木からもぎ取った

木からもぎ取ったばかりのレモンは、マーケットで買うレモンの十倍もおいしいとどこかで聞いた気がして、それが頭から離れない。木からぶら下がったレモンを、ひねるようにしてもぎとりかぶりつきたいと言う願望が、ここ数年渇望にまでなった。木からもぎ取ったばかりのレモンにかぶりつけば、芳醇なレモンのしぶきが顔じゅうに散らばり、ついでに目にも入ったりして、常とは違う強烈な刺激を受ける一瞬になる事は間違いないだろう。それに空中にぶら下がったレモンに触ると言う、その快感もまた捨てがたい。

ripe lemons on lemon tree

レモンと言うのは柑橘類の中でもダントツの酸っぱさを誇る果物で、これを丸かじりする人はあまりいないと思う。その誰もあまりやらない事をなぜ渇望するようになったかと言うと、ここ数年の私の環境の変化によるものだ。東海岸からカリフォルニアのこの街に引っ越してきて数年経つが、この街にはちょっと外へ出れば、どの民家の庭にもレモンツリーが植えられ、金色の実を鈴なりにつけ、太陽をさんさんと受けている。それに衝撃を受けた。ある家では一本と言わず、二本、三本のレモンツリーを所有し、道行く人にこれでもかと、これみよがしに見せびらかしている。あれを一つもぎとりたいと食指が動くのである。しかも民家の庭と歩道に段差はなく、静かに庭に歩み入りそっとレモンに手をさしのべれば、、、。いやいやそれはやってはならない事である。たとえレモンひとつでも、人の家の庭から何かを持ち去れば泥棒である。大昔の中国のことわざに「李下に冠を正さず」と言うのがある。「りかにかんむりをたださず」意味は「すももの木の下では曲がった冠を直してはならない。誰かが見れば、すももを盗んでいると思うかもしれない」つまり人に疑われるような事をしてはいけないと言う事である。顔の皮膚が異常にデリケートな私は、日差しをよけるために散歩には必ず、つばの広い麦わら帽子をかぶる。だからレモンツリーの下では決して帽子に触らない。たとえ帽子が風に吹き飛ばされそうになっても、直立不動でことわざの教えをまもる。と言うのは冗談。だがSNSのこの時代、誰がどこでシャッターチャンスを狙っているか分からない。気をつけるに越したことはない。家主の玄関をたたき、どうか一つと頼みこもうとも思うが、それもバカバカしくて。ならば地べたに落ちているレモンは?拾ってもいいの?地べただろうが空中だろうが、そんな事を考えるのはあほらしい。ただ折角のレモンを無駄にする家主がうらめしいだけだ。

Bunch of fresh ripe lemons on a lemon tree branch

その昔日本では、レモンは庶民の高嶺の花だった。と言っても私が日本にいた頃の話だから、ずい分前の事だ。その頃レモンは、あまり店には売ってなくあってもひっそりと隅に置かれていた。値段も高かった。食材としてはあまり使われず、料理の飾りとして使われていた気がする。あるいはお菓子やケーキに。食卓にのぼるおかずには、代わりに酢を使っていたようだ。私の記憶もあいまいだから断言はできない。しかしレモンも今は、煮たり焼いたり蒸したり茹でたりつぶしたり、いいようにこき使われている。私の好きなレモンの使用法は、マルガリータを作る事、それも塩付きの。テキーラ、ホワイトキュラソー、レモンジュースを適当にまぜ、グラスのふちに塩をまぶし、きんきんに冷やして飲む。熱い午後はこれに限る。自家製だから何杯でも作れる。作りすぎてふらふらになった事も。

Margarita Cocktail. Frozen Drink

それはともかく、レモン丸かじりの渇望はいまだ冷めやらず、ある日いつものように帽子を被り散歩に出かけると、なんとある庭の前に木箱いっぱいに入れたレモンが置いてある。箱の前にFREEのサインがある。三本あったレモンの木一本を切り倒したらしく、庭の隅に精気をなくしたレモンツリーが死んだように地面に横たわっていた。木箱の中のレモンも心なしか精彩をかき、形もいびつで色も金色にはほど遠い。気持ちが一気に失せた。木に生っていたからこそ魅惑的だったのだ。手に届かない物だったからこそ魅了されたのだ。私はこの手で、自分の手でレモンをもぎ取りたかった。人の手に寄るものなら興味はない。

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