私の名前はルナ、27才の日本人だ。ロスアンゼルスで日系情報誌のコラムニストをやっている。それまで東京でフリーマガジンのレポーターをやっていたが、この雑誌の編集長に就職希望の手紙を書いたら運良く採用された。
数ある日系情報誌は若い読者をねらいすべて英語版にしたが,この雑誌はいまだに日本語だけ。英語版を見たければネットで翻訳版を見ればいい。この先読みの深さに私は惹かれた。街角の英語版のフリーマガジンを読む日本人なんていない。彼らは英語が読めないから日本語に頼るのだ。
言い忘れたが私はその情報誌で『街角の夢』と言うコラムを担当している。街を歩く人にいきなり話しかけ「将来の夢は?」と聞くのである。これは非常に時代遅れでつまらない企画、編集長により斬新な物をとかけあったが、彼は聞いてくれない。
ところで私には非常に困った性癖がある。それは人をガン見する事である。これは人を指さす事以上に無作法だとこの国では思われている。レストランのブースで前席の背もたれの向こうに見える人の顔をジーッと見るのである。じーっと人を見る場所はやはりレストランが多い。
猫じゃあるまいし人をガン見する、これは非常に相手に失礼な事で彼らはやがて席を立ち店を出て行く。その時初めて「あっ、私またガン見やってたんだ」と気づく始末。
私は何も仕事柄、人間探訪のつもりでこれをやっている訳ではない。別にじっと見る相手に興味がある訳でもない。ならばなぜガン見か?と聞かれると返答に困る。知らず知らずにガン見してその間は無の境地である。
私が6才の頃だった。遮断機の下りた踏切の前にいると、反対側に同じ年ぐらいの女の子が立っていた。私は彼女をじーっと見続けた。するとその子は泣きだした。その時電車が来てそれが通り過ぎた後見ると、少女はもういなかった。
私は少女が電車に轢かれて死んだような怖い気持ちになった事を覚えている。
大学生の時、『国文学』の講義に出かけると、教室の中ほどにいた私から窓際の席を見るとある女学生の横顔が見えた。それは美しい横顔だった。この美貌の横顔が素晴らしく魅力的で、私はこの横顔をガン見するために講義に出かけたと言っても、過言ではない。
だがある日、彼女の顔を真正面から見た時かなり失望した事を覚えている。平べったい顔に丸い目が二つあり、鼻も決して高くはない。別人だったのかも知れない。この二つが私の過去のガン見体験の、苦い思い出である。
そして性懲りもなく今も私はガン見をし続けている。やめようにも無意識の所作は自然と出るのである。なぜ山に登るかと聞かれた登山家は、「そこに山があるから」と答える。なぜ人をガン見するのかと聞かれれば、「そこに人がいるから」と答えるしかない。
ある日、アウトドアアイスクリーム屋の庭の椅子に座りバニラアイスを食べていると、庭の隅のストレリチアの花株のそばで私をじーっと見ている女性に気づいた。やれやれ今日はガン見される日かと何気に空を仰ぐと、彼女が私に向って真っすぐに歩いて来た。
「こんにちわ」と彼女は言った。褐色の肌をした黒人の女性がきれいな発音で日本語を話したので、私は少しあわてた。「少しお話してもいいですか?」と彼女が聞く。私はうなずき椅子を手のひらで指示した。
「日本語が上手ですね」と言うと「祖母が日本人なので」と言い奇麗な微笑を見せた
それから彼女が話した事はとても素敵な事だった。彼女の祖母は私が働く情報誌の愛読者で、あなたのコラムのファン、記事をいつも楽しみにしている。あまり面白くない企画が人気コラムになったのは、私のスキルが良かったからだと祖母が言ったと言う。
「ありがとう」と私は心から言った。人に褒められると言うのはそれが何であれ嬉しいものだ。彼女は街角でインタビューをしている私を実際に見た事もあり、機会があったら話したいと思っていたと言う。
あれやこれやと話をするうちに、私はとうとう近いうちに彼女の祖母の家を二人で訪問すると言う約束をしてしまった。彼女のおばあさんがランチをご馳走してくれると言う。「祖母は日本料理がとても上手なの」とサラはウインクして見せた。絶妙なタイミングで自分の名前を言ったサラに、私はすっかり打ち解けた。
一週間程して約束通り、サラは私を彼女の祖母の家に連れて行った。祖母は一人暮らしで小奇麗に片付いたリビングで私たちを迎えた。ランチに用意されたちらし寿司、煮物、吸い物もさっぱりとして味わい深く、私は地元の人と日本語を話せるチャンスにとても楽しくなった。名前を洋子と言った。
サラは顔のある部分が祖母によく似ている。目とか鼻とか。サラは祖母の前ではあまり話さない。それが祖母への尊敬だと私は思った。
心を許せるような相手に出会うと私は悩みを打ち明けたくなる。ガン見の癖を洋子に話した。洋子は「実は私にも若い頃、同じ悩みがあったの。それで思いついたのが鏡の中の自分を一度ジーッと見つめて見る事。これは効果てきめん、自分が裁判長の前に立つ死刑宣告された被告人見たいに思えるのよ、なんだかぞっとした」と顔をしかめた。
それからデザートの水ようかんが出された。とても美味だった。洋子は緑茶を飲みながら「すっかりおしゃべりしたけど、あなたは私にとても似ている気がするわ。だから最後に言わせて頂く」
「あなたは実は孤独癖が強いのだと思う。本当は孤独が好きなのよ、だけど友達もほしい、その願望がガン見へと変わる。だけどあなたは頑固でもあるからすんなりと行かないのね。言える事は、これからあなたはその孤独とうまく折り合いをつけて行く事だと思う、もっと幸せになるためには」
あっさり真髄をつかれ驚き、私はまたもや彼女の顔をジーッとガン見した。