アンは小さい頃

「アンは小さい頃、お話を作るのがとても上手だったの」とポーラが言った。「ある時ね、幽霊屋敷のお話を書いて、こわいこわいってクローゼットで泣いていたわ、自分の作ったお話がそれ程こわいと言う訳ね」と言い、ラズベリーアイスティのグラスの中をストローでかき回した。クラッシュアイスのカシャカシャと言う音がした。

many red apples, fresh fruit background in market

「いつだったか、リンゴの話を作ったの」「リンゴの話?」「そう、お金も家もない貧乏な母と5才の娘が、ある時森の中を歩いていると、リンゴのつまった小さな家を見つけた。母親が『リンゴを全部食べて家の中を空っぽにすれば、ここに住めるわ』と言った。『うん』と娘もうなずき、二人で一生懸命リンゴを食べた。でも途中で疲れ、歯は折れる血は流れるで頭痛もして、とうとう二人は死んだと言う話」「その時アンは幾つだったの?」「7才よ」とうっすらと笑った。

私達は洒落たカフェテラスの窓際の高い椅子に座り、その大きな窓から通りの向こうの閉鎖された銀行が見えた。オレンジ色の屋根、白壁に絡みついた真紅のブーゲンビリア、二階にはバルコニー。こんな素敵な銀行がなぜ閉鎖されたのだろう。見上げると真っ青な空に白い雲。とても平和な午後のお茶の時間だ。

「アンは一度モデルだったわね」と私がワイングラスを口につける。ポーラがふっと顔を上げ私を見た。ポーラは白い牝牛のようだ。牧場の白い柵のそばで草を食み、ふっと顔を上げた牝牛のようだ。よく言えば大らか、悪く言えば愚鈍。

モデルになる前アンはバーテンダーだった。その時の話をポーラは良くする。ハワイアンドレスを着て赤いハイビスカスを髪にかざりカウンターの中にいると、目の前の男性が「なぜ君は赤い花で彼女は紫なのか」と聞き、もう一人のバーテンダーを指さした。「赤は男を刺激する色で紫は女を刺激する色なの」とアンが答えた。

「じゃ彼女はレズビアン?」と男が聞いた。「今夜試して見れば」と言うアンのアイデアで、その晩三人はホテルにしけ込んだ。そしてアンがモデルの仕事をもらったと言う訳だ。だがその仕事も三流芸能誌の隅にのる怪しげな広告で、アンは次第にアンらしくなくなって行った。

いつだったかポーラの家を訪問し車で送ってくれる彼女が、途中でアンと彼女のボーイフレンドをピックアップした。げっそりと痩せ目のくぼんだアンは、麻薬中毒患者特有のうつろな声で意味のない事を男に言い、ついには崩れるように彼の膝で眠ってしまった。二人のアパートまで来ると、ポーラが煙草一カートンをアンに押し付けた。母の心づくしのギフトと言う訳である。麻薬中毒患者に煙草のギフト、それをなんとも思わないポーラ。

真面目そうに見えたボーイフレンドも、実はなけなしのアンに金にたかるジゴロだった。その男が最後通告をしてイタリアに帰ると、アンはどういう訳か彼を追いかけて行った。それを止めもしなかったポーラ。

ポーラはどうも教育と言うものをはきちがえている。娘自慢はいいのだが、その娘が奈落の底に落ちてしまっている事に気づかず、まるで天才少女とテレビショーに出ている母親のように、尊厳と気どりでこちらを煙に巻く。そうまるでふいと顔を上げた乳の良く出る牝牛のように。

「ところでカリンはどうしてる?まだ絵を描いてるの?」とポーラが聞いた。私にはアンと同じ年頃の娘がいる。「そう、どうしても画家になりたいのよ」「彼女幾つ?」「38才」私は悪びれずに答える。「彼女いちじ麻薬をやってたわね」とポーラが微笑した。「ストレスがすごいのよ。絵を描くことに集中するとそのストレスを和らげるのに、麻薬が必要なの」私は言った。「今も一緒に住んでるの?」「ううん、素敵な彼が出来て彼のマンションにいるわ」

「ところでアンはどうしてる。たしかイタリアから帰ったわよね」私はワイングラスの底を持ち上げ飲み干し、ポーラをうわめづかいに見た。「ほら、あそこにいるわ」と彼女が閉鎖された銀行のバルコニーを指さし、にやりと笑った。見るとそこに、妙な毛布を体に巻き付け浮浪者が横たわっていた。「もう行かなくっちゃ。次の約束があるから」ポーラが立ちあがり、ドアの方に歩き出した。その後ろ姿をじっと見送る。

バルコニーに目を戻すと、毛布をマントのように背中にはおって、バルコニーの手すりに両手をつき沿道を見ている女浮浪者が見えた。まるで舞台の上から観客を見下ろす女優のようだ。毛布が肩からずり落ち骸骨のような肩甲骨があらわになり、麻薬中毒患者特有の顔でこちらを見た。

あの女こそ私のカリンだ。大事に大事に育てた娘のカリンだ。「芸術家は家の中にいてはダメなの。外に出て自然の息吹きを吸いながら生きないと、才能が枯渇するのよ」と彼女が言った時、それであの子が幸せならばと許した。才能が枯渇するなんてぞっとする。

銀行の上の空はさらに青さを増し、カリフォルニアの青い空は今日も健在だ。

Lifeguard station with american flag on Hermosa beach, Californi

 

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