今でも鮮明に覚えている

今でも鮮明に覚えているのは、あの湖の冴えたコバルトブルーと白いスワンの羽の色である。

高校二年の時私は毎週日曜日、郊外の家からバスに乗って30分ある都会の街まで出かけて行った。英会話教室に通うためである。混とんとした思春期の魂をかかえ孤独だった私は、その鬱屈した気分から逃れたいと思った。ネイティブアメリカ人の留学生が教師と人づてに聞き、何か未知の世界に乗り込むような気持ちだった。

道はばは広いがうら寂しい通りを抜けバスが大きく右に曲がると、一気に視界が変わり小さな湖とそれにかかる木橋が見えた。湖の前に古い家がありその横でバスが止まる。そこは私が通う教室の一駅前のバス停で、バスの窓から見ると家の前に細い道がずっと奥にある小さな木戸まで続いていた。

それは庭の一部らしく、道の前つまり湖の岸辺にそって羊歯や水仙などが植えられ、縁側の踏み石らしきもの、キラキラと反射する廊下のガラス戸などがかろうじて見えた。それ以上は何も見えない。家全体は竹林に囲まれているのだから。

湖にはいつも白いスワンが二匹、湖面をすべっていた。そんな風光明媚な家が私に、何かしらの関わりがあると分かったのはずっとあとのことだった。

Goose in the pool

私の英語教師はアトランタから来たアンと言う19歳の黒人の少女だった。彼女は華族の末裔だとか言う女性の古い家の二階を改造にした狭い部屋に間借りをしていた。同じ州から来たリンダと言う白人の少女が隣接の部屋にいた。彼等はカタコトの日本語を話した。

押し入れ付き畳敷きの狭い部屋、殺伐として家具らしきものは何もなく、アンは部屋の隅に古めかしい大きなつづらを置き服入れとして使っていた。

ある時アンがその中から気に入った服をくれると言う。色あせた花柄のブラウス、ジーンズのショートパンツなど。着て見ると二人とも「キレイキレイ!」と手を叩いて喜んだ。服はどれも着古した物だったが、最後に一番気に入った首の後ろでひもを結ぶ短いサンドレスを着ると、リンダが「オーキュート!」と言い私を抱きしめた。私たちはそのまま街のカフェにランチを食べに行った。

人の目を気にせず陽気に過ごす彼らの生活は、田舎者の私にはとても斬新で鮮烈で、泊まって行けと言われれば嬉しく、ジャパニーズベッドと彼らが豪語するせんべい布団にアンと寝る事もあった。

ある日の午後キッチンに行くと、大きな黒い薪ストーブのそばでこの家の女主人が本を読んでいた。この家には使い込んだ旧式な家具や食器が家中にあり、まるで戦後まもないような生活様式が幅をきかせていた。県立女子大の家政学部の准教授だと言う女主人は、物静かな女性でやはり華族の末裔らしく凛としたたたずまいだった。

「どう、英会話は上達していますか?」と本を膝の上に置いて穏やかに聞いた。「英会話は一緒に色んな事やりながら話すのが一番いいのよ」と言うアンの提言通り、机に座っての勉強を私達はしなかった。一緒に食事を作ったり街へ出かけたりと日常の行動の中で私は幾つかの英会話を覚えた、

そんな時間は楽しいのだが、それで英会話が上達したかと言うと疑問は残る。「アンのペースに巻き込まれないでね」私がキッチンを出る時彼女は、眼鏡をかけたまま上目づかいにそう言った。

そんな風変わりな経験をしながら、湖とその前の家をバスの中から見るのは、私のもう一つの楽しみだった。ある時、湖の前の細い道に白人の若い女性が立っていた。彼女はただ湖を見ながら長い灰色に近い金髪を片手でかきあげている。肩のあたりが大きく開いたローロングドレスに身を包み、そのふわりとした赤紫のドレスの色が、湖の濃いブルーに見事にマッチしていた。

私は思わずバスの座席から身を乗り出した。それからは常に進行方向に向かって右側の席に座る事にした。その女性を再び見るために。それから数回彼女を目にしたがバスから凝視する私に彼女が気づきこの小冒険は終わった。

以前から気になっていたのだが、母屋と並行して小さな離れがあった。アンに聞くと「あそこはダメよ、大事なお客様だけの場所。入ったらオバサマに叱られるわ」彼女の日本語もだいぶ上達していた。アンとの友達関係ももう一年近くになっていた。

茶室に似たその離れは母屋の台所から飛び石づたいに行けるようになって、私は途中まで行ってはいつも引き返した。離れ全体に何となく疎ましい雰囲気があったからだ。その日も引き返そうとしたその時、玄関の格子戸を開け中から女性が出て来た。彼女は両手に抱えていた植物の鉢を戸のそばに置くと、何となくこちらを見た。なんとそれはあの湖で見た女性だった。

やがて留学期間を終えたアン達はアメリカに帰る事になった。大学受験をまじかに控え私もまた、受験勉強に本腰を入れなければならない。アンは住所をくれ、名残惜しそうに私を抱きしめた。

半年程して、ローカル新聞の三面記事に載ったあの離れの写真を見た時は非常に驚いた。家主が逮捕された理由は、ある売春組織と組みし男女の営みのために個人の不動産を賃貸していたと言うものだった。情状酌量の余地があったのは組織そのものには関与せずと言う事だった。

私はアンに手紙を出した。事件の事には何も触れず季節の事とかまた会いたいと書き送った。だが返事はなかった。

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