車中に閉じ込められレイナは、今まで味わった事のない怖さ、不気味さを感じていた。ガソリンが切れたと言いタカシが、徒歩でガスを買いに行ったのだ。車から絶対出るな、窓も3センチ以上はあけるなときつく言い残したまま。
砂漠の一本道でガソリンが切れる、何かの天罰とさえ思えるこの仕打ちにレイナはすっかり弱気になり、遠くの山並みをぼんやり見ていた。そう言えばアリゾナの砂漠の山中には半獣人間のような醜悪な生物がいて、街から来た旅行者を襲撃すると言う映画もあった。そんな人が山から下りてきたらどうしょうとレイナは気が気ではない。
学生の頃グランドキャニオンを見た恋人のタカシはその荘厳さに胸打たれ、将来の嫁には結婚指輪をここでやると心に決めたそうで、そのために恋人のレイナをわざわざアリゾナくんだりまで連れて来た。
二日ほどラスベガスで過ごし念願だった旧国道のルート66をレンタカーで走った。キングマン、セドナとレトロなアメリカ町の雰囲気は気に入ったが、どう言う訳かやけに人の数が少ない。
観光客の少なさはともかく町全体がひっそり感として活気がない。まさかいつまでもコロナじゃないだろとタカシは解せなかった。動画作りに躍起になってるレイナは、何度もタカシに車を止めさせ自撮りに夢中だ。やがて「道に迷ったみたいだ」タカシがぽつりと言った。
砂漠の一本道で道に迷うとはどういう事か?一本道で迷う?広大な砂漠には車を運転する人間を小馬鹿にして翻弄する精霊がいるそうで、その罠にかかったのかも知れない。
しかたなく30分ほどひたすら車で飛ばしていると、妙に緩やかなカーブが現れた。そこを左折すると右手に見えたのがたった一張りのインディアンテントだった。あのティピーと言われる伝統的なネイティブアメリカンのテント。
道路わきすれすれの所にそれはあり、円錐型のテントのてっぺんからは煙さえ上がっている。少し開いた天幕のすき間からチョロチョロと燃える囲炉裏の炎が見える。
「タカシ!車止めて!」レイナが叫んだ。「これはスゴイ!こんな所で本物のインディアンが見れるなんて。動画撮らなきゃ、絶対登録者数が伸びるわよ」レイナは興奮していた。
登録者数が3万人で止まっているレイナの動画はそこでストップ、もう一年も鳴かず飛ばず3万人を越えない。それをどうにかしようとアリゾナ旅行に来た彼女でもあった。思わず手にしたスマホを握りしめた。
「こんなの商売に決まっているよ。そのうち手製の羽の帽子や首飾りを買ってくれと言われるのが落ちだよ」タカシが苦い顔をした。レイナが「ううん、さっきテントの外にいた男の人見た。フリンジの付いた皮ジャケットを着た。あれはまぎれもない本物の昔気質のインディアンよ。物を売りたいなら私達を見てどうしてテントの中に隠れるのよ」
二人が口喧嘩をしていると、少しだけ開いていた天幕がばさりと降ろされ、まるで口封じしたかのようにテントそのものが静寂感に包まれた。テントから上がっていた煙も消えた。
レイナはテントの中に入り彼らにインタビューしたいと思ったが、こめかみに青筋立てたタカシを見てあきらめた。
静かになったレイナにタカシが言った。「君は動画づくりに命かけすぎなんだよ。登録者を増やそうとして高層ビルに登ったり崖に這ったり、過激な事して命落とした奴いっぱいいるだろ。そんな風になったらどうするんだ」
レイナが口答えをしないのでタカシは調子に乗った。「はっきり言うけど、事に当たり一番大事なのは、心、ハート、心臓、心の臓だヨ」心の臓と聞きレイナがぷっと吹き出した。「じゃ、十年やってもまだ芽が出ない、あなたの役者としてのモットーも心の臓なのね」
タカシが声を荒げた。「君は動画の編集が下手糞なんだ。登録者数が多いユーチューバーはみんな編集が秀逸なんだ。そこを勉強しなきゃダメだな」「な、なにを根拠にそんな事を⁉たまに来る仕事は端役ばっかり、そんなあなたももっと勉強しなきゃダメよ!」「じゃそんな俺と結婚したがってる君は、一体何なんだ!!!」
その時だった。今までブツクサ言ってたエンジンが完全に止まったのは。ガソリン切れだ。窓外を見るといかにも殺風景な砂漠風景がえんえんと広がり、あたりにはびこった背低いサボテンの黄色い花がやけに鮮やかだ。「仕方ない、ガス買いに行ってくるよ」「歩いて?」レイナが聞くと「他に方法あるかい」
あれからもう二時間以上も経っているのに彼はまだ戻ってこない。携帯で電話しても無音だ。電池が切れてるのだ。だからWIFIレンタルしようって言ったのに。今さら後の祭りだがレイナは悔しがった。
考えれば彼が必ず戻って来ると言う保証はどこにもない。一人になるとタカシが恋しくてたまらなくなったレイナは、何もかも自分のせいだと気落ちした。「口喧嘩なんかしなきゃ良かった。帰って来たら謝って思い切り抱きしめよう」レイナは本気でそう思い助手席の窓に頭を持たせた。もともと素直な娘なのだ。
窓をコンコン叩く音がしてレイナが目を開けるとタカシだった。「どうしたの?ずいぶん遅かったじゃない!」嬉しさのあまり彼女の声が上ずった。タカシは黙って運転席に乗りキーホールにささったままのカギを回した。無言のまま前方を向きわきめも振らず運転する。
やがて目的地のマザーポイントが見えて来た。タカシが学生の頃来て感動した場所だ。ここで彼は結婚指輪を渡すつもりだ。二人は峡谷を背景に岸壁の近くまで来て記念写真を撮ろうと撮影者を探した。すると黒い鉄柵に寄りかかっているカウボーイハットの男が目に入った。さっき見たインディアンだった。
レイナが彼のそばに行こうとするとコンコンという音がまた聞こえた。見ると車の窓から本物のタカシが笑顔で覗いている。「早くドアを開けてくれよ」と言うタカシにレイナは愛しさに涙を流しドアを開けた。すべてはうたたね中の夢だったのだ。
「ごめんごめん、行きも帰りもヒッチハイクやったんだけど、帰りの人が東京からの旅行者で意気投合して、バーで一杯やったんだ、ごめん」何度も謝るタカシを「砂漠に私を残したまま一杯やるなんて」とレイナは責めはしない。
彼を強く抱きしめ「またインディアンとの自撮りを邪魔された」と彼の腕の中でクスリと笑った。