激しい雨の朝

激しい雨の朝、父親は北の窓から外を見ていた。遥かな山のふもとが雨足で曇っている。あのあたり一帯に数日前山火事が起こり、全焼した家が何軒もあった事を彼は思い出す。その灰だらけの家にこの大雨では焼け出された住人もたまったものではないなと、彼は同情する。

牧場では放し飼いにされていた馬十頭のうちの一匹が、恐怖で暴れ出し山の中に逃げ出し今も行方が分からないと言う。まかり間違いこの家に逃れてきたら手厚く労わってやろう。彼はそんな事を意味もなく考え、手にしていたコーヒーを静かに口に含んだ。

やはり同じ日の午後、長女は南の窓から外を見ていた。目の前にある数本の木が雨に打たれ、まるで哀れな酔っ払いのように前後左右に揺れている。その向こうには大海原がある筈だった。彼女は海上をたたきつける雨の白い飛沫が見えるような気がした。

あの日彼女の婚約者は土砂降りのなか波乗りに出かけた。勇敢と言うか向こう見ずと言うか、そんな彼を長女は愛していたのだが。彼の右肩には錨の入れ墨が彫られ、彼女はそれに良くキスをしたものだ。すると彼はお返しに彼女の唇にキスをした。

だが彼はもういない。あの日、猛烈に降る雨の中のサーフィンで、荒波に巻き込まれるように彼は海の底に沈んでしまい、そのまま帰らなかった。長女はさほど心の痛みを感じなかった。彼女は若かったしとても魅力的な女性だったのですぐに新しい恋が来ると思った。

同じ日の夕暮れ、母親は東の窓から外を見ていた。雨は降りやまず、彼女は恨めし気に空を見上げた。約束していた3人の女友達とのゴルフもおじゃんになり、彼女は不機嫌だった。いや、ゴルフが出来ないからではなく、クラブハウスでのランチがお流れになった事が残念でしかたない。

そこに彼女のお気に入りのウエイターがいて、ランチのあと彼女は彼と軽口をたたくのを楽しみにしている。内に秘めた情熱が、自分で処理できない情熱がいつかは動き出し、取り返しのつかない事になりはしないかと彼女は心配する。だが彼女はまだ夫を愛している。

同じ日の夜、小雨の中を長男がバイクで帰って来た。少し飲んでいるようだ。バイクをガラージに入れキッチンに入って来た息子に、父親は小言を言った。「こんな雨の中、どこを今までウロツイテいたんだ」「どこにいたんだ」と普通に言えばいいものを「うろつく」と言う言葉で父は息子を嫌な気持ちにさせる。

「夕食前に帰って来たんだからいいだろ」と息子はあざとく父を見て皮肉った。幼い頃から「夕食までには帰って来い」ときつく言い聞かされてきたので、22才になった今でも外出先で夕食時になるとそわそわし出す自分の事など、父は何も知らないと彼は思った。

半年ほど前「獣医師になりたい」と父に告白すると「お前には無理だ」と獣医師の父は即座に言った。息子は父が喜んでくれると思ったのに、父はむしろ引き止めた。だが優秀な頭脳を持つ息子は、ペンシルバニア大学の大学院に受かり、すべてを奨学金で賄える算段までしたので父親は少し驚いた。新学期が始まると寮にはいる。

なぜ彼が獣医師になりたいかと言うと、単に動物が好きだからだ。とても幼い頃彼がまだ7才の時、道で野良猫に出会った。足にけがしてびっこを引いていたが頭を撫でてやると後をついて来た。とうとう家までついて来た。

父親が猫のけがを治してやった。息子はそのままその猫を家に置き可愛がったが8年後には死んだ。裏庭に埋めるその穴は父が掘った。その穴に猫を埋葬したが父はその後長い事動かず、じっと立っていた。長男がちらりと父の顔を見ると左頬にひとすじの涙が見えた。

その時は何とも思わなかったが大人になるにつれ、長男は無口な父の人格に敬意を払うようになった。それが獣医になりたい理由でもある。

夜になり家族はそれぞれの部屋の窓から、澄んだ夜空に光る星を見ていた。雨がやみすべてのチリやホコリが洗い流された空に、キラキラと光る星たち。父と長男、長女はとても清浄な気持ちでその優美な星のセレナーデに聞き入った。するとほのかに甘くうまい匂いがして来た。

キッチンに一人でいた母親がスパゲッティミートボールを作っているのだ。これは家族の大好きな料理である。彼女は何となく作って見たのだが思いの他、皆に喜ばれた。家族団らん、そんな気持ちに浸りたかった家族が食卓につどい、ナイフとフオークを使い思い思いにスパゲッティを口に運んでいる。

「母さんのスパゲッティミートボールはいつも最高だな」ナプキンで口を拭きながら、父親がぶっきらぼうに言った。家族の皆がその時うなずいた。長男は「大学の寮に入ればこのスパゲッティも今ほど頻繁には食べれないな」と少し寂しく思っていた。

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