タカシは公園のベンチに座っていた。
右足のかかとを左足の腿に置いて、両腕は大きく広げ背もたれの上に乗せ、両手はだらりと下げている。それであたりを睥睨している。要するにふんぞり返っている訳だ。ふんぞり返るような理由がある訳でもないのに、いやむしろ謙虚になるべき時なのに。
今日は日曜日、デパートの地下街で『全国駅弁大会』と言うのをやっていたので覗いて見た。やっぱり駅弁と言うのは人気があり客でごった返している。
あれこれ迷いけっきょく北海道産の海鮮ちらしに決め、ついでに用も足しとこうと思いトイレに入った。すると便座の上に大判サイズの茶封筒がのっている。忘れ物だなと思い開けて見ると、なんと200万円が入っていた。
帯封の10000円札が100枚、それが二束。タカシは妙な虚脱感を感じ封筒を抱え公園に向かった。公園で買った駅弁を食おうと思ったのである。
タカシが座っているベンチのすぐ前に白い大理石の三段式噴水があり、絶えず水が上から下へ流れている。シャワシャワシャワと小気味よい音を立て。それが受け皿となる真下の池へと続いている。
「夏江は今頃どうしているだろうか?」と彼は考えた。妻の夏江は三日前に実家に帰ったまま帰って来ない。あいつの実家帰りは日常茶飯事で、絶縁状を突き付けての一発弾丸の里帰りと言うのはまずないから、タカシも対岸の火事と見なしている。
ただ妻の父親からは50万円借金をしている。先ほどから気になってしかたがない茶封筒を、チラ見した。ドジな探偵が置き忘れた不倫調査の証拠写真が入った袋と言う感じで、封筒は忌まわしげにそこにあった。
「この袋から金を抜き出し使っても足はつかないのだろうか、帯封には確か銀行の名前が書いてあったな」
が、良く調べもしなかったが、これが人を驚かすためのダミー札と言う事もある訳だ、、世の中には結構ひま人がいて、そんな事して楽しむ輩がいると言うからな」
そんな事を思いながら彼は封筒を引き寄せ手だけ入れて札束をパラパラと親指でめくって見た。確かに上から下まで10000円札のそれはずっしりとした金の束だった。
目の前の白い噴水は相変わらずシャワシャワと水を流し、それがあたりを穏やかな雰囲気にしている。
楕円形の芝生の上の噴水を囲み、等間隔で合計6基のベンチが置いてある。その一つにホームレスらしき男性が背中を見せ惰眠をむさぼっている。
「そう言えば富豪の女が失恋した腹いせに、たまたまそばにいたホームレスの男に、気まぐれで大金を恵んでやると言うフランスの映画があったな。ベンチに寝ていた男の上にポンと金束を投げてやるのだ。男は勘違いして女の後をつける、それで女が怒り狂うと言う映画だった」
「たとえあのホームレスが女でも」向こうのベンチで寝ている男の背中を見て「俺は絶対そんな事はしないな」とタカシは冷静に考えた。そしてさっとそばの封筒を触って見る。
彼はすっかり海鮮ちらしを食うのを忘れている。
噴水をはさんだ反対側の歩道の脇に、大きな桜の木が植わっている。そよ風にヒラヒラと花びらを舞わせて。さわやかで美しい風景だった。
「しかし、一本立ちの桜と言うのもなんかいいもんだな」と彼は思った。「満開の桜並木の花見と言うが、そこで人間がどんちゃん騒ぎをしていると、折角の花の情趣が損なわれる」そんな殊勝な事を思うタカシだった。
小学校の時、サクラと言う女の子がいた事をふと彼は思い出した。漫才師の名前みたいだと皆にからかわれていたが、彼はそんな事はしなかった。好きだったからだ。苗字が朝倉で「あさくらさくら」と語呂の良い名だった
ある時サクラが学校の文具店の前で困っていた。聞くと、算数で使うコンパスを買うための金を家に忘れて来たと言った。彼はたまたまポケットにあった500円札を貸してやった。彼女はとても喜んだ。
「ありがとう、お金は明日必ず返すから」サクラが言う。
そして次の日サクラは、手のひらにしっかりと握りしめた500円札をタカシに渡し、ニコッとした。それから二人は遠くから見て目が合うと互いに微笑するようになった。
正面左端のベンチで黒いストローラをそばに置いた老婦人が、居眠りをしている。「危ないな」とタカシは思った。近頃はストローラごと子供を誘拐する奴がいるから、と眉をしかめまた横の茶封筒をチラ見した。
結婚して10年経っても彼はまだ子供に恵まれなかった。夏江が実家に帰ってばかりいるからだ。と彼は本気でそう思っている。あいつは俺を馬鹿にしている。
パワハラの多い医療関係の仕事につき、愚痴を言いながらも絶対離職しない夫を妻は軽蔑していた。だが離婚と言う話はあまりしない。「あいつもいい加減な女だ」
「だがあいつは親に甘やかされて実家に帰ってばかりいるが、料理だけは真面目にやるよな。理由を聞いたら単に料理が好きなだけと言った」
「あいつは案外、根は家庭的な女かも知れない。俺が甲斐性がないから面白くないんだろ、俺ももう少ししっかりしなきゃな」こんな事を思うのは初めての事なのに、彼はその事に気づいていない。
「だが、この金は一体どう言う経由で便器の上にのっていたんだろう?」先ほどからの疑問に彼はまた思いめぐらせた。「便器の上に忘れた、いや置いた奴は本当の金の持ち主だったんだろうか?いやそいつはこれを別の場所で拾い、ネコババしようと思ったが面倒臭くなって、便器の上に置いたのかも知れない。と言う事はもう一人前の拾い主がいてもおかしくないと言う事だ」
「だいたい、便器の上に置くと言うのがいかにもと言う感じだ、持ってってくれ、邪魔だからと言わんばかりだ。第一今どき200万円なんて、はした金じゃないか、そんなもんネコババして人生ボウに振ったりしちゃ元も子もない。隠しカメラと言うのもあるからな」彼はうんざりと茶封筒を睨んだ。
やがて彼は立ち上がりちらしずしの入ったショッピングバックに茶封筒を入れると、そのまま噴水の横を通り桜の木の下で立ち止まった。桜の花を見上げ「アサクラサクラ」とつぶやいて見た。何となく懐かしい思いが湧いた。
居眠りしていたおばあさんも目を覚ましストーローラの中の赤ん坊をあやしている。
タカシは安心したようにショッピングバッグを提げ交番に向った。弁当は家で食べるつもりだ。