ここに母と娘の美しき会話 ここに母と娘の美しき会話がある。 娘「マム、今度こそあたしタツーを入れるからね」 母「あー、それだけはやめて!そんなこと絶対だめ!」 娘「そう言うと思った、そんな金切り声あげなくてもだいじょうぶ、マムに迷惑かけないから」 母「その時点からしてすでに迷惑なのよ。日本に行った時の事おぼえてる?温泉もプールもスパだって、イレズミおことわりだったじゃない」 娘「ここは日本じゃないのよ、アメリカ!タツーフリーのア、メ、リ、カ」 母「お願いだから、どうかそんなヤクザな事やめて!あなたにはプライドってものがないの!」 娘「なにそれ」 娘はのほほん顔でついに腕にイレズミを入れた。 娘「マム、どう、あたしの生まれてはじめてのタツー」目の前に差し出された腕を見て、母は押し黙った。ひじの内側にほられた美しい絵模様に心打たれたのである。それは梅の枝にうぐいすが止まった、あからさまなだが象徴的な日本の美だった。色合いがくすんで、とても日本的なのは、してやられた感じだった。 娘「マムと離婚しドイツに住んでるダッドが、タツーをいれるならマムの国の梅の花をと言ったわ。彼、一度だけ日本で見た梅の花が忘れられないって」 母「あんな人の事は聞きたくない!」 娘「マム、あなたはタツーは嫌だ、ダッドは嫌だって言うけど、それは自分を愛してないからよ!」 娘がめずらしく声を荒げた。 娘「自分を愛せない人は他の誰をも何をも愛せないの。ダディとアメリカで出会って、両親に相談もせずすぐに結婚したのも、日本の両親を愛してなかったからよ。ダディと結婚しても、彼を心から愛することは出来なかった、なぜなら、自分を愛する事の出来ないあなたが彼を愛するのは、自分のくだらないプライドが許さなかったのよ。あなたのプライドは自分自身を不幸にしてる、それが解らないの!」母としてはどうにも納得の行かない娘の解明だったが、大学で心理学を専攻する娘に、口ではとうていかなわない。 その夜母の順子は、ベッドの上で静かに考えていた。彼女が13歳の頃、始めて見た入れ墨の事を。それは父の従兄だった。親戚の間ではやくざ仲間に入っていると陰口を聞かれ、けむたがれていた。ほとんど生まれた家には寄り付かず、だが時々ふらりと小さな町に帰って来た。いつも濃紺のぱりっとした袷を着て、父に会いに来た。どことなく若い頃の高倉健に似て、順子はそばにいるとドキドキした。彼が袷の袖を肩までまくると、極彩色の入れ墨がはっきりと見えた。彼女はそれを美しいとは思わなかったが、どこか妖しく蠱惑的で、触れて見たい気持ちになった。「入れ墨なんか入れてあんな人はこの町にはいない」と彼女の母は吐き捨てるように言っていたが、彼が来るといつもそわそわする母を順子は知っていた。だが母のさげすむ入れ墨を、その時はとうてい受け入れる事は出来なかった。その時から入れ墨は、例えば『秘密の花園の食虫植物』と言った感じで、彼女の胸の中に神秘的に息づいていた。彼女は気づいていなかったが、それが彼女の初恋だった。その、終わり切らない初恋の慕情が、タツーに対する彼女の気持ちをかたくなにさせているのだった。「あなたのプライドが自分を不幸にしている」と言う娘の言葉が、小さな剣のように胸に突き刺さっている。 数ヶ月後、大学の寮から帰った娘に、順子は彫ったばかりの腕のタツーを見せ、この上もなく慈愛に満ちた、吹っ切れた微笑みを浮かべた。その後の彼らの会話は誰も知らない。 共有: X で共有 (新しいウィンドウで開きます) X Facebook で共有 (新しいウィンドウで開きます) Facebook いいね 読み込み中… 関連