海岸通りの料理屋

海岸沿いの料理屋で、具だくさんの海鮮うどんを食べたばかりの隼人(はやと)は、桟橋の突端に立っていた。不思議な夕焼けが空に広がり、海はオレンジがかったピンク色をしていた。あたりにはその海の色に魅せられたぶらぶら歩きの人たちが、立ち止まり始めた。

「俺、ちょっと一人で歩いて来るよ」と家族に言いうどん屋の前で両親と別れた彼は、桟橋まで一人歩いて来たのだ。「あんまり遠くへ行くなよ」と父親が言うと「ほんと、あんたはいつもふらふら一人で歩き回るから心配よ」と母親が顔をしかめた。「大丈夫だよ、心配だったら携帯で電話すればいいよ」と隼人は言った。

「ぼくも行く」と6才の弟が後をついて来ようとしたが、隼人は「俺は一人になりたいんだ」と弟をじっと見つめた。弟は変な顔をしたがそのままそこに立ち止まり、しばらくして隼人が振り向くと、弟は同じ場所にまだ立っていて隼人に手を振った。

今朝早く朝食がすむと、父親が「今日はドライブで葉山の海まで行って見るぞ。遅くなれば近くのホテルで一泊してもいいし」と言いだした。「わーい、やったー」葉山がどこにあるかも知らない5才の弟が、飛び上がって喜んだ。

これは父のいつもの癖で有無を言わせぬサプライズだ。母親はまたかと上目づかいに天井を見た。たとえ日帰りの旅行でも一家の主婦である母にとっては、いろいろ準備もあるのだ。だが隼人は何となくいい気晴らしが出来るようで楽しくなった。やっとあの連中のいやがらせから逃れる事が出来る、一時的にせよ。

彼はクラス内のいじめにあっていた。中学に入ったばかりでいじめに会うとは思っていなかったので、彼は誰にも言えず悩んでいた。いじめる生徒は3人、彼らはいつも一緒に居て、隼人が単に立っているだけで、後ろからふくらはぎを蹴ったり、髪を引っ張ったり背中をドンと押したりする。

意味もなくそんな卑怯な事をされると腹が立つ。そして彼ら3人は、普段は親し気に普通の態度で隼人に接する。そこで隼人は「この前どうして足を蹴ったんだ?」と聞く。すると彼らはただニヤニヤ笑いをするだけである。本当に腹が立つ。

隼人は『いじめの問題』と言うある心理学者の本を読んで見た。するといじめを受ける生徒は、他の生徒とどこか違っていると書いてある。例えば極端に成績が良い、極端に悪い。または見かけが極端に良い、悪いと言う理由でその生徒をいじめるのだそうだ。

だが彼は呆れるほど平凡な生徒である。自分でもそう思う。顏も普通で成績も普通。性格も普通。そして彼は何があっても普通に振る舞う。「どうして俺なんかをいじめるんだろう」と時々考える。

だがしばらくすると忘れてしまう。それが良い事か悪い事か今のところ分からない。優柔不断にしていたら、殺されたと言うケースもある。

今彼はさっき食べた海鮮丼の事を考えている。うどんの上にイクラ,ツナ、厚焼き玉子などが盛りだくさんに乗っていた。「うまかったな」彼は今一度反芻する。腹ごなしのために、しばらくぶらぶらする。気分がゆったりして来た。

隼人はまた桟橋の突端にもどり、左から右へと首をまわし広大な海を眺めてみる。海は薄いピンクとオレンジ、そして白い絵の具を混ぜたような、今は柔らかいサーモンカラーの色である。彼は世界の果てまで来てしまったような、ロマンティックな気分になっていた。この頃になると周りに人はあまりいなくなった。

「コンニチワ」その時後ろで声がした。彼が思わず振り向くと、ブロンドの髪をした白人の少女が立っていた。隼人は思わず「こっ、こんにちは」と言ったがどもってしまった。「わたしはアメリカ人です」と可愛い少女が言う。そこで隼人は「ぼっ、ぼくはにほんじんです」と答えた。

その時「釣れたぞー」と言う男の声がした。見ると少し離れた場所で、釣り竿を振り上げた釣り人が声を上げている。少女がチラリとそちらを見た。釣り糸の先にサバによく似た大きな魚が飛び跳ねている。

この桟橋には手すりがない。釣り人は魚に強く引っ張られ、リールを巻き戻すのに手こずっている。少女が「かわいい」と言った。たぶん「可哀そう」のつもりだろう。だが隼人は目の前の少女に釘付けになり、釣り人には目が行かない。

外国人に、しかもこんな可愛い女の子に話しかけられたのは初めてだった。何を言われるんだろうかと彼はどぎまぎしていた。彼女は優しく微笑み口をぱくぱく動かしているが、隼人に内容が伝わらない。

数分立つと彼は落ち着き、少女がシンシアと言う名前で、アメリカのオハイオ州から両親と一緒に日本に来た、滞在は一週間の予定で3日前に来たのだと言う事が分かった。英語がぜんぜん理解できない隼人になぜそこまで分ったかと言うと、シンシアの日本語が上手だったからだ。彼女の後に両親らしき中年の白人の男女が立って、微笑しながら隼人を見ていた。

彼女の日本語は完全な標準語で、会話のはじめに必ず「わたしは」と付け加えるのが気になったが、後はなかなか上手だった。日本人の家庭教師が週一回自宅に来て、日本語を教えてくれると彼女は言った。年を聞かれたので12才と言うと「私もよ」とニコッと笑った。

最後にシンシアは自分の電話番号を言い「電話してください」と言った。「先生ではない普通の人とテキストをやり取りしながら、日本語を勉強したいのだ」と言う。少女の両親はやはり後ろで微笑しながらうなずいている。そこで携帯がなった。父親だった。「そろそろ車に戻るぞ」と言う。隼人は理由を言い3人と別れた。

その晩、隼人はベッドの中でなかなか寝付かれなかった。シンシアに電話すべきかどうかと考えていた。「あなたなんか知らないわと言われればそれまでだからな、慎重に行かないとな」常になく真面目に考えていた。

いじめっ子の事などすっかり忘れていた。

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