ベニスビーチ

ベニスビーチ、私はこのしれっとした背徳感あふれる街が好きだ。金持ちが影をひそめ、ホームレスが幅をきかす、この愉快な街が好きだ。街全体が何となく、原色の絵具で描かれた油絵のように感じるのは、街のあちこちにある壁画のせいかも知れない。娘が住んでいるのでときどき出かける。

12385940 - a street in venice, california

ある夜の事だった。ディナーをすませイタリア料理店から二人で出てくると、「そのドギーバックと僕のラッキーコーターを交換しませんか」と言う声が聞こえ、見るとバーバリー風のコートを着た洒落た紳士が立っていた。「バーバリーコートの紳士が、ドギーバッグがほしい?」と不審な気がして良く見ると、ホームレスの男性だった。見ればコートもだいぶくたびれている。

「O K」と娘はいい、バッグを差し出し25セント玉を受け取った。二人は笑みさえ浮かべ、それぞれの持ち物を交換した。淡々としたこの物々交換を見て、大げさに言えば、これが『ベニス気質』とでも言うものかと感じ入った。私なら「いえ、お金はいりませんからどうぞお持ち帰り下さい」と袋を彼に押し付けるだろう。そんな事はしないのが娘である。すべてはフェアにやる。バッグの中には私の食べ残しの、香草入りスパゲッティが入っていた。後で、「あのスパゲッティは明日食べるつもりだった」と心にもない事を言ったが、娘は歯牙にもかけなかった。

今年はドジャーズがWSに進出すると言うので地元は盛り上がり、スポーツバーで中継を見る事にした。まだプレイオフの時期で、対戦相手はアトランタのブレーブスだった。店内はかなり混雑し、適度な騒音につつまれている。バーカウンターの上に、46V型のテレビが横並びにずらりと並び、野球とフットボールの試合を交互に流している。私たちはそこから少し後ろの横長の細いテーブルに並んで座った。なんとなく小学生が黒板を眺める感じである。なぜかジョッキ入りのビールが次々に運ばれて来るので、いい気になって飲んでいたら目はしょぼしょぼ、体はルンルンになって来た。

そこで娘が八回の裏で「なぜカーショーはまだバッターボックスにいるのか?」と聞いたのHappy friends drinking beer and cheering together in a barで、「彼は今日は調子がいいので9回まで完投するのだ」知ったかぶりして答えた。すると彼女は右隣に入る友達に同じ質問をし、また私に向き直り「カーショーは9回で投げたりしないんだって」と、二人のコメンテーターの間でいい気になるアナウンサーのような顔をした。その通りだった。あるいはあれは七回裏だったのかもしれない。

だいぶプライドが傷ついたので画面から目を離し、先ほどから斜め左前のバーカウンターで、ゆらゆら揺れている黒い小山を見る事にした。つまり小山のように太った女性をだ。肌の黒さとドレスの黒さ、細い無数の三つ編みにした髪の黒さが、一つの黒い小山に見えたのだ。興味あるものを見つけるとついガン見するのが私の悪い癖で、その時も彼女をじっと見つめていた。すると彼女が時々私に流し目を送り「何を見てるの、そこのあなた、うっふん」と言った感じでにやっと笑う。ビールの力もありこちらも、意味不明の微笑を返したりしているうちに、二人の間にある種の暗黙の親愛関係のようなものが生まれた。

と、思ったのだが、つまらなくなったのか彼女は急に、隣の男性にちょっかいを出し始めた。連れがいたのだ。男性は格子縞のジャッケットにパナマハットをかぶり、テレビに見入っていた。すると椅子の下の彼の足を、小山の女性が蹴るのである。ぶらんぶらんと調子をつけて、彼の足をリズムをつけて蹴る。だが男性は見向きもしない。やがて女性はたちあがり、その重い体をときどき壁に預けたりしてトイレに向かった。帰って来た時には真っ赤なリップスティックをつけていた。それが彼女のダークスキンにとても似合う。

やがて試合が終わり彼らは帰り支度をはじめた。あっとそのとき驚いた。カウンターから降りた男性は女性に負けず劣らずの巨漢で、しかも男性ではなく女性だった。ボーイフレンドではなくガールフレンドだったのだ。二人は腕を組み外へ出て行った。

こんな事に驚く私は、まだまだベニス住人にはなれないのだろうな。

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