女子短大の一年の終わり

女子短大の一年の終わりが近づくと寮生達はざわついていた。窮屈な寮生活が終わり自由な自分たちだけの暮らしが始まる、そのための部屋探し、そのためのざわつきだ。

大学は東京にあったが生徒は地方からの女性が多かった。大学はその朴訥とした田舎育ちの若い女性たちを、オートメーションのインスタントラーメン量産と同じ扱いをし、同じ型にはめようとしていた。(と私は思っていた)

『良妻賢母』と言う大時代的なモットーを校訓にかかげ、まるで良妻賢母にならなければ卒業は出来ないとばかりに、何かの集まりがあると学長、寮監その他大勢の大学関係者が、暗い目をして私達を睨みつけていた。大学のスローガンはすべての学生を良い妻、賢い母だけに育てると言う事にあった。(と私は思っていた)

ところで部屋探し、アパート探しも山場を迎え、まだ部屋の見つからない寮生たちはやきもきしていた。ある日部屋探しから帰って来るとある学生が「ねえ、いい部屋見つかった?」と聞いて来た。

私が見に行った部屋はアパートではなく庭付きの民家で、その一間を貸すと言う条件だった。私は田舎育ちで家の前には大きな野菜畑や花畑があったので、庭のある家なら望むところだった。だが部屋代が高すぎて借りるのはやめると言うと、その学生が「その家の様子をイラストに描いてくれ」と言う。

「いいわよ」気軽に引き受け私は青と赤、二色カラーのボールペンを取り出しサラサラとペンを滑らせ庭の様子を描いた。家の様子は記憶に無かった。

その庭は非常にまれな様式をして、一言で言えばアマゾンのジャングルの一角を見るようなときめきがあった。高温と降水量の多さで天高くそびえるように生育した巨大な樹木、その幹に寄生する羊歯、苔、ラン等雑多な植物。

そして木の根元に生えた赤いアンスリューム、その赤い花、いや花のように見える赤い部分は実は葉が変色したものと後で知った。本当の花は、その赤い葉の真ん中に突き出ている黄色い棒の様な物だそうだ。

それらの赤く変色した葉たちは怪しげにささめきあっている。何か企みを持ち仲間同士で囁き合っている。だが赤い葉の中にはどす黒く変色し命の終わりを告げた者もいる。そのどす黒さを出すために私は、赤色の上から青色で陰影をつけた。

むんむんとじっとり濡れたような原色の濃い緑色の世界、熱帯雨林の世界。それが東京の民家の庭として存在している。不思議な幻をみているようだった。

数時間して帰って来た彼女は私を睨みつけ「嘘つき!こんな場所どこを探してもなかったわよ」と私の描いたイラストを私の胸に押し付けた。後日暇がてらに私は一人でもう一度その場所に行って見たが、驚いた事に私の絵の庭は本物とは似ても似つかないものだった.

私はその頃古本屋からずっしりと重い植物図鑑を買い、暇さえあればページを開いていた。その頃としてはめずらしい全編カラー写真付きで、前持主の手垢など一つもついていない新品同様の品物でよけいに愛着も湧いた。その中に熱帯雨林のページがあり、それを常に眺めていた。ためにそれが強く網膜に刻み込まれたのに違いない。

図鑑の中で見たアマゾンの風景がまるでだまし絵のように、私をだまくらかしたのだ。

その頃私は軽いうつ病に罹っていた。東京の大学での楽しい学生生活を夢見て上京して見ると、待っていたのは暗い厳しい学生生活。そのギャップに私は気が狂ってしまった。それも悶々とした孤独の中での試行錯誤。私は救いようのない田舎者だった。

例えて言うなら空を見上げて涙ぐむ家なき子、そんな感じで私は術もなくうろうろとしていた。それはその後何年も続き、東京と故郷のはざまで、過去と現実のはざまで、普通の景色の中でだまし絵のような幻、白昼夢を見せられ茫然とした事が幾度もあった

うつ病になると自殺をしたくなると言うが、私は自殺をしたいとは思わなかった。そこまで深刻ではなかったうつ病だ。私はいつも家族の事を思っていた。

だがそんな事も遥か昔の出来事、今では楽しく自由で素敵な暮らしをしている。どんな精神病でもある日風船が割れるように、ぱっと吹っ切れるものかも知れない。すべての病がそうだとは言わないが。

気分が吹っ切れると今度は日常生活の中で、人々の暮らしや生活が舞台を見るように楽しめるようになった。そこにいる人々の心理や思惑が手に取るように解るようになった。まるで心理学者のように。

空恐ろしい事を書くようだが、これはある心理学者の本にも書いてあった。つまりうつ病を乗り越えると今度は他人の心理の動きが良く分かるようになると言う。

つまり私もやっと人並みの暮らしが出来るようになったと言う事だ。

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