夢のできごと

ゴミゴミした古い町を、自転車に乗って颯爽と走っていた。道は一車線で交通量もわりに多い町、それでも私は自転車用の道を走っているから、混んではいない。たまに後ろから割り込もうとする小型車がいるが、そうはさせまいと私は巧妙に自転車を操る。

いや待てよ、私は高齢のために、ずい分前に運転をやめ免許証もないし、一つ間違えば逆走事故も起こしかねないぼんやりとした頭を持っている。前頭葉が故障しかけの認知症の一歩手前でもある。その女が颯爽と、混雑した道を自転車で走れる訳がない。出来る訳は、それが夢の中の出来事だからである。

やがてゴミゴミとした道を抜けると、右側にユーカリの樹木が立ち並んだ薄暗い狭い道が現れ、それと私がいる表通りとT字に重なる場所に、小さなガラス張りの店が現れた。これが私の目的地である。この店の名物である🍙(おにぎり)を私は買いに来たのだ。

ついでに言うと、夢を見ている間に『これは夢だ』と自分で認識する事は私には出来ない。出来る人もいるかも知れないが、よほど頭脳明晰の人だと思う。

店の中は人いきれでむんむんしている。カウンターの中には、🍙を握る人が二人いて、一人は東洋人との混血らしき黒人の男性、もう一人は太った中年の日本人女性だ。二人ともプラスチックの手袋をはめ、二人が立っている後ろの壁に、おにぎりの種類を書いた長方形の紙が貼ってある。その中から昆布と梅干の🍙をにぎってもらい外へ出た。

そして今度は自転車に乗らず、歩いて近くの酒屋までビールを買いに行く。🍙とビールはよく合う。自転車は乗り捨て次の場所まで歩いて行く。乗り捨てる事に何の悔いもない。これが夢の夢たる所以である。夢はとつぜん何の脈絡もなく、一発勝負で最後の切り札を出して来る。

酒屋に着き、あらゆるビールのビンが並べられたガラスケースの前に立っている。するとすぐそばに、アイボリー色のだぶだぶのスーツを着た男性が立って、男性はどこか薄汚れた感じで、じーっと私を見ている。どんな顔かは分からない。首が回らず彼の顏が見えないからだ。だがそれはあまり気にせず、何となく後ろを見た。

店の主人が不安げな顔で私を見ていた「気をつけて、その男は危ないぞ」実は私もこの男の精神の異常さをすでに感じていたので、二、三歩右によけた。だが彼は同じ位置で、ただ私を見つめるだけである。私も彼をもっとよく見ようと顔を近づけた。残念、その時目が覚めた。

だがこの男性は実際に私が見た男である。その時は知人の誕生日パーティに行く途中でシャンペンでも持って行こうと、酒屋に寄った時の事だ。するとダブダブのスーツを着た変な男がそばに来て、意味もなく私を見つめていた。気色の悪い男だなと思ったが、体が動かない怖い思いをした。

夢はどうして見るのか?私の場合は、何となく心に気にかけている事が、ぽっと夢に現れたりする事が多い。例えば現実にトイレットペーパーが切れかけている、するとその晩さっそくマーケットに行く夢を見る。

あるいは旅行先での出来事、時は春、頭上にはさやさやと若葉がそよぎ、目の下の清流には、時おり黒い岩を叩くように白い飛沫が上がっている。私は橋の手すりによりかかり、川を見下ろす位置に立ち、誰かに電話をしようと携帯を手にしている。

だが、そのまま携帯を川に落としはしないかと、気が気ではない。暗示にかかりやすい性格だから何かを思っていると、それをやがて現実化してしまう。そしてとうとうその夜、携帯を川に落としてしまった。ただし夢の中で。

あるいは思い出として記憶に残っているシーンが、意味不明な夢の中にぽっと出て来る。父の記憶は夏の浴衣姿である。彼は夏になると、浴衣姿で横向きに寝そべり良く本を読んでいた。それが夢の中に出て来て、彼が起き上がると、それが私の夫にすり替わっていたりする。

「あーあ」と私はため息をつき良く見ると、彼はあぐらをかき盃を手にしてにやっと笑っている。夫は白人で浴衣など着ない、盃で酒も飲まない。にやっとも笑わない。これらは皆父の所作である。それが夢の中では夫にすり替わっている。これは奇妙な感覚を私に呼び戻した。

夫はかなり私とは年が離れ、父親と言ってもいい位の年の差があった。父親に似た感情を彼に持っても良かったのだが、それはなかった。理由は彼が白人で、日本人の男のような気質が無かったからだと思う。

昔は夢を見た朝は必ず、ベッドの中でその夢を反芻し、余韻を楽しむのが好きだった。だがそんな事ももうできない、なぜなら目が覚めた瞬間、夢の記憶はすでに跡形もなく消え失せているからだ。脳の働きが衰えて来ている証拠だろう。

皆さま お元気ですか。

皆さま お元気ですか。

今回もまた投稿が大変遅くなりました。申し訳ございません。ですが最近投稿情報を見たところ、新規投稿が無くても、沢山の方がブログを見に来てくださっている事が分かりました。その方たちに励まされてと言うか、𠮟咤されて やっと投稿にこぎつけました。ありがとうございます。それにしても、いつまで経っても文章がうまくならない自分に嫌気がさしています。投稿が送れたのはそれも一つの理由です。では 最近書いた文章をどうぞご覧ください。

薄暗くだだっ広い場所に私は立っている。目の前に大きな白い建物があり、中央に尖塔のようなものが見え、そのてっぺんに十字架が立っている。どうやら教会のようである教会にしてはうら寂しい所に立っている。いや、教会とはうら寂しいものかも知れない。

尖塔のすぐ下に大きな窓がありそこに煌々と灯りがつき中が見える。とても高い窓なのに、素朴なテーブルの上に並ぶ少しばかりのオブジェが見える。なぜか背低い私の視点からもはっきり見える。

ステンドグラスの破片のような物を、見境もなく貼り合わせたオブジェのようで、それが奇妙な興味を私から引き出した。奇妙な?

するとスッと私に近寄り、耳元で囁く女がいた。「あの変なガラス細工はね、この前の地震で壊れた教会の窓で作ったのよ。窓はステンドグラスで出来ていたからね。地震で粉々に砕けた窓ガラスの破片を拾って、張り合わせて作ったのよ」「誰が作ったの?」私が聞いた。「もちろん、この教会の信者よ」「売り物らしいから行って少し買えばいいのよ。ただ同然に安いらしいよ」

いつまでも耳元で囁く女の声が嫌になりすっとそばを離れた。少し離れた場所で女を観察しようかと思ったが、あたりには誰もいない。いつの間にか広場は夜になっていた。

数日たって、私は同じ教会に出向いた。礼拝堂は薄暗くその薄暗さが好きな私は、しばらく座席に座ってあたりを見回していたが、それから二階に行く階段を探した。

廊下に出ると助祭らしき人に、「ステンドグラスのオブジェはどこで売っているか」と聞くと「三階だよ」と上を指さした。ワインの匂いをぷんぷんさせていた。たぶん礼拝の時、飲み過ぎたのだろう。

思ったより粗末な部屋で、細長いテーブルの上にステンドグラスの飾り物が幾つものせてある。良く見るとどの製品も細部まで精巧に作られ、その癖ほっこりする優しさを放っている。

特に『馬小屋でのキリストの生誕』を現した置物は胸が熱くなるほどだった。他に見物人は誰もいず、係員が一人品物の位置を変えたりしている。

その係員が先日教会の前で私の耳元に囁き続けた女だと気づいた私は、別人を見るような気持でそばに近づいた。彼女にはこの前とは段違いの気品が感じられ、薄化粧したその顔には聖職者特有の、どこか諦めたような知性さえ感じられた。

