私には一卵性双生児の妹が日本にいる。私達が生まれるとすぐに、母は出血多量で亡くなった。だから私達は父や祖父母に育てられた、しばらくは。今どき、産婦の出血多量も処置出来ないお医者には驚くが、それが私たちの運命のはじまりだったのだろう。
私達は9月に生まれたので私は‟奈津“、妹は‟亜希”と名付けられた。奈津は夏、亜紀は秋の意味があるのだろう。
母の家はリンゴの生産出荷を営み、まわりにはリンゴ園で働く家族がいつもいた。彼らは忙しい仕事の合間に、二人一緒に寝ている乳母車の上に顔を寄せ機嫌を取りに来た。「いないいないばあ」といって顔を隠した両手をぱっと広げて見せたり、もぎったリンゴの花を振ったりした。
私と妹はそんな時、キャッキャッと笑い手足をばたばたさせ興奮した。大人たちが働くリンゴ園のそばで、大きな青空や流れる白い雲を見ながらいつの間にか眠ったりした。もちろん赤ん坊の頃のそんな記憶が私にある筈もなく、これらは後から祖母に聞いた話である。
私達が3才になった時、アメリカに住んでいた母の姉が私を養女にする事に決めた。家族構成のリンゴ園だったので、母と言う働き手が無くなった事で父も祖父母も困り果てていた。リンゴ園の仕事と双子の赤ん坊を同時に育てると言う事は実に大変な事だったと、後で父が言った。
継母には(つまり今の私の母)子供が出来なかった。と言うのも継父が不妊症だったからだ。だが継母は自分の妹が双子を産み死んだ事で一人を養女にと考えたのだろう。一卵性双生児の私達はそうして離れ離れになった。あれからもう20年近くが経つ。
その妹が急にロスアンゼルスまでやって来ると言う。どうしても私に会いたい、話したい事があると言う。
空港の待合室で妹を待つ間、私は始終落ち着かなかった。20年の間、彼女に会ったのはたったの2回。二人が5才の時、それから高校一年の夏、それだけである。それでも電話ではよく話し、テキストでも話し写真を送り合ったりもする。だがそれもここ1年ほど妹からは音沙汰なしだった。
ゲートから出て来た亜希を見て、私はあっと声をあげてしまった。妹はすっかり面変わりし痩せこけていた。私達は双子と言うより双子以上に似ていたのに。
ところが今見る妹は私とは似ても似つかない。何が彼女に起きたのだろう。
せわしなく私の前まで来た彼女は「ちょっとランチでも食べない?」と言った。私達は窯焼きで有名な空港内のピザ屋に入った。
「あのね飛行機の中で私そっくりの人を見たの」と言う。「その人は私の斜め前に座ってトイレから戻って来る時私をじっと見たのよ。奈津じゃないかと思った」と言う。私は「アハハ」と笑った。すると彼女はさらに糞真面目な顔で「今度が初めてじゃないのよ、自分に似た人を見るのは。ねえ、ドッペンゲルガーって知ってるよね」と言った。
「以前、亜紀がテキストしたよね。世の中には自分とそっくりの人間がいてその人を見ると自分が死んでしまう。でも私たちは双子だから似てるのが当たり前って」「そう、でも私はもうじき死ぬかも知れない」今度は笑う気になれなかった。
「私がリンゴを小売店に配達する仕事をしている事は知ってるよね」「ええ」「ある日馴染みのケーキ屋さんに配達に行ったら、店員さんが『この前亜希さんにそっくりの人が来ましたよ。でも全然別人だったから驚きました』と言うのよ。」彼女はピザの上のオリーブを指でもて遊びながら憂鬱げに言う。
「ドッペンゲルガーと言う現象をを馬鹿にする人もいるけど、これを経験した有名人が日本にも外国にも実際いるのよ」目の隅をピクピク痙攣させた。
私の継母はルーズな性格で、アメリカ人と結婚してアメリカに住んでいるのに、英語を習得しようと言う意欲が完全に欠落している。よって私とも三歳の頃から日本語でしか話さなかった。ために私は日本語の方が英語よりうまい。だから亜希とも難なく意思疎通が出来る。その事は母に感謝してるのだが。
帰宅すると父も母も彼女を見て驚いた。彼らにも亜希の写真は携帯で見せていたので、現在の彼女の姿に驚いたのだ。
数日後、私は父母に言った。「亜希は精神的にとても悩んでいるの。だからしばらく私がつきっきりでお世話をする」彼等はすぐに納得した。
「あなたはもう少し太る必要があるよ」私は亜希に宣言し近くのレストランに連れて行きケーキを食べ、ハンバーグやステーキを一緒に食べた。ビーチや有名な遊園地にも連れて行った。それが功を奏してか彼女はややふっくらして来て笑顔を見せるようになった。
ある夜ベッドルームで聞いた。私達は同じ部屋に寝起きしていた。「リンゴ園の方はどうなってるの?」「とても大変よ、年中やる事があるから。リンゴ園と言ってもただ生産して収穫するだけじゃないからね。摘花とか袋かけとか手作業が多すぎて。祖父母ももう年取って来たし」
亜希は真面目な性格でリンゴ園の手伝いも一生懸命やっている。私はローカルのコミュニティーカレッジを卒業したばかりでまだ仕事探し中だ。
「人は雇わないの?」「父がそれをしないの。他人は信用できないって。でも時々親戚の人が手伝ってくれる」「「あなたの悩みを家族に話したの?」と聞くと「まさか」彼女は薄ら笑った。
一週間の滞在を終えた亜希が日本に帰る前の晩、彼女は不思議な話をした。「この頃、おかしな夢をよく見るの。以前、ドッペンゲルガーに罹った日本の古い作家がいると言ったでしょ。その人自殺したんだけど」奈津は上目づかいに私を見た。「彼が横になっている死の床の枕元に私が座っているのよ」「それで?」私は思わず聞いた。
「それだけよ、彼の枕元に正座してじっと死に顔を見ているの」彼女はつまらなそうな顔でそう言った。
亜希が日本に帰ってから一週間程した夜、継父が部屋をノックして言った。「日本にしばらく行って来ないか。亜希の家族ともちゃんと話をしてね」あまり話さない継父だが、彼は私の思いを良く読み解く事が出来る。「母さんもそう望んでいる。飛行機の切符は僕が用意するよ」彼の優しさに感謝しながら私は彼をしっかりと抱きしめた。
「リンゴ園の仕事も手伝うんだよ」ドアの所で私を振り向き彼はいたずらっぽく笑った。