すでに晩夏の季節

すでに晩夏の季節だが、日本では酷暑が続き熱中症で死人が出ている。カリフォルニアも昼間はやたら暑い。おまけに各所で山火事が猛威を振るい、その煙で空気がよどみカラッと晴れ上がらない。何となく嫌な晴れ方だ。

この妙な暑さを吹き飛ばすために、何か怖い話はないか。昔、日本では夏になると怖い話が喜ばれた。そう、背筋がぞっとするような怖い話が。怖い話となると幽霊を思いつくが、幽霊は実際存在するらしい。

2011年の東日本大震災の後、地域で幽霊を乗せたと言うタクシーの運転手さんが少なからずいたそうだ。「怖くなかったですか?」と言う質問に「ぜんぜん、みんな優しい感じで静かに座っていたよ。ただ料金を貰おうと後ろを振り向くと誰もいないんだよ」

東京に住んでいた大学三年の夏、友人と四人で他県の田舎町へ泊りがけで小旅行に出かけた。ある晩、畳の上に敷いたそれぞれの布団に座り、順番に過去に体験した怖い話をする事になった。口下手な私は「どんな話をしようか」と気もそぞろでいると、二番目の人が話し始めた。

彼女は交通事故で無くしたと言う左手の肘から先に義手をつけていた。真夏でも薄いカーディガンを着て隠し、それでも手首から先は義手が同じ形をしていつもそこにあった。遠目には解らないが、近くで見ると生白い蝋のようで私は気味が悪かった。それに片手だけではシャンプーもままならないのだろう、いつも髪がジトッと濡れ微かに匂った。

だがそれを覆い隠す性格の良さ、崇高な人間性で人に好かれていた。ひねくれ者の私はどうしても馴染めなかったのだが。ハルミと言うその友人がした怖い話。

ある夏の午後、ハルミは下宿先の部屋で急に気分が悪くなった。胃の下を錐か何かで刺される、刺されてねじ回されるような痛烈な痛みで、それでも何とかタクシーを呼んだ「ここから一番近い病院へ行ってください」息も絶え絶えに言うと「病院ですかー」と不満げに言う。

着いた先は実に古びた建物で、玄関ドアの横に下げた雨染みの木製カンバンに、『砂川病院』と書いてある。どう見ても廃墟一歩手前の劣化した木造建築にどんな医者がいるのだろうと、半信半疑で待っていた。

数分立つと、痩せた白衣の老人が出て来て「うちは保険は扱わないからね」とずり落ちた眼鏡の奥の目でじっと彼女を見た。診察はすぐに終わり痛み止めと言い白い錠剤を1粒くれた。「これはすぐ効く薬だ。10分で痛みが止まらなかったら3日程入院だね」と言う。

しばらくすると痛みはかなり治まったが動くと痛い、あの猛烈な痛みがまたぶり返すかと心配で入院する事にした。看護婦、いやまかない婦と言う感じの初老の女が、病室は二階だと案内した。階段はガタピシで急な傾斜だったが、老女はスイスイと登った。

簡素な病室はだが掃除が行き届いていた。鉄製ベッドが置かれパリッと真っ白のシーツが掛けてある。患者用の寝間着に着替えベッドの上で天井を見ていると、「夕食だよ」と先ほどの女がお盆にのせた料理をベッドの上に置いて「用がある時はこのベルを押してね」とヘッドボードにくくり付けてある魚の目玉のようなベルを指さした。

仮眠をしたのに違いない、目覚めると気分が良かった。薄暗い部屋の外が何やら騒がしい。窓から見下ろすと隣近所が集まる小広場と言った空間があり、子供たちが縄跳びをしたり石けりをして遊んでいる。乳母車に赤ん坊を乗せた祖母らしき人がそれを見ている。外灯がともり夕間暮れのそれは幸せな下町の路地裏風景だった。

ほのぼのとなり見惚れていると、広場の隅の電柱の下に浴衣姿の駒下駄の男がいて、じっつとこちらを見ているのに気づいた。電灯のかさは広場に向いているから、男の顏は暗くて見えない。気味が悪く目をそらし、また視線を戻すと向こうはまだこちらを見ている。

あくる日医者は病室に来て「血液検査をする」と言い血を多量に抜き取った。「今日退院できますか」と言うと「ダメだよ、病気の原因が分かるまで精密検査やら何やらする事がある」糞真面目に医者はそう言い去って行った。

ハルミは「保険はきかないから長く居ればそれだけ料金が高くなると思ったけど、体がひどくだるかったの」と左手の義手を右肩に置いて目をつぶった。その時私は、彼女のすぐ前に白衣の医者の薄い影を見たような気がした。

医者の言いなりに退院を延ばした理由は、病室の居心地の良さ、窓から見る夕暮れの下町風景の面白さにあった。しかも気になる浴衣の男はいつも電柱の下でこちらを見ている。その姿が妙に郷愁に満ちていると思った時、ハルミは気色が悪くなったと言った。

結局3泊4日もいて今日が退院と言うその朝、ハルミは医者が浴衣姿で出てくるのではと気がかりだったが、そんな事もなく無事退院、その後は体の調子がすこぶる良くなったそうだ。

「今思ったんだけど」と、ハルミと一番仲の良い京子と言う友人が「その男の人、案外その病室で亡くなった人の幽霊だったんじゃないの」淡々と言った。「幽霊が出てくるのは必ず理由があると言うわ。むかし自分がいた病室に居るあなたに親しみを覚えたのかも知れない」

雰囲気が妙にしんとなった時、ハルミがその後その病院のそばには一度も行った事がないと言った。

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