「この前広場でお会いした方ですよね」今度は私が囁くように彼女の耳元で言うと、彼女は「ああそうでしたね」と微笑んだ。口の利き方まで違うと私は感動し「気に入ったものがあるので、少し買いたいのですが」と言うと「どれが気に入りました?」と聞く。

「キリスト生誕の置物」と言うと「ああ、あれは私も心を込めて作りました」「あなたが作ったのですか?」少し驚いて言うと「ええ、この仕事はジクソーパズルと同じように壊れたステンドグラスの破片を形良く色良く並べていくだけなんです。ただジクソーと違う点は、どんな絵が出来るか出来上がるまで分からないと言う事です」

「じゃお幾らですか?」とキリストの置物を手に取ると「ただで差し上げますよ」彼女は微笑んだ。飼い葉桶で眠る赤ん坊キリストの顔を見ながら私は黙っていた。「私はこの教会の神父の妻だからどうにでもなるんです」と言う。「お名前は何と言うの?」とぞんざいに聞くと「マリア」と答えニヤリと笑った。

家に帰ると、今日も仕事をずる休みした怠け者の夫がじろりと私を見た。「腹がすいた、飯を食わせろ」と言う。「働かざる者食うべからずよ」とうまい具合に聖書の慣用句を突き付けると「お前だって働いちゃいないじゃないか」と凄みをきかせた「なんで早くお前の親に、金送れの催促電話をしないんだ」彼の浴びせたいつもの捨て台詞を背中に私はその場を離れた。

夫とのいつもの凄まじい口喧嘩を始めたくなかったので、私は一人散歩に出かけた。私達夫婦はじつにいい加減なカップルである。似たもの同志の無責任な怠け者、未来の指針を見いだせない曖昧な夫婦である。

ただ私と夫との違いは、その事に対して私は彼とは比べ物にならない程の、後ろめたさ疚しさを世界に感じていると言う事である。

数日後私はまた教会に出かけた。マリアに会うためである。彼女はほとんど毎日教会に居るそうで、先日のキリストの置物を買ったいや貰った部屋で、色々な仕事をするそうである。ホームレスに振る舞う食事の用意をしたり、働く母親達の子供のベビーシッター、認知症の老人たちとの談話、神父に言われた事は何でもすると彼女は話した。

「旦那様の言う事ですもの、断れないわよね」と私が言うと、「ああ、神父が私の夫って言う話、あれは真っ赤な嘘よ。私は嘘をつくのが趣味なの」彼女は鼻先で笑って見せた。口調も以前の、品のない蓮っ葉な言い方に戻っている。

彼女のやる事言う事にはつじつまが合わない所がある。頭がいいのか悪いのか分からない。だが妙に私を引き付けるものがある。

こうしてマリアと私の関係は何の脈絡も意味もなく続き、私は時々なんでこんな女と私はいるのだろうと、不思議な思いに捕らわれた。私は自分の夫婦関係を彼女に愚痴る訳でも、彼女との世間話を楽しみにする訳でもない。話す事と言えば空の青さ、空気の優しさ、そんな事である。

ただ一度彼女はこんな事を言った事がある。「あの神父とは10年も前に離婚したのよ。あの男はとんでもない男よ。浮気はする、寄付金はくすねる、さすがにどこかの国の法王みたいに聖歌隊には手を出さないけどね」と彼女はゲスな言い方をして私を上目づかいに見た。その時私はとても嫌な気持ちになった。

なぜ私が彼女に魅かれるのか?その理由がある日突然わかった。それは彼女が私のレプリカだからと言う事である。つまり私達は、とても良く似た人間同志であると言う事が分かったのである。互いによく似た模造品だ。どちらがどちらを模倣しているのか良く分からないが。

その事が分かってから、私は急激に彼女への興味を失くした。むしろ恐怖さえ感じた。自分のレプリカと時を過ごし、ある日耳元で『私はあなたの偽物よ』と囁かれにやりと笑われたら、背筋が凍るだろう。

だが一方的に彼女との関係を遮断すれば不吉な事が起こりそうで、悩み疲れた私は教会の告解室で神父との会話を夢見たが、彼がマリアの旦那であるかも知れないと思うと、さらに悪寒が背筋を襲った。

マリアとの行き来が途絶え、しばらくして私はふらりと教会へ出かけた。明るい表の広場から教会の中に入ると中は真っ暗で、閑散としている。しばらくするとその暗さに目が慣れて来た。

すると祭壇に続く中央の座席の間を、一人の女がいざりながら前に進んでいる。両手を体のわきにつき、その手を使って前に進むのである。足が悪いと嘘をつき、路上で通りすがりの人に金銭をせびる、あの不届きな人種のようである。

良く見るとそれはマリアの哀れな姿だった。そばにいた教徒らしき人に「彼女はなぜ普通に歩かないのか?」と聞くと、「あの女は大ウソつきでそれがバレて、神の赦しを得るためにああして物貰いのようにいざって、神の身許に行かなければならないのです」と言った。

ああ、それは確かに私の未来の姿であった。私はあまり人に嘘はつかないが、恐れ多くも神に嘘をつくのである。

馴染みのボードウォーク

馴染みのボードウォークを端から端まで歩き左に曲がると、細い石畳が見えその両脇にサボテンや多肉植物をあしらったトロピカル風の庭が続く。さらに歩きを進めると今度は広い表通りに出る、そこを横切りしばらくするとその建物はあった。

白壁に青い木製のドア、その上部に『夢を売る店』と書いた小さな看板がかかっている。あまり気にせずに中にはいると、細い木の棒を縦と横に組み合わせ出来た四角い空間に、小さな瓶が幾つも置かれ、何となく来店者を蠱惑している。

「あれはジャムですか?」とその中の一つを指さし店員に聞いた。その男は店に入ってすぐ右手にあるカウンターに立っていた。すると少し離れた所に立っていた別の男が「いえジャムではありません、夢のエキスです」とこれは最初の男が答えた。

「夢のエキスとはなんじゃい?」と口には出さず私は男の目をじっと見た。彼は「これがサンプルです」とそばにある金色の金具で編んだカゴを私の前に置いた。中には10個ぐらいの小瓶があり、それぞれ風変わりな色のクリームらしきものが入っている。

紫系の色で、それぞれに他の違う色をわずかに混ぜたような色である。その一つを取りラベルを読んで見ると(海の底に沈み深海魚と泳ぐ夢)あるいは(オオワシに乗って空を飛ぶ夢)などと書いてある。一瓶50ドルだそうだ。

「これは子供向けの商品ですか?」とふっと顔を上げ聞いて見た。「いえ、そんな事はありません」と二人は声をそろえて言い放った。「それじゃサンプルを下さい」と言うと「それは出来ません」と言う。いよいよ怪しいなと思い何も買わずに外に出た。

ドアを開け外に出てふと反対側の路地を見ると、そこに車椅子に乗った男性がじっと私を見ていた。この辺には路地が多くそこには色々な人が立っていて、それが警察の張り込みに見えたのは私の思い過ごしだろうか。

それはともかく(夢のエキス)と言う言葉は私の心をざわつかせ、一度使ってみなければ気が済まないと言うレベルまで達した。そこで私はまたあの白壁に青い木製のドアを叩いた。

金色のカゴの中から(南の島の孤島で魅力的な男性と1日過ごす夢)と言う瓶をつかみ「こんなのが一番いい、あとくされがなくて」と思い「使い方を教えて」といつもの男性に聞いた。彼は無表情で「まずクリームを両手のひらに薄くのばし、左の手のひらを額にペタリとつけます。そのまま20秒間待ち、次にさっと反対の手のひらを同じやり方で額につけ離します。20秒間と言うのがとても大事で、その間どんな夢を見たいのか、呪文のように唱えてください」と言う。「これは寝る前にベッドの中でやって下さい」と言う最後の言葉も忘れなかった。

