秋が来た。
少年は湖の岸辺をつまらなそうに歩いていた。細い竹の棒を手にして。ときどき波が引いた後の砂に残った小さな貝殻を、棒でつつきながら。12才になったばかりのこの少年の後からは、二人の女がついて来る。
一人は少年の母でもう一人はその妹だった。妹が言った。「でもあの人はいい人よね」次に母。「そう、いい人はいい人よ。でもその人の良さにけじめがつけられないのよ、だから腹が立つ」聞こえてくる会話を少年は、ときどき耳をなでる湖の波の音のように聞き流していた。
「お兄ちゃん!」その時、4才ぐらいの女の子が彼のそばに来た。軽くジャンプするような感じで彼の手を握った。明るいブラウンの巻き毛がとても可愛い女の子だ。母の妹の子、つまり少年の従妹にあたる。この従妹を彼はとても可愛がっていた。
家に着くと父親のカズキは、二階のデッキチェアでいつものように外を眺めていた。家は雑木林のそばで落葉樹が鮮やかに色づき、木々の間から湖が見える。デッキから手を伸ばせば届くほど木の枝は伸びていた。5年前に買ったこの蓼科の茶褐色のログハウスを彼はとても気に入り、それは家の右手に流れるさわやかなせせらぎのせいでもあった。
それ以前はイギリス人の家族が住んでいたが、彼らが自国へ帰ったのでカズキが買い取った。だから今でも家々のあちこちには、ヨーロッパ人の生活意識がかすかな残り香のように漂っている。
義妹が「今夜は山菜の天ぷらにしましょうか、裏山でアケビが沢山なってるから今から取って来るわ」と言うと外に飛び出した。「アケビを天ぷらにできるのか?」何事も口をはさみたがるカズキがそう言うと「おいしいわよ、バナナの天ぷらみたいで。あまり熟れすぎないうちに揚げた方が煮崩れせずにおいしいのよ」妻はそう言うとじっと横目で夫を見た。
作家と言う仕事をする彼は、最近『我が家の暮らし』と言う随筆をある週刊誌に掲載し、そのエッセーがとても好評だった。我が家の暮らし、つまり自分の私生活をネタにして身銭を稼いでいる訳である。
そんなものがなぜ読まれるかと言うと、それは彼が真実を書いているからである。彼と彼の妻、その妹が昔、三角関係にあったと言う事実を読者が知っているからである。だがそんな事も今は昔、三人は一緒に力を合わせ堅実に暮らしていると、そんな事を奢らず隠さず作家は恬淡と書く。
裏山で取って来たアケビやあした葉の天ぷらを作る妻と義妹が立てるキッチンからの音を、落ち着かない顔で聞いていたカズキは立ち上がり、デッキの手すりに身を乗り出た。真っ赤に色づいたハナミズキの葉を一枚もぎりエマに渡した。妹の子供エマはそれを受け取りニコッと笑った。エマと息子のアキラは後ろのテーブルで塗り絵に専念していた。アキラはこの愛くるしい従妹に少年じみた慕情を抱いていた。
カズキはエマも彼の息子のアキラも同じように可愛がっているつもりだが、妻はそうは思わない。妻はエマを夫の子供だと信じて疑わない所があり、ともすると「エマをえこひいきするな」とあからさまに怒る。
だがあまり度が過ぎると彼は、義妹とエマを連れドライブに出かける、思い知らせるために。すると妻は泣きべそをかく。こんな事は日常茶飯事で反対の場合もある。カズキが妻とアキラをドライブに誘うのだ。だが義妹は黙っている。義妹は彼女の立場をわきまえている。
ある日カズキは、出版社の編集者からある話を持ち掛けられた。「先生、どうですかユーチューバをやりませんか?」カズキは即座に嫌な顔した。「嫌だよ、あんな者になるくらいなら、作家やめるよ」「いえいえ、この頃は高名な医者や弁護士がユーチューバになり、やたら稼いでいる輩がいますからね」
その事はカズキも知っていた。「そうすれば、週刊誌とユーチューブを読み比べる読者がいたりして、一石二鳥ですよ」編集者は意味ありげな笑みを作った。「バカな、そんなにうまく行くものか」カズキは一笑に付した。
