昔から駆けっこは大の苦手だった

昔から駆けっこは大の苦手だった。と言うよりも大嫌いだった。小学生の頃、10月になり体育祭が近づくと、「ああ、またかけっこでビリになりみんなに笑われる」と激しくうつ状態に入ったものだ。

体育祭では全生徒とその家族が、お祭り気分で生徒たちの一挙手一投足を観覧する。組体操、ダンス、綱引き、玉入れ競争、リレーなどなど、面白い競技が続く中、自分の知ってる生徒は?自分の子供は?子供の友達は?どこにいる?何してる?と探しながらお祭りを楽しむのである。

もちろん『駆けっこ』も競技の一つで50メートルを13秒で走る(歩いているのと同じ)私は、いつもビリである。それをみんなに見られる。

ビリと言っても他に連れがいる訳ではなく私一人のビリなのだ。他の人は、たとえビリから2番目の生徒さえ、私から10メートル先を走っている。私はたった一人で、全見物人の嘲笑をあびなければならない。ビリになっても笑顔で愛嬌を振りまく生徒もいるが、私はそんな奇特な性格ではなかった

駆けっこの時間になり私の番が来る。白線の敷かれたスタートラインに並びその線の前に両こぶしを置き「よーい!」と言う係りの先生の声でお尻を上げる。そしてドンと言うピストルの音で走り出す。

このお尻を上げて走り出すまでの数秒を何と長く感じた事か。それは孤独と絶望、寂寞、そして悲愴な感情に翻弄される魔の時間だった。吐き気さえ感じた。

ある年の体育祭の数日前に、校庭でぼんやり立っていた低学年の生徒が、飛んできたアシナガバチに顔を刺され、大泣きで医務室に保護されたと言う事件が2,3件あった。

さて体育祭でスタートラインに並びお尻を上げドンの音を待っている私は、「今こそ蜂様が来て顔を刺してくれないか、いや、刺されたと嘘をつこうか」と思い惑っていたら、吐いてしまった。

つまり走る競争でビリになると言う事は、激しく私の自尊心を傷つけるものだった。自尊心と言う言葉はあの頃まだ日常的な言葉ではなく、訳もわからず私はただもやもやとした恐怖心にかられた。

中学に進み早い時期に体操の時間に貧血を起こし倒れた。ここぞとばかりに私は「虚弱体質なので体育授業には参加出来ない」と教師に言った。すると「あっ、そう、いいよ」と彼は言い、それから体育の授業は免除された。医師の診断書も親の同意書もないのにである。昔の田舎の中学校は平和で素朴だった。だから体育祭の駆けっこも免除になった。

さて体育祭の当日、見物席で競技を眺めていると、一歳年上の男子生徒の4000メートル長距離走が始まった。これは校庭を10周しなければならない長期戦である。その中の先頭にいた男子がいきなり出だしから全速力で走り出した。残りの男子は長距離走の手法を極め、ゆっくりとした悠々走りで先頭の男子を歯牙にもかけない。

やがて校庭を一周すると、先頭の男子と背後の男子たちの間隔は次第に狭まって行った。先頭の男子は仲間の追いつきを恐れ、顔をゆがめ汗を流し後ろを振り向き振り向き走るようになった。まるでそれは、借金取りの集団に追いかけられ夜逃げする負債者のように、哀れで悲愴な様子だった。

そしてゴールテープが引かれる頃には、彼は完全にビリ走者になり疲れ果てよたよたと倒れるように歩いていた。私は人事とは思えなかった。しかも彼は次の年も同じ事をやらかした。

あの頃私は妙にませた意地悪な子だったので、これは彼の人生の縮図だと思った。後先も見ずプランもなくがむしゃらに生きると、早い時期に挫折が来ると言う人生の縮図。だが一概には言えない。亀のようにのろく走り人々に笑われた私は、人生に後れを取るどころか今は普通に幸せに暮らしている。

だが今思うと父兄や生徒たちが、あの男子生徒の無様な長距離走や私の亀走りをあざ笑っていたと思うのは、完全なる私の思い過ごしだったのかも知れない。あんがい皆はほほえましい、可愛いと思っていたのだと思いたい、今日この頃の私である。

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