その寿司屋の店主は一風変わった男だった その寿司屋の店主は一風変わった男だった。と言うのも、その男には寿司屋の店主らしき風雅さが微塵もないのだ。寿司屋の店主の風雅さ?つまり客に対する上品な態度である。背低い痩せぎすな体が醸し出すしぐさや表情にときどき、どうしょうもない下品で野卑な品性が現れた。 例えばときどき路上で見かける猿回しの男、そうちょこまかと動く子ザルに奇妙な衣装を着せ、道行く人から投げ銭をもらう。そんな男を想像して貰えばいい。彼にとっての猿、もちろんそばにいる見習いシェフである。 それにしても猿回しの男はかならず、商売道具である子ザルにある種の愛情を持っている筈である。愛がなければ猿は芸など覚えない。だがこの寿司屋の店主は若い見習いに対して、一片の愛情もないと思えるほど、何かしらひねくれた昔気質の男だった。 寿司カウンターに居並ぶお客の前で、若いシェフがへまでもすれば「バカ野郎!」と大声で叱りつける。あっけに取られた日本語の分からないアメリカ人に、すかさず枝豆を一粒天井に投げ上げ、ふらふらと上半身を揺らし首尾よく口で受けとると言うショーを見せる。すると客が和む。つまり彼は『紅花』の鉄板シェフよろしく、カウンターでのパフォーマンスを試みる訳である。 「もう、日本に帰りたいよー」見習いシェフの健がうんざりした声を出した。だいたい寿司屋のおやじが従業員のチップを横取りするなんて、規則に反しているよ」健は東京の寿司養成所を卒業し、エージェントを通し半年前にこの寿司屋に来た。 「ほんとよね、奥さんも私のテーブルからチップをくすねるのよ、ちゃんとこの目で見たもん」ウエイトレスのルナも反撃する。奥さんとはウエイトレスとして週五日働く店主の女房である。ルナは白人の男性と二年前に結婚し、そろそろ仕事でもとこの店にやって来た。 たまたま休憩時間が一緒になった健とルナが、近くのマックで日ごろのうっ憤を晴らしているのである。「やってる事は法律違反だよ、ここはアメリカ、日本じゃない。チップは当然、客を接待した従業員が貰うもんなんだ。あーあエージェントの宣伝文句に乗せられたのが運のつき。何が『夢と希望を求めてアメリカの寿司屋で働き英語を学ぶ』だよ。健がイラつきながらハンバーガーにかぶりついた。 そんな陰口を知ってか知らずかその頃、ランチ時間が終わり人気のないレストランの内部をじっと見ていた店主が、背後の暖簾をさっと片手で払い厨房に入った。そこではメキシコ人が一人握り飯を食べていた。 この男こそ店主の秘蔵っ子、ミゲルである。寿司、刺身専門の店主が作らない丼物、天ぷら、麺類、突き出し等はこの人が作る。しかも仕事が早く味も良い。ただ黙々と自分の仕事をこなすこの男に店主は一目も二目も置いていた。 「おい、お前の家族は近頃どうだ?元気か?」と店主が聞く。「はい、いっぱい元気です」明るく笑った。日本語の問いに日本語で答えるミゲルに店主は、「チクショウ、俺のために日本語なんか勉強しやがって」と鼻の奥がつんとなった。中堅の日本人シェフが一人厨房の隅にいたが、店主はこの男とは普段口を聞かない。 健がとうとう店をやめる事になった。日本に帰ると言う。最後の給料を取りに来た彼が店主に言った。「あのー、これは僕の単なる意見だと思って下さい。最近、お客さんが減ってますよね。あのー、やっぱりアメリカ人の好きなアメリカ寿司を作らないからだと思うんです。ドラゴンロールだとか、レインボーロールだとか。あんな派手なものがあれば面白いし、、、」 「バカ野郎!」健の言葉が終わらないうちに店主が一喝した。「あんな寿司のバケモンのようなもん、作れるか。つべこべ言わずさっさと日本に帰れ!」こんな最後通告を受けやめた若いシェフは、枚挙にいとまがない。 従業員の居つかないこんな寿司屋が、曲がりなりにも今日までつぶれないのは、それはひとえに店主の寿司職人としての腕の確かさによるものだった。マグロ、ツナ、タイ、イクラ、古典的な握りずしに固執する彼は、何を握らせてもうまかった。たとえ肌色の違うアメリカ人でも、解る人には解るのである。 だがその店が廃業したと言う風の噂をルナが聞いたのは、彼女が店をやめて一年後の事だった。夫の仕事の関係で彼女は他県に引っ越していた。店をやめる時、チップの事で店主に文句を言うと彼は「そういう事はもっと早く言うもんだ」と苦笑いをした。 ある日の事、ルナは日ごろ行かない大手の食料品店に出かけ、デリカテッセンのコーナーに来た。ここのコールスローがおいしいと聞いたのだ。するとそのすぐ横に寿司コーナーもある。小さなショーケースにパックに詰まった握りずし、巻きずし、カラフルなアメリカ寿司が並んでいる。 赤いハッピにクルクルとねじった玉絞りの手ぬぐいを頭に巻いた、背低いやせぎすの男が、ケースの後で、後ろ向きに寿司を握っている。細い首筋の二本の筋肉に見覚えがあった。ルナが声をかけると「ハロー」と小さく言いこちらを振り向いた。 男はマスクをかけているがまぎれもないあの、ルナが働いた寿司屋の店主だった。何か話したい気もしたが、あまりにそ知らぬふりをする店主にその気も萎えた。 彼女はあわてて一番大きな箱をケースから取りレジに向かった。レジの女性がにこやかに笑いながら言った。「彼のお寿司はとても評判がいいのよ」 共有: X で共有 (新しいウィンドウで開きます) X Facebook で共有 (新しいウィンドウで開きます) Facebook いいね 読み込み中… 関連