ずっと以前日本に住んでいた頃

ずっと以前日本に住んでいた頃、よくテレビドラマを見た。それはミステリー、ラブストリー、またはドキュメンタリーだったりした。ただ私が興味を惹かれたのは、ドラマの内容そのものよりたまたま画面に写り込んだ一般の人物や風景だった。

例えば恋愛物語で恋人たちが街路を歩くシーンで、その後ろを歩いている買い物袋をさげた一般の主婦、河川敷のロケでは川岸で釣りをしている俳優ではない老人の姿などが見えると、あれこれ彼らの実生活を想像したりした。小さな町の風景の中で見る飲食店の看板なども興味深い。

考えればドラマそのものよりも、写り込んだ人物や風景の方がよりドラマチックな人生模様を織り込んでいるかも知れない訳で、しかもそれらの映像は少し遠めにかすれて見えるためよけいに食指をそそられる。

今ならば著作権侵害になりやたらモザイクがかかる所だが、その頃は悠長なものでテレビ側もこそこそ隠し立てはしなかった。むろんそんな細部にこだわる視聴者はあまりいないだろうし、私は変態だったのかも知れない。

短大生になった私は、大学が長期の休みになると帰郷しなければならない。大学は東京にあり実家は九州だ。ゴトゴトと線路を走る汽車に乗っての長旅になる。その頃は新幹線、飛行機などの乗り物がまだ一般に普及していなかった。だから東京から九州に到着するのに、優に6時間以上はかかる。

二年目の冬休みが始まる直前、あるテレビドラマを寮内の娯楽ルームで見た。それはある有名作家の小説を映画化した刑事ドラマで、私が見たのはその劇場用の映画をテレビ用に編集したものだった。1958年の映画だから私が生まれる前の作品だ。(嘘です)

『張り込み』と言う映画で、東京から九州の佐賀まで捜査員二人が強盗殺人犯を捕まえに行くと言う内容だ。犯人は東京で事件を起こし、今はすでに結婚している昔の恋人に会いに行ったと言う情報ももとに、九州の佐賀まで行き女の家の前の木賃宿で張り込むのである。

この映画は断片的ではあるが、今でもユーチューブで見る事が出来る。今見ると街の風景は著しく様変わりし、人々の様子も粗削り粗雑な感じがする。それだけに悪性の文化に犯されていない人間本来の素朴な感じがとても良い。

この二人が列車に乗ってなぜか東京ではなく横浜から列車に飛び乗って、佐賀に行くシーンが異様に長い。長いイントロダクションと言うので有名になった映画でもある。

真夏の事で冷房のない列車の中は暑く、満員電車の中はあまりの暑さに下着姿になった男たちが通路に座っている。吹き出す汗をハンカチで拭き拭き、わずかに開けられた窓から風をむさぼる男たち。こちらまで汗が出るようなうまい演出と演技だった。なぜ窓を全開にしないのだろう?とチラリ思った。

それから数日後汽車に乗って帰省する事になった私は、線路の上をゴトゴト走る汽車に揺られて、映画の中の主人公になった気分だった。汽車の窓からの景色を食い入るように眺めた。家々の壁に掲示された至近距離に見られる薬や眼鏡のポスターもとても牧歌的だった。それからは長い汽車旅行があまり苦にならなくなった。

ネットで色々見ていたら、アメリカにも同名の映画があった。1987年の『STAKEOUT』(張り込み)でやはり刑事もの。だがこちらは間抜けな刑事のコメディで、脱獄犯人が以前の恋人の家に雲隠れしているとの情報で、その監視を命じられた二人の刑事の話。

だがその一人が犯人の恋人に惹かれ、女の方も刑事に惚れてしまうと言うアメリカならではのコメディ作品。日本の『張り込み』とは似ても似つかないドタバタ喜劇。日本の『張り込み』は超シリアス映画で、宿で張り込む刑事たちが家から女が出てくると、それっとばかりに宿の階段を駆け下り女を尾行始める。この尾行のシーンが見ものだった。

土砂降りの中、古さびた田舎町の道路を雨足を蹴るようにして歩く女、広々とした田園風景の中を日傘をさして歩く鬱々とした女。女が殺人犯の男に会い行くシーンだ。そんなシーンがあったかどうか今となっては定かではない。だが女の張り詰めた生真面目で真摯な表情はよく覚えている。

高校時代に学校から帰りキッチンの裏戸の前を通り過ぎる時、開け放した戸から居間のテレビが見えた。そこにはなぜかいつもアメリカの古い白黒映画が映っていた。『毒薬と老嬢』『避暑地の出来事』『月夜の出来事』そんな作品が草深い田舎の居間のテレビに写され、左手にある桃畑からはかぐわしい桃の香りが流れ込んでいた。

テレビの前に座って見るよりもなぜかキッチンの裏戸から見る方が好きだった私は、THE ENDの字幕が出るまでそこに立ちつくしていた。                 

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