皆さま お元気ですか。
今回もまた投稿が大変遅くなりました。申し訳ございません。ですが最近投稿情報を見たところ、新規投稿が無くても、沢山の方がブログを見に来てくださっている事が分かりました。その方たちに励まされてと言うか、𠮟咤されて やっと投稿にこぎつけました。ありがとうございます。それにしても、いつまで経っても文章がうまくならない自分に嫌気がさしています。投稿が送れたのはそれも一つの理由です。では 最近書いた文章をどうぞご覧ください。
薄暗くだだっ広い場所に私は立っている。目の前に大きな白い建物があり、中央に尖塔のようなものが見え、そのてっぺんに十字架が立っている。どうやら教会のようである教会にしてはうら寂しい所に立っている。いや、教会とはうら寂しいものかも知れない。
尖塔のすぐ下に大きな窓がありそこに煌々と灯りがつき中が見える。とても高い窓なのに、素朴なテーブルの上に並ぶ少しばかりのオブジェが見える。なぜか背低い私の視点からもはっきり見える。
ステンドグラスの破片のような物を、見境もなく貼り合わせたオブジェのようで、それが奇妙な興味を私から引き出した。奇妙な?
するとスッと私に近寄り、耳元で囁く女がいた。「あの変なガラス細工はね、この前の地震で壊れた教会の窓で作ったのよ。窓はステンドグラスで出来ていたからね。地震で粉々に砕けた窓ガラスの破片を拾って、張り合わせて作ったのよ」「誰が作ったの?」私が聞いた。「もちろん、この教会の信者よ」「売り物らしいから行って少し買えばいいのよ。ただ同然に安いらしいよ」
いつまでも耳元で囁く女の声が嫌になりすっとそばを離れた。少し離れた場所で女を観察しようかと思ったが、あたりには誰もいない。いつの間にか広場は夜になっていた。
数日たって、私は同じ教会に出向いた。礼拝堂は薄暗くその薄暗さが好きな私は、しばらく座席に座ってあたりを見回していたが、それから二階に行く階段を探した。
廊下に出ると助祭らしき人に、「ステンドグラスのオブジェはどこで売っているか」と聞くと「三階だよ」と上を指さした。ワインの匂いをぷんぷんさせていた。たぶん礼拝の時、飲み過ぎたのだろう。
思ったより粗末な部屋で、細長いテーブルの上にステンドグラスの飾り物が幾つものせてある。良く見るとどの製品も細部まで精巧に作られ、その癖ほっこりする優しさを放っている。
特に『馬小屋でのキリストの生誕』を現した置物は胸が熱くなるほどだった。他に見物人は誰もいず、係員が一人品物の位置を変えたりしている。
その係員が先日教会の前で私の耳元に囁き続けた女だと気づいた私は、別人を見るような気持でそばに近づいた。彼女にはこの前とは段違いの気品が感じられ、薄化粧したその顔には聖職者特有の、どこか諦めたような知性さえ感じられた。
「この前広場でお会いした方ですよね」今度は私が囁くように彼女の耳元で言うと、彼女は「ああそうでしたね」と微笑んだ。口の利き方まで違うと私は感動し「気に入ったものがあるので、少し買いたいのですが」と言うと「どれが気に入りました?」と聞く。
「キリスト生誕の置物」と言うと「ああ、あれは私も心を込めて作りました」「あなたが作ったのですか?」少し驚いて言うと「ええ、この仕事はジクソーパズルと同じように壊れたステンドグラスの破片を形良く色良く並べていくだけなんです。ただジクソーと違う点は、どんな絵が出来るか出来上がるまで分からないと言う事です」
「じゃお幾らですか?」とキリストの置物を手に取ると「ただで差し上げますよ」彼女は微笑んだ。飼い葉桶で眠る赤ん坊キリストの顔を見ながら私は黙っていた。「私はこの教会の神父の妻だからどうにでもなるんです」と言う。「お名前は何と言うの?」とぞんざいに聞くと「マリア」と答えニヤリと笑った。