ああこれは自己暗示のようなものだな、私はすぐに思った。ずっと以前ひどい不眠症に悩まされた時期があり、うさんくさい街角の精神科医に通った事がある。彼は「まず手のひら一杯を蜂蜜で満たすと言うイメージを描き、それを頭からかぶります。」とのたまった。

「その時蜜の液が顔の目、鼻、口の脇、そして胸と、上から下まで少しずつ落ちて行くのをイメージして下さい。乳房、性器も忘れないで。そして『眠くなる、眠くなる』と唱えてください」と言うので実際やって見た。

ところがこれが見事に効いた。体がだんだん熱くなり、最後は奈落の底に、あるいは深い谷底に落ちて行くような心もとない感覚で眠りにつく。その事があるのでこの度はどんな自己暗示だろうと興味もあった。

その晩(南の島で1日男と過ごす夢)と言う夢のエキスを手のひらに取り、それを額にピタリと貼り付け20秒間待ち、などと言われた通りの事をして目をつぶり効果を待った。

するとヤシの木の生えた南の島が見え、そこにビーチチェアに座って海を見ている私と男の後ろ姿が見えた。私達の前には板で作られた桟橋風の海の道が続き、その傍にヤシの葉で屋根を葺いたコテージ風の小屋が一軒ある。

その小屋を指さしながら男が言った。「今夜はあのコテージで過ごすんだよ」そして横を向き私に微笑みかけた。彼の顔を見て私は驚愕とした。それは忘れもしない私の初恋の男だった。

だが次の瞬間彼の若々しい顔はぐだぐだと崩れ落ちて行った。まるで砂で作った城のように。そしてそこに好々爺と言うか、気のいい優しい老人の顔が浮かび上がった。

私は走ってトイレに走り目の前の鏡を見た。そこにはこれも無残な老婆の姿が写し出されていた。だがそれは優しい老婆の顔ではなくぞっとする魔法使いのような顔だった。いたる所に深い皺とシミがきざまれその頬を触る手の甲には、ドス青く痩せ枯れた静脈がまるでミミズのように走っている。

彼に最後に会ったのは高校を卒業する時だったから、もう50年以上になる。高校時代私達は、互いに微妙な間隔でつかず離れずと思いを小出しにしていた。そして何事も無く、卒業。だが私はそのままで終わるのは何ともやりきれなく、最後通牒を下すべく、よせばいいのに電話をしてしまった。好きですと言ってしまった。そんな気持ちは失せていたのに。

すると今度は彼がその気になり電話をかける、家まで押しかけるとなり、私はすっかり興ざめしてしまった、彼のそんな態度にイライラし始めた。そして終わったわがままな私の恋。やがてその男が亡くなったと風の噂で聞いた。

50年後にその男と夢の中で会い、私は何とも言えない良心の呵責と罪悪感に苛まれる事となった。私はその晩夢の中でその男と二人コテージで過ごす事もなく、翌朝自分の部屋で一人で目覚め、どこか後ろめたい薄汚れた幸せを感じた。

数か月後、その店が営業停止となった事をテレビのニュースで知った。(夢のエキス)に脳内モルヒネに似た麻薬物質が微量発見されたそうだ。

まんじゅうと茶

まんじゅうと茶を食べ終えると俺はノレンをかきわけ、薄暗い店の中にむかって声をかけた。「代金はここに置いときます、ごちそうさまー」かなり大声を出したつもりだが、中からは何の返事もない。

俺はそのまま止めていた自転車をこぎだしペダルを踏み始めた。しかし変な店だな、店の店員が口を聞かない、愛想がない。茅葺の屋根、お休み処ののぼり、軒先の縁台に掛けた赤い布、江戸の風情と情緒を感じ立ち寄ったが、思ったよりも無愛想な店だった。そんな事を思いながら俺はまた速足で自転車をこぎ出した。

ひきこもりになって2年が経ち急に自転車旅行に行って来ると言うと、母親は涙を流して喜んだ。この頃は食事を二階の俺の部屋まで運んで来るようになった馬鹿な母親。俺がニートになったその原因は母親自身にあると言う事も分らず、ただおろおろするだけしか脳のない女だ。

なぜ自転車旅行かと言うと、あるユーチュウバーの動画がその理由だった。彼は言った。「海沿いを自転車で走るのは実に気持ちがいい。潮風を受け自転車で走ると、身も心も潮風に洗われたようになる」と彼は言った。じっさい動画の撮り方がうまいのか、島影に立つヤシの木、寄せては返す白い波を左手に見て、颯爽と走る姿はカッコ良かった。

その海が湘南海岸と言うので、同じコースを俺も選び横浜の自宅から動画の通りに自転車をこぎ始めた。だがいつまでたっても海が見えない。おまけに道が悪くなり石ころだらけの田舎道になり足も疲れて来た。それで見えた茶屋ののぼりに救われた気持ちになったのに、あてがはずれた。

高校3年まで俺は優等生と皆に言われた。バスケット部に所属し友人も何人かいて、比較的楽しい学生生活を送った。天才とは言わないが、高3の模擬試験では72の偏差値を取り、そのデーターでは青山、名古屋、筑波大学は合格可能と書かれていた。

だが俺は受けた大学すべて落ちた。あの時の悪い夢を見ているような絶望と落胆の気持ちは、今思い出してもゾッとする。プライドの高い俺は地獄の底に突き落とされた気になり、未来が閉ざされ朝から晩までベッドの中で過ごすようになった。それが高じて引きこもり。すると今度はぶくぶくふとりだした。

ある日二階の自分の部屋にいると、階段の下から茶の間の家族の声が聞こえた。「お前はツヨシが腎不全と言うがあれは病気じゃない」「じゃなぜあんなに太っているのかしら?」母親のつまらない声がする。「それは何もせずに食べてばかりいるからだ」と言う父親の声「お医者様は腎不全だとおっしゃったんですよ」とこれは母親の声。父親は何も言わない。二人はそれ以上の会話は避ける。

俺はだっだっだっと階段をかけおり、「俺の病名は自閉症スペクトラム障害と言うんだよ。自閉症スペクトラム障害、分ったか!体はどこも悪くない、精神がおかしいんだ!」大声でそう言いたい衝動にかられた。だが俺は言わない、中にため込む。

石ころ道を30分ほど自転車で行くと、左がわの細道を妙な格好をした男が歩いて来た。菅笠をかぶり合羽を着た肩に、振り分け荷物を前と後ろに掛け急ぎ足で歩く。菅傘で顔は見えない。道の両わきには松の並木道が続いている。まだ海は見えない。

ニートになった俺に母親はぐずぐずと泣きながら「先の事はどうするの、篠原さんの息子さんは東京の早稲田に行ってるそうよ。早稲田の近くにアパートを借りてるらしい」この前道で会った時に少し話をしたの」と言いやり切れないほどの暗ーい顔をした。

篠原と言うのは高校の時の友人だ。俺と彼は高校の成績が優秀だと言う事もあり、良く話をした。いわば親友だ。だがあいつが早稲田に受かり、俺がどこにも合格出来ないとなると、俺たちはぱたりと合わなくなった。いや俺があいつを避けるようになった。あいつも無理に押しかけて来るような事はしなかった。親友とはそんなものだ。

