まったく同じ情景

まったく同じ情景が、その人の性格や気分で、全然ちがって見える事があると言う。例えば、イチョウ並木の下を親子三人で歩く後姿の写真があるとして、ある人は親子三人の楽しい散歩風景と言い、ある人はいや親子三人が死出の旅に出かける残念な写真だと言うかもしれない。現実の風景が心の風景に左右されるなら、本当に気をつけなければならない。

二十年ほど前私は、パシフィックオーシャンまで歩いて三分と言う所に住んでいた。海ではいつも人々が笑い、泣き、酔い(酒の酔いではない)騒ぎ、まるで近代的な鳥獣戯画風に、さわやかなざわめきを繰り広げていた。そのざわめきがキッチンの窓から聞こえ、食後の洗い物などしている時は、早く海に行きたいなと気がせいたものだ。

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人々はだいたい、自分の住んでる場所に一番近い海岸に行きたがる。だからそれぞれのビーチにはそれぞれのカラーがあり、私のビーチには日本人や白人の中流家庭の家族づれが多く、陽気な賑やかさがあった。そこから南に一マイル程行くと、乱雑な多肉植物が生えたなだらかな崖に突き当たる。その崖肌に、人々のトレイルが二本、ゆるやかに落ちていた。崖の上には高級住宅街があり、そこから降りてくる人々もやはりそれらしき人達だった。彼らは他の砂浜にいる人たちより比較的物静かで、誰もがただじっとすわって海を見ていた。人数もそれほど多くはない。波打ち際を歩くのが好きな私はその静けさが気に入り、自分のビーチからその崖までほとんど毎日のように歩いた。

そんなある日、私はある奇妙な光景を目にしたのだ。崖から少し離れた所で、かまきりのようにやせた顔色の悪い白人の少年が、ひざまずき長い両手を宙に振り上げるようにして、一心不乱に砂浜に穴を掘っている。砂が彼自身にも振りかかり実に哀れな姿。そばで父親らしき男が、膝を立てすわり両手を後ろにつき残忍な笑いを浮かべていた。中学生らしきその少年が突然引きつった顔で、「ちちうえー、穴の深さはこのくらいでよいでしょうかーあー」と不自然な高い裏声を上げた。それは普通の子供が使わない、非常に丁寧な尊敬語で、父親は薄ら笑いを浮かべ「まだまだ」と吐く。確かに父と息子の楽しい砂遊びには見えず、なにかしら虐待じみた危険な様相を呈していたので、私はわざと彼らの前を歩き、じっと父親をにらんでやった。彼もジロリと私を見た。しばらくして振り向くと、少年は気の毒なくらい無我夢中に穴を掘りつづけていた。その夜私は、いったい何のための穴を掘っていたのかと言う疑問に打ちあたった。残酷な殺人の方法として、犯人が被害者に穴をほらせ、掘り終えたところでその中に入るように命じ、上から土を戻し生き埋めにする、そんな事さえ想像できるような、それは悪徳に塗りつぶされた情景だった。世の中には、実子を地下室に閉じ込め鎖でつなぎ、食事もあまり与えず、たまに世間を見せびらかすために外に連れ出す鬼のような親がいると言う。彼の両親がそうでなければいいが、、、。

と、こんな事を書くと「なんだこの女は。誇大妄想癖の変態女じゃないか」「自分が不幸だから、何でも不幸に見えるんだ」「性格悪いな」と、あっち行けの目で見られそうである。確かに彼らの周囲の人は、格別気にしてはいないようだった。その後私は、二度と彼らを見る事はなかった。だがあの陰惨な光景は、心象風景として胸の裡にしっかりと刻み込まれ、今でも時々思い出し重ぐるしい気分になる。今はただ、あの少年がどこかで幸せに暮らしている事を祈るばかりだ。

やっぱり私は、精神分裂気味のあぶない子ちゃんなのかな?

 

 

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