大きな川にかかった大きな木橋を一人で歩いていると、やはり一人の男性が向こうから歩いて来た。すれ違う時強烈な郷愁を感じ思わず振り向いた。すると彼も私を振り向き、こちらに戻って来た。
私の前まで来ると「今夜この河原で花火大会があるんですよ。あなたも見に来ませんか」と言う。「何時ごろですか?」聞くと「8時です」と言う。さっき携帯で時間を調べた時、4時だったのを思い出し「いいえ、そんなには待てません」と言った。
彼はしばらく考えていたが、「実はあそこの川の向こうに旅館があるでしょう」と川の斜め左側を指さす。「僕はあの旅館の息子なんです。そこで高校の時の友達と今夜5時にすき焼きパーティーをやるんです。ちょうどいい、あなたも来ませんか」と言う。
見知らぬ男の強引さにうながされ、私はあいまいにうなずいてしまった。強引さにすぐ負けてしまう私の悪い癖だ。5時ならあと一時間どこかで暇をつぶせばいい、その時はそう思った。
河原をしばらくぶらぶらして、5時過ぎに男が指さした日本旅館に向った。女中さんに案内されキッチンのそばにある廊下を過ぎ離れに行くと、すでに賑やかな声がしていた。中に入ると橋の上であった男が立ちあがって来て「やあ、待ってましたよ。どうぞどうぞ座って下さい。僕は松島と言います」と言う。私は男の隣に座った。
見知らぬ人間ばかりだったが、すすめられるままにビールを飲みすき焼きを口にしていると、気分がホンワカと良くなって来た。すると隣の松島氏が「実はあなたは僕の高校の時の友達に良く似てるんですよ。みんなにその事を話したら彼らもそうだそうだと言いましてね」彼は上機嫌だった。
彼らは毎夏、花火がある日はこの旅館でパーティを開き、皆で広縁から花火を見るのが習慣だと言った。「ここから見る仕掛け花火は極上で、毎年期待を裏切らない」と彼が言った通り、久しぶりに見る仕掛け花火は懐かしくきらびやかだった。
花火とすき焼きを堪能しパーティもお開きになる頃、激しくなく女の子の泣き声が玄関先で聞こえ、松島氏がさっと立って見に行ったので私もついて行った。するとおまわりと一緒に4才ぐらいの女の子がしゃくりあげながら泣いていた。
「実は迷子なんですよ。どこから来たのかと聞くとこの旅館だと言うんです」おまわりがそう言うと女中さんがすぐに、「でも調べたらこんな子は泊まっていないんです」と言った。「今日は夏祭りで町は混雑してるから、親御さんを探すのは大変だ」松島氏はそう言うとまたパーティの席に戻って行った。
私は夏祭りで賑わう夜の町を一人歩きながら、先ほどの迷子の女の子が来ていた浴衣の模様を思い出していた。それは群青色の生地に赤や白の大きな朝顔の花が散らばっているもので、内心私は驚いていた。実はそれとそっくりの模様の浴衣を、幼い頃持っていたのである。
私は金魚すくいやヨーヨー釣りをチラチラ見ながら、焼き鳥や綿菓子のかすかな匂いをかぎながら、雑踏の町をしばらく歩いた。そして「そうだ、今夜はこの町に住む伯母を訪ねて行くのだった。叔母に夏祭りに誘われたのだから」とふと重要な事を思い出した。
その叔母とは幼い頃から私にとても良くしてくれた女性で、私が故郷を離れ実家に帰ると、必ず訪ねて来ていつもの笑顔で「元気そうだね」と親し気に話かけていた。だがその頃すでに華やかな大都会に馴染み始めていた私は、いつまでも古い思い出を引き連れ会いに来る叔母が、次第に疎ましくなって来た。
そんな私に彼女は淋しい笑みを漏らし、近くの山で山菜を採って帰ると言い早々に帰って行った。だがどんなに私が冷淡に振る舞っても、彼女は実家に帰った私には必ず会いに来た。そんな叔母である。
忘れかけていた叔母の家をやがて探し当てると、そこはスーパーマーケットになっていた。それは華やかだが毒々しい羽を広げた巨大なクジャクのように、不遜に私を見下ろしていた。昔このあたりに建て込んでいた木造の古い家屋は取り壊され、まばゆいばかりの夜の光に照らされた巨大なビルになっていた。
私は茫然としてしばらくビルを見上げていたが、どうにも腑に落ちない気持ちで歩きながら交番を探した。入り口に立っていたおまわりに叔母の住所を書いた紙きれを見せ聞いた。「この住所を探しているのですが、叔母の家なんです」と言った。
彼はにやりと笑い、「これはいつの住所ですか?あの辺りの家はもうないですよ。スーパーが建ちましたからね」と言う。「それはいつ頃の事ですか?」即座に聞いた。「もうかれこれ30年以上も前の話ですよ」
私は朝顔模様の浴衣を着た迷子の女の子のように、泣きじゃくりそうになりながら、ゆっくりと後ろを振り向きこのまぼろしの町をじっと見た。