あれ、今度は駕籠に乗った女がやって来た。裸同然の恰好をした貧相なかごかきが、前と後ろで駕籠の棒をかついで、「へっちょい!、へっちょい!」と掛け声をかけながら調子良く駕籠を担いでいる。女は座り心地が悪いのか不機嫌そうに顔をしかめている。駕籠と言えば今のタクシーだが、このタクシーにはドアがない、中は丸見えだ。

女と言えば、受験に落ち家でふて寝してると、同じクラスの好きだった女性徒から手紙がきた。俺も悪くは思っていない子だったので驚いて中を開けて見ると「好きでした。あなたには光のようなものがありました」と書いてある。でも今さらそんな事を言われても、ニートになりかけていた俺にはなんの足しにもならなかった。

昔のことを思い出すと今の自分と比較して嫌気がさす。大学受験の勉強をしていた頃は、希望に燃えていた。未来が輝いて見えた。だがそれも終わりだ。何をする気も起らない。

突然ツヨシは目を輝かせた。「おおーっ!あれはなんだ、、、ああーっあれは草原だ」ツヨシは声を上げた。クローバーの白い花が一面に咲き乱れる大草原だ。あの上に大の字になって寝ころべば気持ちいいだろうな。もう3時間ぐらい自転車をこいでいる、足も疲れた、よしここで休憩だ。

ツヨシはクローバーの大草原に続く細い道を走り、しばらく行くと声を上げ自転車を飛び降り、草原の上に大の字になった。しかしながらそこは白い花が咲く大草原ではなく、白いさざ波が揺れる大海原だった。草原に続く細い道だと思ったのは桟橋なのだ。彼は暖かい母のような海に抱かれ、微笑みを浮かべ静かに海の底に沈んで行った。

ニートになってからツヨシは現実の風景が実際とは全然違って見えるようになった。たまに外出して街を歩くと、町並みが百年以上も前の古典的景色に見えたり、無人の未来都市に見えたりする。そのために恐怖をかんじ外出もしなくなった。だがその事は誰にも言わなかった。

ひとみはもう一度後ろを振り向いた

ひとみはもう一度後ろを振り向いた。やはりつけてきている。勤務先のスーパーマーケットを退出してから、ずっと後をつけて来ている。「困ったな」ひとみは思った。

3才位の女の子が後をつけて来るのだ。さっきマーケットで見た女の子である。ひとみは立ち止まり女の子が自分に追いつくまで待って見た。

「どうして後をつけてくるの?」と聞いて見る。女の子は泣きそうな顔でひとみを見上げうつむいた。「ママはどこへ行ったの?」と聞くと、「ママは嫌だ」と言う。「どうして嫌なの?」と聞いて見る。「知らない」と言う。「うちはどこ?」知らないと言う。

何を聞いても「知らない」でらちが明かず、ひとみは少し速足で歩き始めた。やがて美容院の横を右に曲がると、賑やかな夕暮れの商店街に出る。そこを通り抜けると、今度は緩やかな上り坂になる。坂を上りつめた所で彼女は後ろを振り向き空を見上げた。いつものように美しい夕焼けが広がっている。

ここから見る夕焼けの景色が彼女は好きだった。夕焼け空の下に見える賑やかな商店街、その風景もまた好きだった。新鮮な野菜、あるいは魚を今日中にさばこうと売り込みに精を出す店員の声、それにまぎれる買い物客のせわしない動き、そんな景色もひとみの好きなものだった。遠い昔に同じような風景をどこかで見たような気がするから。

ふと見るとさっきの女の子が、坂の入口で手すりにつかまったままひとみを見上げている。小さな体で急ぎ足のひとみを一生懸命つけてきたのだ。そして坂の入口で力尽き、今は黒い鉄の手すりにつかまっている。

ひとみは坂を下り少女のそばまで来た。「大丈夫?」と聞いて見る。少女は「うん」とうなずきニコリとほほ笑む。さすがに「帰れ」とはもう言えず、ひとみは少女の手を握り一緒にアパートに連れ帰った。名前を聞くとマリと答えた。

その晩、寝室に布団を敷きマリを寝かせると、ひとみは自分のベッドで寝た。ひとみを急ぎ足でつけて来たので、マリは疲れたのだろう、すぐに寝てしまった。無邪気なその寝顔を見てひとみは思った。「明日はこの子を交番に連れて行かなきゃ。いつまでもこんな事をしていたら誘拐と間違われる」と彼女は思った。

その時少女がキャキャキャとくぐもった声で笑った。楽しい夢でも見ているのだろうか。ひとみは呆れた顔で目だけ動かし天井を見上げた。人の気も知らないでと言いたいところ。だが寂しい一人暮らしの部屋に突然やって来たこの訪問者に、ひとみは嫌悪感どころか愛おしい気持ちさえ湧いて来た。

次の朝、パンケーキとスクランブルエッグの朝食を食べた後、「公園に行こう」と少女が言った。「だめよ、これから交番に行かなきゃ」「こうばん?」少女が怯えた顔をした。「いやだいやだ、交番ぜったいいやだ!」足を投げ出しばたばたと床を蹴り始めた。

30分後、ひとみはマリに根負けして公園に来た。仕事が非番な事もあり、公園に行って少しマリを遊ばせそれから交番に行ってもいいなと思ったのだ。

週半ばだと言うのに公園には人が多い。幼い子供連れの母親や赤ん坊をストーローラに乗せた母親などが談笑している。ベンチには老人が座り犬を連れた人もいる。実に平和な朝の公園風景だ。見るといつのまにかマリは友達を作り一緒に滑り台で遊んでいる。

笑いながら走ったり追いかけたりしているマリは、ひとみの後をつけて来た怯えたような昨日のマリとは違う。すべての光景をジャングルジムのそばで見ていたひとみは、不思議な既視感を覚えた。この光景は30年以上も前の自分と母親の様子に似ている。つまりマリは幼い頃のひとみの姿で自分はその母親、つまり自分の母親なのだ。

ひとみの母親は彼女が10才の時交通事故で亡くなった。それから叔母に貰われた彼女は、不幸せではなかったが幸せでもなかった。そんな暮らしをそのまま甘受した彼女は、実にメリハリのないぼんやりした人間に成長した。

彼女の母親もまた実にぼんやりした女だった。父が母のそのぼーっとした意志薄弱な性格に業を煮やし、家を出て行ってからも彼女は変わらなかった。頭が弱いのではないかと親せきの者は陰口を叩いたが、誰も母に意見する者はいなかったので物事も変わらずじまいだった。

マリがひとみのそばに走って来て小さなタンポポの花を渡した。「ありがと」とひとみが言うと「どういたまして」とほほ笑んだ。「どういたしまして」のカタコト語だろう。その言葉にひとみは衝撃を受けた。

「どういたしまして」その言葉こそが母がひとみに教えてくれた唯一の言葉だった。「誰かにありがとうと言われたら『どういたしまして』って言うんだよ」母はよくそう言った。その言葉がうまく言えずに何度も練習した。「どういたまして」「どういたまして」「どういたしまして」なんども練習するひとみを母は微笑しながら見ていた。

30分ほど遊んで「さて交番に行かなきゃ」ひとみがその事を言うと、マリが「おうちに帰りたい、ママに会いたい」と言う。「おうちに帰ろう」とひとみの手をひっぱる。

聞いて見るとマリの家はこの近くらしい。この公園にも何度も母親と来たと言う。それならば話は早い、マリの家に今から行けばいい。ママは働かずいつも家にいるとマリが言うので、生活費はどうしているのだろうとひとみが思いつく間もなく「アイスクリーム食べたい」とマリが言う。

見ると公園のわきにアイスクリームバンが止まっている。マリの好きなバニラのアイスクリームコーンを買って渡すと、「ありがと」と言ったマリにひとみは「どういたまして」と言い、思わず一人笑ってしまった。

