これは約30年前の話である。私はその頃高校生だった。結婚してアメリカにいた父の従妹の亜希さんが、私の田舎町、つまり彼女の実家に戻って来たのだ。離婚と言う事ではなく、ある精神病を治すためこちらで療養すると言うのだった。病名は躁うつ病だと彼女の父親が言った。あまり物を言わずふさぎ込むのだと言う。精神を病んだ彼女は、どこか朦朧としたはかない美しさがあった。日本で療養と言うのは彼女の希望だと言う。結婚して一度も里帰りしなかった彼女が、田舎に帰って来たのだ。

彼女の父親には先見の明があったのだろう、いわゆる古民家にいち早く目をつけ、古い農家を買い取りリフォームし、人に貸したり売ったりしていた。その中の一軒を亜希さんに提供したのだ。アメリカから彼女を連れて来たご主人は、貸家としての代金を払わせてくれと言ったが父親は断った。用が済みアメリカに帰る日、名残惜しそうなご主人を、亜希さんは無表情で突き放した。たまたまその場にいた私は、彼の傷心の後姿を見る事になった。
なぜ私がこれほど彼女に固執するかと言うと、若い頃の父と彼女の写真を、古いアルバムの中に見つけたからである。その頃父はすでに定年まじかの地方公務員だったが、若い頃は美青年だったと祖母が言った。二人きりの写真が多く高校の制服を着て、美男美女が互いの愛をしんと受け止めているそんな表情をしている。「父もやるな」と言いたい所だが、彼は帰って来た亜希さんになかなか会おうとはしなかった。
二人は愛し合っていたのかと祖母に聞いた。「亜希ちゃんは本気だった。でも修二は違った。従妹同士だからね」と祖母は不思議な照れ笑いをした。修二と言う息子の名を奇麗に発音した祖母は、従兄に恋するなんて常軌を逸しているとでも言いたげだった。母との離婚の真の理由を聞きたかったがやめて置いた。
亜希さんを訪ねて私は、学校帰りに頻繁に立ち寄った。彼女も快く迎えてくれた。赤さび色の屋根を持つその古民家は南向きに建てられ、石垣の上の高台にあったから、表座敷の広縁からは、素晴らしい田園風景がのぞまれた。家のすぐ前には清流が流れ、裏山の竹林からは、さわさわと風に揺れる笹の音が聞こえる。亜希さんはこの家をとても気に入り、ペールピンクのシルクガウンを着て広縁の椅子から、いつも気だるげに景色を眺めていた。それは異国的で不思議な情景、だが時に見せる彼女の冷酷な表情がエキセントリックでもあった。
賑やかな雰囲気を彼女は望まなかっただろうが、家政婦が週に三回、彼女の父親が菜園を見にと、人の出入りは多かった。その事が功を奏したのか、彼女は次第に明るくなって行った。だが私は父の事などおくびにも出さなかった。言えばすぐに訪問を拒むだろう。彼女にはいつも一触即発の雰囲気があったから。「私はいつまでも英語が解らなくてね」とある日彼女が言った。私が黙っていると「でもその方がいいのかもね、よけいな事を知らずにすむから」と微笑した。
私は彼女ともっと話をしたかったが遠慮した。ただ一度、壺の事を聞いた事がある。表座敷の広縁の突き当りに大きなオーバル型の中国の壺が、黒い台座の上に置いてあった。茶褐色の上に不思議な鳥や花、空飛ぶ人などが流麗的に描かれ、とても高価な物のようだった。その事を聞くと「あれは主人がずっと前に買ってくれたものなの。中国の壺ではなく九谷焼よ。お気に入りだから我がままを言って、アメリカから持ってきたのよ」我がままと言う言葉に、ご主人への思いやりがあふれ、彼女はとても回復してきたように思われた。

