海沿いに家

海沿いに家を買った、遊びに来て、とナナからハガキが来た。樹里は首をかしげた。最後に会ったのは一年前の結婚式だ。以来、何の音さたもなかった。「海沿いの家!いいじゃないか!行こう、気晴らしになるよ。ブラッドに会うのも久しぶりだ」夫のトムが意味ありげなウインクをした。「でも、どう言うつもりかしら、それほど親しい訳でもないのに」「心配するな、彼らは悪い人間じゃない。ちょっと変わってるだけだ」樹里の肩にトムが手を置いた。

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ずいぶん前の事だが、フリーウエイで故障した彼らの車の修理を、トムが手伝った。結婚式の招待状が来たのは、その一年後だった。そしてそのまた一年後の、海辺の家への招待。樹里は納得が行かない。「大丈夫だよ、何か魂胆があってもこっちが行かなければ、彼らには何も出来ない訳だから」トムの言葉に樹里は黙った。

サンジェゴから3時間も車で行くと、目的地に着いた。海に面した広い道路のわきに、ライフガードステーションに似た小さな家が建っていた。それが彼らの新しい家。早めに着いたので、二人は海岸まで下りて見る。海岸は砂利におおわれ、裸足では歩けない。魚眼レンズで見たように、なんとなく海の両端がつりあがって見えるのは、暑さのせいかも知れないとトムは思った。耐えがたい暑さだった。

「これは海じゃない、湖だ。ごらん、水平線に密林のようなものが見える。あれは島ではなく、対岸の景色だ」トムが指さした。ハガキを見た時に、そんな事はすでに分っていた事だった。ただそれを海だと言ったナナとブラッドの真意が解らない。密林を背景にウインドサーフィンをしている男性が、一人いた。岸辺には誰もいない。黒い小さな丸太のようなものが、あちこちにある。椅子のつもりだろうか。

Silhouette of a man walking on a pier at the lake

満面の笑みでナナとブラッドは二人を歓迎した。家の中は狭く非常に暑い。天井扇風機が回っているが、取り付けが悪いのか音がうるさい。ナナはずっしりと太り常に笑みを浮かべている。ブラッドは、車の故障でトムにヘルプして貰った事を話題にし、またもや礼を言った。「君たちのように素晴らしい人と知り合えて嬉しい」とも言った。大量のマカロニチーズと野菜サラダの夕食を前にして、だが四人の会話ははずまない。来るべきではなかったと樹里は思った。「明日は島までボートで繰り出そう」寝室へ向かう樹里とトムの背中に、ブラッドが声をかけた。

翌朝、異変が起きた。トムが高熱を出したのだ。彼らが寝たデンは夜は極寒の寒さで、トムは一晩中、ソファベッドの上でガタガタ震えていた。暖房の装置はない。真昼の酷暑と夜の激寒にトムは翻弄された。島へはとても行けないと樹里が言うと、ブラッドは肩をすくめ、ナナは場違いな微笑を浮かべていた。意味不明な微笑は、時に人をいらつかせ不安にさせる。同じ微笑を以前どこかで見たと樹里は思った。それはナナの母親の笑みだと樹里はやがて気づく。

ナナの結婚式は医師であると言う、フィラデルフィア郊外の父親の家で行われた。トムと樹里はその時もバカンス気分で出かけた。どことなく昔のプランテーションハウスを連想させる、白亜の邸宅である。だが門はなく無趣味な空地のような所に建っている。邸とはだいぶ離れた場所の、とても野趣的な庭でパーティが催され、百人以上の招待客が飲み食いをしていた。ボーカルなしの4人編成バンドが、ひっきりなしに演奏している。庭に植わった数本の西洋柳の老木が、それにあわせるかのように枝を揺らしていた。

母親は日系3世の女性だった。非常に無口でぼってりとした体、招待客をぼんやりと見ていた。摩訶不思議な微笑を浮かべて。樹里は彼女と話したが、意思の疎通は出来なかった。白亜の邸宅はやはり医師だった祖父から、母親が譲り受けたものと言う。婿養子だと言うやはり日系の父親が、何かと母親の世話を焼いていた。

やがてそんな事にも飽きた樹里とトムは庭を歩き始め、トムの出来心で邸宅の中に入って見る事にした。玄関の扉を開けると、円形のホールの天井の豪華なシャンデリアが目に入った。家具がないのが不思議に思えたが、やがて二人は唖然とした。家中に空の段ボール箱が散乱している。寝室には床にマットレスが無造作に置かれ、ここにも段ボール箱が幅を利かせている。ごみ屋敷ではない。段ボール箱邸である。恐ろしく生活感のない不気味な家だった。

トムの熱が引いた翌日、二人は帰途につくことにした。町中を運転しながら「この湖の町は」と、トムが言った。「リゾート地として売り出したが、それが不発に終わった町だな」廃屋となった貸しボート屋が、彼の視線の先にあった。空き家の家が多く、窓に板が打ち付けてある。一時期は賑わったであろう、ホテルやレストランの色あせた看板。民家のポーチでは揺り椅子に座り、年寄りがじっとこちらを見ている。勤めていた製薬会社を首になり、ここに移転したと言うブラッドの言葉をトムは樹里に話した。彼女はナナの微笑を思い出しぞっとした。

View of the deserted sandy beach and the city at sunset

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