなかったポーラ。

ポーラはどうも教育と言うものをはきちがえている。娘自慢はいいのだが、その娘が奈落の底に落ちてしまっている事に気づかず、まるで天才少女とテレビショーに出ている母親のように、尊厳と気どりでこちらを煙に巻く。そうまるでふいと顔を上げた乳の良く出る牝牛のように。

「ところでカリンはどうしてる?まだ絵を描いてるの?」とポーラが聞いた。私にはアンと同じ年頃の娘がいる。「そう、どうしても画家になりたいのよ」「彼女幾つ?」「38才」私は悪びれずに答える。「彼女いちじ麻薬をやってたわね」とポーラが微笑した。「ストレスがすごいのよ。絵を描くことに集中するとそのストレスを和らげるのに、麻薬が必要なの」私は言った。「今も一緒に住んでるの?」「ううん、素敵な彼が出来て彼のマンションにいるわ」

「ところでアンはどうしてる。たしかイタリアから帰ったわよね」私はワイングラスの底を持ち上げ飲み干し、ポーラをうわめづかいに見た。「ほら、あそこにいるわ」と彼女が閉鎖された銀行のバルコニーを指さし、にやりと笑った。見るとそこに、妙な毛布を体に巻き付け浮浪者が横たわっていた。「もう行かなくっちゃ。次の約束があるから」ポーラが立ちあがり、ドアの方に歩き出した。その後ろ姿をじっと見送る。

バルコニーに目を戻すと、毛布をマントのように背中にはおって、バルコニーの手すりに両手をつき沿道を見ている女浮浪者が見えた。まるで舞台の上から観客を見下ろす女優のようだ。毛布が肩からずり落ち骸骨のような肩甲骨があらわになり、麻薬中毒患者特有の顔でこちらを見た。

あの女こそ私のカリンだ。大事に大事に育てた娘のカリンだ。「芸術家は家の中にいてはダメなの。外に出て自然の息吹きを吸いながら生きないと、才能が枯渇するのよ」と彼女が言った時、それであの子が幸せならばと許した。才能が枯渇するなんてぞっとする。

銀行の上の空はさらに青さを増し、カリフォルニアの青い空は今日も健在だ。

Lifeguard station with american flag on Hermosa beach, Californi

 

幸か不幸か

幸か不幸か、私は料理を作るのが好きだ。少女時代には家族全員の夕食をほとんど毎晩作り、おいしいと言われその気になりのめり込んだ事もある。結婚してからも同様で、家族からうまいと言われた。特にスパゲッティ用のミートソースに隠し味として醤油を入れると「微妙なうまみがある」と言われ、一人ほくそ笑んだ事もある。ついでにアンチョビも入れた時は、塩辛いと言われた。

私の料理の仕方はとてもおおざっぱで、香辛料、調味料をレシピ通りにはかると言う事はまずしない。だが味見は良くする。味見のしすぎで、舌がマヒしてしまう事もあるが。

何でも残すのがもったいなくて、材料があまるとそれでもう一品作る。例えば天ぷらの場合、残った野菜や魚を細かく刻み、残りの衣に少し粉を足し、小判型にしてフライパンで焼く。見た目はポテトケーキのようだ。

だがせっかく生まれたからには、何もかもレシピ通りにやって見たい料理が二つある。一つは立派なデコレーションケーキ、もう一つはスパイスの効いた本格的なカレー。

Various herbs and spices

カレーには思い入れがある。短大を受験する前の夏、他県の大学で受験者のための夏期講習を受けた事がある。私と友人はその主催者の家に寝泊まりしたのだが、そこの娘さんが作ったカレーが絶品だった。来る日も来る日も出される料理は、ご飯に黒いカレーをだらりとかけたものだけ。それでも飽きなかった。カレーのなかに肉や野菜の具は見えず、とろとろの黒褐色の液体で、いつも大きな茶色いかめのようなもので一日中コトコト煮ていた。黒いカレーと言うのはめずらしく、とても洒落て見えたものだ。

