卓也は腰に手を当て仁王立ち

卓也は腰に手を当て仁王立ちになり完成したばかりのピザ窯を眺めた。「我ながら良くできたものだ」と思う。材料の耐火レンガとコンクリート、それにブロック、基本材料となるそれら三品を買った最初の日は、どうなる事かと思った。

一年ほど前に部長のガーデンパーティーに呼ばれた時、手作りのピザ窯を見せられ実に羨ましかった。その窯で焼かれたピザもうまかった。窯に見とれている卓也に「簡単、簡単、ピザ窯なんて誰だって造れるよ、君も挑戦してみろよ」と白い歯を見せて笑った。

以来ピザ窯DIYは卓也の夢となった。そしてついに完成したアーチ形の窯、何となく異国的な雰囲気で狭い庭をお洒落な感じに見せている。

「パパ、言ったでしょ‼ピザ窯のDIYなんてやらないでって!」振り向くと娘の雅美が同じ仁王立ちになり恐い顔している。「どうせパパの造った窯で焼いたピザなんてまずいに決まってんだから」と身も蓋もない事を言う。

その言葉に彼自身の昔の言葉がだぶった。中学一年の夏「どうだ勉強部屋を造ってやろうか。お前は勉強すれば必ず成績が良くなる」と言った父の言葉を邪険に振り払った。「いらないよ勉強部屋なんか!どうせ父さんの造った勉強部屋なんか使えたもんじゃないから」

「造ってやるよ」と言う父の言葉を片手でさえぎり走って街に飛び出した。それでも父は造った。だが卓也は意地でも使わなかった。今はもう単なる物置である。

その時体を揺さぶられる感覚で目が覚めた。夢を見ていたのだ。「パパ夕食よ、起きて、ピザが冷めちゃうから早く起きて」雅美がソファでうたた寝していた卓也を揺さぶっていた。上半身を起こし襖の陰に消える娘の後姿に寝ぼけた声で聞いた。「ママは今夜も残業かー?」

アロマセラピーサロンを経営する妻の英子は、コロナ禍も何のその評判が良く、顧客はコンスタントにやって来る。だが従業員を一人減らした今はその分英子に分が回って来る。そのための残業も多く、その時は長女がピザのデリバリーを頼む。なぜかいつもピザである。

持ち前のセンスと手腕でセラピーをここまでやり抜いた妻は、さらに事業を成功させようと必死だ。どうせ毎日宅配ピザにするのなら、自分で窯を造ってやろうじゃないかと思ったのもDIYの一つの理由だった。忙しく働く妻への恩返しの意味もある。

大工と言う父の仕事を忌み嫌っていた卓也は事ある毎に父に反抗した。今でこそ『大工さんはカッコいい』と言う子供たちも多いが、30年前はまだ男の子のなりたい仕事ランキングの下位にあった。そんな事もあり父の仕事に不満があった。

しかも誠実に丁寧にと仕事をこなす父は、いつも寡黙でうつむいてばかりいた。それが辛気臭いと思いあまり父と口も聞かなかった。いかにも工務店と言った白いカーテンを引いた自宅の入り口にも嫌気がさしていた。

そして卓也は努力で奨学金を取得し有名国立大学に合格し、念願のサラリーマンになった。

だが父親に反抗するような気持で成ったサラリーマンの生活は空しく儚い物だった。あの時の父との確執が原動力だった勉学への思いは、成果が出ても何の満足も得られない。

三年前、父が心筋梗塞で急死した時、卓也は郊外の借家から交通の便の良い父の家に引っ越して来た。母の死以来父が守って来た家の中は、整然として傷みもなく堅牢としていた。それはまるで父の大工仕事のように、地道な魂のこもったしっかりとした生活空間だった。

だが妻の英子はちょっと古臭い家ねと言い、彼女の実家からの借金でほとんどリフォームしてしまった。何事も成り行き任せの卓也は何の反対もせず、それこそ黙って成り行きを見守った。そしてそれは正解だった。

深夜になって妻の英子が帰って来た。すっかり冷えたピザをレンジで温めもくもくと食べている。働きづめなのに愚痴も言わない。証券会社のサラリーマンで営業担当の卓也は、コロナ禍での在宅勤務で対面営業が出来ず給料も激減した。

そんな夫に文句の一つも言わない出来た嫁である。「すまないな、お前にばかり働かせて」と言うと「あなたが悪いんじゃないわよ」と明るく笑う。

英子は好きなアロマセラピーの仕事を極めそれは軌道に乗りとても幸せなのだった。

「あのさー庭の隅に手作りのピザ窯を造ろうと思うんだけど」ピザを食べてる妻のそばまで行き弱弱しく卓也は言った。「毎日デリバリー頼むんだったら自前の窯で焼いた方が安上がりだろ」と言って見る。英子が薄く笑った。

「あのね、ピザを自前の窯で焼くんだったら、まずピザの生地を作らなきゃいけないのよ、それにトッピングの材料も用意しなきゃ。あなたにそれが出来るの?雅美は先ず駄目だし、店で売ってる冷凍の生地なんて嫌ですからね」卓也はうなだれた。このところ妻には頭が上がらない。

「それよりも庭の隅にあるあの物置ね、雅美の勉強部屋にリフォームしない?あなたのお父様がそのために造られたんでしょ。30年経ってもまだしっかりしてるし、あのまま腐らせておくのはもったいないわよ」

「それはグッドアイデア!」と卓也は即座に思ったが口には出さなかった。ただこの女はいつも俺の考えを先読みしてくれると感心した。「実は雅美にはもう話してあるの、彼女喜んでいたわ」「そうか、良かった」卓也は本当にそう思った。

「俺が使わなかった部屋を孫の雅美が使ってくれるなら親父も本望だろう」彼は今こそ部屋を造ってくれた父親に感謝したい気持ちだった。そして密かに「親父はこの家のどこかで俺たち家族を見守ってくれてるのだろう」と思った。

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