幕が開く

幕が開くと薄暗い舞台の中央左寄りに、ハンモックが見える。ハンモックはゆらりと揺れ、そこだけ光があてられている。次の瞬間いっきに舞台が明るくなり、洒落ただが荒れた人家の裏庭が現れる。

Audience in theathre waiting for drama play to start.

芝生を囲んだ白い小さな柵、中ぶりの白樺の木、そこに吊るされたハンモック、そんなものに観客はしばし目を奪われる。するとギーッと言う効果音。観客は舞台の上手を見る。裏木戸を開けて庭に入った若い女の姿が見える。友達のジンジャーだ。体にフィットした白いワンピースを着て、黒と赤で編んだ細いベルトを締めている。その美しい体の線に、観客が息を呑むのが分かる。

すると今度は下手のキッチンの裏戸が開き女が出て来た。奇麗に化粧した中年の女、美しいだがその美をなおざりに生きて来た、気だるい雰囲気がある。腰の周りがたっぷりとしている。

「よく来て下さったわね。あなたのお噂は主人から聞いてるわ。とても有望な新人だって」するとジンジャーが彼女に歩み寄り二人は舞台中央で抱き合う。そこでまた「ギーッ」と音がして男が入って来る。

男は驚きを隠しながら、「これはどういう趣向なんだ、僕の大事な女優がこんな所にいるなんて」両手を広げて場を取り持つ。すると妻は「疲れたでしょうからあなたは奥で休んで、あなたに用などないわ。さあ、あっちへ行って」と激しく右手を男の顔の前で振る。何も知らない女の前で夫をこきおろす。侮蔑、嘲弄する。男は悄然と家の中に入る。

ジンジャーは白人と日本人の混血で、そのミステリアスな美貌と奔放な性格で、舞台女優を目指している。だがそれは見ていてとても危なっかしい。

「今度ね、やっと主役をやる事になったのよ。必ず見に来てね」一週間前にジンジャーがチケットをくれた。古い映画館をリモデルした小劇場、そこで二週間の公演をやるそうだ。演出家のウエインは彼女の愛人である。それを知っている彼のワイフは、非常に陰湿で鬱々とした嫌がらせを彼にするそうだ。

だがそこは演出家、彼は妻の心理をもてあそび悦に入っている。妻と愛人のすさんだメンタルを題材に劇を一つ創り、大衆にさらしてしまう。

「この前、初めてウエインの家に行ったのよ。奥さんにランチに呼ばれて。そしたら彼が偶然帰って来たから、びっくりした」「彼あなたが来る事、知ってたの?」「ううん、奥さんが彼には内緒にしてって」

偶然帰って来る夫に妻が一泡ふかせるのだ。もちろん、彼は妻が自分とジンジャーの関係に気づいているとは、さらさら思っていない。それが冒頭の第一幕の演出となった。何も知らない愛人の前で夫を冒とくする。心折れた夫はしょんぼりと家に入る。演じたアクターの後姿が、とてもウエインに似ていた。

「彼ね、私と同棲しようって言うのよ。もう奥さんとは住めないって。彼女、彼の仕事に口出しをして仕事関係の交際にも難癖をつけ、それは嫉妬が激しんだって。フィッツゼラルドを悩ませたゼルダ見たいに」「でもゼルダは小説家としての才能もあったのよ」ジンジャーの言葉を私がさえぎる。彼女がゼルダを知っている事に驚いた。

フィッツゼラルドとゼルダは、1920年代に時代の寵児として富裕層に囲まれ、自由奔放な人生を送り、今も語り継がれる作家夫婦である。ウエイン夫婦と一緒にされたら、墓場の下で死んでも死にきれないだろう。

ウエインは初期の頃こそカリスマ性を示し人気があった。今では鳴かず飛ばず、自堕落なプロデュースでお茶を濁している。彼は女たらしだ。だがそこはそれ、女優であるジンジャーも不毛の愛を芸の肥やしにしているのだろう。そこまで頭が良ければの話だが。彼の劇を今でも見に来る女性ファンの多くは、そんな彼のドンファン的ムードに魅かれやって来る。

舞台はいよいよ4幕目。夫がドアを開け帰って来て寝室に入る。妻がしどけないランジェリー姿でベッドの上にあぐらかいている。その前に散らばるおびただしいネクタイ。嫉妬に狂った妻が、クローゼットの中の夫のネクタイをベッドにばらまき、それをハサミで切り刻むと言う惨憺たるシーン。

「女に会うたびに違うネクタイを締めたあなた、この一つ一つのネクタイに込められた想い出の女達を、切り殺してやるのよ」妻が危険をはらんだ陶酔の目でハサミを持ち、最初のネクタイを切り始める。夫があたふたとあわてる。そこで場内が真っ暗になった。まさかの停電だ。

やがて私の席の斜め前二列目あたりで、すすり泣きが聞こえた。停電で上演が不成功に終わった事を嘆いているのだろう。ウエインの女たちの一人だ、私の第六感が言わしめる。何かしらベッドの中のすすり泣きのようで、私はいたたまれず席を立ち外に出た。

外に出ると太陽がまぶしかった。駐車場の樹木の葉枝が美しかった。呪縛から解き放たれた囚われ人のように、私は両手を広げ新鮮な空気を胸いっぱいに吸った。

Public parking in the city of Split, Croatia.

舞台はさんざんな不評を買った。深層心理が見えて来ず、破綻した私生活を単につなぎあわせただけのパッチワークのような学生劇だと、ローカル誌がこき下ろした。

ジンジャーはこれからどうするのだろう。

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