その時「あっ!ママだ」とマリが言いこちらに近寄って来る女性に走り寄った。それが娘を探しているマリの母親だと分かった時、ひとみはすぐに頭を下げて謝った。「ごめんなさい、これから交番に連れて行くつもりだったんです、ごめんなさい遅くなって」と何度もあやまった。

マリの母親は頬にかかった長い髪をかきあげるようにして「だいじょうぶよ、心配しないで。これがはじめてじゃないから。でもこの公園に探しに来ると必ずいるの、だから心配しないで」とティーンエージャーのようなはにかみ顔をした。

真っ赤な夕焼け空の下を、母と娘は手をつなぎ帰って行く。つないだ母の手をマリがぶんぶんと振ると、母親もお返しにぶんぶん振る。どこかあぶなっかしい母と娘の後姿を見送りながら、ひとみは「やれやれ」と思った。ほほえましくも楽しげでもあるが、なんだかおかしな親子だ やれやれと思っていた。

海岸通りの料理屋

海岸沿いの料理屋で、具だくさんの海鮮うどんを食べたばかりの隼人(はやと)は、桟橋の突端に立っていた。不思議な夕焼けが空に広がり、海はオレンジがかったピンク色をしていた。あたりにはその海の色に魅せられたぶらぶら歩きの人たちが、立ち止まり始めた。

「俺、ちょっと一人で歩いて来るよ」と家族に言いうどん屋の前で両親と別れた彼は、桟橋まで一人歩いて来たのだ。「あんまり遠くへ行くなよ」と父親が言うと「ほんと、あんたはいつもふらふら一人で歩き回るから心配よ」と母親が顔をしかめた。「大丈夫だよ、心配だったら携帯で電話すればいいよ」と隼人は言った。

「ぼくも行く」と6才の弟が後をついて来ようとしたが、隼人は「俺は一人になりたいんだ」と弟をじっと見つめた。弟は変な顔をしたがそのままそこに立ち止まり、しばらくして隼人が振り向くと、弟は同じ場所にまだ立っていて隼人に手を振った。

今朝早く朝食がすむと、父親が「今日はドライブで葉山の海まで行って見るぞ。遅くなれば近くのホテルで一泊してもいいし」と言いだした。「わーい、やったー」葉山がどこにあるかも知らない5才の弟が、飛び上がって喜んだ。

これは父のいつもの癖で有無を言わせぬサプライズだ。母親はまたかと上目づかいに天井を見た。たとえ日帰りの旅行でも一家の主婦である母にとっては、いろいろ準備もあるのだ。だが隼人は何となくいい気晴らしが出来るようで楽しくなった。やっとあの連中のいやがらせから逃れる事が出来る、一時的にせよ。

彼はクラス内のいじめにあっていた。中学に入ったばかりでいじめに会うとは思っていなかったので、彼は誰にも言えず悩んでいた。いじめる生徒は3人、彼らはいつも一緒に居て、隼人が単に立っているだけで、後ろからふくらはぎを蹴ったり、髪を引っ張ったり背中をドンと押したりする。

意味もなくそんな卑怯な事をされると腹が立つ。そして彼ら3人は、普段は親し気に普通の態度で隼人に接する。そこで隼人は「この前どうして足を蹴ったんだ?」と聞く。すると彼らはただニヤニヤ笑いをするだけである。本当に腹が立つ。

隼人は『いじめの問題』と言うある心理学者の本を読んで見た。するといじめを受ける生徒は、他の生徒とどこか違っていると書いてある。例えば極端に成績が良い、極端に悪い。または見かけが極端に良い、悪いと言う理由でその生徒をいじめるのだそうだ。

だが彼は呆れるほど平凡な生徒である。自分でもそう思う。顏も普通で成績も普通。性格も普通。そして彼は何があっても普通に振る舞う。「どうして俺なんかをいじめるんだろう」と時々考える。

だがしばらくすると忘れてしまう。それが良い事か悪い事か今のところ分からない。優柔不断にしていたら、殺されたと言うケースもある。

今彼はさっき食べた海鮮丼の事を考えている。うどんの上にイクラ,ツナ、厚焼き玉子などが盛りだくさんに乗っていた。「うまかったな」彼は今一度反芻する。腹ごなしのために、しばらくぶらぶらする。気分がゆったりして来た。

隼人はまた桟橋の突端にもどり、左から右へと首をまわし広大な海を眺めてみる。海は薄いピンクとオレンジ、そして白い絵の具を混ぜたような、今は柔らかいサーモンカラーの色である。彼は世界の果てまで来てしまったような、ロマンティックな気分になっていた。この頃になると周りに人はあまりいなくなった。

「コンニチワ」その時後ろで声がした。彼が思わず振り向くと、ブロンドの髪をした白人の少女が立っていた。隼人は思わず「こっ、こんにちは」と言ったがどもってしまった。「わたしはアメリカ人です」と可愛い少女が言う。そこで隼人は「ぼっ、ぼくはにほんじんです」と答えた。

その時「釣れたぞー」と言う男の声がした。見ると少し離れた場所で、釣り竿を振り上げた釣り人が声を上げている。少女がチラリとそちらを見た。釣り糸の先にサバによく似た大きな魚が飛び跳ねている。

この桟橋には手すりがない。釣り人は魚に強く引っ張られ、リールを巻き戻すのに手こずっている。少女が「かわいい」と言った。たぶん「可哀そう」のつもりだろう。だが隼人は目の前の少女に釘付けになり、釣り人には目が行かない。

外国人に、しかもこんな可愛い女の子に話しかけられたのは初めてだった。何を言われるんだろうかと彼はどぎまぎしていた。彼女は優しく微笑み口をぱくぱく動かしているが、隼人に内容が伝わらない。

数分立つと彼は落ち着き、少女がシンシアと言う名前で、アメリカのオハイオ州から両親と一緒に日本に来た、滞在は一週間の予定で3日前に来たのだと言う事が分かった。英語がぜんぜん理解できない隼人になぜそこまで分ったかと言うと、シンシアの日本語が上手だったからだ。彼女の後に両親らしき中年の白人の男女が立って、微笑しながら隼人を見ていた。

彼女の日本語は完全な標準語で、会話のはじめに必ず「わたしは」と付け加えるのが気になったが、後はなかなか上手だった。日本人の家庭教師が週一回自宅に来て、日本語を教えてくれると彼女は言った。年を聞かれたので12才と言うと「私もよ」とニコッと笑った。

最後にシンシアは自分の電話番号を言い「電話してください」と言った。「先生ではない普通の人とテキストをやり取りしながら、日本語を勉強したいのだ」と言う。少女の両親はやはり後ろで微笑しながらうなずいている。そこで携帯がなった。父親だった。「そろそろ車に戻るぞ」と言う。隼人は理由を言い3人と別れた。

その晩、隼人はベッドの中でなかなか寝付かれなかった。シンシアに電話すべきかどうかと考えていた。「あなたなんか知らないわと言われればそれまでだからな、慎重に行かないとな」常になく真面目に考えていた。

いじめっ子の事などすっかり忘れていた。

ナツ、トモ、ウタは仲良し三人組

ナツ,トモ、ウタは仲良し3人組、今日も一緒に下校していた。時間は午後3時、いつもより少し遅い下校だ。実は今日はフィールドトリップの帰りである。学校から町の映画館まで遠足がてらに歩き映画を見て、その後藤棚の美しい公園で弁当を食べ、今は家に帰る途中である。

だが3人は誰も押し黙ったように口を聞かずうつむいて歩いていた。別に映画に感激して口数が少ない訳ではなく、彼らは疲れ切っていた。映画館のある町まで歩いた事も一つの原因だが、映画の内容がさっぱり分からず、ただ今は目がチカチカして痛い。