彼は出来るだけ作家としての飄々とした姿勢を崩したくなかった。その超俗的な感じが女性ファンを魅了している事も熟知していた。「だが、もう少し金があればな」と考えない事もない。
三年前に義妹が虐待癖のある夫から乳飲み子のエマを抱え逃げて来た時、この家に住むように勧めたのはカズキよりも妻だった。妻は妹ととても仲良く、乳飲み子を抱え路頭に迷う妹をほおって置けなかった。
夕食後、妻は階下へ降りテレビを見ていた。このログハウスは二階にキッチン、居間があり階下が寝室である。カズキがデッキの椅子に座りいつものように外の景色を見ていると、妻の妹がそっと近寄りカズキの前に座った。そして話し始める。
「お兄さん、私いつまでもこんな風にお世話になっているのは心苦しいわ。エマもだんだん大きくなって行くし」カズキは黙っている。こんな話は何百回となくした。彼は面白そうな顔をして彼女の次の言葉を待っている。
すると彼女が「マスオがよりを戻そうと言っているの。彼とまたやり直そうかと思って」マスオとは虐待癖のある彼女の夫で、彼らはまだ離婚はしていない。カズキは少なからず胸がざわついたが、そ知らぬ振りをした。
カズキは週刊誌に掲載する随筆に、自分と暮らす二人の女達の心模様を面白おかしく(彼としては)書いているので、その材料になる女がこの家から居なくなるのは少し困る
面白可笑しくと言うのは、嘘を書くと言うのではなく一種のアイロニーである。その皮肉を彼は、一般人にも分かるように優しく書くので皆に喜ばれる。
そうこうするうちに虐待癖のある妹の夫マサキが時々立ち寄るようになった。人目にはならず者に見える彼が、神妙になりすまし、まとも人間の振りをして庭の落ち葉掃きを手伝ったりする。すると二人の女達は彼を夕食に誘う。誘わないまでも、優しい声で世間話を始める。
「まーちゃんは、この頃仕事はどうしてるの?まだ運送業をやってるの?」カズキの妻が聞く。30過ぎた男をまーちゃんと呼ぶ妻をカズキは気色悪く思っている。「あれはもうやめました。今は工場勤務ですよ」「何の工場?」「インスタント ラーメンの工場」と何食わぬ顔で言う。だがそれが弱者の卑屈な言い方なので女達は「悪い人ではないわ、可哀そうに育ち方が悪かったのね」と結論づけ同情する。
だがカズキだけは妻、その妹、妹の夫、三人三様の心模様が手に取るように解る、と思っている。妻は妹が居る今の暮らしなくなれば、夫が退屈になり不機嫌になると考え、妹が虐待夫とよりを戻してもどうせうまく行かない事、妹の夫がよりを戻したいその魂胆は、うまくすればこの家に転がり込み働かずに暮らして行けるかも知れないと企んでいる事、そんな事も分っている気がする。
カズキにはある思い付きがあった。「マサキがこの家に同居すれば俺のエッセーもますます面白くなるかもしれないな、だがユーチュバーデビューするとなると、あんまり純小説風に書いても視聴者受けしない、それこそ虚実を交え面白おかしく三文小説風に書かなければ、と身勝手な構想を立てていた。
そして晴れてユーチーブとなった。編集者の口添えで動画風に作成し近隣の自然描写をふんだんに取り入れ、あまり人物(つまり家族)を見せないようにして、下の部分にエッセーのテロップを入れた。プロの声優にそれを読ませた。だがコメント欄は酷評で荒れた。
何でもいいユーチューブになれば金が稼げると思っている、せっかく現代風純文学が楽しめると思ったのに、こんなやくざな男とは思わなかった、チャンネル登録者数がほしいだけ、と恐ろしい視聴者の応酬だった。カズキは生きる意欲さえ無くしかけている。
だがマサキも加わりその他の家族はとても賑やかに幸せに暮らしている。力仕事をすすんでやるマサキを二人の女は重宝している。