馴染みのボードウォークを端から端まで歩き左に曲がると、細い石畳が見えその両脇にサボテンや多肉植物をあしらったトロピカル風の庭が続く。さらに歩きを進めると今度は広い表通りに出る、そこを横切りしばらくするとその建物はあった。
白壁に青い木製のドア、その上部に『夢を売る店』と書いた小さな看板がかかっている。あまり気にせずに中にはいると、細い木の棒を縦と横に組み合わせ出来た四角い空間に、小さな瓶が幾つも置かれ、何となく来店者を蠱惑している。
「あれはジャムですか?」とその中の一つを指さし店員に聞いた。その男は店に入ってすぐ右手にあるカウンターに立っていた。すると少し離れた所に立っていた別の男が「いえジャムではありません、夢のエキスです」とこれは最初の男が答えた。
「夢のエキスとはなんじゃい?」と口には出さず私は男の目をじっと見た。彼は「これがサンプルです」とそばにある金色の金具で編んだカゴを私の前に置いた。中には10個ぐらいの小瓶があり、それぞれ風変わりな色のクリームらしきものが入っている。
紫系の色で、それぞれに他の違う色をわずかに混ぜたような色である。その一つを取りラベルを読んで見ると(海の底に沈み深海魚と泳ぐ夢)あるいは(オオワシに乗って空を飛ぶ夢)などと書いてある。一瓶50ドルだそうだ。
「これは子供向けの商品ですか?」とふっと顔を上げ聞いて見た。「いえ、そんな事はありません」と二人は声をそろえて言い放った。「それじゃサンプルを下さい」と言うと「それは出来ません」と言う。いよいよ怪しいなと思い何も買わずに外に出た。
ドアを開け外に出てふと反対側の路地を見ると、そこに車椅子に乗った男性がじっと私を見ていた。この辺には路地が多くそこには色々な人が立っていて、それが警察の張り込みに見えたのは私の思い過ごしだろうか。
それはともかく(夢のエキス)と言う言葉は私の心をざわつかせ、一度使ってみなければ気が済まないと言うレベルまで達した。そこで私はまたあの白壁に青い木製のドアを叩いた。
金色のカゴの中から(南の島の孤島で魅力的な男性と1日過ごす夢)と言う瓶をつかみ「こんなのが一番いい、あとくされがなくて」と思い「使い方を教えて」といつもの男性に聞いた。彼は無表情で「まずクリームを両手のひらに薄くのばし、左の手のひらを額にペタリとつけます。そのまま20秒間待ち、次にさっと反対の手のひらを同じやり方で額につけ離します。20秒間と言うのがとても大事で、その間どんな夢を見たいのか、呪文のように唱えてください」と言う。「これは寝る前にベッドの中でやって下さい」と言う最後の言葉も忘れなかった。
ああこれは自己暗示のようなものだな、私はすぐに思った。ずっと以前ひどい不眠症に悩まされた時期があり、うさんくさい街角の精神科医に通った事がある。彼は「まず手のひら一杯を蜂蜜で満たすと言うイメージを描き、それを頭からかぶります。」とのたまった。
「その時蜜の液が顔の目、鼻、口の脇、そして胸と、上から下まで少しずつ落ちて行くのをイメージして下さい。乳房、性器も忘れないで。そして『眠くなる、眠くなる』と唱えてください」と言うので実際やって見た。
ところがこれが見事に効いた。体がだんだん熱くなり、最後は奈落の底に、あるいは深い谷底に落ちて行くような心もとない感覚で眠りにつく。その事があるのでこの度はどんな自己暗示だろうと興味もあった。
その晩(南の島で1日男と過ごす夢)と言う夢のエキスを手のひらに取り、それを額にピタリと貼り付け20秒間待ち、などと言われた通りの事をして目をつぶり効果を待った。
するとヤシの木の生えた南の島が見え、そこにビーチチェアに座って海を見ている私と男の後ろ姿が見えた。私達の前には板で作られた桟橋風の海の道が続き、その傍にヤシの葉で屋根を葺いたコテージ風の小屋が一軒ある。
その小屋を指さしながら男が言った。「今夜はあのコテージで過ごすんだよ」そして横を向き私に微笑みかけた。彼の顔を見て私は驚愕とした。それは忘れもしない私の初恋の男だった。
だが次の瞬間彼の若々しい顔はぐだぐだと崩れ落ちて行った。まるで砂で作った城のように。そしてそこに好々爺と言うか、気のいい優しい老人の顔が浮かび上がった。
私は走ってトイレに走り目の前の鏡を見た。そこにはこれも無残な老婆の姿が写し出されていた。だがそれは優しい老婆の顔ではなくぞっとする魔法使いのような顔だった。いたる所に深い皺とシミがきざまれその頬を触る手の甲には、ドス青く痩せ枯れた静脈がまるでミミズのように走っている。
彼に最後に会ったのは高校を卒業する時だったから、もう50年以上になる。高校時代私達は、互いに微妙な間隔でつかず離れずと思いを小出しにしていた。そして何事も無く、卒業。だが私はそのままで終わるのは何ともやりきれなく、最後通牒を下すべく、よせばいいのに電話をしてしまった。好きですと言ってしまった。そんな気持ちは失せていたのに。
すると今度は彼がその気になり電話をかける、家まで押しかけるとなり、私はすっかり興ざめしてしまった、彼のそんな態度にイライラし始めた。そして終わったわがままな私の恋。やがてその男が亡くなったと風の噂で聞いた。
50年後にその男と夢の中で会い、私は何とも言えない良心の呵責と罪悪感に苛まれる事となった。私はその晩夢の中でその男と二人コテージで過ごす事もなく、翌朝自分の部屋で一人で目覚め、どこか後ろめたい薄汚れた幸せを感じた。
数か月後、その店が営業停止となった事をテレビのニュースで知った。(夢のエキス)に脳内モルヒネに似た麻薬物質が微量発見されたそうだ。