私は当時、メリーランド州の郊外の姉の家に、2週間の約束で滞在していた。姉は日々のうっぷんを晴らすため、話し相手と言うか愚痴の聞き手と言うか、そんな相手がほしいのだった。良い家族に恵まれ幸せなのにそれでも愚痴を言いたがる人だった。

その夜はとても涼しかったが、月が異様に明るい晩だった。私の寝室の厚く重いカーテンを通しても光の強い粒子は入りこみ、私は寝付かれずにいた。季節は秋、月が美しいのは当たり前だが。

なんども寝返りを打った後、私はとうとう薄いローブを着てポーチに出た。ポーチにはブランコのように揺れるベンチがあり、それはバランスの取りにくい私の苦手な椅子だったが、こわごわとだが隙をねらってパッと座った。

ベンチに座り煌々と月に照らされるあたりの景色を見ていると、前の道路と庭を隔てたジャズミンの低い垣根が見えた。垣根には星の形をした白い花がびっしりと咲き、それが月の具合で金色に見えた。

その垣根のそばをスーッと通り過ぎるような人影が見え、だが通り過ぎはせずその人は立ち止まり、こちらにふっと視線を向けた。それはまるで舞台の上手から現れた、悲劇のヒロインと言う感じで私は目を奪われた。

彼女は私に向って真っすぐに歩いて来て「こんばんわ」と言った。私も「こんばんわ」と代えし、それだけで私達は心通わせ打ち解けた。少なくとも私はそう思った。白い肩の開いたサンドレスが良く似合う人だった。

次の朝「彼女には近づかない方が良いわよ」姉がそう言った。「どうして?」「あの人頭がおかしいのよ」「どういう事?」私は聞いた。「自分のご主人を盗まれたってみんなに言いふらしているの」「そんな風にはぜんぜん見えなかったけど」「だから怖いのよ、ある時突然豹変するから」だが姉はそれ以上は何も言わなかった。

それからもその女性とは時々道ですれ違ったり、姉の車で行くマーケットなどで見かける事があった。彼女はその度にとても優しい笑みを見せ、ある時私をランチに誘った。少しも押しつけがましくなく、あなたがそうしたいならと両手を広げて誘うような感じで、私はつい「YES」と答えてしまった。

姉に話すと、「イエスと答えたなら行くしかないじゃない。今さらどうしたら良いなんて聞かないでよ」姉はあっけなく了解し、しかたのない顔をしただけだった。

指定されたカフェに指定された時間に行くと、彼女はすでに来ていて私に手を上げた。「あなたが来るかどうか心配だったのよ」開口一番彼女はそう言った。「どうして?」「私について変な噂が出まわっているから」彼女の正直な話し方に、それなら話は早いと私も正直に聞いた。

「ご主人を盗まれたと言う話?」と聞くと「そう、でもそれは本当なのよ。だから今は母の家に身を寄せてるの。主人の愛人が私の家を出るまで待っているのよ」彼女は淡々とそこまで話すと深いため息をついた。

この店は焼いたばかりの自家製のパンやクッキーも売る店で、店のお客以外に買い物をするお客も多い。おいしそうなクロワッサン、バゲットなどがガラスケースのなかに並び、配管むき出しの天井が斬新だった。どうみても気が触れた人が来るような店ではない。「ここのフォカッチャは最高よ」彼女は言った。

「あなたは妄想病と言うのを聞いた事がある?」グロリアが聞いた。それが以前聞いた彼女の名前だった。私は首を横に振った。「それは簡単な事よ、つまりいつも誰かが自分の噂をしたり、悪口を言ってると思い込む事なの。」 

「つまりあなたがその病気にかかっていると言う事?」こくりと彼女はうなずいた。「どうしてそんな病気になったかと言うと、それには理由があるの」彼女はストローをくわえレモネードを少し飲み込むと私をじっと見た。

「私が12才の時、同じ年の従妹のバースディパーティに招待されたの。彼女の家には広い芝生の庭があり、そこで飲み物やクッキーが出され、ゲームをしたりしたわ」彼女はその時の様子を思い出すような感じで、ふっと窓の外を見た。黄色いイチョウの葉がヒラヒラ舞っていた。

「バースデイガールだった彼女はとても可愛かった。花模様のフレアドレスに黒いレースのチョーカーを着けていた。真ん中に真珠の玉がついていて彼女によく似あっていたわ。でも彼女は首が苦しいと言って途中でそれをはずし、庭の大きな寄せ植えの鉢の中に隠したのよ。そしてさばさばとまたゲームの輪に戻った」

「私はそのチョーカーがどうしても欲しくなり、帰り際に鉢の中に手を伸ばして持ち帰ったの。でもそれを母に見つけられ私は大目玉を喰らったわ」彼女は悲し気に目を伏せた。それから母親はグロリアの右手を握って、手の甲をポンポンと強くたたいた。でも彼女が口答えをしたり生意気な態度を見せたりすると、激しく頬を手のひらでぴしゃりと叩くのだった。

「私はそれまで人に頬をぶたれたりした事は一度もなかったから、それはもうびっくりしてふさぎ込んでしまったの。でも厳しい態度をくずさず母は私を時々遠くからじっと見ていた」グロリアは言った。

「私はいつも母から監視されてるような気になり、もう絶対盗みなどしないと思った。でもどういう訳が周りの人が自分の噂をしてるようで、とても恐かった。つまり妄想病ね」

しばらくすると自分の持ち物が次々に無くなる事件が起き、一時は母の仕業ではないかと思った程だったと言う。でもそれは無くなるのではなく、すべては自分の思い過ごしだった事が後で分かったとグロリアは言った。

従妹は同じ学校で別のクラスにいたが、チョーカーを盗んだのは私だと知っているのに、彼女は誰にも言わなかった。従妹の優しさにとても感謝したとグロリアは言った。私は何と受け答えして良いのか分からず、ほとんど聞き手に回った。

「母にぶたれた時は悲しかったけど、それは母の優しさだったと後で気づいたの。物を盗むと言う事がその後絶対に出来なくなったのは、ぶたれた母の手の痛みを覚えていたからだったの」気づいた時にはかれこれ一時間以上も時を過ごし、「退屈だったでしょう、話を聞いてくれてありがとう」カフェを去り際に彼女は美しい微笑を見せた。

それから一週間程して、私はグロリアの突然の訪問を受けた。ご主人が迎えに来たそうだ。「主人が『僕が間違っていた、許してくれ』と言うのよ、彼女は淡々と話した。「私はそんな事は最初から分かっていたわ。だからその時を待っていただけ」彼女は言った。

去り際にドアのそばで「どうしてカフェで私に色々話してくれたの」と聞いた。グロリアは「あなたがとても話の分かる人に見えたからよ」と私を優しく抱きしめた。

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