先生は昨日皆に宣告した。「明日は町の映画館まで映画を見に行きます。題名は『石の花』」先生が言ったのはそれだけだった。それがロシアの映画で、初めてロシアで制作されたカラー映画で、もちろん日本で上映される初めてのカラー映画だとも先生は言わなかった。

だから衝撃も強かった。だいいち総天然色の映画など今まで見た事もなかったし、外国の映画を見るのも初めてだった。「画面の下に出て来た文字、消えるのが早くて読めなかったよね」ナツが言った。字幕の事をそんな風に言うと「そうそう漢字も多くてね」皆が同意した。

実はそれが原因で内容が理解できていないのだが、映画だけ見て内容を想像するには、彼らはあまりに幼すぎた。まだ小学2年生である。携帯電話、ポケモンゲーム、バービドールなどまだなかった時代、娯楽と言えば少女漫画雑誌が関の山だった時代。1950年代の話である。

「ウタちゃんのくれたおにぎり🍙、おいしかったよね」トモが思いついたように言った。彼女は藤棚の下で食べた弁当の事を言っている」「ホント、すごくおいしかった」ナツがそう言うと、ウタは嬉しそうな顔をした。

だがそれだけだった。🍙は自分で作ったのだった。母は朝早く田んぼへ出かけ家にいないので、ウタは自分で弁当を作らなければならない。みんなに上げようと余分に作った。でもそれをみんなに言うのは恥ずかしかった。

「石の花、わたしも持ってるよ」とトモが言った。他の二人の女の子はドキリとした。石の花と言う言葉を簡単に使って見せたトモの聡明さが、他の女の子たちを驚かせた。映画の中の石の花は、銅山の洞窟の中に年に一度だけ咲く、石で出来た花の事だった。これを見ればどんな下手糞の石工でも、すぐに才能が開花して素晴らしいものが彫れると言う。

若いだが才能ある石工のダニーラが、ある日貴族からクジャク石の花の鉢を彫るよう命じられる。彼は婚約者のカーチャがくれた白い花をモデルにした鉢を彫る。だがなかなかうまく行かない。彼はとうとう完成した鉢をぶち壊してしまう。

すると洞窟に住む魔性の女が「私の所に来れば石の花を見せる」と言うのがどこからか聞こえる。彼は一人銅山の穴の中に入って行く。カーチャは村に取り残された。女はダニーラに「私と結婚しなさい、そうすればあなたは立派な職人になれる」と言う。だがダニーラは断りカーチャと結婚する。

ここまで来てもナツ、トモ、ウタは映画の内容がさっぱり分かっていない。洞窟の中はただキラキラ輝いているだけで、魔性の女、つまり洞窟の女王は何だかぼんやり見え恐い感じがした。なにしろ遠いロシアの話でそれも古い民話なのだ。

「わたしも石の花もっているよ」とトモがもう一度言った。「ほんと?」ナツが驚いた声を上げる。「うん、わたしの父さんが、船で外国の港に行く時に買って来てくれるの」「ホント?いいなー」女の子たちは以前、船員の制服を着たトモの父親の写真を見た事があるので、すぐにその話を信じた。

「家にくれば見せてあげるよ」ナツとウタはトモの後をついて行った。彼らが今立っている場所は、トモの家の入口になる所で、そこから狭い坂道を上って行くとすぐにトモの家だ。その坂の両壁はなまこ壁になっていた。

なまこ壁とは普通の瓦を平たく並べて、そのすき間を白い漆喰で塗り固めた壁の事だ。その壁をナツが触っていると「ナツちゃん、それやめて、じいちゃんが嫌がるから」トモが言った。特に漆喰の白い部分はやたら触ると黒く変色するとトモの祖父は言ったそうだ。

その頃なまこ壁で出来た壁のある家は、お金持ちの家と決まっていた。トモの祖父はこの辺りの地主で広い土地を所有しているが、ケチで有名だった。トモの家は、祖父母と長男夫婦が住んでいる大きな母屋から離れた小さな小屋で、トモは母と小さな妹、弟とそこで暮らしていた。次男の父が航海をしている間は。

3人がトモの部屋に入って行くと、トモが折り紙で作った小箱を持って来て、床に中身をばらまいた。艶々とまぶしく光る色違いの、大きさの違う小石たちが中から転がり出た。彼女はそれらの石を並べまず小さな円を作り次にそれよりも大きな円と放射状に並べ始めた。

並べ終るとトモは窓の白い薄いカーテンを引く。すると小石たちの上をカーテンから漏れる午後の光が照らし、小石は揺れる花びらのように見える。これこそがトモの言う『石の花』である。ナツとウタは感心したように黙っていた。「これはわたしの宝物よ」トモが得意そうに言う。

「わたしも宝物をもってるよ」ナツがそう言うと「それはなあに?」ウタが即座に聞いた。

「かあさんがくれたフランス製の絹のスカーフよ。とても柔らかくて小さく丸めると片手で握れるの。こんど家に来れば見せてあげるよ」「ホント?」「ホント?」ウタとトモが同時に言った。

「ウタちゃんの宝物はなーに?」ナツが聞く。うつ向いていたウタがドキリとして皆の顔を見た。返事に困った。第一宝物など、そんな物はない。「色々あるから、、、。どれが宝物か分からない」やっとの思いで言った。色々と言っても実は何もない。

家には、学校から帰ると面倒を見て上げなければならない、80過ぎの病気の祖母がいるだけである。学校が休みの日には、家の掃除や家族の食事の支度をしなければならない。両親は野良に出ていつも忙しくしている。彼女は小さい癖に一家の主婦のような仕事をしている。

ウタに取っての『石の花』は自由に遊べる家庭環境かも知れない。

私は以前ゲティ ビラ美術館の近くに住んでいた

私は以前ゲティ ビラ美術館の近くに住んでいた。家からPCH(Pacific Coast Highway)を車で30分ほど行くと、マリブの中にそれはあった。

これはかの有名な石油王ジャン ポール ゲティが設立した美術館で、紀元前からの古代ローマ、ギリシャの古い美術品のコレクションが見られる。中に入るとすぐ眼前に広がる、古代ローマの別荘ビラ デイ パピリを模倣して作られたと言う庭園。これが素晴らしい。

両脇に白い円柱を張り巡らした回廊がありそれに続く美しく配置された草木の植え込み、そして中央に薄青の水をたたえた長方形のプールがある。(泳ぐプールではなく水の美しさを楽しむプール)その荘厳な景観はこちらが委縮してしまう程だ。

だが恐れ入る程威風堂々とした何かを見ると、すぐにどこか隠れた弱点はないかとあら捜しをする悪賢い私は、色々と検索する。すると見つけました、ゲティ卿が美術品の購入には金を惜しまないが、それ以外はとてもケチだったと言う事を。

彼の孫息子がローマで誘拐された時、犯人たちに1700万ドルの身代金を要求されたゲティ卿は「ビタ一文払わない、私には他に14人の孫がいる、この身代金を払えば他の孫たちにも危害が及ぶ」と言った。

この言い分には一理ある。この孫はいわゆる放蕩息子で、祖父から金を引き出すために、友人たちと狂言誘拐を何度も企てたと言う。ナイトクラブに入りびたり娼婦漁りも好きだったと言うから、卿はそれに業を煮やしていたのかも知れない。

だが孫はまだ16才だったそうで、そう言う風に育つしかなかった家庭環境もある。

だが身代金の支払いにグズグズしていたら、彼らは孫の耳を切り落とし、その耳と彼の耳なし横顔を撮影した写真をある新聞社に郵送した。それでやっとゲティ卿が動き出したと言う。だが身代金を全額払う訳ではなく、290万ドルまで値切り、残りは孫の父親、つまり自分の息子に利子を付け貸し付けた。

