水平線上の真ん中に金色の輪に囲まれた赤い点のようなものが見え、それが形を大きくしながら上昇して行く。やがてその赤い点は色彩を変え淡くなり雲を染め、ついには空全体をコスモス色のピンクカラーにしてしまった。ライフガードステーションの階段に腰かけ、この美しい日の出の光景を見ていた。
人っ子一人いない明け方の砂浜、頭上を黒い一羽の大きな鳥が斜めに飛翔して行く。ふと海上に目を戻す。すると逆光を受け黒い人影が見える。影は私に向かって一直線に歩いて来る。わき目もふらず。
目の前で止まると彼が言った。「久しぶりだな」唇をわずかに曲げどこか冷笑的だ。「まあね」と、私も同じ顔つき。「一年ぶりにまたこの場所で会うとは思いもしなかった」「会いに来たのよ、わざわざ日本から」「まだ俺に未練があるのか」
「うぬぼれないでよ、それにしてもあなた、海から上がって来たのにぜんぜん濡れてないわね」「当たり前だ、俺は幽霊だもの」
ロスのビーチで結婚式を上げたいと言ったのは彼だった。酔狂な性格である事は知っていたから、観光がてらに行ってみるかと賛成した。旅費がかさむから参列者は両方の家族だけと言う事にして、それなりのワクワク感もあった。
ところが結果はさんざんだった。飛行機に乗るのが恐くなったと私の母は急にキャンセルし、天気晴朗なれども波高し、よって薄ら寒しで、薄いウエディングドレスで私はガタガタ震えていた。その上牧師は遅れて来る、風が吹き出し砂が舞飛ぶ、参列者のために並べた白い椅子の上にうっすらと積る。ブライダルコンシェルジュがやって来て「どうしましょう、このまま続けます?」と真顔で聞く。
「しかしあのコンシェルジュは全くの役立たずだったな。経験のない初心者で訳も分からず舞い上がってたよりにならない。だから俺はオンラインでの申し込みなんて嫌だって言ったんだ」いつの間にか私の隣に座った彼がはきだすように言う。
「あなたは何でも古風だから」「古風?そりゃまた古風な言い方だね」「そうやってまたあげ足を取る。馬鹿は死ななきゃ直らないじゃなくて、馬鹿は死んでも直らないだわね、あなたの場合は」
「もうやめよう口喧嘩は、俺は喧嘩するために空から舞い降りて来た訳じゃない」彼が両手で顔をなんどもさする。まだビーチには人影もない。だが太陽はかなり高くなり、水平線のずっと左寄りに林立する高層ビルのスカイラインがはっきりと見えて来た。「あなたはあの結婚式にすっかり嫌気がさし、先に日本に帰るって言いだした。家族全部でやる筈だった観光旅行を無視して」私の口調がなぜか優しさに変わる。
「俺は結婚式が凶と出た事で何もかも嫌になったんだ、家族にもな、早く帰って一人になりたかった」「でも飛行機事故であなたはあっけなく死んじゃった、飛行機は真っ逆さまに海に墜落して乗客、乗員全員死亡、しかも墜落の原因が機長の飲酒運転だって言うんだから、笑えない話よね」
彼の口から深いため息がもれた。無残な結婚式で一人早めの帰国、その飛行機で事故死、こんな陰謀に近い非現実な事で死んだ夫を思いやる気持ちは、彼が死んだその日から私の胸にくすぶっている。
「あなたがビーチで結婚式なんて馬鹿げた事言い出さなければ、今頃私達夫婦なのよね」「待てよ、それを言い出したのは君だぜ、俺はギリシャの孤島やフランスのチャペルで結婚式をあげるカップルの気が知れないと言った筈だ、すると君がロスのビーチならどう?と来た、俺はそれはいいかも知れないと言った。ロスには一度来たかったし」
「あなたは良く喋るようになったわね、生きてた頃は腹立たしいくらい無口で、何となく私のイメージ操作だけで会話をしたのに」「そうか、そうか、イメージ操作だったのか、俺は君がいつも会話の主導権を握るのが気にくわなかった」
「だったら言えば良かったじゃない、はっきりと!」「俺が何か言うと君は頭ごなしに黙らせた!」「もどかしいのよ、あなたの喋り方は!いっつも設計図とにらめっこばかりして」「俺はただ努力してただけだ、もっと稼ぎたかった」
二年も同棲しやっとたどり着けた結婚だった。建築家と言う彼の仕事と収入に目が眩んでいないとは、とても言えない。恐ろしく寡黙な彼との暮らしは、連れを探しながら砂漠を一人歩くようなもの。だがその侘しさを私は彼のキャリアとすりかえた。
結婚式の前の日にホテルのベッドに上向きになり天井を見たまま彼が「俺が死んだら火葬にして灰を太平洋にまいてくれよ」妙にシンとした声で言った。私は黙っていた。寝返りを打ち彼は「太平洋が気に入ったんだよ」と向こう向きに言いそのまま黙りこくった。
その背中は投げやりと冷酷、侮蔑、後悔、そのたもろもろの彼の心情を吐露していた。あの時もっと話せば良かった。今となっては後の祭りだけど。結婚式の前の日、私達は二人ビーチを下見に行った。その時彼は、私より太平洋に恋してしまったのだ。