私たちが寝る場所はツリーハウスだった。坪庭に降りて大木に掛けられたハシゴを登り、板と麻縄で出来た吊り橋をおっかなびっくり渡り、向こうの木までたどり着く。その木にハウスが造りつけてあった。朝目覚めると、すでに昨夜から煮込み始めたカレーの匂いがハウスの窓までやって来て、今でもあの香りが忘れられない。コリアンダー、ターメリック、クローブ、スターアニス、シナモン、ありとあらゆる香辛料をぶち込んだことは間違いなく、どこか薬っぽい匂いだった。それが私好みだった。

あの頃まだ日本ではツリーハウスと言うのは、良く知られていなかった。ああ、そうだったのかと今思うだけで、変な部屋だなぐらいにしか当時は思わなかった。女高校生二人に寝部屋としてツリーハウスをあてがう主催者の心意気もさることながら、すべては懐かしい思い出だ。他に男子生徒が数人いて、彼らもダイニングルームでカレーを食べていた。あの人たちはどこに寝たのだろう?

Tree House

あれとそっくりの黒いカレーを作りたいと思うのだ。味も色も香りも同じ物を。レシピがないのであの匂いだけがたより。だから香辛料も自分のアイデアだけで、量もはからずと適当にと思ったが、、、。ここで現代の文明の利器、インターネットを使わない手はない。黒いカレーで検索すると、あるわあるわ、よりどりみどりのレシピが。近頃は黒いカレーが人気だそうだ。中にはイカスミや竹炭を入れたりして、単に色を黒くする節のレシピもあるが。

だがどれもやり方がしち面倒くさくややこしい。一番簡単なレシピは、カレー粉と小麦粉を別々にローストし炒めた肉と野菜の具材の中に、だまが出来ないように入れ煮込む。するとおいしい黒いカレーができるのだそうだ。だが経験から言うと、あまり簡単なレシピはおいしくないという現実がある。

だがやたら複雑な料理も、キッチンが汚れ体力的にもまいってしまう。やはりあのツリーハウスに漂って来た匂いをたよりに、香辛料などを吟味しいつの日か作って見よう。

ずいぶん前の事

ずいぶん前の事だが、私は時々思い出したようにスケッチに出かけた。林の中、草原、出来るだけ人のいない所へ。そこにいわくありげな廃屋があれば、格好のスケッチの対象にした。林の中ではツタに絡まれた木こりの物置、草原では傾きかけた木造空き家などがあった。

丘の上のその廃屋は、青いドーム型の屋根に白壁が目立つ、どこかケーキのようなマンションだった。年月を経たため寂寥感にあふれ、超モダンな家が後には独創性のない陳腐な家に変わる、その典型のような家だった。それは昔日の住人の怨念に包まれたような、不気味な外観を見せていた。

この家に魅かれ毎日足を運んだ。その日も無心に鉛筆を走らせていると、ふっと人影を背後に感じた。「あの家を描いてどうするつもりだ?」人影が言った。振り向くと深緑のシャツにカーキ色のジャケットを着た男。「誰かに見せるのか?」「わかりません」と私は言った。見知らぬ男に詰問され落ち着かなくなった。

あたりはカボチャがあちこちに残っている、人ひとりいない茫々とした畑、日もかげりはじめ心細くなった。「あの家で昔、殺人事件があったんだ」男が私の前に来てそう言った。丘の上の家をちらりと見て「いつ頃ですか?」と聞くと「二十年前」と彼は言い立ち去った。長身で洒脱な感じだった。畑の先に彼の濃紺の車が見えた。