3世が解放されるまでに5か月もかかったそうだ。すべてはゲッティ卿が金の支払いをあれこれ渋ったかららしい。

最近この事件をもとにした映画「All THE MONEY IN THE WORLD 」をテレビで見た。ゲティ3世を演じた俳優が、大富豪の孫の孤独感、悲哀感を、無頓着で投げやりな表情、仕種で、うまく演じていた。

この映画は画像がなんとなくドキュメンタリーを思わせる映像で、山中の隠れ家に拉致されたゲティ3世が耳を切られるシーンは、迫力があり私は思わず自分の耳を押さえる程だった。この耳を切り新聞社に送ったと言う話は有名なので、以前聞いた事があった。

耳を切ると言うのはとても猟奇的で残忍なやり方だ。グロテスクでもある。私は耳を上から下まで根こそぎ切り落としたと勝手に思い込んでいたが、実は耳輪の少し内側を輪に沿ってぐるりと切っている。これは根こそぎ切るより時間もかかり、薄い皮だからよけいに痛いだろう。

3世は誘拐犯から解放されてからもショックで立ち直れず、結婚もして男子一人を設けたが、薬物とアルコール依存症でその後の人生は足萎えになり車椅子生活、失明、会話不能など、重度の障害を抱え過ごし54才でなくなったそうだ。

ゲティ卿は生涯5度結婚し、5人の子供をもうけた。呪われた一族として知られるゲティ卿の息子、孫、曾孫の中には、脳腫瘍、自殺、精神崩壊、突然変死などで亡くなっている人が多くいる。呪われた一族と言うよりも、世界一の大金持ちの重圧に耐えきれなかった人達である。

色々と書き連ねたがいずれもウイキペディアからの書き写しで、私自身がゲティ一家にマイクを傾けインタビューした訳でもなく、山中の隠れ家に乗り込み誘拐され打ちひしがれたゲティ3世にステーキを焼いて上げた訳でもない。犯人の中に実際そう言う女性がいたらしい。人質を傷つけてはいけないと、犯人達は3世を丁重に扱ったそうだ。

犯人の中に英語を話せる男が一人いて、この人物が3世の面倒を見ていたそうだ。彼は仲間に「あの男の子はいい子だ」と言っていたそうだ。こんな事を誘拐犯人に言わしめるとは、やはり3世の人徳のなせるわざだろう。あるいは育ちの良さと言うべきか。単なる気取った金持ちの放蕩息子なら犯人もこんな事は言わない。

とにかく私が肉眼で見たものは、あのゲティビラの回廊と美しい植え込み、それに囲まれた素晴らしい薄青のプールである。今となっては、その美しい庭園のあちらこちらに、亡くなった一族がまるで亡霊のように立ちつくしているような気がする。

だがそれは恐い、気持ちの悪い亡霊ではなく、もはや大財閥のしがらみから解き放たれ自由になり、優しく穏やかな表情をした亡霊たちである。彼らは「やあ、いらっしゃい、よく来たね。ゆっくり過ごして行ってね」と観覧者に語りかけているような気がする。

もちろん、あの誘拐され運よく解放されたが、その後は悲惨な人生を送ったジョン ポール ゲティ3世も。

リリーは日毎に大きくなって行く

リリーは日毎に大きくなって行く自分のお腹を、両手の手のひらで撫でまわす。

最近はこの動作を知らず知らずのうちにやってしまっている事がある。あまり好きな動作ではないが、やっと授かった赤ん坊である。産婦人科のお医者は双子だと言った。

いつまでも妊娠する事が出来ず、不妊治療で排卵誘発剤を使用した。ドクターはこの薬は双子が出来る事もあると言ったが、その通りになった。だがリリーはクスリのせいで双子が産まれたとは思っていない。それは妖精のおかげだと思っている。

ずいぶん前に読んだ雑誌の随筆に、不妊の女性がある日突然妊娠する、それには妖精の力が加担していると書いてあった。作者はあまり売れない随筆家で、とてもエキセントリックな作風で一部には熱烈な読者がいる事で有名だった。

彼女が言うには、日常生活の中で羽をつけた妖精は、自分の周りのあちこちに潜んでいると言うのである。それはとても微小な姿で蛾や蝶の外見に似ており、普段は家の中の観葉植物や庭の木々の葉陰に止まっている。キッチン用具の裏に羽を休めている事もある。

それらが、子供を欲しがるだが授からない主婦を見つけると、その主婦の口から鼻から耳の穴から容赦なく体内に飛び込むと言う。そしてその女性の胎内で魔法の杖を一振りする。するとそれまで互いに見当違いの方向を見ていた精子と卵子が、悦びあいながら結び合うと言う。これを妖精の受胎と言うのだそうだ。

女性の胎内で気まぐれに浮遊していた精子と卵子が、杖の一振りで結合すると言うこの作り話は、思いもつかない事が起こる現代では妙に信ぴょう性がある。売れない随筆家はそこに目を付けたのかも知れない。

リリーは今年50才になる。お医者は生理学的に言って、まだまだ子供を産める体だと太鼓判を押した。夫の方はすでに検査済みでこれは問題なし。8才年下の男でもある。そして産まれた双子の子供。

それは実に可愛らしい赤ちゃんだった。それこそ妖精のように愛らしく、人間の子供ではないようだった。おそろいのパジャマと赤ちゃん用の帽子を被せ、あお向けにベッドに寝かせると二人は同時に両手を宙に突き出し手のひらをパッと開く。その姿は天使のようだった。

リリーは有頂天になった。二人を乗せたストーローラで散歩をすると、道行く人が立ち止まり極上の誉め言葉を浴びせる。それは母親に向けられた言葉のようにも思われ、彼女は日々幸せに満ちていた。ある夜夫がベッドの中で囁いた。「君はこの頃若くなった。身も心もね」「妖精のおかげよ」彼女は心の中でつぶやいた。

ある日の午後、リリーは庭の木陰で揺り椅子にゆられ赤ん坊におっぱいを上げていた。胸を大きくはだけ豊かな乳房を惜しみなく見せ、赤ん坊を抱きしめている。双子だから同時に乳首を含ませる事は出来ない。出来ない事もないがそこまでしたくはない。もう一人の赤ん坊は屋根つき乳母車の中ですやすやと眠っている。

ところでこの双子たちは二卵性双生児である。一人は男の子もう一人は女の子、男の子はノア女の子はエマと名付けた。夫婦で相談して決めた。二人はこの命名に満足している。困った事の一つは父親がいつも混乱して、ノアをエマ、エマをノアと始終間違える事である。

さてリリーはエマに乳首を含ませながら、母としての極上の幸せを噛みしめていた。庭の木陰で揺り椅子にゆられ赤ちゃんにお乳を飲ませると、蝶々やテントウムシが周りを飛び始める。長い間咲かずにいたチューリップの花が風に揺れている。まるで童話の中にいるようだとリリーは幸せを噛みしめた。

お乳を飲ませるのはいつもエマが先である。二人はとても良く似ているが、エマの方がほんの少しだけ可愛さが優っているとリリーは思う。だから何をするにしてもいつもエマが先だ。リリーは出来るだけ分け隔てなく育てようと思っているが、つい先に抱き上げるのがエマである。

そこに夫が仕事から帰って来た。いつになく不機嫌な様子である。「またエマから先に乳を飲ませているな」と恐い顔で言った。「えっ?どう言う事?」リリーがいぶかし気に言うと「君はエマをえこひいきしている。何をやるにしてもエマが先だ」静かな声だが口調がきつい。

