不謹慎な事

不謹慎な事だが私は、双眼鏡で他人の家の窓を見るのが趣味だ。私のリビングの窓を開けると、まず川が見える。広くも深くもない川はとても澄んでいて、都会ではめずらしくきれいな川だ。ところどころの水面下で長い水藻が、まるで洒落たスカーフのようにゆらめき、そこにカモの親子がスイスイと泳いで来る。子ガモが少し遅れると親ガモが待っている。川端はかなり広く灌木や茂みの緑が色を添える。心癒される風景のその向こうに、白く輝くコンドミニアム、それが私の標的だ。五階建てのまだ新しい建物で横に長い。ベランダの白い柵がまぶしい。人の家の窓をのぞくと言う、法にも触れかねない行為をなぜするかと言えば、それがストレス解消のたったひとつの方法だからだ。

15448723 - watching from the bushes with binoculars

 アメリカの高校で日本語の教師をすると言うのは、昔からの私の夢だった。父の仕事の関係で15才までアメリカで育った私は、それなりに勉強もし資格も取り夢を果たした。だが生徒たちのやる気のなさにこの頃は頭が痛い。最初の頃こそ日本から来た先生と面白がってくれたが、今は脱落する生徒がふえ、30人もいた生徒が半分以上減ってしまった。文法の話などすれば彼らは露骨にいやがる。ある時など授業の最中に生徒が、黒板にスラングだらけの文章を書きこれを日本語に訳してくれと言う。そこまでの英語力がない私が困ると彼らは喜ぶ。授業に魅力がないのは私の力量のなさだが、どうする事も出来ない。

 人の家の窓を覗くとき、ヒッチコックの『裏窓』のようにドラマチックな出来事が、それぞれの窓で起きているのかと言えば、それが起きているのである。ただ見えないだけである。誰もが窓やカーテンを閉めるから。双眼鏡のレンズはのぞき穴と同じである。のぞき穴の向こうには必ず卑猥なシーンが見えるようだ。映画『曳航』や『サイコ』、小説『地獄』でもそうだった。だが私が見たいものはそんなものではない。ベランダでは、人々が植木に水をやったりバーベキューをしたり、日光浴、隣人同士の壁越しの雑談などで、魅力的な動きを見せてくれる。私の双眼鏡は精巧なキャノンISで臨場感と遠近感に優れ、肉眼では見れない映画の一コマのような、ドラマチックなシーンを創るから。生徒から馬鹿にされた日などは、この曲折された卑猥なシーンを見て気晴らしをするのだ。

june 17

 ある日教室に入ると、出席者の数がいつもより多く一瞬ぬか喜びした。だが次に黒板にはられた写真を見て、頭から冷水を浴びせられたようになった。それは窓辺に双眼鏡を持って立つ私の写真だった。不鮮明だが東洋人の私である事は一目瞭然。そばに「だいじょうぶ、誰にも言わないよ」とチョークで書かれハッピーマークが付けてある。頭に血がのぼり写真を引きはがすと、生徒たちは指笛を吹き手を叩いてよろこんだ。後で分かったことだが、それは私にスラングの質問をした男子生徒と同人物だった。他の生徒に聞くと、彼は川向こうのコンドに住んでいて、私の挙動をすべて観察していたのだ。

 その夜私は、いつもはグラス一杯の赤ワインをとうとう一本開けてしまった。だが酔えない。冴えた頭でいずれは校長に呼び出される日をぼんやりと想像した。その次に来る辞職、そして挫折。それからは窓を開けるのが怖く、二か月ほどは窓に触りもしなかった。そしてついに開けたその時、私は向かいのコンドの五階、右側の最後列のベランダから双眼鏡でこちらを見ている男を発見した。あの男子学生だ。それからは彼がベランダの椅子に座り込み、私が窓を開ければすぐに双眼鏡を向ける。私を監視するつもりである。ああ、これでは窓も開けられない。ベランダどころか、澄んだ川もカモ親子の散歩も、夜空の星空さえ見る事は出来ない。たった一つのストレス解消法を奪われた。一体私が何をしたと言うのか。真面目に仕事をしただけではないか。彼等はその真面目さが気に食わなかったのか。冗談を言ってダンスでも踊ってほしかったのか。私にそんな才覚はない。

69820646 - the depression woman sit on the floor

 

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