View of multiple pupkins after harvesting

その頃私は結婚したばかりで、それも異国での異国人との生活、急激な変化に束縛と解放をないまぜにしたような不安な気持ちでいた。その憂慮のため今いる場所から逃げ出したいと思った。夫を愛していない訳ではなく、ある種のストレスだったのかも知れない。スケッチを数回見に来た男に誘われついて行ったのも、我知らず、生活の小さな破壊を試みたのかも知れない。

いつものように背後で男が言った。「スケッチが終わったらあの家に連れて行こうか」その日もカーキ色のジャケットを着ていた。「あの家は僕の祖母の家だった」と丘の上に目をやり微笑した。不思議な微笑だった。スケッチが終わったらと言う言葉に人の良さを感じた。

「祖母はオペラ歌手だった。家の中にはその頃の面白いものが沢山あるよ」「殺されたんじゃないの?」と聞くと「殺されたのは祖母が病気で死んだあと、あの家のツアーガイドだった彼女の孫だ。つまり僕の従妹。祖母の死後、あの家は彼女の記念館だった。記念館にするほど有名でもなかったけどね」と言うとつまらなそうな顔で車の方に歩き出した。私はあわてて彼の後をついて行った。

青い屋根に白壁の家は、畑から見るよりかなり荒廃していた。白と言うより灰色の外壁には無数の亀裂がはいり、玄関前のポーチには枯れたツタの根が、無数の昆虫の死骸のようにこびりついている。木製の玄関ドアを開け中に入る。その時男がちらりと私を振り向いた。中に入ってまず目に入ったのは、ゴミ山の上に横倒しになった、赤い着物を着た黒いおかっぱ頭の日本人形だ。だがあの愛らしい顔ではなく、長く捨て置かれたためにどこかふてくされたような表情をしていた。

次にホールを見回した私は、頭の中をふいに津波に襲われたようなショックを受けた。あらゆる私物が床に散乱しその上に、天井から落ちて来たガレキが我が物顔で横たわっている。花柄模様の壁には得体の知れないまだら模様のシミがはびこり、床には不思議な光る苔が生えている。目をかすめてネズミが飛び去って行く。触ればそのまま崩れるような、半世紀前のガラクタのすえた匂いが充満している。

壁によりかかって私を見ていた男が「この家は昔、叔母の素敵なものであふれていたけど、みんなどこかへ行っちゃってね」と上目を使った。それがとてもゲスに見えた。そこは寝室らしく、小さなベッドの上に古着が散乱していた。「あなたの従妹はどこで殺されたの?」聞くと「たった今、君が立っている所に死体があった」まじめな顔で言った。

「犯人は誰?」「捕まらなかった。でも事件の一か月後に自殺した」「どうして解るの?」「僕の従弟だから」と言いニヤリと笑った。振り向くと半開きの鎧戸からバルコニーが見え、その向こうに紅葉した低い連山が見えた。そこに美しい夕日があたっている。私は玄関ドアの方に歩き出した。彼が私の背に右手を添えた。おぞましい悪寒を首筋に感じ、あわてて外に飛び出した。

描きあがったスケッチを夫に見せると「この家は昔、殺人事件があった所だよ」と言った。「犯人は誰?」聞くと「まだ捕まっていない、迷宮入りだな」と言った。彼は殺されたツアーガイドは精神異常者だったと言った。

それから数ヶ月たったある夜、夫と私はある石造りの酒場にいた。道の両脇に骨董屋が立ち並ぶ古めかしい通りで、どの店も飾り窓に店自慢の骨董品が置いてある。殺人事件のあった家から近い場所だ。カウンターに座り、夫はビール、私はマティーニを頼む。バーテンダーはハッとする程の美女だった。夫は彼女と世間話を始めた。

その時誰かの視線を感じた。カウンターの隅でじっとこちらを見ている男がいる。見覚えのあるカーキ色のジャケット、あの男だった。男は視線を外さず私を見続けた。私は酒に目を戻し夫とバーテンダーの会話をぼんやりと聞きながら、ふと殺人事件の犯人はあの男ではないかと思った。

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