彼はメンテナスの仕事をして稼ぎも良い。誠実で真面目な気質がオフィスのボスに気に入られている。信用できる勤務態度についボスは彼に仕事を振り当てる。すると夫は涼しい顔ですべての仕事をこなし、最近では自分の事務所をオープンする事も考えているようだ。

そんな性質からリリーが双子に平等でないと見えるのだろう。「あら、そんな事はないわ。あなたこそノアばかり可愛がって!」ついリリーが声を荒げると「それは君がエマばかり可愛がるからだ!ノアが可愛そうだ」と妻の前に立ちはだかった。

結婚して初めての口喧嘩である。「夜更けにエマが泣くと君はすぐさま様子を見に行く、だがノアが泣いても君は知らんぷり」「だから言ったでしょ!あなたがノアの面倒を見るからあなたに任せるのよ」「ちっ違う!君がエマを先に、、、」ここで夫は馬鹿馬鹿しくなったのか、急に口をつぐんだ。そしてその夜「僕は今夜はソファで寝る」と言い放ち枕をかかえリビングに消えた。

こういう暮らしが5年も続いた。気がつくとあんなに可愛かった双子の赤ちゃんがどちらも普通の顔になり、道行く人もあまり褒めなくなった。つまり可愛さが目立たなくなり、どこにでもいる当たり前の顔になったのだ。

ただ違うのはノアが父親に似た性格になり、エマが母親のそれになった事だ。ノアは静かな性格で控えめだが自分の意見はしっかり持っている。エマは少しわがままで人の注意を引くのが好きである。

ある日リリーが夫に行った。「ノアはあなたに似て聡明な男の子になったわ。でもエマはいつまで経っても甘えん坊で私みたい」彼女はうつむいたままそう言った。すると夫はリリーのあごを指先で上げ唇にキスをした。「そんなことはない、ノアも結構わがままだよ」と言い微笑んだ。

それから夫婦は二人の子供を良い子に育てるために、話し合い力を合わせるようになった。馬鹿な夫婦げんかもやめた。すると子供達は笑い夫婦は幸せな家族を築いた。

これも妖精のなせるわざだろうか。

モールの中をそぞろ歩き

モールの中をそぞろ歩きしていたミナミは、ある趣味の良い店を見つけた。

それは建物の二階にあるデパートを出てすぐの所にあり、右と左に分かれた通路の真ん中に位置している。さわやかな印象で、店内から漏れる空気は木漏れ日が揺れる午後の林を匂わせる。白い鉢に植えた観葉植物があちこちに置いてある。

中に入る。何となく高級古着屋と言う店の装いに彼女はあたりを見回した。客はミナミだけで店は閑散としている。奥のショーケースの上で、黒人の男性が婦人用アクセサリーの商品に値札をつけていた。ミナミを見ると「ハロー」とこびる風でもない落ち着いた声で言った。

しばし店内を歩き男性の前を過ぎようとした時、ミナミは彼が作業をするショーケースの上に、黒い箱の中にざっくりと入った指輪の数の多さに目を引かれた。指輪か、そう言えば最近買ってないなと彼女は立ち止まった。

黒い箱の中をしばし物色し一つつまみ「これは幾ら?」と男性に聞いた。即座に彼は「70ドル」と静かに言った。見れば白い陶器製のとてもシンプルなデザインの指輪、70ドルとは少し高いなと指輪を箱の中に戻す時、手が震え指輪が床に落ちた。指輪は二つに割れた。彼は床に手を伸ばしそれを拾った。

「あっ!ごめんなさい。それ買います」とミナミが言うと、「いいよ心配しないで」と彼は言った。「いえ、買います」ともう一度言うと「いいよ、いいよ」と彼は手を振った。この寛容さに後ろめたさを感じたが、そのまま店を出た。すると彼が「僕はオーナーだから」と背後で言うのが聞こえた。

これは神の声だ。オーナーと言う神の声だ。「僕はオーナーだから、僕の言うのを黙って聞け」と言う事だろう。

反芻思考の強いミナミは、その夜ベッドの中でこの出来事を思い出し眠れなくなった。店を出る時、『VINTAGE』と言う店の看板を見たからだ。ビンテージとは古い物だが価値ある物と言う意味。あの指輪が70ドルなのも頷ける。

あの指輪も、例えば端役だけで女優業を終わったどこかのハリウッド女優が、泣く泣く手放した由緒ある指輪かも知れない。場所が場所だけにありえない事ではない。それを壊したミナミが弁償すると言ったのに、「いいよいいよ」で済ませた店主。

十年以上も前、ミナミはあるギフトショップに勤めていた事がある。高級店を気取り、商品がやけに高い店だった。皆が憧れる高級住宅街の中の一角にあり、お客の様相もそれらしき人が多かった。

そこにある日3人のお客がやって来た。小学生くらいの男の子とその母と祖母、彼らはどことなく身なりも貧相で卑屈な態度で店の一か所に立ち止まっていた。特に母親と祖母は店に入った事を後悔している素振りを見せた。

その時ガシャーンと言う鈍い音が店の奥からした。何かを物色していた少年が品物を床に落としたのだ。彼は破壊した品を両手の手のひらに乗せ、ミナミのいるカウンターまでやって来た。その手はかすかに震えている。それはステンドグラスで出来たオウムの置物で100ドル以上もするものだった。

その時母親が言った。「それを買うわ」値段を知らない彼女はそれでも良心的に言った。その時ミナミは目に涙を浮かべた少年をさっと抱きしめ、「大丈夫、大丈夫、心配しないで」と言った。幾らか?と聞く母親にも「いいから心配しないで」と微笑んで見せた。

その事を勤めていた店のオーナーに言うと「それは君の責任だから君が弁償しなければならない」と言った。ミナミは他の従業員から、オーナーは保険に入ってるから商品を壊しても大丈夫よと聞かされていた。このオーナーは妙なやり口で、従業員を悲しませると言う性癖があり皆から嫌われていた。

昔勤務していた店のオーナー、モールのビンテージショップのオーナーを比較して。どちらが良いとは言えない。ギフトショップのオーナーは弁償しろとは言ったが、ミナミが無視するとそれ以上は言及しなかった。 

ビンテージショップのオーナーが保険に入っているかどうかはともかく、彼のとっさの判断はとても相手をいたわる気持ちがあった。こんな事をミナミがくよくよ考えるのも、店の品を壊したが自分は無傷で済んだと言う後ろめたさである。

ミナミの性癖を反芻思考と書いたが、その反芻とは牛,豚、羊などが一度のみこんだ食物をまた口中に戻し、咀嚼しまた飲み込む事を言う。反芻思考と言うのは同じようにすでに終わった嫌な事を、あれこれ思い出しくよくよする事だ。

これが深刻になると一時的なうつ病になったり、過度のストレスを抱えたりする。だがミナミはそれほど頭脳明晰ではないので、ちょっとした後ろめたさだけで終わってしまう。良くも悪くものほほん型である。

2,3ヶ月も経った後、モールに出かけたミナミはあのビンテージショップの前を通りかかり、ためらわずに中に入った。この前のオーナーが居れば立ち話でもして商品の一つも買おうと思ったのだ。

だがオーナーはいない、客もいない。野球帽のツバを逆にして被った背の高い従業員が一人、カウンターの中に立ちぼんやり外の通路を眺めていた。爪でカタカタ、ケースの上を叩いている。

この前会った黒人のオーナーの事を聞くと、「ああ、あの男はもう辞めました。それにオーナーではありませんよ」と言う。何か一つ商品を買おうと思っていたミナミは、すっかり気落ちして何も買わずに外に出た。

だがミナミ心配しないで、世の中とはたいていそう言うものだよ。