世の中には

世の中には水やりや日当たりなど考えなくても、自身のオーラで植物を育てる奇特な人がいる。そんな人を私は知っている。彼女は植物のための庭やポーチこそなかったが、リビングの大きな窓際の大きなテーブルに、さまざまな鉢植えを置き、その前で食事や化粧をしていた。名前を蘭子(らんこ)と言う。蘭の花のようにとても華やかな雰囲気があった。

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テーブルの上にはセントポーリア、シクラメン、ヒヤシンス等が所狭しと置かれ、多肉植物などは小さな花さえ付けている。ある日化粧をしていた彼女の口紅の色が、テーブルの上のアンスリュームの葉の真っ赤な色に酷似していたので、ドキリとした事を覚えている。

植物は話をしてやるとよく育つと皆が言うので「食事をしたり化粧をする時に、前にいる植物と話をするんですか?」と聞くと「まさか」と笑った。彼女のリビングには他にも壁際に、色んな観葉植物が置いてありどれも健康的だ。あるとき細長い葉に縞模様のあるドラセナの木が天井まで届き、「てっぺんがぐにゃりと曲がってたから、はさみでちょんぎってやったわよ」ともったいない事を言う。

ドラセナは幸福の木と言われるから、蘭子が幸福だから木が良く育つのか、木が幸福だから蘭子が幸せなのか?どちらのオーラが強いのか。ただ彼女は天真爛漫で何事にも楽観的。そのノンシャランな生き方が、植物をリラックスさせるのだろう。

リビングの中央に座った彼女がこちらを振り向くと、そのまま『植物の国の女王』のようだった。

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少女時代、私の小さな村ではどの家も大きな家で、そこに祖父母、父母、子供たち、三世代が住んでいた。そしてどの家にも素晴らしいお花畑があった。その家のおばあさんが丹精込め独自の花を育てるのだ。ある友達の家に行くと、明るい太陽の下でダリア、カンナ、グラジオラス,コスモス背高い花が縦横無尽に咲き誇り、その周りにもアザリア、アジサイなど、中ぶりの花株が負けじとばかり咲き誇っている。まさに花の乱舞だ。

「ばあちゃんが死んだらあの花畑、私にくれるんだって」と友達は嬉しそうに話した。とても羨ましく思った。だがその友達はおばあさんが亡くなる前に、病死してしまった。

私の祖母も花畑を持ち、わりにこじんまりと背低い花を育てていた。細く切った竹を馬のひづめのように曲げ、それで畑の周りを囲んでいた。チューリップ、ホウセンカ、アネモネなど可愛く咲いていた。ホウセンカの花びらを軽くもんで、爪にのせセロテープで貼って寝ると、あくる朝爪がピンク色に染まっている。そんな事もあの頃の楽しい遊びだった。

花びらが常にプラスチックのようにカラカラに乾いて、根を引き上げても茎や葉は枯れるが、花は枯れないと言う不思議な花があった。菊の花に似ていて赤、黄、白、色んな種類の色がある。

「これは何という花?」祖母に聞くと「アメリカ花」と答えた。その名の通りにモダンで異国的な花で、アメリカから輸入したのかなと幼い頭で漠然と考えた。だがアメリカに40年近くも住み、西海岸、東海岸、アメリカ南部、北部と色々な州に行ったが、あれと同じ花を見た事は一度もない。アメリカ花を握って遠いアメリカに思いを馳せた少女の自分が、可哀そうな気もする。だが単にあれが祖母の思い付きの名だとするなら、彼女のセンスに脱帽するばかりだ。

遠い昔の田舎の花は、蘭子の花に負けず劣らず強い咲き方をしていた。それはあの時代の太陽の暖かさ、雨の優しさ、風の匂い等、植物に接する自然の恵みが大らかだったからかも知れない。人為的なものを加えない生のままの、今とは違う何かがあった、そんな気がする。

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