スクールバスを降り玄関に向かって歩いている時

スクールバスを降り玄関に向かって歩いている時、コンクリートの上に蝶の死骸が落ちていた。いや死骸ではなく生きている。それも羽化してすぐのだ。羽が柔らかくその片方だけ弱弱しく動かしている。僕はそっと指でつまんで、そばにあったツツジの植え込みの上に置いた。

真っ赤な羽をして目のまわりが黒い変わった蝶で図鑑には載っていない。あんがい突然変異で産まれた蝶かも知れないと思った。いつか突然変異の猫を動画で見た時はびっくりした。でもこの蝶はとてもキレイだ。

次の朝、学校に行くとき植え込みを見ると、蝶は殆ど動かないがまだ生きていた。そのままスクールバスに乗ったが、学校にいる間蝶が死んでしまいはしないかと、気が気じゃなかった。

学校から帰って蝶がまだ生きているのを見た時、涙がでそうになった。僕が帰るのを待っていたんだと思った。

蝶の飼い方をネットで調べその通りにした。羽化器に入れて砂糖水を上げた。だが蝶はぜんぜん興味がないようだった。羽を指で握ってピンセットで口を水につけようとしたが、蝶はやめてくれと言う風に体を固くした。

この時僕は、ずい分小さい頃バアバが話してくれた話を思い出した。

東京に住んでいた僕は、夏になるといつも田舎のバアバの家に遊びに行った。ある夜、縁側のガラス戸に蛍が止まっていた。尻がもう光らずただじっとしているだけの蛍だ。僕はコードレスの小型掃除機を持ってきて蛍のそばにノズルを置いた。蛍は勢いよく吸い込まれていった。

するとバアバはとても悲しい顔をして、昔読んだ『蜘蛛の糸』と言う小説の話をしてくれた。それはこんな話だ。

buddha

『ある時お釈迦様(釈迦は仏陀の事だ)が極楽の蓮池のまわりを散歩している時、彼はふと蓮の葉の間から下界を見下ろした。するとそこには地獄の様子がはっきりと見えた。そこは恐ろしい血の池で、もがき苦しむ沢山の罪人たちが見えた。その中にカンダタがいて彼も血の池で苦し気に顔をゆがめて居る。彼は生きている間に放火、殺人などを犯した極悪人だ。だが釈迦はこの時、カンダタが生涯に一度だけ良い事をしたのを思い出した。それは林の中で道を這う一匹の蜘蛛を見た時、彼はさっそく踏みつぶそうとしたが、「いや、こんな虫にも命があるんだ」とクモを見逃してやった事だ』

バアバの話が上手だったので、僕は引き込まれてしまった。

『釈迦はカンダタを地獄から助けようと、そばにあったクモの糸を蓮の葉の間から下に垂らした。これを見た地獄のカンダタは、しめしめと糸を伝って極楽へ這い上がろうとした。すると他の罪人も彼の後からついて来た。これはやばいと彼は思い「おーい、やめろやめろ、これは俺の糸だー!俺一人のものだー!」と足蹴にして罪人たちを下に突き落とした。するとカンダタが握っていた糸が彼の手の少し上で、ぷつりと切れた』

こんな話をしてくれたバアバも、3年前父の仕事の関係で僕たちがアメリカに引っ越して来ると、病気で亡くなった。

僕はカンダタ程の罪人ではないけど蛍を殺した人間だ。蝶だけはどうにか助けようと思った。だが蝶は元気にはならない、時々観察すると砂糖水に足を突っ込みじっとしている。

学校のランチタイムで友人のハカセにこの事を話すと「一度その蝶を見てみたいな」と言った。ハカセは僕がつけたニックネームで、ほんとはベンジャミンと言う名だ。眼鏡をかけて博士のように賢そうな顔をしているからハカセ。実際頭がいい。

彼は僕が今のクラスに転校してからのたった一人の友人だ。アメリカの小学校を2年生の時から始めた僕は、3年間彼とずっと同じクラスだ。一度授業中にトイレに行きたいと手を上げたら「誰か一緒に行きたい生徒がいるか?」と先生に聞かれた。その時ベンの名前を言った。それからずっと友達だ。

蝶の事をハカセに話した次の日に、彼が僕の家に来た。蝶の入った羽化器を見せると、彼は砂糖水に指をつけ味を見て「あまり甘くないな」と言った、「どうしたら元気になるか?」と聞くと「わからない」と頭を振った。「獣医に見せる訳にもいかないしね」と優しく笑った。

その次の日に蝶は死んだ。その事をハカセに言うと「やっぱりな」とうなずいた。そして昔彼が、道に落ちていたスズメのヒナを拾った話をしてくれた。でもヒナは死んでしまった。「後で知ったんだけど鳥のヒナは拾っちゃいけないんだ。飛び方の練習をしてる間に地面に落ちて休んでいたり、落ちた場所で母鳥を待っていたりするんだから」と、頭を振った。

「結局、野生の生き物を助けると言うのは、哺乳類ならともかく昆虫や鳥のヒナはむずかしい」とハカセはとてもむずかしい顔をした。ほんとにそうだと僕も頭を振った。

僕はバアバに聞いたお釈迦様の話を彼にしようかと思ったがやめて置いた。僕の下手糞な英語で彼が話を誤解したりしたら困る。

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