東部からカリフォルニアに越して来た時、お世話になった東部の親戚の方々にお礼のハガキを出そうと思った。地元の写真つきの絵ハガキに、新住所、近況などを書きそえたいと思ったのだ。だがこの街には外へ出ればすぐに、地元の絵ハガキが買える賑やかなギフトショップ等ない。ロスのようにツーリストが氾濫しているような街ではないから。
郵便局へ行けばあるかもと、ふと思った。車がないから歩いて行く。散歩は私の大好物。幾らでも歩ける。ネットで調べると2,30分ほど歩けば郵便局があると言う。だが着いた場所は高齢者向けの健康グッズの店だった。車椅子などが置いてある。なんだか馬鹿にされたような気になった。私も高齢者の一人だし。
しかたなく駐車場をぶらついていると、若いカップルに出合った。男性の方が近づいて来て、「君は日本人か?」と聞く。「そうです」と言う。男性はうなずき「僕は二年前、日本でバックパック旅行をした。その時日本人がくれた親切心は忘れられない」と言う。絵ハガキを買うまでは落ち着けない私は、気もそぞろに「この辺に大きな郵便局はないか?」と聞いた。
「ここから歩いて30分も行けばあるわ」と女性の方が言った。歩くのは構わないがすでに落胆している私は、また30分かと礼もそこそこに歩き始めた。日差しの強い、人や車の少ない幅広の道を歩いていると、とても心細い気分になって来た。まだまだこの街では新参の私だ。先ほどの男性がまた追いかけて来た。郵便局まで乗せて行くと言う。女性は近くの図書館に行ったそうだ。

それから彼が車の中でまくしたてた日本人称賛は、こちらが持て余すほどの激しさだった。「日本人の旅行者に対する親切心、優しさは他のどんな人種にもおよばない。僕は驚いた。電車の中で切符を無くしたら、新しい切符を買ってくれた人がいて小遣いまでくれた。田舎道を歩いていたらお婆さんがおにぎりをくれ、道に迷っていると、目的地まで一緒に歩いてくれた人がいた」口角泡を飛ばし話してくる。「日本で親切にされたから、今度は僕が日本人に優しくする番だ」とも言った。
どれも日本人あるあるだから、にこやかに聞いていた。実は数年前、娘と日本旅行した時、電車の中でサングラスを置き忘れた彼女が駅員に届けると、紛失係に名前と電話番号をと言われた。次の日、京都のホテルに「ありました」と駅から電話があった時は、娘よりも私の方が驚いた。その時は、一旅行者として私が日本人の正直さに触れたのだった。
郵便局にはなぜか長蛇の列ができており、絵ハガキをとたずねると、そんなものはないとにべもない職員の返事。すると列の後から「ドラッグストアに行けばある」「モールにもある」と言う声がする。ドラッグストアにモールか、それは盲点だった。なぜ郵便局などと思ったのか、遠距離からの引っ越しで軽い時差ボケにかかっていたのかも知れない。

駐車場で待っていた男性が、しびれを切らし局までやって来た。雨が降りそうだと言う。窓の向こうを見るとすっかり雨空に変っている。ぽつりぽつりと雨粒が窓ガラスに落ち、私たちは車に戻った。図書館の近くで連れの女性が、小雨の中で立っている。私は恐縮して車から飛び下りた。「ごめんなさい、雨に濡れさせて」と言うと彼女は無表情にうなずいた。
立ち去る彼等に最後にもう一度、車のドアから礼を言った。「とても親切にしてもらってありがとう。あなたに親切にした日本人にも私は礼を言わなければ」と言うと彼はさわやかな笑顔を見せた。
人の親切、思いやりはどこの国にもある。要は流儀の違いだ。日本人の旅行者への親切心は、仕種のこまやかさ、思い入れの深さなどで、他国の人達のそれより際立って見えるのかも知れない。小さな島国の中で日本人同士が営々と温めて来た礼の美徳が今、ネット配信などもあり日の目を見ているのだろう。
空を見るとにわか雨はあがり、家々の窓に灯りがともりはじめていた。私はとても幸せな気持ちで家路に着いた。
