深い深い霧の中を歩いていた

深い深い霧の中を歩いていた、たった一人で。心細く寒く、何となく世紀末の断崖絶壁の淵を歩いている、そんな心もとなさがあった。

だがここは自分でも歩き慣れた有名な観光名所だ。海の近くのボードウォークで、普段なら世界中からの観光客で賑わっている。だが今日は無人だ。どうしたのだろう?これもコロナのパンディミックのせいなのか?あるいは濃霧のせいか。

すると向こうから女が一人歩いて来るのが見えた。痩せた小柄なアジア人だ。私に向って歩いて来て「あのーこの辺にホテルありますか?道に迷ったんです」と言う。ここは海沿いの風光明媚な場所、ホテルなら幾らでもある。

「ええ、沢山ありますよ、ほら、あそこに」と私は振り向き指さした。だがホテルのネオンサインは消えている。『VACANCY』『NO VACANCY』どちらのサインもない。他のホテルも。すべてのサインが消えている。女性は片手を振って「だいじょうぶ、自分で捜します」と笑顔で言った。少しして今の女性が自分にそっくりだった事に気づいた。

振り向き彼女の後姿を見ながら、そう言えば彼女は日本語を話していたなと気づいた。

しばらくすると今度はグレーヘアーの背の低い男性が歩いて来た。今度は白人のようだ。またもや私に近づき「この辺に土産物屋はありませんか?」と聞く。土産物屋ならここは世界の観光客が集まる場所、趣向を凝らした店が幾つもある。なぜ私に聞くのだろう?

だがいつもなら道の左側に立ち並ぶレストラン、ブティック、ジュエリーストアなどが軒並み『CLOSE』のサインを出している。「クリスマスにデンマークに帰るんですが、家族にプレゼントを買いたいんです」とそのデンマーク人らしき小柄な男性は言った。

その時道の右側に羅列していた、幾つものテントに飾られたイルミネーションのすべてが同時に点灯された。暗い濃霧の中でそれは目を奪う鮮やかさだった。その時それらのテントは、ホームレスの人が住むテントだと分かった。だが中に人の気配はしない。

テントに近づき耳をすませ中のようすをうかがったが、無音の音、宇宙音の様なものが聞こえるだけだ。

ただいつもはテントのまわりにある雑多なホームレスの持ち物がきれいに取り払われ、テントの埃も掃除されたのか清潔になり、その上に飾られたクリスマスライトが点滅しているだけだ。

ホームレスの人たちはどこへ行ったのだろう?

さ迷う旅行者を誰もヘルプ出来ない事にがっかりして力なく歩き続けた。すると今度は上半身裸でショートパンツ姿の男性が走って来た。全身ずぶぬれである。走りながら通り過ぎようとする彼を呼び止めた。

「何事ですか、そんな恰好で?」その聞き方は無作法だったらしく、彼はむっとして答えた。「今ね、人助けをして来たんだ。海で溺れかけた友人を助けたんだ。彼はホームレスで2年以来の僕の友達」流暢な英語でそう答えた。

「その溺れた人はどこにいるんですか?」と聞くと、「ドクターヘリで病院に担ぎ込まれた、大丈夫命に別状はないそうだから」と言うとニコッと笑って走り去って行った。私はもう一度、黄やブルー赤の電飾がまたたくホームレスのテントに目を向けた。

ボードウオークの真ん中に立ってあたりを見回した。邪魔な人物像だけを削除した動画のように、とても不自然で虚無的な場所がそこにあった。いつもはいるストリートパフォーマーの、身長が二メートル以上の足長おじさんやターバンを巻いた名物スケートおじさんの姿が見えない。

彼らも削除されたのかな?だが霧の濃さは次第に薄くなっているのが分かる。

シャンシャンと言う橇の音が聞こえた。見るとトナカイのそりに乗ったサンタクロースがこちらに向かってやって来る。プレゼントを後ろ座席に山積みにして。どうせ何かのイベントだろう、あるいはモールの子供達との撮影に疲れたサンタに違いないと私は彼に向って「メリークリスマス!」大声を上げ投げキッスを送った。

彼もニコニコと笑顔を見せ手を振り何かを私に投げて寄こした。両手でキャッチして見ると、小さなサンドイッチバッグに入ったキャンディだった。

振り向くと橇の後ろに「ノースポールのサンタクロースの家の郵便番号は99705,お便り待ってるよ」大きなサインが見えた。もうすぐクリスマスだ。何となく楽しくなった。

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