ずいぶん前の事

ずいぶん前の事だが、私は時々思い出したようにスケッチに出かけた。林の中、草原、出来るだけ人のいない所へ。そこにいわくありげな廃屋があれば、格好のスケッチの対象にした。林の中ではツタに絡まれた木こりの物置、草原では傾きかけた木造空き家などがあった。

丘の上のその廃屋は、青いドーム型の屋根に白壁が目立つ、どこかケーキのようなマンションだった。年月を経たため寂寥感にあふれ、超モダンな家が後には独創性のない陳腐な家に変わる、その典型のような家だった。それは昔日の住人の怨念に包まれたような、不気味な外観を見せていた。

この家に魅かれ毎日足を運んだ。その日も無心に鉛筆を走らせていると、ふっと人影を背後に感じた。「あの家を描いてどうするつもりだ?」人影が言った。振り向くと深緑のシャツにカーキ色のジャケットを着た男。「誰かに見せるのか?」「わかりません」と私は言った。見知らぬ男に詰問され落ち着かなくなった。

あたりはカボチャがあちこちに残っている、人ひとりいない茫々とした畑、日もかげりはじめ心細くなった。「あの家で昔、殺人事件があったんだ」男が私の前に来てそう言った。丘の上の家をちらりと見て「いつ頃ですか?」と聞くと「二十年前」と彼は言い立ち去った。長身で洒脱な感じだった。畑の先に彼の濃紺の車が見えた。

View of multiple pupkins after harvesting

その頃私は結婚したばかりで、それも異国での異国人との生活、急激な変化に束縛と解放をないまぜにしたような不安な気持ちでいた。その憂慮のため今いる場所から逃げ出したいと思った。夫を愛していない訳ではなく、ある種のストレスだったのかも知れない。スケッチを数回見に来た男に誘われついて行ったのも、我知らず、生活の小さな破壊を試みたのかも知れない。

いつものように背後で男が言った。「スケッチが終わったらあの家に連れて行こうか」その日もカーキ色のジャケットを着ていた。「あの家は僕の祖母の家だった」と丘の上に目をやり微笑した。不思議な微笑だった。スケッチが終わったらと言う言葉に人の良さを感じた。

「祖母はオペラ歌手だった。家の中にはその頃の面白いものが沢山あるよ」「殺されたんじゃないの?」と聞くと「殺されたのは祖母が病気で死んだあと、あの家のツアーガイドだった彼女の孫だ。つまり僕の従妹。祖母の死後、あの家は彼女の記念館だった。記念館にするほど有名でもなかったけどね」と言うとつまらなそうな顔で車の方に歩き出した。私はあわてて彼の後をついて行った。

青い屋根に白壁の家は、畑から見るよりかなり荒廃していた。白と言うより灰色の外壁には無数の亀裂がはいり、玄関前のポーチには枯れたツタの根が、無数の昆虫の死骸のようにこびりついている。木製の玄関ドアを開け中に入る。その時男がちらりと私を振り向いた。中に入ってまず目に入ったのは、ゴミ山の上に横倒しになった、赤い着物を着た黒いおかっぱ頭の日本人形だ。だがあの愛らしい顔ではなく、長く捨て置かれたためにどこかふてくされたような表情をしていた。

次にホールを見回した私は、頭の中をふいに津波に襲われたようなショックを受けた。あらゆる私物が床に散乱しその上に、天井から落ちて来たガレキが我が物顔で横たわっている。花柄模様の壁には得体の知れないまだら模様のシミがはびこり、床には不思議な光る苔が生えている。目をかすめてネズミが飛び去って行く。触ればそのまま崩れるような、半世紀前のガラクタのすえた匂いが充満している。

壁によりかかって私を見ていた男が「この家は昔、叔母の素敵なものであふれていたけど、みんなどこかへ行っちゃってね」と上目を使った。それがとてもゲスに見えた。そこは寝室らしく、小さなベッドの上に古着が散乱していた。「あなたの従妹はどこで殺されたの?」聞くと「たった今、君が立っている所に死体があった」まじめな顔で言った。

「犯人は誰?」「捕まらなかった。でも事件の一か月後に自殺した」「どうして解るの?」「僕の従弟だから」と言いニヤリと笑った。振り向くと半開きの鎧戸からバルコニーが見え、その向こうに紅葉した低い連山が見えた。そこに美しい夕日があたっている。私は玄関ドアの方に歩き出した。彼が私の背に右手を添えた。おぞましい悪寒を首筋に感じ、あわてて外に飛び出した。

描きあがったスケッチを夫に見せると「この家は昔、殺人事件があった所だよ」と言った。「犯人は誰?」聞くと「まだ捕まっていない、迷宮入りだな」と言った。彼は殺されたツアーガイドは精神異常者だったと言った。

それから数ヶ月たったある夜、夫と私はある石造りの酒場にいた。道の両脇に骨董屋が立ち並ぶ古めかしい通りで、どの店も飾り窓に店自慢の骨董品が置いてある。殺人事件のあった家から近い場所だ。カウンターに座り、夫はビール、私はマティーニを頼む。バーテンダーはハッとする程の美女だった。夫は彼女と世間話を始めた。

その時誰かの視線を感じた。カウンターの隅でじっとこちらを見ている男がいる。見覚えのあるカーキ色のジャケット、あの男だった。男は視線を外さず私を見続けた。私は酒に目を戻し夫とバーテンダーの会話をぼんやりと聞きながら、ふと殺人事件の犯人はあの男ではないかと思った。

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