家に帰ると、今日も仕事をずる休みした怠け者の夫がじろりと私を見た。「腹がすいた、飯を食わせろ」と言う。「働かざる者食うべからずよ」とうまい具合に聖書の慣用句を突き付けると「お前だって働いちゃいないじゃないか」と凄みをきかせた「なんで早くお前の親に、金送れの催促電話をしないんだ」彼の浴びせたいつもの捨て台詞を背中に私はその場を離れた。
夫とのいつもの凄まじい口喧嘩を始めたくなかったので、私は一人散歩に出かけた。私達夫婦はじつにいい加減なカップルである。似たもの同志の無責任な怠け者、未来の指針を見いだせない曖昧な夫婦である。
ただ私と夫との違いは、その事に対して私は彼とは比べ物にならない程の、後ろめたさ疚しさを世界に感じていると言う事である。
数日後私はまた教会に出かけた。マリアに会うためである。彼女はほとんど毎日教会に居るそうで、先日のキリストの置物を買ったいや貰った部屋で、色々な仕事をするそうである。ホームレスに振る舞う食事の用意をしたり、働く母親達の子供のベビーシッター、認知症の老人たちとの談話、神父に言われた事は何でもすると彼女は話した。
「旦那様の言う事ですもの、断れないわよね」と私が言うと、「ああ、神父が私の夫って言う話、あれは真っ赤な嘘よ。私は嘘をつくのが趣味なの」彼女は鼻先で笑って見せた。口調も以前の、品のない蓮っ葉な言い方に戻っている。
彼女のやる事言う事にはつじつまが合わない所がある。頭がいいのか悪いのか分からない。だが妙に私を引き付けるものがある。
こうしてマリアと私の関係は何の脈絡も意味もなく続き、私は時々なんでこんな女と私はいるのだろうと、不思議な思いに捕らわれた。私は自分の夫婦関係を彼女に愚痴る訳でも、彼女との世間話を楽しみにする訳でもない。話す事と言えば空の青さ、空気の優しさ、そんな事である。
ただ一度彼女はこんな事を言った事がある。「あの神父とは10年も前に離婚したのよ。あの男はとんでもない男よ。浮気はする、寄付金はくすねる、さすがにどこかの国の法王みたいに聖歌隊には手を出さないけどね」と彼女はゲスな言い方をして私を上目づかいに見た。その時私はとても嫌な気持ちになった。
なぜ私が彼女に魅かれるのか?その理由がある日突然わかった。それは彼女が私のレプリカだからと言う事である。つまり私達は、とても良く似た人間同志であると言う事が分かったのである。互いによく似た模造品だ。どちらがどちらを模倣しているのか良く分からないが。
その事が分かってから、私は急激に彼女への興味を失くした。むしろ恐怖さえ感じた。自分のレプリカと時を過ごし、ある日耳元で『私はあなたの偽物よ』と囁かれにやりと笑われたら、背筋が凍るだろう。
だが一方的に彼女との関係を遮断すれば不吉な事が起こりそうで、悩み疲れた私は教会の告解室で神父との会話を夢見たが、彼がマリアの旦那であるかも知れないと思うと、さらに悪寒が背筋を襲った。
マリアとの行き来が途絶え、しばらくして私はふらりと教会へ出かけた。明るい表の広場から教会の中に入ると中は真っ暗で、閑散としている。しばらくするとその暗さに目が慣れて来た。
すると祭壇に続く中央の座席の間を、一人の女がいざりながら前に進んでいる。両手を体のわきにつき、その手を使って前に進むのである。足が悪いと嘘をつき、路上で通りすがりの人に金銭をせびる、あの不届きな人種のようである。
良く見るとそれはマリアの哀れな姿だった。そばにいた教徒らしき人に「彼女はなぜ普通に歩かないのか?」と聞くと、「あの女は大ウソつきでそれがバレて、神の赦しを得るためにああして物貰いのようにいざって、神の身許に行かなければならないのです」と言った。
ああ、それは確かに私の未来の姿であった。私はあまり人に嘘はつかないが、恐れ多くも神に嘘をつくのである。