モールの中をそぞろ歩き

モールの中をそぞろ歩きしていたミナミは、ある趣味の良い店を見つけた。

それは建物の二階にあるデパートを出てすぐの所にあり、右と左に分かれた通路の真ん中に位置している。さわやかな印象で、店内から漏れる空気は木漏れ日が揺れる午後の林を匂わせる。白い鉢に植えた観葉植物があちこちに置いてある。

中に入る。何となく高級古着屋と言う店の装いに彼女はあたりを見回した。客はミナミだけで店は閑散としている。奥のショーケースの上で、黒人の男性が婦人用アクセサリーの商品に値札をつけていた。ミナミを見ると「ハロー」とこびる風でもない落ち着いた声で言った。

しばし店内を歩き男性の前を過ぎようとした時、ミナミは彼が作業をするショーケースの上に、黒い箱の中にざっくりと入った指輪の数の多さに目を引かれた。指輪か、そう言えば最近買ってないなと彼女は立ち止まった。

黒い箱の中をしばし物色し一つつまみ「これは幾ら?」と男性に聞いた。即座に彼は「70ドル」と静かに言った。見れば白い陶器製のとてもシンプルなデザインの指輪、70ドルとは少し高いなと指輪を箱の中に戻す時、手が震え指輪が床に落ちた。指輪は二つに割れた。彼は床に手を伸ばしそれを拾った。

「あっ!ごめんなさい。それ買います」とミナミが言うと、「いいよ心配しないで」と彼は言った。「いえ、買います」ともう一度言うと「いいよ、いいよ」と彼は手を振った。この寛容さに後ろめたさを感じたが、そのまま店を出た。すると彼が「僕はオーナーだから」と背後で言うのが聞こえた。

これは神の声だ。オーナーと言う神の声だ。「僕はオーナーだから、僕の言うのを黙って聞け」と言う事だろう。

反芻思考の強いミナミは、その夜ベッドの中でこの出来事を思い出し眠れなくなった。店を出る時、『VINTAGE』と言う店の看板を見たからだ。ビンテージとは古い物だが価値ある物と言う意味。あの指輪が70ドルなのも頷ける。

あの指輪も、例えば端役だけで女優業を終わったどこかのハリウッド女優が、泣く泣く手放した由緒ある指輪かも知れない。場所が場所だけにありえない事ではない。それを壊したミナミが弁償すると言ったのに、「いいよいいよ」で済ませた店主。

十年以上も前、ミナミはあるギフトショップに勤めていた事がある。高級店を気取り、商品がやけに高い店だった。皆が憧れる高級住宅街の中の一角にあり、お客の様相もそれらしき人が多かった。

そこにある日3人のお客がやって来た。小学生くらいの男の子とその母と祖母、彼らはどことなく身なりも貧相で卑屈な態度で店の一か所に立ち止まっていた。特に母親と祖母は店に入った事を後悔している素振りを見せた。

その時ガシャーンと言う鈍い音が店の奥からした。何かを物色していた少年が品物を床に落としたのだ。彼は破壊した品を両手の手のひらに乗せ、ミナミのいるカウンターまでやって来た。その手はかすかに震えている。それはステンドグラスで出来たオウムの置物で100ドル以上もするものだった。

その時母親が言った。「それを買うわ」値段を知らない彼女はそれでも良心的に言った。その時ミナミは目に涙を浮かべた少年をさっと抱きしめ、「大丈夫、大丈夫、心配しないで」と言った。幾らか?と聞く母親にも「いいから心配しないで」と微笑んで見せた。

その事を勤めていた店のオーナーに言うと「それは君の責任だから君が弁償しなければならない」と言った。ミナミは他の従業員から、オーナーは保険に入ってるから商品を壊しても大丈夫よと聞かされていた。このオーナーは妙なやり口で、従業員を悲しませると言う性癖があり皆から嫌われていた。

昔勤務していた店のオーナー、モールのビンテージショップのオーナーを比較して。どちらが良いとは言えない。ギフトショップのオーナーは弁償しろとは言ったが、ミナミが無視するとそれ以上は言及しなかった。 

ビンテージショップのオーナーが保険に入っているかどうかはともかく、彼のとっさの判断はとても相手をいたわる気持ちがあった。こんな事をミナミがくよくよ考えるのも、店の品を壊したが自分は無傷で済んだと言う後ろめたさである。

ミナミの性癖を反芻思考と書いたが、その反芻とは牛,豚、羊などが一度のみこんだ食物をまた口中に戻し、咀嚼しまた飲み込む事を言う。反芻思考と言うのは同じようにすでに終わった嫌な事を、あれこれ思い出しくよくよする事だ。

これが深刻になると一時的なうつ病になったり、過度のストレスを抱えたりする。だがミナミはそれほど頭脳明晰ではないので、ちょっとした後ろめたさだけで終わってしまう。良くも悪くものほほん型である。

2,3ヶ月も経った後、モールに出かけたミナミはあのビンテージショップの前を通りかかり、ためらわずに中に入った。この前のオーナーが居れば立ち話でもして商品の一つも買おうと思ったのだ。

だがオーナーはいない、客もいない。野球帽のツバを逆にして被った背の高い従業員が一人、カウンターの中に立ちぼんやり外の通路を眺めていた。爪でカタカタ、ケースの上を叩いている。

この前会った黒人のオーナーの事を聞くと、「ああ、あの男はもう辞めました。それにオーナーではありませんよ」と言う。何か一つ商品を買おうと思っていたミナミは、すっかり気落ちして何も買わずに外に出た。

だがミナミ心配しないで、世の中とはたいていそう言うものだよ。

コメントを残す