ドッペンゲルガーと言う現象

ドッペルゲンガーと言う現象をウイルが知ったのは最近の事だ。この広い世界のどこかに自分とそっくりの人間がもう一人いると言うドッペルゲンガー現象。しかもその人物を見たとうの本人は、早晩死ぬ運命にあると言う。

これは都市伝説などではなく、古典作家の中には実際にそれを体験し本に書き、その本の中で自分をもう一人の自分に殺させたり、日本のある作家は体験を書いた後、自殺という形で自分をこの世から抹殺している。

叔父のイタリア料理店で働くウイルの店に近頃、新客が一人増えた。馴染み客の多い店だから新参はすぐ分かる。男はつばの広い紺の野球帽をかぶり、つばの両脇を極度に下に曲げサングラスをかけている。

ウイルはその男がどこか自分に似ていると密かに思うようになった。

スポーツシャツにジーンズと言う格好でやって来て、男は戸外のバーカウンターでビールを飲む。戸外と室内は上半分のガラスで仕切られているから、ウエイターとして店内を動き回るウイルには店の様子が良く分かる。ウイルは時々ちらりと男を見るが彼はいつもあらぬ方向を見ている。

つまり彼が見ていない時は向こうがこっちを見ていると言う事だ。

その男が今、キャッシャー脇に立っているウイルに向って真っすぐに歩いて来る。そして彼の前でぴたりと止まり「君は以前オハイオ高にいたウイルじゃないか?」と聞いた。「ああ、そうだけど」ウイルは怪訝そうに答える。

「俺だよ、俺、ほら、サッカー部で一緒だったジョーだよ!」男はサングラスをはずし帽子を取りウイルの手を握った。「あーあ、君かー」確かにそれは見覚えのある高校時代のジョーだった。ウイルは事情を察し引きつるような笑いを見せた。「君がこの店にいる事を人づてに聞き会いに来ていたが、なかなか言い出せなかった」ジョーは屈託なく喜びを見せた。

マサチューセッツ州のオハイオ高校、しかも部活のサッカーで一緒だったジョーとは、高校卒業以来15年以上音信不通だった。何も無理して会わなかった訳ではない。もともとそれほど深い友情に結ばれていた訳でもないのだ。ウイルは卒業後すぐにロスに住む叔父を頼って移住し、その後は高校時代の友人とはだれ一人会ってはいない。

「なぜ俺はジョーを俺の分身なぞと思ったんだろう」その夜ウイルは思った。ジョーはウイルとは似ても似つかない顔をしている。「それになぜ彼は今になって俺に馴れ馴れしくするのだろう」とも思った。

ウイルは常に世間に対して潜在的恐怖心を抱え生きている。何かに追われるような、そしてそれから逃げるような疑心暗鬼にとらわれている。それはアル中だった母との、二人だけの過去の暮らしがトラウマになっているのかも知れない。母は彼に愛情が無かった訳ではないが、それを表現する術を知らず酒にまぎれて彼の生活をぶち壊しにした。父も母との暮らしに嫌気がさし去って行った。

酒に酔った母のせいで、家族が崩壊したのだと彼は今でも思っている。

ジョーは育った街で矯正歯科医としての父の仕事をついだ。だがコロナ禍と言うご時世で患者があまり来ない、それでバケーションを取りロスに遊びに来たと言った。「バケーションか、いいご身分だな」とウイルが皮肉を言うと「一度外で会わないか。君と話がしたい」と真面目な顔で言った。

四日後の水曜日、店が非番の日にウイルは行きつけのメキシコ料理店でジョーと落ち合った。「君はテッドを覚えているだろう?」開口一番ジョーが言う。「テッド?」ウイルが首を傾げる。「ほら、高校の時演劇部にいた、、、、」

「あーあ、役者になるとか言ってたやつだろ」「そうそう、そのあいつがハリウッドに来たのは知ってるな」「いや」と答えウイルはビールで口を湿らせた。何かおかしな話になりそうだと彼は身構えた。

「それであるエージェンシーに所属したまでは良かったが、それがひどい三流事務所で結局嫌になりやめた」「で今は何してる?」ウイルが聞くと「ヒモ、女のヒモだよ」「幾つだ、あいつ」とウイルが思わず聞き返す。「33、俺たち三人は同い年、同年に同高校を卒業した訳だから」ジョーがウイルを上目使いにみた。

「ところが捨てる神あり拾う神ありで、最近じつに良い女性が現れ結婚する事になった」

‟なーんだ、良かったじゃないか“と言う顔になりウイルがため息をついた。

だが、だからどうしたっていうんだとウイルは訝しがった。そんな事を今さら俺に報告してどうするつもりだ。察しの良いジョーが背筋をのばし声を変えた。

「君は高校の頃、あいつに200ドル貸した事があるそうだね」ウイルがジョーをチラりと見た。

それは本当だった。新しいコンピューターを買うために手助けをした。彼も母子家庭で母親は彼の学校生活に実に無関心だった。その事に同情したのかも知れない。細々と貯めたなけなしの金を貸してやった。だが返却をうやむやにするテッドに催促もせずそのままになってしまっていた。

「彼はそれが気になってどうしても今返したいと言うんだ。ヒモなんて生活をしていたが誠実な女に巡り合い、結婚するとなると身辺を整理したいと思うんだろ。あいつも根は生真面目な奴だからな」それはそうだとウイルはうなずいた。

「実はね、彼の結婚式が来月半ばにハリウッドのビーチホテルであるんだが」「ハリウッドのビーチホテルか、豪勢だな」とウイルが苦笑いをした時、頼んでいたケサディアが来た。ジョーはすぐにその一切れをつまみウイルを見た。「それで君も招待されているんだ、どうする?」そう言うとケサディアにぱくついた。

15年以上も連絡が絶えていた高校の友人の結婚式にいそいそと出かける程、ウイルは現実的ではない。人との付き合いが苦手でだからウエイターなぞをやっているんだ。ウエイターと言う名目で忙しく動いていれば、気もまぎれ憂さ晴らしにもなる。

「それでこれが招待状なんだが」ジョーがポケットから白い小さな封筒を取り出しウイルの前に置いた。彼は一瞬それが葬式の案内状に見えた。ウイルがおそるおそる中身を取り出し二つ折りの紙片を開くと、左ページに鮮やかなカップルの写真が貼りついていた。

「あっ!」ウイルは思わず声を発した。テッドの顔はウイルのまさにそれだった。一卵性双生児、そう言ってもおかしくはない。「あいつも紆余屈折がありだいぶ様変わりした。高校の頃はぼってりしていたが今は贅肉が取れ、とてもいい顔になったよ」

ジョーは屈託もなく笑った。「だから結婚式に行ってやれよ、俺からも頼むよ。過去を清算するためにも君に会い直接金を返したいと言っている」

ウイルは招待状を手にしたまま茫然と宙を見ていた

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