緩やかな坂をのぼって行く

緩やかな坂をのぼって行くとそこにルミが立っていた。とても無防備にだが寂しさと哀しみに包まれて。

スクールバスの停留所であるそこは、木柵に囲まれた人家の裏庭で、柵からはびっしりと白い花をつけたジャズミンの植え込みが見える。

スクールバスから降りたばかりなのだから、他の子供たちとふざけていても良い筈なのに、そんなシーンは一度も見た事はない。ルミはいつも孤独な女の子。プレスクールに通い始めて半年になる。

五日前の出来事がまたよみがえる。けたたましい金属音にあわててキッチンに行くと、排水口に両足を入れられ鈍く旋回している裸のバービードールがいた。そばにいたルミの仕業に違いない。彼女は無表情に私を見た。

ディスポーザーに自分の手を入れてONにし、血だらけの自分の手を見ると言う恐怖を何度か夢想した。「夢想するだけならいいのですが、本当にやってしまうとなるとこれは問題です」週一で通う精神科のお医者様はそう言う。それはそうかも知れない。

境界線パーソナリティ障害と判断された私の精神障害は、時に自己破壊的な衝動的行動を伴うものだとお医者は言う。「これは遺伝的なもので近親者に受け継がれることがあります。お嬢さんが嗜虐性のある行動をすると言うなら少し心配ですね」

この日系のお医者様はかなり流暢な日本語を話される。だが完ぺきではないので、時々無駄な時間を費やす事になる。英語での会話が苦手な私が主治医のお医者様に「日本語の出来る先生を」とお願いしたので、もとはと言えば私のせいなのだが。

私だけの問題ならまだしもルミまでも似たような症状を見せるので、心配になって精神科医のお医者に通うようになった。だが会話は堂々巡りで何の進歩もないように思える。プレスクールの先生は、ルミが他の子の手首を噛むので困ると言われた。彼女は自分を痛めるのでは他者を痛めるのが好きなのだ。

「それはね、愛情の上げすぎなんですよ。甘やかしはいけません。なんでも自分の好きにしたいと思いますからね」私はルミを甘やかしすぎたのだろうか。

ふと窓の外を見ると崖の上を歩く歩行者の足が見える。白いスニーカー、だが履き古した汚れた靴でゆっくりと歩いている。崖の上の歩道から見るこの診療所は、古い木造の建物だ。同じ建物に歯科医、泌尿器科医などが軒をつらねている。だが患者の姿はあまり見かけない。

「精神病と一口に言っても色々な症状があり治療法も違う。だが根本的には患者が自意識過剰なんです。自分が見捨てられたり忘れられたりする事に異常に敏感なんです。つまり孤独が恐い。だから自分を傷つけたり自殺の真似をしたりして人の気を引くんです。その気持ちの強弱によって、本当にケガしたり死んでしまったりする」

「先生、ちょっと!」と私は軽く手を上げる。私は孤独など何ともない。むしろその中に身をゆだねている時、軽い安堵さえ覚える。その事を言うと彼がニヤリとした。「だから言ったでしょ。もとはと言えばすべては情緒不安定から来ているんです。精神疾患は何らかの情緒不安定、これのみです」

ネットを見ると、幼い頃母親に愛されなかったりするとそれがストレスになり、後に情緒不安定と言う後遺症を引き起こすと書いてあった。

私は母から十分な愛を貰えなかったか?と自問すると、思い当たる節はある。だが彼女は私に冷淡な態度を示しても、後日その埋め合わせをするような事が必ずあった。少女の頃言う事を聞かない私を、彼女はいきなり縁側から庭に突き落とした。雨さえ降っている午後に。

だが三日後、「一緒に入浴しよう」と私を誘った。めったにない事なので不思議に思っていると、湯船の中で私の鎖骨を指でなぞりほっとしたように言った。「良かった、骨は折れてなかったね」とほほ笑んだ。その私の左の鎖骨は、一年ほど前に野イチゴを取ろうと登った崖から落ちて折った骨だった。

何件もの整骨院に行き、やっともとに戻った骨だった。その骨が庭に突き落とした際、また折れはしなかったかと母は心配したのである。あの時の骨をなぞった母の指の感触、その温かさは今も思い出す事が出来る。それから私は、母は私を本当は愛してくれているのだと思うようになった。

ルミが私と似たような嗜虐的行為をするのは甘やかしのせいだと先生はおっしゃる、

「ではルミの他者を虐める行為をやめさせるには、どうしたらいいんでしょうか?」「それはLOVEです」勝ち誇ったように彼は言った。「単なる甘やかしではなく真実の愛、真摯な愛です」

先生の英語のLOVEの発音は完ぺきだった。だが私にすれば、日本語の【愛】と英語の【LOVE】ではどこか微妙にニュアンスが違う。例えばテニスの軟式テニスと硬式テニスの違い、個人的にはそう思っている。軟式テニスは日本人向けに考案された日本発祥のテニスだ。だから日本語の愛を思わせる。

LOVEより愛と言う言葉が私は好きだ。ではその違いを解明せよと言われると困るのだが。愛はLOVEよりも儀式めいて厳格、LOVEはそれこそアメリカ人同士のラブストーリーのように、自由で華やか、そんな気がする。

「ハロー」夫が突然帰って来た。いつものように飄々として薄笑いを浮かべ。彼がどこに住んでいるのか何をしているのか、私は知らない。白人と日本人の混血である彼はとてもミステリアスだ。愛人もいるようだが深くは問いたださない。

だが生活費と養育費だけは必ず渡してくれる。時々は私を抱いてもくれる。

「ルミと君が僕の生きがいだ」時々彼はそう言う。「生きがい?何のための生きがいか?」そう聞きたいが私は黙っている。何もかもあからさまになると、この砂上の楼閣とも言うべき私たちの幸せが、一瞬にして壊れるような気がして私はこわい。

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