もはやネットの時代

もはやネットの時代、ありとあらゆる情報、動画が世界中から秒刻みの速さで発信されて来る。それは可愛い犬猫動画から魑魅魍魎の人間の生きざまを暴露したものまで、種々さまざまである。中には見てはいけないものを見てしまったと言うような、後ろめたさにかられるものもある。

私は犬猫動画が好きで良く見る。それも野良犬野良猫の動画。三本足のやせ細った母猫は腹を空かせて待つ3匹の子猫のために、大きな魚屋のショーケースのそばに飛び乗る。並べられた新鮮な魚には、なぜかケースの蓋がない。その中の大ぶりの魚を盗もうと手を出す。

するとそばにいた店員に追っ払われる。母猫は仕方なく家に帰る。家と言っても路上の隅の段ボールで、そこから子猫たちが喜び勇んで駆け寄って来る、すると母猫は、ぽとりと口にくわえたもの物を彼らの前に落とす。それは臭い内臓物のような物で食えた代物ではない。

母猫がじっと宙を見ているとその胸に子猫たちは顔を寄せる。「ママ、とにかくありがとう、私達のために餌探しに出かけてくれて」と。母猫はお返しに毛づくろいをしてやる。エサが無くても彼らは気にしない。明日と言う日がある。

父猫はメスが妊娠するとすぐどこかへ雲隠れする。この猫族の家族構成の仕組みは、母猫にとっては好都合である。父猫がオレもオレもと分け前をねだるなら母猫はたまったものではない。

これを人間の例に例えるなら、3人の幼い子供を持つ病弱の、仕事をクビになったシングルマザーの話。彼女は生活保護を申請するために役所へ行く。だが断られる。肩を落として帰宅し「ごめんね、母さんの力が足りなくてと」と言う。子供たちは母の苦労が分かるから何も言わない。

すると6才の長男が「大丈夫、僕が働くよ」と明るく言う。やれやれこれではどこかの国の浮かばれない母子家庭だ。

だが猫は生活保護を受給は出来ない。知人からちょっとした金を借りる事も出来ない。すべては自力だ、三本足の自力である。

アフリカの弱肉強食の世界に魅了される人はいるだろうか。私はアフリカの大将は百獣の王のライオンだと思っていた。だが動画ではバッファローやバイセンの群れに痛い目に会うライオンを見る。

彼らは一匹のライオンを角で宙に放り投げ、落ちて来るそれを別のバッファローが角でまたもや宙に放り投げる。それが永遠と続く。あれは痛いだろうな。やがて肉が程よくやわらかくなった所で彼らはライオンの首元に食らいつく。

二匹のライオンに襲われるバッファローもいる。襲われ足の骨を折られ立てないバッファローの尻のあたりに座り込み、ライオンは仕留めた獲物をちびりちびり小出しにして、スナック気分で味わう。その度にバッファローは悲愴な泣き声を上げる。もう一匹のライオンはその泣き声にびびりあたりをうろうろする。

巨大なバッファローの肉体、二匹では食べきれないだろう。後で仲間を呼んでくるのだろうか。

アフリカで死ぬの生きるのと生き馬の目を抜くような生活をしていた野生動物を、ある日突然人間は動物園に入れてしまう。大自然の中で躍動する動物を狭い檻に入れ見世物にする。これはけしからん事だと言う人がいる。

だが檻に入ればエサは自然と手に入るし日照りで喉の渇きを覚える事もない。動物たちも要領を覚えれば、人間との交流を楽しむ事さえ出来る。私だったら動物園に入りたいな。

少し前にヤラセの問題があった。子猫を線路につなぎ轟音とともに近づく列車、子猫に突き当たるその直前、間一髪と言う所で子猫を救出する。子猫には動画、ヤラセなどは分かっていない。猫は繊細な動物だ。ストレスになってもおかしくない。

このヤラセが問題になり動物救出動画はユーチューブで規制される事になった。だが疑り深い私は今でもあまり信用していない。川に溺れた犬、深い穴に落ちた猫を救出する動画は最初の部分で切ってしまう。

最近は路上で行き倒れになった犬、猫を拾い家に連れ帰りシャンプー、餌を与え獣医に見せアダプトすると言う動画が多い。そして飼い主になった投稿者が元気になった犬猫を抱き目いっぱいの笑顔を見せる。抱かれている犬猫も笑っている。これもヤラセではないか、あやしい。すべてとは言わないが。

だがこんな事をくどくど言う私は、すべては恐いもの見たさの高みの見物と言う事も分っている。遠い外国の路上で疥癬病にかかった野良犬を可哀そうだとは思うが、さて自分のポーチにそんな犬が現れたら追い払うかも知れない。いや獣医に連れて行くかもしれない。究極の人間の真の行動と言うのは土壇場にならなければ分からない。

では動画など見なければいい、その一語に尽きるだろう。だが恐いもの見たさはやめられない。人間は日々のんべんだらり、平々凡々に生きているとストレスを感じる、ピリッとした強いスパイスがほしくなる。

動画はそのための恰好の刺激剤だ。

 

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