幻想的で神々しいその森の中に、ジーナは歩み入って行く。何という懐かしい光景だろう。森の中すべてを埋め尽くすおびただし秋の木の葉。赤、黄、紫、まるでカラフルな大きな蝶の群れが、木々や地面を被っているよう。その優しさの色に彼女は膝まずきたいほど感動していた。ふと、ストローラーの中の幼児を見つめ話しかける。
「森の中はきれいね。ほら素敵な枯葉のベッドが沢山あるわ」すると2才を過ぎたばかりのヘンリーは、物分かりの良い笑みを浮かべジーナを見返す。時々ジーナは自分がこの子の母親なのか子守りなのか、分からなくなる時がある。彼女はストローラーから赤ん坊を抱き上げキスをした。まるで恋人にするような愛情深い口づけを。

「ヘンリーには規則正しい生活を教えてね。怠け者は大嫌いなの」母親のモリーは高飛車に言う。シングルマザーでセラピストの彼女は、わずか14才のジーナを子守りに雇った事に、今は懐疑的である。近隣の小奇麗なビルにオフィスを持つ彼女は、恋人が自分を妊娠させたまま去った事が許せずいまだに根に持っている。
「ランチにしようか」ジーナは美しい枯葉の上にブランケットを敷く。籐製のランチボックスからミルクびんを取り出しヘンリーに渡す。すると彼は心得顔で乳首を口に含む。幼児キリストに似たピュアな表情をもつ天使のようなヘンリーと、こんな風に森の中でピクニックをするのが夢だった。
母親のモリーはその頃一人の患者と向き合っていた。患者が言う。常に誰かに盗聴され盗撮されてる気がして眠れない、眠れないから発狂しそうだ。この女は20年前、3才の従妹を階段から突き落とし重症を負わせた。両方の母親が外出し他には誰もいない午後だった。だが母親たちが姉妹同士であったため、すべては秘密裡に隠蔽され加害者は丁重に釈放された。女はどす黒く地獄から這い上がって来たような陰鬱な顔を、ときどき左右に激しく振る。つぐなわずに闇に葬られた罪の重圧、それが彼女をいまだに苦しめている。
ハラハラと舞い落ちる枯葉の雨に、ヘンリーが両手を上げる。その手の愛らしいくびれを見ながら、ジーナは不安でならない。誘拐しても構わないほど好きなこの赤ん坊を、もうすぐ母親に手渡さなければならない。なんと理不尽な事か。子供が信頼し愛しているのはこの自分なのに。モリーはクライアントの前では女神のように振る舞うが、家に帰ると口やかましく横暴である。その事でジーナは彼女を尊敬できずにいる。
ジーナと暮らす無教養な両親と4人の年下の姉妹、彼らはやっと見つけたベビーシッターの仕事を脅かす。裕福な家庭で働くジーナに嫌がらせをし、両親は稼いだ金を取り上げる。彼女はヘンリーと二人、どこかへ遁走したいと欲望するようになった。こんな風な森の中でもいい、二人きりで暮らすのだ。
「あなたが階段から従妹を突き落とした理由を、もう一度説明して」唐突にモリーが患者に聞いた。「理由はない」女は無表情にいつもの答えを出す。モリーはうなずく。それは納得が行く事だ。当時8才だった少女が、たまたま階段の上で隣にいた幼女の背中を押したとしても、理由などない。その時耳たぶに止まっていた小さな悪魔、その囁きに従っただけだ。「押せ!」と言う、、、。
ここでモリーは絶妙な質問を放った。「もし今あなたが階段の真上に立っているとして、隣に幼女がいたらやはり背中を押しますか?」女は数秒考えたが「そうすると思う」と恬淡と答えた。ああ、ではこの女は今でも耳たぶに小さな悪魔を飼っているのだ。生まれつき悪魔の手先となる宿命なのだ。モリーはため息をつき窓外を見た。駐車場の色づいた落葉樹が美しかった。彼女は身に覚えのない胸騒ぎを覚えた。
